*** 子育ち12章 ***
 

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「第 87-08 章」


『子育ちは 私らしさが 身について』


■子育ち12基礎力■

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『子育ち第8基礎力』

【専門力を身につけよう!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第87版では,子どもが育ちによって身につけていく能力の全体を考えていきます。人の育ちは複合的な能力を過不足無く獲得しなければなりません。もちろん特別な能力を伸ばすことも大事ですが,人間としての基礎的な能力が生きていく基盤になります。育ちのペースは子どもそれぞれに違いますが,成人までにはすべての力をそれなりに獲得できるように,側にいる大人がちゃんと導いておくようにしましょう。

●《経験》専門力といっても,子どもでは得意なことと言った方がいいでしょう。大人になってその道の専門家になるかもしれませんが,あまり急がない方がいいでしょう。ところで,得意なこととは,経験の豊かさと重なります。どれほど経験したか,それが力の蓄えになるからです。経験した者に勝てないということです。何を経験するかは,本人の気持ちと環境に依るでしょうが,はじめは,好きこそものの上手なれということでいいでしょう。飽きて変わることもありとしながら,多様な経験を大事にしましょう。

●《評価》授業であれ遊びであれ,何事かに取り組んでみる中で,たまたまほめられたことが強く印象に残って,その道に進んでいったということをよく聞きます。ほめられたらもっとしてみようという動機付けになり,経験を重ねていきます。ある程度経験すると,ほめられるからではなく,していることの面白さが分かるようになります。そうなれば,ひたすら掘り下げていくようになります。そんなことをして何が面白いの? その言葉は子どもから経験を奪ってしまいます。ほめて育てましょう。

●《有用》専門というと,狭くまとまるというイメージがあります。子どものうちから,可能性を絞ってしまうことはないでしょう。例えば,歌手になるのに歌だけ歌っていればいいということではありません。いろんな能力が土台にならなければ,砂上の楼閣になります。あらゆる方面の経験の一部が紡がれて一つにまとまっていくと,専門という糸になります。そんなことをしても関係ないから無駄,それはかなり後から考えることであって,子どものときには選り好みはしない方が賢明です。すべてが関わり合っているのです。

●《価値》力が強いからスポーツ関係を専門にすることは良しとしても,力を使って人を害してはいけません。専門力は使い道によって,その価値はほめられるものと非難されるものとに逆転します。学力は人を蹴落とすためのものではなく,人を助けるためのものです。何のための専門力かという目的をきちんと弁えていないと,価値のない専門力になります。独りよがりではなく,周りの人から頼られる専門力でありたいものです。例えば,オレオレ詐欺が上手であっても,人としての価値は認めてもらえないでしょう。

●《独自》人は他人と同じであることに安心する一方で,同じでありたくないという思いも持ち合わせています。独自な専門力を持つことができたら,素晴らしいことです。そこで,気をつけておかないと,転落することになります。独自であることが自分一人の力であると錯覚してしまう弱さを人は持っています。試しに,独自の力が無人島で発揮できるかということを自問してみればすぐに分かるでしょう。人とのつながりの中にいてこそ,独自な力が存在できることを忘れないことです。



 ジュースを半分飲んで,「もう半分しかない」と思うか,「まだ半分もある」と思うか,どちらですか? どちらでも好き好きです。ところで,子どもに向かって,「このままでどうするの?」と追い詰めますか,「まだ大丈夫だから」と余裕を持たせますか。のびのびできるのは,どちらでしょう。でも,早合点しないでください。状況に応じて,どちらもあり得るので,使い分けをしてください。どちらか一方であったり,逆に使い分けてしまうのが,心配なのです。

★落書き★

 ジンギスカン料理。モンゴル国ともジンギスカンとも何の関係もない日本の料理です。鷲沢与四二という新聞記者が取材で中国を訪れたとき,古道具屋で野球のキャッチャーミットのような鉄板を買って,これで羊の肉を焼いたらとてもいい具合に焼け上がりました。そこでとっさに彼が名付けたのがジンギスカン焼きという名称で,のちに北海道を中心に広がっていきました。


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