*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【自治公民館主事への支援?】


 我が町には,行政の自治区域として「自治区」が設定されています。従来の大字を基盤として一千世帯内外の規模で区分けされています。住民の総会で区長以下の役員が選出され,隣組の世話をする組長と呼ばれる人たちと共に,住民の融和と地域活動を進めています。行政上の伝達組織として機能をしています。その自治区に,町からの補助と区民の負担によって集会所が設置されています。慣例的に「自治公民館」と呼ばれて,区民の活動の中心になる施設です。区民を対象とする社会教育活動の拠点でもあるので,「自治公民館主事」という役職が設置されています。もちろん区民の中から選出される任期制のボランティア的役職なので,専任職ではありません。
 身近な社会教育活動を進める上では,自治公民館単位で実施される活動はとても大事です。ところが,その企画・運営を期待されている自治公民館主事は,いわゆる社会教育主事のような専門職ではありません。さらに,任期による交代があるために資質の受け継ぎや蓄積ができない状態です。そのために,地区独自の伝統行事や,行政から委託される請負事業,踏襲される行事になります。区民のニーズに応える課題学習といった段階にまでは,大きな段差があるのが現状です。
 県規模での公民館活動に関する研修会が開催され,希望する自治公民館主事に参加していただく支援がなされているのですが,そこでの研修内容は主として常勤職員による公的かつ大規模な公民館での活動を対象としているために,かみ合いません。自治公民館というものの存在が想定されていないようです。
 以上のような背景の中で,社会教育委員として自治公民館活動にどのような支援が可能なのかを考えあぐねています。あれこれ前向きに考えていると,どうしても生涯学習の機会を増やすなどといった積み上げを思いついてしまいます。ところが,人・物・金という三点セットを注入できる条件があればまだしも,何の手当もなくて,新たな仕事だけを主事さんたちに担ってもらおうとするのは,あまりに酷です。
 提案はもちろん意義のあることではあるのですが,これ以上はできないという現実を突き抜けるほどの説得力は残念ながら出てきません。自治という考え方が浸透すれば自ら活動が生まれてくるのですが,させられているという気持ちの方が強いようで,しなくてはならない最小限に抑えようという空気が蓋をしています。
 定例会議の中で,現場の声を聞くために自治区に出かけてみるべきだという意見も出ました。何の思い入れもなく白紙の状態で現実を把握することは大切なことです。どうしても会長という役目柄,具体的な目標が定まらないことは実施しにくいという観念が邪魔をして,出かけようという覚悟の気合いが出てきません。この状態はまさに自治公民館主事の置かれているものと同じです。やったことのないことへの躊躇です。
 自分をどう納得させて委員を説得し実行にこぎ着けるか,その方策を探ることが自治公民館主事へのメッセージになるはずです。自分自身は無手勝流なのですが,人を動かすには何らかの策が必要です。有無をいわさず「ついてこい」という指導力か,あれこれおだてすかしてたらし込む手管か,機が熟すのを気長に待つか,古来から三通りがあります。信長・秀吉・家康の手法です。今はどの時代に相当するのか考えています。
 
(2007年03月30日)