扉を開けて

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真夏のミッドガル。
ビル街特有の暑さに、大抵の社員は目の前の書類よりも退社後のビールを夢に見ている昼下がり。
珍しくザックスは真剣な顔をしていた。
真剣な顔のザックスは、非常に精悍で格好いい。


――でも、俺の前でなんで格好付けてるんだろう。


そう退屈混じりに考えるクラウドの前で、ザックスはすでに10分経過するほどの時間を精悍な格好いい顔を見せている。


……帰っちゃ駄目かなぁ……。サーはジュノンに出張中だから、帰りが遅いって叱られる心配はないけど……せっかく半日勤務なんだし……。


談話室の隅っこでふたりきり、ずっとザックスと見つめ合う格好になっていたクラウドはそわそわしてきた。


……召還マテリアと支援マテリアについての詳しいテキスト、サーが資料室から持ってきてくれたんだよな、わざわざ。普通、一般兵には貸し出ししないやつ。
どうせなら、サーが帰ってくるまでに読み終わって、質問考えておきたいし……。
ああ、それから、オムレツを綺麗に作るコツのメモ、ブライトさんが書いてくれたから、練習もしてみたいし……それからシーツの糊付けもしときたいし…それから…。


「クラウド君、俺の話、聞いてる?」
「は?」

唐突に声をかけられ、クラウドは素っ頓狂な声を上げた。
いつの間にか、ザックスが顔をつきだしてクラウドの鼻先で睨んでる。

「……ぼーっとして、いくらなんでもひどいんでないかい?」
「…だって、ザックスが黙りこくってるから…」
「俺にだってなぁ、口に出して言いたくない事ってあるんだよぉ!!!」
悲痛なうめき声と共に頭を抱えてしまったザックスに、クラウドはポカンとした顔のままで固まってしまっていた。




事の始まりは、いつものようにジンからの妙な依頼だった。


『取り壊し予定の零号寮から不審な音がする』


零号寮と言えば懲罰房として使われていた頃に、脱走しようとして射殺された兵士がいるとか、看守の嫌がらせに負けて自殺した奴がいるとか、ホームシックから鬱病になり自殺した奴がいるとか、その後、深夜になると妙な物音が頻繁に聞かれるという噂がまことしやかに広まって、ちょっとしたオカルトスポット化していた場所だ。


「……そんな訳あるわけないじゃん。実際、俺住んでたけど、怪奇現象なんて何もなかったし」
陽が暮れてから懐中電灯片手に零号寮前にやってきたクラウドは、背後にへばりつくザックスにそう言った。
つまり、ザックスが口にしたくなかったこととは、怪奇現象調査任務という事実だ。


「いや、それは俺も知ってるよ。本当に知ってる。深夜の変な物音は転売屋が持ち込んだ大量の冷蔵庫のモーター音だし、苦しそうなうめき声はわびしい独り身オトコが一斉にフィニッシュを迎えたときの声だし」
「……エロビデオ鑑賞会ね。狭い部屋に大の男がティッシュボックス抱えてぎゅうぎゅう詰めになってる所なんて、想像したくない」
「お前、そんな冷たい目で見るなよ!恋人と同棲して夜ごと愛の営みをしてられる幸福な男なんて、そんなにいないんだよ!」
「誰の事言ってるんだよ!!」
クラウドは顔を赤くして怒鳴った。ザックスはしゅんとなる。現実逃避の八つ当たりだと、自分でもよく判っているのだ。クラウドは普段は明るくて自信満々なザックスのその情けない顔に、はーっとため息をついた。こんな顔を見てしまっては、きつくあたるなんて事は出来ない。


「とにかく、さっさと中見て帰ろう。俺、思うんだけど、人がいないから都合良くさぼりに使ったり、余計な荷物置き場にしたりとか、きっとそんな程度だよ」
「そ、そうだよな…、普通に使ってたの、知ってる連中だってたくさんいたわけだしさぁ」
「そうそう。だから、適当に見回って帰ろう。……それで、うっかり柱の一本も切っちゃえばさ、問答無用で取り壊し状態になるだろうから変な噂も立ち消えになるだろうし」
「…また借金増えたりして…?」
「大丈夫だろ。建物が壊れたらあとは瓦礫の撤去だけだから、かえって経費節減になるよ」
クラウドは懐中電灯を建物内部にむけると、さっさと足を踏み入れた。もともと住んでいた場所でもあるのだから、ためらいなどない。
バスターソードを装備していながらへっぴり腰で後をついてくるザックスに、クラウドは呆れたように言う。


