*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【生涯学習研修会のあり方(その3)?】


 【前稿】に続いて,関連したことをいくつか取り上げておきます。

※普通の会話では,テレビや新聞などのメディアが伝えている話材を持ち込んでくることが多いようです。そのネタが広がりを見せるならいいのですが,途中止まりに終わります。伝聞情報では展開する手がかりが備わっていないので,論ずることができないからです。
 月刊社会教育727号で同志社大学の小田玲子氏がメディアの特質に触れていますが,その一部を抜き書きしてみます。

 メディアの大きな特質の一つは,「考えるな,まねをせよ」にある。普段の生活ではしてはいけないようなことを「かっこよい」として広めているために,真似をする子どもたちが現れてしまう。一方,公共性の高い課題を扱う社会教育の特質は「ていねいに考えよ」である。ていねいに考えるとは,例えば「かもしれない」と起こりうる危険を思いめぐらすことである。
 メディアの害を指弾するよりも,有益なこと,公共性のあることを,社会教育関係者が考え出し,「害」を相対的に減らすことが大事であろう。熟考型の社会教育を企画するには,ものごとの表面ではなく,ものごとの基底部分と関連部分と背景部分を合わせて吟味するような構造観が求められる。しかしながら,実際には,奥行きのある,しかも多方面の関連性を視野に入れた学びとなると実践者は少ない。


 ていねいに考える,それは自分の頭で考えることです。情報はメディアから手に入れるにしても,自分なりの論理に当てはめて取捨選択をすれば,考える道筋ができあがるはずです。さらに,複数の情報を付き合わせてみることから,論理の隙間が見えてくることもあります。考えることが大事だということを指摘することは簡単ですが,考える方法を思い出させる導きも必要とされているのです。

※生涯学習はその成果を生かしたとき,自分の力になります。成果を生かすとは,社会に向けて何らかの貢献をすることです。その仕上げが欠落してきたことから,これまでの生涯学習が自らの楽しみに止まってしまうことになっています。「生涯学習=一人ひとりの市民の個人的な学習活動」と思っている人が多く,その点では,学習機会は多く,学習実践は多数あると思われます。生涯学習をあるべき姿に変革するために,生涯学習の成果は自分のキャリアアップのみならず,ボランティア活動や地域への貢献・地域づくりといった「まちづくりの3つの方向」に進めるべきであるという指摘に耳を傾け共通理解を図ることが求められています。生涯学習社会の構築は,すべての教育活動が生涯学習社会を創るための社会志向を持った人づくりであるという認識を具現化することなのです。

※生涯学習という理念が現れた背景の一つに,高齢社会の出現という状況があります。具体的には,高齢者の生きがい対策としての学習という面が注目されています。この点に関して,次のような論考がありましたので,概要を転記しておきます。

 高齢者の生きがいは,個人がそれぞれ求め,感じるものであって,行政がとやかく口出しすべきものではないのではないかという躊躇感がある。憲法25条には「健康にして文化的な生活を保障する」と記されているが,文化的とは,多様な生活表現,自己実現,生きがいなどを含めた総合的な意味合いがあると考えることができる。人生50年の時代では,隠居後数年の間,孫の世話や補助的家事などをしていればお迎えがきていたであろう。
 しかしながら,現在のような高齢化が進むと,老後は長期間であり,いわゆる余生とは言えなくなっている。人生の新しい季節を実現したことから,新しい生きがいというものを,個人も社会も見つけていかなければならなくなったのである。そのような状況認識から,高齢者の生きがい対策として,スポーツ,教養,技能などの学習機会の提供と,社会活動,仲間の創出,役割分担などの社会参加の促進が考えられてきた。
 ところが,従来の事業は,器作り,組織づくり,イベント企画に終始してきた感がある。これからは次の段階として,器を生かす企画者(プランナー),ニードを引き出し充足できる社会資源をつなげるコーディネーター,資源がなければ作り出す取組を促進・援助する促進役(ファシリテーター)や組織者(オーガナイザー)といった専門家を早急に養成することが必要であろう。


 高齢者には文化を創造し伝承していく役割があります。文化の発信が弱くなった社会は,漂うことになります。世間の状況が何処かしら定まらない状態になっている背景には,高齢者による文化の力の衰退があります。生きがいが向かうものは,次世代への贈り物をしっかりと形にすることです。高齢者が生き生きと暮らす姿こそが,次世代への確かなエールになるからです。生涯学習によるまちづくり,それは明日に向かう夢を掲げることでなければなりません。

(2007年01月13日)