2日目
プレートの上から下へと移動する列車を利用したのは、これで2回目だ。
1回目は初めてミッドガルに来たとき。あまりにも巨大な支柱に、到着するまでぼーっと外を眺め続けていた。
窓から外を眺めながら、クラウドはその時を思い出す。あの日も乗客は多かった。
今もちょうど帰宅時間に当たるので、列車の利用客は多い。ほぼ満員に近い車両の出入り口近くに陣取り、クラウドは今回も窓から外を見続けている。
「……クラウド」
「……」
「おい、大丈夫か?」
「……」
「おい、顔色悪いぞ」
「……」
「おい」
「……返事させないで…」
窓の外を眺めながら、クラウドはようやく言った。
「……口開くと、吐きそう…」
列車内は、スラムへと戻っていく日雇い労働者が大半を占めている。
狭い車内に充満する汗の臭い。螺旋の線路を駆け抜けていく列車の振動。
クラウドが酔うには十分な環境だ。
「後ちょっとだから、耐えろよ」
「……うん」
ザックスは満員列車の中でクラウドが潰されないよう、両手を壁に突っ張ってガードしている。その腕の間で素直に頷きながら、クラウドは心の中で悪態を付いた。
(化粧の臭いがしなければ、もう少しマシだったんだ!なんだってこんなに香水振りまかれなきゃならいんだーーーー!)
本日のクラウドの服装に関するルナのイメージは「初めての冒険に張り切りすぎたお嬢さん」だ。
張り切りすぎて「服装も化粧も普段よりも派手になってます」というのを狙った格好は、カラフルなオレンジを基調としたプリント柄のキャミソールにラインストーンの入った黒のボレロ。膝丈のコットンパンツにサンダル履きの素足には赤いペディキュア。手には当然付け爪。派手にカールさせた髪はカラースプレーで三色に染め分けられ、その臭いも鼻につく。
濃いめの化粧で目は普段よりも一回り大きく見える。
首や耳、腰にはビーズのアクセサリーがびっちりと付けられ、鏡の中の自分を見て「これはどういう生き物だ!」と絶叫仕掛けたほどである。
「そのくらいじゃないと、あの当りじゃ悪目立ちするんだよ」
ようやく目的の駅に着き、植え込みの影でしゃがみ込んでぶつぶつと文句を言い続けるクラウドに、ザックスは苦笑している。
「……なんか、化け物みたいだ……この睫毛、人間の物じゃないよ」
「照明落とした店が多いからなぁ、そのくらいがっつりやっとかないと、のっぺり顔に見える女の子も多いんだよ」
ザックスはクラウドの腕を支えて立たせた。
「ほら、店はこの先だから。早くすませちまおーぜ」
「……ザックス。仕事終わったら、帰るんだからな。他の店に寄ったりしないからな」
釘を差すように言われ、ザックスはあからさまにぎくっとなった。当然のごとく、馴染みの店に行くつもりだった。
「…だめか?」
「だめ。荷物受け取ったら、速やかに本部に帰還するよう言われてるんだから」
「その当りはちょっと柔軟に」
「雇い主はジンさんだから、駄目」
生真面目なクラウドに、ザックスは大きく息を付いた。
「…まあ、いいか。んじゃ、本日は品行方正に、お嬢さんをご案内しましょう」
おどけてクラウドの手を取るザックスに、「誰がお嬢さんだよ」と拗ねたようにクラウドは言った。
ウォールマーケットは混沌とした活力に満ちている。
当然ではあるがプレート上部の繁華街とは、いかがわしさも危なさも桁違いだ。
狭い道路に雑然と並ぶ店の数々。
そこを闊歩する女性達の服装は、クラウドの格好が上品に見えるほど大胆だ。
「俺から離れるなよ。すぐに変なところに連れ込まれるぞ」
ザックスは、腕にしがみついているクラウドを見下ろして言った。黒のジャケットに黒のパンツ黒サングラスと、取り立てて気負ったところのない服装のザックスは、体格と動きの隙の無さのせいか柄の悪い連中にも絡まれる様子はない。
店の前に立って客引きする女性達はとりあえずは声をかけてくるが、腕にクラウドがしがみついているせいか「仕方ない」と言った顔つきでしつこくない。
ザックスはそれが残念そうだ。無念さが全身からにじみ出ている。はぁーっと大きなため息をついた。
「お前は、こういうところ苦手そうだな」
「苦手って言うか、慣れなくて」
クラウドは目をパチパチさせながら辺りを見回している。
確かにプレート上部では裏通りであっても、ここまであからさまに客引きをする娼婦はいない。
