『子育ちは 言葉で知恵を 摂取する』
■子育ち12態様■
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『子育ち第5態様』
【子育ちは,言葉を覚えて知恵を作り上げていく】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第94版では,こどもが育っている態様を説明しようとするとどうなるかを考えます。こどもには健全に育っていってほしいと願いますし,幸せに生きていくことができるように育ってほしいものです。何となく育っているように見えても,生きる喜びを掴まえられる脳力を身につけて欲しいのです。健全な育ちを実現する羅針盤として具体的な育ちの全方位を見届けることができるように確認していただけたらと思います。
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《何時育つのか?》
テレビや情報機器の影響下で育っている子どものデメリットを知っておく必要があります。漫然と長時間テレビ・ケータイ・スマホに付き合っている最大の影響は,人間がぼんやりと過す時間を奪うことです。ぼんやりと過す時間にこそ,画期的なアイデアや,新しい発想が生れてきました。情報・言葉を受け入れるのに忙しいと,自分の言葉を発するいとまはありません。ぼんやりというのは,自分の頭脳による自発的活動の時間なのです。考えたことが言葉に結びついたとき,ぴかっとひらめくのです。
ところが,その肝心の言葉が,若者世代で明瞭さを欠いているようです。
1.語尾が伸びたり上がったりする(次の語を考えている)。
2.話が長々と続き,切れ目がない(ズバリと言い切れない)。
3.感覚的で曖昧な表現が多い(「やっぱり,とか,なんか,みたいな感じで」)
4.語彙が少ない(ヤバイ,かわいい,等の多用)。
5.発音が曖昧(言葉に自信が籠もっていない)。
空気を乱さない気配りが強くて,言葉の意味をぼかすような言い回しになっています。言葉につかみ所がないので,結果としてお互いが分かり合えなくなっていきます。
日々の暮らしにおける体験,気持ちといったもやもやしたものに言葉が付与されて名付けられるとき,意識的認知という段階に到達します。気になる異性,思うと落ち着かないという気分が,「それが恋」と言葉で定義づけされたときに,自覚できて,そうなんだと納得に至ります。花を見て,ホーと思う小さな感動,それが「キレイ」という言葉に結びつけられたとき,人と共感することができるようになります。美意識=キレイネ,思いやり=ヨカッタ,生命尊重=アブナイ,我慢=アトデ,自発性=ヤラセテ,社会貢献=マカセテ,のように,感性や知恵はその行動を表す言葉に結びつくと,具体化することができます。知恵のイメージを獲得できます。分かるとは,言葉によって切り取ることです。
話せば分ると言われます。何が分かるのでしょう? 話せば違いが分ります。お互いの違いを明らかにし,そこから現実を受容するようにします。ところで,親は子どもに向かって話すとき,言って聞かせるという姿勢です。「お母さん」「ナンネ,何か用事ね,早く言わんね」。「用が無ければ話したらいけないの!」。話せば分るではなく,話せば喧嘩となります。「これは魚?」「馬鹿ね,どじょうでしょ」。言って聞かせるパターンでは,話が続きません。違っている所から始めませんか? 「違うね!」「じゃ何?」。このように進んでいけば,子どもは考えようとし,知恵を招き寄せることができるでしょう。
記憶についてみておきましょう。人は言葉でものを考え,その記録として脳の配線が出来ていきます。日本人とは日本語でものを考える人になります。3歳児に黄色の蝶を1頭見せて覚えさせます(註:蝶は○頭と数えます)。その後,多くの蝶の中に紛れ込ませて,探させます。「黄色」という言葉を知っている子どもは良く当てます。そのわけは「黄色い蝶」と覚えることができて,色で見分けることができるからです。
赤ん坊は,「ほらママよ」と言葉を掛けられて,母親を認識するようになります。正しい言葉を身に付けないと,経験しても知識になりません。習っても身に付かないのは,言葉の力を無視しているからです。明治期の造語である,「銀行,演説,鉄道,労働,講演」等の言葉があるから,日本語で講義が出来ます。最近は,プロ,コンビ,パソコン,セクハラ,リモコン,スーパーなどのカタカナ言葉のままで捨て置かれているので,漢字に備わっているイメージ喚起力が欠損し,記憶としての定着力が脆弱になっています。
《何時育つのか?》
アナタのために,大人は言います。人の為と書けば,偽という字になります。当らじとも遠からずです? 親が子どものためにと突きつけると,子どもは「タイム」を取りたくなるかもしれません。小学校入学前に,親の方が焦ってしまいます。「本は一冊,船は一艘,鉛筆は一本,鶏は一羽」:何度教えてもなかなか覚えてくれません。たまりかねて大声で怒鳴ってしまいます。「鶏は何て言うね?」。子どもは目にいっぱい,こぼれそうに涙を溜めて,「コケコッコー」。
★落書き★
「福は内 鬼は外」と叫びながら豆を投げて,年齢の数だけ豆を食べる節分がやってきます。穀物には生命力があり,魔除けの呪力が備わっているということで,鬼に豆をぶつけることで邪気を払い,一年の無病息災を願います。豆まきの豆は炒り豆です。蒔くのになぜワザワザ炒るのでしょう。節分の豆は旧年の厄災を負って払い捨てるもので,もし蒔いた豆から芽が出たらせっかく払った厄災が復活して襲いかかってきます。芽が出ないように炒るのです。
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