「ソルジャーがさ。この程度で怖がるなんておかしいだろ」
「いや、生きてる人間とかならさ、俺は全然平気よ。モンスターだって、大抵の奴なら対処法が判ってるわけだし。…でもさ〜〜得体は知れない、言葉が通じるかどうかも判らないのって、不安じゃない?」
「言葉が通じたからって、理解してくれてるとは限らない。俺は、生きてる人間の方が怖いよ」
そのセリフに、ザックスは僅かに肩をすくめた。基本的にクラウドは人間不信の気があるのだ。
だから最初は警戒するが、信用できると思えば安心して懐いてくれる。故郷ではあまり良い扱いを受けていなかったらしいクラウドだが、故郷の人間達はバカばっかりだったな、とザックスは笑い混じりに思った。
当たり前に誠実に接してさえいれば、この子供はそんじょそこらでは滅多にお目にかかれないような綺麗な笑顔を見せてくれるのに。
まあ、それはさておき、ザックスはおっかなびっくりに暗い室内に目を向けた。
魔晄で強化された眼には、電気の通っていない暗い部屋も普通に見回せる。
荒れてはいるが、別に変わった様子はない。


「一階は、一応、共同キッチンとトイレ、シャワールーム、管理人室と談話室もある。一階の空き部屋は全部冷蔵庫置き場になってたはずだけど」
クラウドは苦笑いを見せた。
「ここの一階の床のすぐ下に、プレート内部のメンテナンス用通路あって、延長コード使ってそっちの電源使ってたんだって。寮内の電源使うと、電気代別料金で徴収されるから、電子レンジとかドライヤーとか、使うときは延長コード使った方がお得だって教わった」
「……せこいけど、知ってたらお得な裏技だなぁ……」
ザックスは感心したように言った。好奇心丸出しで新型家電を買いあさり、ザックス家に届く毎月の電気代請求書は結構な金額に登っているのだ。
「俺もここにすんどきゃ良かった」
ぼそっと呟く間にも、クラウドは次々と人気のない暗い室内を覗いていく。
しんと静まりかえり、それこそモーター音1つしない。


「静かだな」
そう言いながら、クラウドは2階に目を向けた。
「…ん…?ちょっと待て」
ザックスは僅かな物音を聞きつけ、階段を上りかけたクラウドを止めた。
「今、音がしたぞ」
「……うん」
クラウドは眼を眇めてザックスを見た。
ザックスはクラウドの肩に手を置いたまま、青ざめた顔で口元をひくつかせている。
「……あのさ。物音の原因確かめる前に、そんなびびり顔するの止めてくんない?」
「……いや、別に、びびり顔なんて……」
「俺が見てくるから、ザックスはここにいればいいよ。何かあれば呼ぶから」
「いや、待て、ちょっと待て」
ザックスは1人で階段を上り始めるクラウドの腕をがっしりと掴んだ。
「俺をおいてくなって!」
涙声のザックスに、クラウドは今日何度めかの長いため息をついた。
「俺が心配でついてきてくれるんじゃないの?」
「心配だよ!でも、俺自身の心の平静も心配なんだよ!」
その素直な叫びに、クラウドはもうため息をつくのも疲れ、無言のまま階段を上る。
ホラー映画は大好き、現実スプラッタも平気なくせに、オカルトはダメなんだろうか。ソルジャーって、なんか不思議だ。そんな事を考えつつ、クラウドはスタスタと2階にたどり着く。
カサッと音がするが警戒心は沸かない。クラウドは無造作に音が聞こえた部屋のドアを開けた。
部屋の隅でシーツを被って震えていたらしい人影が、向けた懐中電灯の明かりの中に浮かび上がった。




