*** 子育ち12章 ***
 

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「第 91-02 章」


『子育ちは 違いと同じ 楽しんで』


■子育ち12反転■

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『子育ち第2反転』

【区別と比較!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第91版では,子育てと子育ちが反発してしまう心配をを考えておきます。子どものためを思って良かれと作用をしても,子どもからは良くない関わりになってしまうということです。親はしつけのつもりで関わっていても,子どもからは虐待となっていることがあると言われるようなことです。保護するのが親の務めですが,過ぎると過保護となって,育ちを疎外してしまいます。どんな点に注意をすればいいのか,羅針盤の12の視座から考えてみましょう。

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《区別》
 「お兄ちゃんでしょ。もう小学生でしょ」。立場を理解させることで育ちを促そうという親の思いです。子どもがそう言われているときは,したいことが禁止されたり,したくないことが強制されたり,何らかのことを我慢させられるときです。その場に居合わせた弟や園児は,免れていることもあるでしょう。「お兄ちゃんではない,小学生でいたくない」,そう思わせないように気をつけましょう。お兄ちゃんであること,小学生であることを喜びとするような状況に導きましょう。
 区別とは,そのことによって物事を分かりやすくすることです。例えば,学年の区別は,それぞれの学年の課題を明らかにして適正で効果的な取組を促すためです。小学一年生にいきなり割り算を教えても意味がありません。1年生が割り算ができなくても,だからといって,1年生がダメだということではありません。優劣とか勝敗といった価値尺度とは無縁なものです。その他には,例えば,ひいきの野球チームがどこかという区別などもあります。

《比較》
 すれ違うとき,上から下まで眺めて,勝っていると見定めをしているそうです。勝ってうれしい負けて悔しい,という人情があります。「同じ3年生なのに,どうしてあなたの成績はこうなの?」。同じであるはず,同じであるべき,その前提がある中で,違いを明示する物差しが現れると比較となります。優劣や勝敗の他に損得という物差しもかなり強力です。お兄ちゃんでしょ。それが兄弟に向かって持ち出されたとき,同じ兄弟なのにという思いから,比較され,えこひいきされているという不公平さを感じ取ります。
 体重50kgと身長150cmは区別できますが,比較できません。ところで,身長150cmと180cmは比較することができます。違いや差が算定できるとき,比較になります。比較の中では平均という量が現れて,平均以上と以下で評価の優劣が付与されると,比較はあまり歓迎されないものになります。最も切実な例が,試験の点数です。試験の点数は各個人がどこまで理解が進んでいるかを示す指標ですが,優劣比較に転換されるとき,本来の役割が果たせなくなります。必要以上の比較は避けるようにしましょう。



 正々堂々。そういう態度を目指す男の子。今時,そんな男の子がいるわけがないと言われそうです。男性が子育てから撤退したお陰で,男の子が育てなくなっています。弱い者いじめは卑怯である,といった正義感を男の子にしつけてこなかったせいで,こそこそとした陰湿ないじめが蔓延し,明るいケンカが消えていきました。ケンカをすることで,人との間合いの取り方を会得することができるのに,その好機を,父親を放棄した大人がないがしろにしてしまったのです。男の子を育てるのは,父親なのですが?

★落書き★

 日本は緑茶,中国はウーロン茶,ヨーロッパといえば紅茶です。お茶は奈良時代に中国から日本に伝来したそうです。そしてヨーロッパへお茶が伝来したのには,日本が大きく関わっているのです。1609年,オランダが長崎の平戸に商館を設けたのをきっかけとし,日本のお茶がインドネシアを経由してヨーロッパに輸出されたのが起源とされています。そのため,ヨーロッパでは当初,日本の緑茶が飲まれていて,「cha」と呼ばれていました。

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