派手な化粧に、胸の下半分が見えているタンクトップにショートパンツとか、スケスケのベビードールにレースのショーツだけの女性がそこかしこに立っていて、目のやり場に困る。
「ほら、この店」
ザックスが指さす先には『ハニーローズショップ』の看板がある。出入りするのは露出度の高い格好に派手な化粧の女性ばかりだ。ウィンドウにはきわどい下着を付けたマネキンが飾ってある。
「うわっ、すご!」
「ううう…入ってみたいような、みたくないような…」
悩むザックスに、入らなくてはならないクラウドは「変わってやろうか?」と聞いてみた。
「それじゃあ、お前に頼んだ意味が無くなるだろ。頑張ってこいよ」
さすがのザックスも後込みしているようだ。クラウドは情けない顔でため息を付くと、覚悟を決めて店の中へと入っていった。
店の中は化粧の臭いで充満している。客も店員も女性ばかりだから仕方がないが、クラウドは息を止めたい衝動に駆られつつ、カウンターにいるレジの女性に声をかけた。
「注文してたオーリですけど」
そう言って、注文票を手渡す。赤い縮れ毛をアップにした女性は、その紙とクラウドの顔を見比べ、真っ赤な口紅を塗った唇を口笛を吹くように尖らせた。
「ふーん……お嬢ちゃんにはちょっと派手すぎかもね〜〜ちょっと待っててね」
身体にぴったりしたワンピースを着た女性は、腰を振りながら奥へ入っていった。
クラウドはふっと息を付いて緊張を解く。
後は品物を受け取って帰るだけ。簡単な仕事なのに、ものすごく緊張した。
カウンターに寄りかかって女性が戻ってくるのを待っていると、ドアが開いた。
お客さんが来たのかと何気なく目を向けると、入ってきたのは男だった。
黒いニット帽に黒いサングラス、くたびれたロングコート姿のたくましい男。
入ったところで立ち止まり、中を見回している。客の女達の視線が突き刺さり、男は少し狼狽えたようだ。
…うん、こんな白い目で見られるんなら、さすがのザックスも入れないよな。
誰か知り合いでも探しに来たのかもしれない。勇気のある男性客にクラウドが好意的な解釈を付けたところで、レジの女性が戻ってきた。手には蛍光紫のリボンを付けた紙袋がある。
「お待たせ〜〜はい、これが…」
愛想の良い笑顔が急に途切れた。
銃声が響き、女性の顔面がはじけて消失したのだ。
「頭を低くして、伏せろ!」
一瞬後、クラウドは何が起きたのかとポカンとしている女性達に怒鳴ると、自分も頭を低くして棚の影に伏せた。
男のロングコートの裾が持ち上がり、その下に隠されていたマシンガンが乱射される。
悲鳴が上がり、逃げ遅れた女性が血しぶきをあげて倒れた。
ちぎれた商品が舞い上がり、布の切れ端が頭上から鳥の羽のように降りてくる。
不意に銃声がやんだ。
身を隠していた棚の影から首だけ出してみると、ザックスが男を殴り飛ばして銃を取り上げたところだった。
「ザックス!」
「お、無事か…おい、待て!」
一瞬ザックスが店の中のクラウドに意識を向けた隙に、男は集まってきていた人混みに紛れて姿をくらましてしまった。
「ちくしょう…全く、無粋で物騒な客だな、こりゃ」
毒づきながらザックスは店内に入ってきた。
「怪我はないのか?あーあ、ひでぇな」
血まみれで倒れている女性や、ブルブルと震えている女性の姿に、ザックスは顔を顰めた。
「俺は無事だけど……荷物、まだ受け取ってなかったんだ」
クラウドはひょいとカウンターの中を覗き込み、すぐに口を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「……ありゃーーー」
クラウドと入れ替わりにカウンターを覗いたザックスは、頭を飛ばされた女性の死体を見ると両手を合わせ「気の毒になー」と祈る。
「……ザックス…その辺に、紙袋落ちてない?紫のリボンが着いた…」
クラウドは口を押さえたまま、そう言った。脳漿と血を飛び散らせた死体に、吐き気がこみ上げてきて止まらないようだ。
「ああ、あるある。汚れちまってるけど、コレだな」
長い腕を伸ばして紙袋を拾うと、ザックスは抱え上げるようにしてクラウドを立たせた。
「ドンの所の連中が来る前に、逃げようぜ」
2人が店を出ると、程なくして武装した男達が駆けつけてきた。