「……お前ら、なんだぁ!!!」
得体の知れないお化けでもモンスターでもないことに気付いたザックスが、ぱっと室内に足を踏み入れる。咄嗟に背後にクラウドをかばうような動きをするのはさすがだ。そうクラウドが感心している間に大股で部屋の隅にたどり着いたザックスは、大胆にシーツの固まりをひっぺがした。
そして、現れた人間に、予想通りとはいえやっぱり脱力した息を吐いた。
そこにいたのは、若い男と、若い女。男の方は知らないが、鍛えられた体を見る限り兵士の1人。だが、女の方は見覚えがあった。基地内にあるコンビニの従業員、そばかすのあるちょっと丸めの鼻がキュートな女の子だった。
逢い引きはまだ始まったばかりだったようで、2人とも中途半端に服を脱ぎかけた状態なのがちょっと情けない。


「お前らなぁ、ここは取り壊し予定の建物だってしってんだろ?デートなら他でやれ、他で!!」
「あたしのせいじゃないですぅ、この人が、ここなら人が来ないからホテル代が浮かせられるって言うからぁ。あたしはそんなせこいの嫌だっていったんだけどぉ」
「お前だって、お得でいーわねーって言ってたじゃないか!」


半裸状態で喧嘩を始めた清貧カップルに、ザックスは重々しいため息をつく。その背後では、女の子の立派な胸の谷間に目のやり場を無くし、完全に背中を向けたクラウドが呆れかえったため息をつく。
「お前ら!なんでもいいから服を着ろ!!!」
子供が居るんだからさぁと、ザックスが嘆かわしげに付け加えると、女の方がようやくザックスの背後にいたクラウドに気付いたらしく、「きゃっ」と小さな声を上げた。
散らばっていた服をかき集めて胸元を隠すと、部屋を駆けだしていく。「あ、ちょっと待ってくれ!」と男が下ろしかけのズボンを引き上げながら、その後を追う。仁王立ちで睨み付けるザックスの横をすり抜ける間際、ぺこぺこと頭を下げた。
「部隊長には言いつけねーよ。早く行って、彼女にちゃんとパンツはけっていっとけ」
ドタドタと階段を駆け下りる音が聞こえなくなると、ザックスは乾いた笑い声を上げた。


「はは、やっぱり、こーゆーオチだったのね」
「びびって損したとか思ってるだろ」
クラウドは小さくあくびをしながら言った。気が抜けたせいもあって、そろそろ睡魔が襲ってきたようだ。
「悪い、今度飯奢るからさぁ」
「…いいよ、別に。それより、早く帰ろ、夜食食べてく?」
「食わせてくれんの?」
ぱっと顔を輝かせたザックスに、クラウドはぼーっとした声で答える。
「今週サーが居なかったから、料理があまりそうなんだ。破棄されるのもったいないから、食べてってよ」
「うわーい、残り物整理かよ。でもそーゆー事なら、遠慮無く片づけてやるって」
「お酒はダメだよ。サーの許しがなきゃ」
「判ってるって。ビールぐらい自分で持ち込みしますって」
物音の原因が判明し、二人してすっかりリラックスモードに突入していたときだった。
再び、不審な物音がしたのである。一階の一番奥の部屋。
空の冷蔵庫しかないはずの部屋だ。
カサカサカサと軽い物音が断続的に響き、気配を隠そうなどと言う様子はない。
瞬時にザックスの顔がこわばり、クラウドは睡魔が去ってシャンとした目つきになる。


「……なんだぁ?俺達が上に行ってる間に入り込んで、お楽しみ真っ最中…?」
「なら、声が聞こえなきゃおかしいだろ」
「クラウドちゃんったら、大胆。普段声出す方なの?」
「あんたなぁ、こんな時にそんな妙な冗談言うなよ!」
クラウドは顔を赤くして怒鳴る。にへらっと誤魔化し笑いをするザックスを睨み付け、クラウドは物音が続く部屋のドアノブに手を掛ける。
「おい……」
背後のザックスの声を無視してクラウドはドアを開けた。
予想に反し、中で動く者はいない。
クラウドは少し拍子抜けした顔で室内にはいると、懐中電灯の明かりを部屋の隅々に当てながらぐるりと周りを見渡した。
続いて入ってきたザックスも頭をかく。


