夜の歩き方

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見上げると、銀色の月。
白々とした月明かりに、夜空を流れる雲が柔らかなグラデーションとなる。
廃墟の中を進む背中が眼前にある。
満月にも負けない明るい銀色の髪。
夜にとけ込む黒い服。
広い背と長い脚を持つ彼は、ゆっくりと歩く。
急ぐでもなく、惑うのでもなく。
彼は崩れて音を無くしたビルの間を歩き続ける。
遠くには高く天に届くような巨大な塔。


――いや、塔ではない。ビルだ。
かつて栄華を誇った世界の中心だった巨大な建物が、砂漠に取り残されたドラゴンの遺体のように寂寞とした佇まいを見せている。


男はゆっくりと歩いている。
そこを目指しているのか、それとも、ただ、歩き続ける先にそれがあるだけなのか、それすらも解らない。


子供はその背を追って小走りになる。
男の歩みが、さらにゆっくりになる。
振り向くことはないのに、追いかけてくる子供に歩調を合わせているようだ。

子供は男の隣に並んだ。
見上げると、広い肩と長い髪、尖ったあごの先しか見えない。


なぜ、男の顔がこんなにも遠いのだろうと、子供は思う。
そして気がつく。


ああ、ここにいる自分は、本来よりも幼いのだ。
おそらく、この男の名を最初に知った頃の、本当に幼い頃の目線。
顔も知らず、ただ、その名に憧れているだけだった頃の自分。
幼い子供は、巨人に見えるほど背の高い男と並んで歩く。
世界の中心だった物の真下にたどり着いた男は、顔を上げた。
空を見ているのか、それとも遙か上方にあるビルの曲がった尖端を見ているのか。


男は足場を見つけると、そこに足をかける。
長い脚を存分に使い、崩れたビルを階段を上るような足取りで進む。
子供は両手両足を使い、外壁に張り付くようにして後を追った。
男はどんどん先を登っていく。
すぐに姿が見えなくなる。
子供はそれでも登り続ける。
僅かな出っ張りに足をかけ、ざらざらの外壁に無理矢理立てられた爪は割れて血が滲む。
滑り落ちる恐怖に下を見ることが出来ず、子供は上だけを見て必死に登る。
張り出した場所に手が掛かった。
子供は疲れ果てた腕に力を込め、身体を引っ張り上げた。


崩れてきた屋上の一画なのか、広い平坦な場所。
子供はその上に立ち、ぐるりと周辺を見回した。
ビルのさらに上部に繋がる瓦礫の横に、男が立っている。
子供はそこに駆け寄る。


男は、下で見たときと同じように、上を見ている。
月は手が届きそうなほど近く、そして頭上を覆うように大きい。子供は天を見上げる男を見上げる。空を見るのと同じ角度で精一杯顔を上に向け、男の表情をちらりとでも見たいと背伸びする。
不意に男の手が伸びて、子供の襟首を掴んだ。
底知れない力を秘めた大きな手は、仔猫をつまみ上げるよりも易々と子供を持ち上げる。子供は不意に足が地面から浮いたことに驚き、目の前に現れた広い肩に慌ててすがりついた。
子供は男の右肘の辺りに座り、肩にしがみつく格好になった。男の腕が子供の両足をしっかりと抱え込み、姿勢に不安定さはない。
子供は間近にある男の顔を見つめた。男は顔を上げたままだ。
子供に一瞥をくれることもなく、再び足場を捜して瓦礫を登り始める。
ぐんぐんと遠ざかる地上を、子供は男の腕の上から見下ろす。顔を上げると、ビルの尖端が近い。


男はじきに、遙かな高みに見えた廃墟の頂に上り詰めた。
視線は頭上に向けられたままだ。
子供は触れた男の全身から伝わってくる、冷たい孤独の影に脅える。
身体はここにあるのに、心はここにはない。
行き場を見失った身体は、彷徨う心を探すように空を見上げる。


子供は男の太い首にすがりつく。
あなたの居場所はここなのだと、そう知らせるように力を込める。
心を追って、遙か遠い天上に飛び立とうとする身体を押しとどめようと、必死に子供は抱きつく。
たとえ、この身体が地を捨て天に向かおうともけして放すまいと、決意を込める。
男が身じろいだ。
天を仰いだままだった顔がゆっくりと下を向く。
いつの間にか涙を流していた子供の顔を、その目に写す。
無表情だった男の目が一つ瞬きをし、柔らかく解ける。
子供は男の腕の上で背伸びすると、その白いなめらかな頬に自分の頬を合わせた。


