*****《団体・グループの運営の窓》*****

【指導者の忘れもの】

 [8]人の勝手を責めるな!

 「参加者の意志を尊重していますか?」
 会の運営に携わっている指導者は,会の活動が盛んになることを願うようになります。その指標が参加者数の増加です。参加が少ないといろいろなことを考えます。用意した活動に指導者自身が大して入れ込んでいない場合には,参加しない側の意識の低さを責めることで,自己の怠慢を拭い去ろうとします。
 それなりに努力した活動であれば,自分の思いが通じないことから,拒否されたという気持ちに追い込まれ,不参加者の不実をなじりたくなります。自分はこんなに懸命なのにという思いです。会は参加する側のものなのですが,指導者のものという錯覚に冒されています。
 活動に参加するかどうかは,参加者の勝手なのです。参加しなくても,それは参加者が決めたことであり,指導者のせいではありません。それでは無責任ではないかと思われることでしょう。もちろんいい加減な指導では困りますが,会の流れに沿った活動であれば,やはり参加しないと決めた側が責任を取っているはずです。
 指導者という自覚は自分への鼓舞として必要なのですが,それを相手にぶつけるようなことをしたらぶち壊しになります。つまり,指導してやっているという勘違いが参加者に少しでも向けられると,無理強いを迫るようになります。それが参加者の意志をないがしろにする端緒です。

 「誰のための活動かを気に掛けていますか?」
 会の活動は参加者のものです。少ない参加者でも参加した人のものです。参加しなかった人のものではありません。参加者のためによかれと願うことが指導者の務めです。自分がどれほど苦労したかなどは二の次のことで,参加した方の笑顔があれば十分だと思うことです。
 指導とは指して導くことです。その指導を受け入れるかどうかは参加者が決めるべきことであり,根気強く誘いを続けること,機会が訪れるまで繰り返すことが,最も気を配ることです。一度で効果が現れるような強烈な指導を思い描いているとすれば,それは傲慢な指導になります。
 じれったいと思うようになったとき,本物の指導者になれます。そのときに参加してくれた人を大事にしようと考えられるようになるからです。焦らず,慌てず,当てにせずというトップの心得は,その心情を見事に言い当てていると思いますが,いかがですか?
 人は勝手です。指導者の思惑通りにはなるものではありません。だからこそ,参加してくれた方に感謝できます。きちんとご恩返しをすることを考えましょう。誰のための会を預かっているのか,もう一度じっくりと考えてみることをお勧めします。

 がんばっているという雰囲気を露骨に表に出さないように気をつけて下さい。がんばっているというハイテンションには,人は二の足を踏んで遠ざかります。参加への閾が高くなるからです。参加者は平常心なのです。指導者も普通の足場から離れないようにしましょう。