「……なんもいねーよな」
「……でも、音は聞こえてるけど……」
クラウドは戸惑い気味に呟いた。
確かに、まだ音は続いている。
「音、どこでしてるんだろ」
クラウドは部屋の奥に進むと、並んだ大きな冷蔵庫の隙間にひょいと光を当てた。
ピクリと何かが動く。
「奥に何かいる」
そう言いながらさらに隙間の奥まで明かりを当てようと、クラウドは懐中電灯を持った腕を伸ばした。冷蔵庫と壁の間の僅かな隙間まで明かりが届く。その隅に、クラウドは何か動く物を見つけた。何か小さい生き物が、暗い方へとコソコソ動くのが見える。


「ザックス、冷蔵庫の後ろに何かいる。ネズミか何かかも」
「なんか残り物の食い物でも落ちてたのかな?」
ザックスは巨大な冷蔵庫に手を掛けた。さすがに持ち上げるまではいかず、ずずっと床をこする音をたてて場所をずらす。移動した冷蔵庫と隣の冷蔵庫の間に、クラウドが潜り込める程度の隙間が開いた。
「……せまい」
そうぼやきつつ、クラウドは隙間に身体を滑り込ませる。差しだした懐中電灯が、冷蔵庫の後ろの壁際を照らした。
最初クラウドはそれが何か解らなかった。
懐中電灯の明かりに浮き上がったのは、ザックスの掌くらいの大きさがありそうな、円形の平らな物体。エナメルのような質感で、表面はドハデな蛍光ピンクだ。


「なんか変なのいる…もう少し、冷蔵庫動かせないか?」
「これ重いんだよな…クラウド、ちょっと出てこい」
「何する気だよ」
クラウドは顔を顰めながら、狭い隙間から抜け出してきた。
「こーするに決まってるっしょ。その方が動かしやすいし〜」
ザックスはバスターソードを中段に構えると、手首を返して一気に斜めに切り下げた
クラウドは目を見張る。あの無骨なソードからは想像つかないような綺麗な切り口を見せつけながら、冷蔵庫は上下真っ二つになる。ずれた上半分をソードの腹を使って下に落し、ザックスは見晴らしが良くなった壁際を覗き込んだ。
そして――一瞬固まったあと、魂消るように絶叫した。




「うわわわわ!これ、何!!!」
クラウドは我知らず腕を上げ、顔を防御するような格好で後退った。
冷蔵庫の残骸を乗り越えて室内にあふれ出しつつある円形の蛍光色の物体。
ピンクだけでなく、毒々しい緑や赤や黄色と言った派手な色彩をもったそれは、水掻きのある4本の脚を持ち、喉をふくらませて一斉に騒々しい鳴き声を上げる。


「グワッグワッ、ゲッゲッゲ、グオッグオッ」


それは、見るもおぞましいど派手な体色と、びっくりするほどでかいサイズを併せ持った、カエルの大群だったのだ。




カエルたちはいったいどこで繁殖したのかと思えるほど大量にいた。それらが押し合いへし合い重なったりしながら、ゾワゾワと部屋の中に広がっていく。


「ザックス!これ、どうする!寮の外まで溢れるかも!!」
クラウドはパニックに陥りそうになりながら必死にザックスに問いかけた。なんとかしてこの部屋の中に留める方法を探さなくては、と思ったのである。
だが、その肝心のザックスは、なんだか明後日の方向を向いたまま、暢気に歌など歌っている。


「か〜える、かえる〜おうちにかえるは〜いい旦那〜〜〜」
「なんだよ、それ!『帰るコール』がキャッチフレーズの神羅携帯電話のCMソングだろ?そんなの歌ってる暇があったら……」
言いさしてクラウドははっと息を飲んだ。ザックスが歌っているのは余裕からではなく、その逆だ。
ザックスは完全に現実逃避して、目の前のカエル大軍から必死で意識を逸らそうとしていたのだった。


