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「第 99-03 章」 |
『子育ちは 共に寄り添い 触れ合って』

■子育ち12美醜■
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『子育ち第3美醜』
【慈愛】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第99版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では美しい育ち,偶数号では醜い育ちという配置をします。育ちがずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。
《慈愛とは?》
慈愛とは,「自分の血を分けたものに対する愛情」と辞書にあります。慈父は深い愛情を持つ父,慈母は情け深く優しい母です。愛にもいろいろあるようで,溺愛は子どもに向けては不適切です。そのわけは,愛を受け止める子どもの事情を斟酌していないからです。慈しむとは,子どもの育ちの実情を見極め,寄り添い,今必要なもの・ことを支援することで過不足のないつながりを保持することです。子どもなりの自立性を大切にする心構えで向き合うときに,慈愛が発揮されます。
人と人とが共生するために交わすのが愛情です。夫婦愛,隣人愛は,愛をお互いに感じているから,機能しています。でも,愛を感じなくなると,破綻します。自己愛に萎縮するからです。親子愛は不滅のように思われてきましたが,現在の殺人事件の半数以上が肉親の間で起こっていることを冷静に受け止めなければなりません。他者と共に生きるという意識が後退すると同時に自己愛の肥大化が蔓延しつつあるようです。社会性のレベルではなく,家族関係の希薄化に歯止めをかけるために,慈愛を子どもたちに!
触れ合いということは,肌と肌が触れあうことです。身ぎれいに清潔にという傾向が進んでいる今,人と肌を触れ合うことは忌避されています。ペットとは触れ合えるのに,人とは触れ合えないというのは,どこか間違っています。いじめにも,あなたが触ったものは汚いという差別発言があります。お父さんの触ったものは汚い,ということが言われていたこともあります。さみしさを癒やす慈愛は,そっと抱きしめることです。人とのつながりを実感できるのは触れ合いが一番ですが,それを拒否したら心は壊れるだけです。
中学の男子生徒が,いじめに追い詰められて命を絶ちました。いじめられているのを知っていて何も関わらなかった同級生は,今何を感じているのでしょう。担任の先生や校長などがなんとかしてやれなかったのかという声は聞こえてきますが,いじめられていた子どものまわりにはたくさんのクラスメートがいたはずです。そばにいる友達の難儀を見過ごしにする薄情さを育てている世間のありようが猛省されるべきです。いじめをなくすためには,慈愛を持つ子どもを育てることです。関わると自分にいじめが向いてくるかもという恐れを除いてやりましょう。
★落書き★
地理の話です。四国地方や九州地方は,その昔,それぞれ4つ,9つの国に分かれていたから,呼ばれています。ところで,中国地方とはどういうことでしょう。古代から,朝廷のあった近畿と,大陸文化の受け入れ口であった九州の二大勢力圏が栄えていました。畿内にある都では,自分たちを中心にそれぞれ近国,中国,遠国と呼ぶようになり,九州の遠国に対して,中間地域は中国と呼ばれるようになったのです。
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