ウォールマーケット内にある店は、殆どがドン・コルネオに金を払っていざという時の警備を頼んでいるのである。それ以外にも近くにいた男達や近所の店の従業員達が集まり、ショックで動けなくなっている女性達を介抱し始める。死体が運び出されていく様子を野次馬の後ろで確かめ、2人はそのままソルジャー本部へと戻った。
「危ないところだったようだね」
紙袋を受け取り、ジンは労るように言った。クラウドはぐったりと椅子に座り込み、ザックスは頭をかいてる。
「なんつーか、運が悪かったな〜」
「うん……びっくりした…」
クラウドは、深いため息を付く。
「今日は仮眠室に泊まっていったらどうかね」
ジンが提案すると、ザックスも頷いた。
「そうだな〜俺んとこの仮眠室、今夜はあいてるから、寝てけよ。シャワー浴びて着替えて、食えるようならなんか食ってさ。あ、俺が奢るから。いつもの自販機だけど」
わざとらしいほど明るいザックスの気配りに、クラウドは顔を上げて頷く。
今から暗い道を歩いて寮に帰る気にはなれなかった。
ジンの執務室を出てエレベーターへ向かうと、ちょうど降りてきたらしいセフィロスと出くわした。
「まだお仕事っすか?オツカレサマデース」
軽い口調で挨拶するザックスをセフィロスは睨む。
「ザックス、二ヶ月前の遠征の報告書がまだ出てないぞ」
「え…?二ヶ月前のって…どれだっけ?」
「ミスリルマインのモンスター分布調査だ」
「あれはショーンが出したんじゃなかったっけ」
「データは提出済みだが、お前の所見だけがまだだ」
「そういや、なんか書けっていわれてた覚えがある…」
「これでは資料の更新が出来ないと苦情が来ている」
「データが出てるなら、それでいーじゃん」
「文句があるなら、直接、本社資料部へ言え。オレはお前の苦情処理係ではないぞ」
「…ちぇー…本社の連中って、規則だけはうるせーんだよな」
遠慮のない遣り取りを聞いて、クラウドはポカンとなった。
ザックスって思ってたより凄い人かも。
セフィロスはザックスの隣にいる見慣れない物体に少し目を細め、それから記憶の中にある人物データから該当する名前を見つけた。
「クラウド・ストライフ?」
「ハ、ハイ、そうです、サー」
名前を呼ばれ、クラウドは直立する。それからまた顔をまじまじと眺められ、居心地悪く顔を伏せた。すると顎に手をかけられ、上向きにされる。
「……お前は見るたびに印象が違うな」
この場合、なんて答えればいいのだろうか。クラウドは返事に詰まる。
「おい、旦那ー。そんなに見つめると、クラウドが溶けちまうぜー」
「溶けるって何が!」
「お前、顔まっかー」
クラウドは口をへの字にした。何か思いっきり言い返してやりたいが、自分でも顔が赤くなっている自覚があるので否定できない。
「顔色が悪いな」
クラウドの顔を見つめながら、セフィロスが言った。
「……えと、赤いですか…?」
恥ずかしくなってそう聞くと、
「いや、そうではない。何かあったのか?」
と逆に聞き返された。
クラウドは困ってザックスを見た。ザックスは頭をかいている。
「ちょっとジンの使いでスラムに行ったんだ。そこで、銃乱射男に遭遇してさ」
「ほう」
「クラウドは無事だったけど、頭ぶっ飛ばされた死体をもろに見ちまったんだよな」
クラウドはこくんと頷いた。
「ジンの依頼には慎重になった方がいい。あれは今でもタークスとつながってるからな」
「…旦那、なんか知ってるわけ?」
セフィロスは口元だけで笑うと、ザックスの質問には答えなかった。
代わりにクラウドの顎に掛けていた手を頬に滑らせ、困惑げな少年に一言言う。
「化粧はしない方がいい。せっかくの肌の手触りが台無しになる」
クラウドの顔が爆発寸前のボムのように赤くなった。
その顔に面白そうに笑うと、セフィロスはジンのいる執務室へと消えていく。
「旦那…その口説き文句、頂いた…」
感心したように呟くザックスの鳩尾にクラウドは肘をたたき込む。
そして嘆いた。
「俺だって、こんな分厚い化粧なんてしたくなかったよ」
「そうだな〜〜せっかくの玉のお肌の感触が化粧で潰れちゃうし〜〜〜」
茶化すザックスにもう一度肘打ちを喰らわせ、クラウドはため息を付いた。
「もっと訓練しないとな。一発でザックス落とせるくらいに」
「……けっこう、効いてるんすけど…」
鳩尾を押さえ、ザックスは呻く。
見た目は可愛いけど中身は激しく凶暴だぞ、と心の中で呟いた。