「ザックス!今は逃げてる場合じゃないんだって!!」
クラウドは遠くを見たまま歌を歌っているザックスをあせって揺さぶった。足下はすでにぶよぶよとした感触に埋まっている。舌や水掻きの湿った感触がズボンの隙間に入り込み、クラウドは全身に鳥肌が立った。
「なんでもいいから、これ、止めて!」
クラウドは声を振り絞った。うぞうぞと高さを増していたカエル絨毯から、一匹が大ジャンプを試みる。それはペタリと狙ったようにザックスの顔面に張り付く。クラウドはすぐ目の前にあったザックスの顔に蛍光紫のカエルが張り付くのを目の当たりにし、思わず声を上げて後方に逃げた。
ずっと続いていたザックスの小さな歌声がピタリと止まった。
僅かな間のあと、ドラゴンもかくやと思われる咆吼が響き渡った。




バスターソードがものすごい勢いでザックスの頭上で回転している。ザックスは完全に混乱状態でソードを振り回すと、周囲を薙ぎ払う。ただ、残念なことにカエルが生息しているのは、その遙か下方、床の上だ。
従ってザックスの剣の威力を思いしったのは、周辺の壁や柱だ。破片が飛び、えぐられた柱は不気味なきしみ音を上げる。
「ひゃっ!」
頭をかばいザックスから離れた壁際に避難したクラウドの眼前でドアが吹っ飛び、カエルたちは嬉しそうに廊下へと突進していく。
「ザックス!カエルが逃げるってば!!」
カエルの後を追って廊下に出たクラウドは振り返り、まだ部屋の破壊活動にいそしむザックスに大声で呼びかける。
だがザックスは聞いていないのか、こんどはまだ無事だった巨大冷蔵庫を切り刻むことに情熱を傾け始めている。その間にも壁の向こうから溢れてくるカエルは、次々と廊下に出てくる。


「カエル、カエルって、どうすれば止まるんだっけ…ブリザド!ブリザドかければ!って、冷気のマテリア持ってない!」
攻撃系マテリアは任務外での所持は基本的に認められていない。個人的に購入している者もいるにはいるが、あいにくとザックスはそう言うタイプではなかった。
「とにかく、外に出ないように入り口閉ざさないと!!」
廊下を玄関に向かって走りだしたクラウドの背後で破壊音。
振り向くと、ザックスが振るった剣圧の余波をくらって廊下の壁の一部が吹き飛んだ所だった。
外の申し訳程度な植え込みの木々が、クラウドの位置からもハッキリくっきりと見えている。
当然、身近な出口に向かってカエルが黙々と移動していく。


「ザックスの馬鹿ーーー!」


クラウドは思わず叫んだ。基地中に蛍光カエルが散らばった場合、回収費用はザックス小隊借金につけられてしまうのだろうか。とりあえず、混乱中のザックスを殴り倒してでも正気に戻さねばと、クラウドは廊下の備品の1つ、消化器を振り上げる。
次の瞬間、眼前が真っ白になった。ついで肌が痛くなるほどの冷気。
視界が戻ったクラウドの目に映る寮内はまったく様相が変わってしまっていた。
丸ごと冷凍庫に変身したような、壁から屋根から床から、そして廊下に溢れていた巨大ガエルまで全てが真っ白の厚い霜に覆われていたのだ。


よくよく見れば、剣を振り上げた格好のザックスまでが白い氷像と化している。
クラウドはぞくりとして両腕で自分の身体をかき抱いた。
息は真っ白で全身に鳥肌が立っている。
だが、クラウド自身には一欠片の霜もついてはいなかった。
ただただ、周囲からの冷気に震えるだけだ。
「クラウド」
呼ぶ声に、クラウドは声の方向を反射的に向いた。
周囲を覆う霜よりもさらに白く輝くような銀髪がさらりと流れる。
ザックスの開けた壁の穴から、身を屈めたセフィロスが入ってきた。


「サーー」


文字通り地獄に仏の心境で駆け寄りかけ、そこでクラウドは足を上げた格好で固まってしまった。足下は白くカチンと固まった巨大ガエルがびっちり覆われている。踏みつぶすのも嫌なら手で避けるの嫌で、クラウドはその格好のまま顔をゆがめた。
くすっと笑う声がして、セフィロスが爪先でカエルを脇に寄せながら近づいてくる。
「カエルが苦手か」
一週間ぶりの声に、クラウドは思わず飛びついた。
「大胆だな」
熱烈歓迎ぶりに笑みを浮かべかけたセフィロスは、次に聞こえてきた言葉に苦笑混じりの息をつく。


