*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【研修に参加する意味?】

 ある委員職にあることで,研修の機会が与えられています。全国的な社会教育研究大会が行われており,参加の旅費が支給されます。今年は帯広市で開催され,二人で出席してきました。旅費の支給は余計な空き時間を作らないような日程に沿って計算されますので,大会に参加して食事をして泊まることしかできません。もちろん数時間の空き時間はありますが,近郊を散策する程度です。ちょっと足を伸ばしての観光というのは困難です。
 ところで,研修旅行といえば,裏返すと観光旅行になるというイメージがあります。大会から帰宅して旅先の様子を話すと,連れ合いがつまらないといった感想を漏らしました。研修は一種のご褒美みたいなものという通念が働いたのでしょう。確かに昔は個人負担を追加して日程を一日延長することで,観光をしていたことがありました。今でも可能かもしれませんが,それでは3泊4日という長期になり,かなり暇のある人しか出席が無理だということになります。そこで,大会初日に資料を受け取って,後の会議は欠席し会期内で自主研修という形を採用している剛胆な例も見かけます。もちろん,表向きには内緒のことです。

 この全国大会への出席に意味があるのかという声もあります。必要がないとなれば,出席の補助金は削減されます。必要であるかどうか,それを判定するのは出席者です。誠実に研修をして,その成果を自らの役目の中に組み込んでいくことができれば,研修は有意義です。さらに必要であると認めてもらうためには,研修の成果を目に見えるように提示する努力を怠らないことです。そういう覚悟を持たない限り,委員という公的な役職を占有すべきではないでしょう。

 余録を求めるのは人の常です。しかし,どんな余録を手にしようとするのか,その選択力が肝心です。観光地巡りをするのも一つではあるのですが,それではあまりに寂しいでしょう。物産をお土産にするということもありますが,実のところ,物産はご当地で楽しむのが一番です。例えば,郷土料理は風土を離れると美味しさは半減します。訪れた場所で数日を過ごすこと,それが一番の余録でしょう。雰囲気や景観,臭いや音,そんなトータルなものを感じ取る感性を楽しませることができます。
 余録はあくまでも個人的なことです。公的な研修旅行ではやはりそれなりの成果を求められています。研修の後,何を得てきたかという報告書を提出するという責務を果たしています。研修が学びであると考えると,いくつかの素材を持ち帰り,一つでも知恵の形に磨いておくことが大切です。研修を振り返ることが,その作業に当たります。研修とは結構厄介なものです。もっともそう考えているは,変人一人かもしれません。

(2005年11月07日)