*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【小学校PTA30周年?】

 今年,小学校が30周年を迎えました。11月には記念行事が計画されています。実は,開校の時に子どもが通っていて,二人目の子どもが6年生の時が9年目で,そのときPTA会長を務めており,10周年行事の準備をしました。あれからもう20年が過ぎたのかと感慨ひとしおです。今現在学校評議員をしている関係で,歴代会長の中では特別に現在も関わりを持たされています。ところで,今回も記念誌を発行するということで,「30年を振り返るにあたり」というテーマで原稿の依頼が飛び込んできました。700字と短いのですが,短いだけに結構難しい面もあります。ひとまず草稿を書いてみることにします。

 30周年を迎えられたことを心よりお慶び申し上げます。
 開校時から9年間は現役の会員として関わっており,卒業の年には会長として10周年記念事業の提案をする組織が必要になり準備会を立ち上げました。この会は現在も「わかくさ会」という名で役員OB会として存続しています。
 旧い会員として,昔のことをお伝えすることが記念誌に寄稿する役目でしょう。昭和51年5月に創立した本会は,7月に「にししょう」という広報の第1号を発行し,53年度の第7号から「わかくさ」に改称されました。52年から7,11月の廃品回収事業が始まり,その益金はカーテン等の備品整備,校旗購入,大会補助や地区に還元されたほか,10周年事業費にも使われました。51年から始まった8月のソフトボール大会は,55年に高学年はソフトボール,低学年はドッチボールに変わり,58年からは少年少女スポーツ大会に発展していきました。
 私が会長であった当時は3小学校でしたが,成人教育と校外補導の専門部で3校合同会議を持ち回りで開催しました。活動のねらいや工夫を交換し合うためと,学校相互訪問をするためです。もちろん,歴代の役員の皆さんはその時々に求められる知恵を活動の中に組み込んでこられました。伝統とは同じ形を踏襲することではなく,今現在に相応しいものを苦労して作り続けることであり,だからこそPTA活動への参画はさわやかな後味を残してくれます。多くの人の喜びが紡ぎ出した30年の歩みを,しっかりと受け継いでくださるようにお願いいたします。

 当時の資料を紐解くと,いろんなことが思い出されてきて,現在との対比などにも触れたら面白くなると思います。ただ字数の制限があるために,自己完結した文章を詰め込む余裕がありません。そこで,今のことは現会員は承知しているはずなので,対比などの材料をいくつか提供しておくことに留めておくことにしました。ということは,これを読んでいただいている無関係な方には,今の情報が皆無なので,理解は半減しているはずです。こんな文章もあり得るという例として,受け止めて置いてください。読者限定の文章は,読者の情報と重ねることで完成するということです。割り符のようなものです。

(2005年07月09日)