*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育委員の謀反?】

 社会教育委員制度は機関として眺めたときに,自治体を総体と見なせば盲腸のような器官に対応するような気がしています。ナマコのように入口と出口が共通になって教育委員会にぶら下がっています。教育委員会が餌を与えない限り,社会教育委員は手も足も動かせません。忘れていました。社会教育委員には手も足もはじめから無かったのでした。
 袋小路は世の流れから取り残されて吹きだまりになります。吹き抜けではないために,風が吹き込まないからです。どこかに風穴を開けなければ,息苦しさだけを味わう羽目になります。
 庇を借りて母屋を乗っ取るという手があります。現在の教育委員会の行政組織としての仕組みは,義務教育課と社会教育課(生涯学習課)の二本立てになっています。教育委員会は両方を統括しているのですが,社会教育委員は社会教育課にオンブされている小荷物状態です。正直に言って,なくてはならない存在とは言えません。社会教育委員がいてくれてよかったというものになりたいものです。何か手だてを考え出さなければなりません。
 そこで第一の作戦は,社会教育課を傘下に治める陰謀をめぐらすことです。つまり社会教育課が所管するすべての事業について,社会教育委員が掌握し,助言を与えられるシステムを構築するのです。もちろん,決定権などを勝ち取るといった大それたことは現在の組織上不可能です。ただ,事業の全体的な運用について少しだけ口出しできればいいのです。すなわち義務教育課は教育委員会が,社会教育課は社会教育委員の会がコーディネータ役を分担するという図式です。
 第二の作戦は,生涯学習という戦略を社会教育委員が手中に収めることによって,首長部局に対して「まちづくり」という大義名分を掲げ天下御免のお墨付きを拝領することです。隠居という袋小路にいる一老人が印籠一つで世直しができたという故事を再現するのです。
 現在の法制度では社会教育委員に具体的に働き場所を与えているようには見えません。教育委員会の胸一つでどうにでも扱える機関ですが,その裁量を有効に活用しているようには思えないふしがあります。おそらく社会教育委員の力不足が招いた自業自得な処遇なのでしょう。そろそろ,力をつけて維新をはじめましょう。
(2001年8月9日)