「さ、さむい……」


カチカチと歯をならし色気の欠片もない格好でしがみつくクラウドに、セフィロスは笑う声を抑えられなかった。


大木に蝉といった格好で張り付くクラウドを抱えたまま、セフィロスはザックスに近づいた。
頭の先から爪先まで真っ白のザックスは動く様子がない。
べったりとセフィロスに張り付いたクラウドは、息を白くしながら聞いた。
「……ザックス……凍っちゃったんですか……?」
「さて」
そう素っ気なく答えた瞬間だった。振り上げたままだったバスターソードがぐらんと揺れた。
ザックスの体表を覆っていた霜が粉雪のように辺りに散らばる。


「うーーー、つめてーーーー!!!」


自力で復活したザックスは目の前のセフィロスにすぐ状況を察したらしく、鼻水をすすり上げながら猛然と抗議した。
「あんた、いきなりなにすんだ!」
「お前が混乱しているからだ。ちょうど頭も冷えただろう」
セフィロスは動じない。
「冷えたなんてもんじゃねーぞ!凍るかと思ったぞ!」
「全体がけの、さらに手加減した最弱ブリザドだ。この程度でダメージを受けると言い張るなら、一般兵からやりなおせ」
四肢を絡めるような格好で張り付くクラウドをがっちり抱っこした、見ている方が脱力する姿の英雄様が発するブリザドよりも冷たい言い様に、ザックスは冷えた両腕を自分でさすりながら涙する。
「なんだかんだいって、あんた、どさくさまぎれにクラウドといちゃいちゃべったりしたかっただけじゃねーの?」
「誰が好んで寒い思いをさせるか。ミッション明けで帰ってみれば、夜勤でもないのに部屋にいない。お前がクラウド連れでどこかへ行ったと言うから迎えに来てみれば、お前は混乱して剣を振り回しクラウドが助けを求めて叫んでいる。とりあえず動きを止めねばと思ったオレの判断のどこに、文句のつけようがある?」


暗に「クラウドとの時間を邪魔しやがったな」と言わんばかりのセフィロスに、ザックスは口答えを止めた。これが英雄と1STソルジャーの会話かと思ったら、なんだか泣けてきたのだ。
救いはセフィロスにべったりと抱きついているクラウドが、寒さのあまり思考停止気味で自分たちの会話をほとんど聞いていないことだろうか。
恥ずかしがって否定の言葉なんぞ吐かれた日には、不毛すぎる堂々巡りになりそうだ。
「……とりあえず……外に出ていいかな…」
寒すぎる場から逃げたくてザックスは控えめに提案した。




零号寮の外は、いつも通り、夜になっても温度の下がらない蒸し暑い不快感たっぷりのミッドガルの夜。
それでも冷蔵庫か、へたすれば冷凍庫並みに温度の下がった屋内と比べれば天国のようで、ザックスはほっと一息つく。クラウドは気温の急激な変化に体温がついていかなかったのか、半分のびた格好でセフィロスに抱っこされたままだ。
妙にご機嫌なセフィロスの顔を眺めながら、ザックスはさらに控えめに質問した。


「……んでさ……この後、俺、どうすればいい?」
「この建物の怪異解明する義務は、お前にあるはずだ。さっさと調べてこい」
ザックスはちらりと蛍光冷凍カエル満載な建物を見ると、情けない顔になった。
「俺1人で?」
「人間には、今の寮内の温度は低すぎる。オレは調べる義理はない。お前以外、誰がいる」
冷静冷酷なセフィロスのセリフに、ザックスは長いため息をつく。
「……ゴンガガにはさぁ…人間をカエル仲間に引き込もうとするカエル型モンスターが大量生息しててさ……年寄りの言いつけで、『カエルを見たら、絶対に触らずに逃げるんだ』って……」
「何をブツブツ言っている」
「……あんたはさ……もとから変態体質だから、ステータス異常なんてカンケーないし、英雄補正もあるし……」
「誰が変態体質だ!!」
ぐずぐずと煮え切らないザックスにセフィロスが切れかけた時だった。だるそうにクラウドが口を開いた。


