『親殺しのパラドクス』という言葉をご存じだろうか?
タイムマシンで自分が生まれる前にいき、親を殺してしまったら、自分が生まれない。
よって、親を殺すことはできなくなる。
生まれない人間には、親を殺すことができない。
と、いうやつである。
そのぐらい、『時間』というものは、すごいモノなのだな。
同じように、私がよく使う『信仰』の話がある。
イエスキリストが水の上を歩いていた。
弟子の一人が船の上から、「私も水の上を歩けますか?」と尋ねた。
すると、イエスは「私を信じれば、歩けます」とその弟子を引っ張った。
弟子は、水に浮いた。
が、「何で、自分、浮いているんだろう?」と疑問に思った。
すると、途端に沈んだ。
私たちも、イエスを信じれば水の上を歩ける。
が、私たちは「重力がある」「水の上を人間が歩くことはできない」と、知っている。
だから、水の上を歩けない。
て、やつである。
私は、愛する人が死んで、タイムマシンがあったら、助けに行ったか?
最初に、父を考えた。
私は、あの時、父を助けられれば、過去に戻るか。
いや・・・・。
戻らなかったよね。
だって、父、幸せだったと思うよ。
娘がいて、可愛い孫に囲まれ、なつかれて。
がんばって仕事して、ようやく役目も解かれて。
あとは、余生だもんなー。
まぁ、やるべきことはやったし。
後悔なんかないよ。
っていうか、あの時、「後悔しだしたら、キリがないから、しない」って、やるだけのことはしたし、決めたし。
うーん。
じゃあ、祖父母だったら?
いかなかったろうなぁ。
だって、そういう積み重ねがあって、今、幸せだし。
次元を変えよう。
では、だ。
可愛い、甥ちゃん、姪ちゃんが、もし死んだら。
後日、自分が、その方法を手にしれたら。
それこそ、鈴谷樹里だよね。
いかない。
では、なぜか。
あまりにも、現実的ではない仮定だから。
ありえないから、仮定にもならん。
想像が追いつかない・・・。
それこそ、できないから、やらない。
できないから、できないことを知っているから、やらない。
ふむ。
そう考えると、うまく出来ているな。
吹谷和彦は、最初、勢いで過去に行った。
どんどん、戻されて、クロノスジョウンターを見つけて、再び彼女を迎えに行くまでの期間が長くなっていく。
それと反比例して、彼を引き留めるものがなくなっていく。
どんどん、重くはなっていくのよ。
でも、時間が経って、振り切れるものになっていく。
あの実験の成功直後でなければ、行く気にはならなかった。
彼にとっても、直前であり続けるから、行き続けることができた。
反対に、鈴谷樹里は、ずっとずっと、ひきずっていた。
後悔をし続けた。
それで、手段を手に入れた。
もしも、鈴谷樹里が、幸せだったら。
ダンナがいたら。
無理ぷー。
仮定にもならんな。
そういうことなんだ。
うまく、できているものだ。
どうでもいいが・・・・。
菅野さんの、汗が気になって仕様がなかった。
すごいんだってば。
背中の汗のシミが、どんどん大きくなっていく。
しまいには、袖まであせびっしょり。
袖だよ。袖。
手首までが、汗で染まっているの。
このまま、服全部が染まったら、面白いかとときめいた。
が・・・・。
そこで着替えた。
しかし・・・。
やはり、ラストでは、背中が、汗ででびっしょり。
スポットライトって、暑いのよねー。
そして・・・・。
私、家帰って気づいたら・・・・。
『TRUTH』の再演のDVD注文していたりしてー(自爆)