小さな子供の身体が持つ、ささやかな重さ。
この男の持つ力からしたら、紙よりもまだ軽いかも知れない重さ。
その重さがかろうじて男を地上につなぎ止めているのだと、子供は頭の片隅で知る。
その腕にかかる重さを忘れたとき、男は地を捨て天上に去ってしまうのだろうと、子供は思う。
地に住まうには大きすぎる力を持つ男は、己が己でいられる場所を探し続けている。



■□■□


クラウドは急な覚醒に目を瞬かせた。
たった今まで見ていた夢のせいなのか、心臓が激しく脈打っている。
暗闇の中で大きく息を吸ったクラウドは、唐突に頭上から落ちてきた声に飛び上がりそうになった。
「起きたのか」
「サー!」
クラウドはベッドに両手をつき、身体を起こした――つもりだった。
手をついた場所はベッドではなく、強かな筋肉に覆われた広い胸の上。起こそうと思った身体は、当然のように長い両腕の中に抱き込まれてしまった。
クラウドはじたばたしながら、不満げな声を出した。


「俺、自分の部屋で寝てたつもりだったんですけど、寝ぼけてこっちに来ちゃったんでしょうか!」
「寝ぼけてオレの部屋に来るくらいの可愛げがあれば、楽なのだがな。あいにく、ベッドの側に人が立っても気がつかないほどに熟睡していたので、抱えて運ぶ羽目になった」
「……運ぶ羽目って……」
自分の部屋で眠っていた事が悪いような言い分に、クラウドは突っ張っていた腕から力を抜いた。ぱふっとそのまま広い胸に倒れ込む。
「……そりゃ…人の気配に気付かないほど寝こけていたなんて、ちょっと油断しすぎでしたけど……」
帰りが遅くなる時は先に寝ていろ、とそう言ったのはセフィロス本人だ。その時、主寝室で寝ていろと言われたわけではないから、自分の部屋で寝たからと非難される謂われはないと、クラウドは少し不服に思う。ちょっとだけ文句を言ってやろうかと顔を上げかけたクラウドは、目に飛び込んできたセフィロスの横顔に息を飲んだ。


夢の中で見た天を仰ぐセフィロスの横顔と、目の前の表情が重なる。
深い孤独と絶望の影。
誰もが認める最強の力を持つ英雄――世界でたった1人の存在。


「どうした?」
顔を上げかけたまま動きを止めたクラウドを気遣うように、セフィロスは声をかけた。
「――いいえ――」
クラウドは急激にこみ上げてきた切なさと愛しさに胸が詰まった。セフィロスに怪しまれないよう、変な声を出さずに話すには努力がいった。
「……起きないようだったら、声かけてください。朝、目が覚めて伸びしたとき、いきなり髪の中に腕突っ込んだり、指を嘗められたりしたら、心臓止まりそうなくらいビックリするんですから」
「オレは驚かない。気にするな」
「……サーは驚かなくたって…」
諦めに近いため息をつくクラウドに、セフィロスは密やかな笑い声を上げた。
「お前の寝顔を眺めていると、安心する。起こす気にならない」
その言葉に、クラウドはまた胸が詰まる。


人に疲れをうったえることも弱音を吐くこともない男は、ただ夜に小さな子供を腕に抱いて眠ることだけを望む。
自分はこんなに涙もろかったのかと驚くほど目頭が熱くなって、クラウドは困惑する。


「ほんとに、もう…」
「いいから、しゃべっていないで寝ろ。朝まではまだ時間がある」
セフィロスは宥めるようにクラウドの背を軽く叩く。
クラウドはセフィロスの胸に頭をのせ、黙って目を閉じる。
心臓の音が聞こえてくる。
規則正しいその音が、間違いなくここに存在しているのだと、クラウドに教えてくれる。
腕の温かさとその音に引き込まれるように、クラウドは眠りに落ちていった。



■□■□


夜の道を、男は歩き続けている。
前方に見える月は小さく朧で、遙か遠くに見える。
廃墟を背に、男はひび割れた歩道に沿って歩く。
やがて、歩道は途絶えた。
アスファルトは砕け、途切れた歩道の先には轍一つない荒野が広がっている。
月は荒野を越えた先の空に、ぽつんと寂しげに輝いている。


男は荒野に足を踏み出す。
遠ざかる人の匂いの残る場所を振り向くこともなく、黙々と歩いていく。


子供は小走りでその後をついていく。
前を行く、銀の髪が揺れる広い背を見つめながら、強く心に思う。


男の行く先がどこなのか、行く当てがあるのか、それは子供には解らない。
ただ、男の歩く先がどこであろうと、子供はそこに共に行こうと心に決める。
たとえ男が振り向かなくても良い。
同じ道を進もう。
あの人が本当に安らげる場所が、落ち着ける場所が見つかるのならば。
それを見届けるために、ずっと後を追っていこう。





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