「……俺が見てくるよ。この建物の内部構造、多分俺が一番詳しいし。それにカエルも今なら凍ってて動いてないだろ?」
覇気のない動きで身を捩り、クラウドはセフィロスの腕の中から降りる。一度ぶるっと身を震わせたが、唐突な申し出に唖然としている大人2人の横を通って壁の穴から零号寮の中に戻っていく。
「クラウド」
セフィロスは急いで後を追った。長身を折り曲げて壁をくぐると、大股でカエルの山を乗り越え、前を行くクラウドの腕を掴む。
「何?」
「何もお前が行く必要はない。もともと、ザックスが言いつけられた用だ」
「……だからって、知らんぷりできないだろ?あんなに嫌がってるし……」
「お前は、カエルは平気なのか?」
「ちょっとあれだけ大量にすり寄られると気持ち悪いけど……でも、嫌いじゃないよ。けっこう美味しいし」
「美味しい?」
予想外のセリフに、セフィロスは眉を寄せた。
「軟らかくて、チキンみたいだ。うちの近くでとれるのはもっと小さいのだから、あんまり食べるところ無いけど」
さらりと答えるクラウドに、思いがけないワイルドさを感じたセフィロスだった。


そうやってセフィロスがクラウドの新たな面を発見している間に、ようやく意を決したらしいザックスも寮内に戻ってくる。
「やっぱりさぁ、嫌な任務を部下に押しつけて、俺が待ってるわけにはいかないよなぁ」
さっと前髪をかきあげ、ザックスは格好つけて決めぜりふを口にする。ただやっぱり寮内の寒さに勝てなかったクラウドがセフィロスに抱きついたので、そのセリフを耳にした者はいなかった。
とりあえず、ザックスの存在に気がついたセフィロスが、上着をクラウドに着せかけながら冷たく言った。
「では、とっとと先に行け。カエルどもが復活しても、もうブリザドはつかわんぞ」


その後の探索は思っていた以上に簡単だった。
大量の氷カエルの間をつま先立ちで進み、2階まで風通しがよくなった室内に入り、障害物が無くなり見通しが良くなった、つい数分前までは壁があった場所を見る。
どうやら、壁の向こう側はプレート内部メンテナンス通路へと通じる階段の降り口だったようだ。
途中で断ち切られた電源ケーブルが、蛇の抜け殻のごとく階段下方に落ちているのが白く見える。


「……壁に穴あけて、延長コード下から繋いでたんだ」
大きなセフィロスの上着をかき寄せ、クラウドは下を覗き込んだ。
「下から上がってきたようだ。降りてみるか」
「降りるの?下にまだいたりして!」
ザックスが嫌そうな声を出すが、知らんぷりでセフィロスとクラウドは階段を下りる。その後を、ザックスは慌てて追った。
プレート内部に降りると、そこはかなり広い空間になっていた。最初に目に入ったのは業務用らしきフリーザーボックス。横に『SINNRA Sweet』のロゴが入っている辺り、多分菓子部門でアイスクリーム等の店頭販売用に使っているボックスだ。
ボックス上部引き戸のガラスが壊れている。電源は入っていない。
底になにやら不気味な白い粘膜の固まりのような物がこびりついている。それからひび割れて緑の液を張り付かせたプラスチックのボックス。
セフィロスはそれを取りだした。ちょうど子供用図鑑程度の大きさだ。


「なに、それ」
ザックスは手元を覗き込む。
「さて……」
セフィロスがボックスを裏返すと、「成長促進用飼料 試作BT0004978 化学部門」のシールが貼ってある。
「……ザックス。PHSは持っているか」
「もってるけど」
セフィロスはザックスが差しだしたPHSを受け取ると、無言でナンバーを押した。
「なんでもいい。あの蛍光カエル大繁殖の原因は化学部門のせいに決っている。あいつらに後始末をさせる」
そう告げると、セフィロスは化学部門にカエルの回収と原因の即時究明の責任を問答無用で押しつけたのであった。




数日後、徹夜で調査したらしい報告書がセフィロスの元へと上がってきた。その夜、セフィロスの部屋でその報告書を広げる。その内容を確認し、ザックスは脱力した息を吐いた。


