1304年(嘉元2年 甲辰)
 

1月4日 [薩藩旧記]
**鎮西御教書案
  異賊防御御祈祷の事、去る年十二月十日の関東御教書此の如し。早く仰せ下さるの旨
  に任せ、懇祈を抽んずべきの由、薩摩国中宗たる寺社管領の仁に相触れらるべきなり。
  仍って執達件の如し。
    嘉元二年正月四日        掃部の助(政顕御判)
  下野前司入道殿

1月8日 [肥前實相院文書]
**肥前守護代平岡為政施行状案
  異賊防御御祈祷の事、関東御教書並びに当所御教書此の如し。早く仰せ下さるの旨に
  任せ、御祈りを抽んずべく候。仍って執達件の如し。
    嘉元二年正月八日        左兵衛の尉(在判)

1月11日 [筑前中村文書]
**少貳盛経施行状
  異賊警固の事、関東御教書、掃部の助殿御教書案此の如し。状の如きは、今月より来
  十二月晦日に至り、在津すべきの由、筑前国地頭・御家人以下の輩に相触れ、不日に
  催し上すべしと云々。早く仰せ下さるの旨に任せ、今月中役所に相向かわるべきなり。
  仍って執達件の如し。
    嘉元二年正月十一日       沙彌(花押)
  中村彌二郎殿
 

8月5日 [長府毛利家文書]
**関東御教書
  長門国赤間関阿弥陀寺別当重貞申す、当寺供田拾陸町並びに寺領成用名山野殺生禁断
  の事、訴状此の如し。彼の供田並びに成用名は、寺領として重貞の知行相違無きか、
  将又守護領相交わるや否や、注し申さるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    嘉元二年八月五日        陸奥守(宗宣花押)
                    相模守(師時花押)

8月6日 [後深草院崩御記]
**伏見上皇院宣
  将軍(久明親王)御着服の事、故院(後深草)御遺誡に載せらるるの間、廰御素服を
  調べ置き候、急ぎ関東に進すべきの由、武家に仰せ遣わさるべきの由、院の御気色候
  なり。仍って言上件の如し。為方恐惶謹言。
    八月六日            為方(奉る)
  進上 伊豫守殿

[長府毛利家文書]
**関東御教書
  伊勢太神宮神宝以下御訪用途の事、支配せらるる所なり。その内一貫文、今月中沙汰
  を六波羅に送り、請取を執し進すべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    嘉元二年八月六日        相模守(師時花押)
                    左京権大夫(時村花押)
 

9月25日
  引付頭、一宗宣、二久時、三宗泰、四宗方、五熈時、六時高、七道雄
 

10月20日 [近江多賀神社文書]
**関東御教書
  近江の国多賀社神官兼御家人盛忠・基綱等申す馬上役の事、注進状披露しをはんぬ。
  行心子息實盛下知状に背き、彼の役を勤仕せしめずと云々。甚だ謂われ無し。行心等
  に於いては、炳誡を加えられ、所役に至らば、先例に任せ、御沙汰有るべきかの由、
  梶井宮の状に申し入れしむべし。仍って執達件の如し。
    嘉元二年十月二十日       相模守(花押)
                    左京権大夫
  遠江守(時範)殿
  越後守(貞顕)殿
 

11月23日 [安藝野坂文書]
**六波羅御教書案
  安藝国厳島社供僧・神官等申す河内村並びに放火・狼藉の事、重ねて訴状此の如し。
  代官宗賢禁忌と称し出対せずと云々。来月二十日以前に参決せらるべきなり。仍って
  執達件の如し。
    嘉元二年十一月二十三日     越後守(御判)
                    遠江守(御判)
 

12月7日
  引付頭、一宗宣、二久時、三宗泰、四熈時、五時高