『故障したフリーザーボックスに保管されていたウシカエルの卵が孵化し、同所に保管されていた飼料をエサに成長したと思われる。飼料は現在開発中の、養殖魚等の成長を通常の3倍に増殖、また体積も1.5倍程度に巨大化させる効果を持つもの。巨大化は成功したものの、栄養価に変化はなく、また予想外の体色異常が現れ、研究は中断。ただし観賞魚等の業者が体色の変化に興味を持ち、いくつか引き合い有り。今回問い合わせのものは、産業廃棄物引き受け業者の下請けが持ちだした物と推察される』


「ちなみに、あのカエルたちは色、大きさ以外に特に他と変わった様子はないとのこと。スラムの食肉業者に頼まれてウシカエルの卵を冷凍保管していただけのようだ」
「食肉業者?」
脱力していたザックスがその言葉に反応して聞き返す。
「食用肉の安定供給のためと称し、繁殖率の高いウシガエルの肉をチキンとして食堂などに卸していたらしいな」
うぐっとザックスは喉を鳴らした。


「……まさか……スラムの飲み屋のフライドチキンや焼き鳥や……」
「全ての店とはいわんが、格安提供されていた料理は疑ってみた方が良さそうだ」
「うげーーーー!!!俺の行きつけのあそことかあそことか!料理が安くて美味いのが売りだったんだ!!まさか!」
「美味かったのなら、問題あるまい」
あっさりとした返事に、ザックスは「うげーーーー!タッチミーーー!!!」と謎の叫びを残してトイレに駆け込んでしまった。


「……それで、あのカエルたちはどうなるんですか?」
げーげー大騒ぎしているザックスを無視し、クラウドはセフィロスに聞く。
「さっきも言ったとおり、色と大きさ以外は別段他のウシカエルと変わったこともないので、スラムの肉屋にそのまま売ることに決めたそうだ」
「……売られて、食べられちゃうんですか……」
クラウドは少し感傷的に呟いた。
蛍光色で大きくて不気味なカエルだったが、ひたすら広い世界を求めて移動していく様子に、一抹の健気さを覚えていたのだ。
「神羅のペットやマスコットとして飼うには、少々数が多すぎる」
「……そうですね…」
しゅんとなったクラウドは、ザックスがいつまでたってもリビングに戻ってこないことを不審に思うことはなかった。そして、当然だがセフィロスは戻ってこないザックスの事などすっかり忘れていたのだった。




さらに数日後。
ザックスの執務室で資料整理していたクラウドは、新聞の片隅に乗っていたスラム地域版の小さなニュースに目を留めた。


『食肉業者のトラック、横転事故。運転手に怪我はなく、原因は急な道路の亀裂にタイヤが落ち込んだため。亀裂が出来た原因は不明。積載していたのはプレート上部からスラムに運ばれる途中の生きたウシカエルのコンテナで、横転のショックでコンテナの扉が開き中のカエルが全て逃亡。業者はウシガエルの大軍を見つけたら通報して欲しいと呼びかけている』


「ザックス。この記事読んだ?」
「うーん?」
「ウシカエルを積んだトラックが横転。カエルは全部逃げたって。これって、ひょっとして…」
「まー、いいんじゃない?カエルはカエル、焼き鳥はチキンだし」
妙に上機嫌で訳の分からないことを言うザックスに、クラウドは妙なことを思い浮かべた。
思い浮かべたが、ザックスの言うことにも一理あると、そう納得する事にする。


確かに、カエルはカエル。「チキン」のメニューを出している食堂は、素直にチキンを提供すべき、なのだ。

そして、想像した。
コンテナから逃げ出した大量の蛍光カエルたちがあちこちに散らばり、無事に住処を見つけて自然の中で繁殖していく様子を。


蛍光色の大型オタマジャクシが大量に池を泳いでいる様子を想像して、ちょっとだけ「げっ」と思ったクラウドだが、すぐに微笑ましく思い直した。


扉を開けて、広い世界に飛び出した蛍光カエル達に幸多かれ。
そして願わくば、――もう二度と、自分たちの目の触れる場所には現れないでくれと。




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