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わっぱ巡礼(2005夏・粟島)その2
釜谷の集落を後にし、その北側にある釜谷キャンプ場の様子を見に行く。
そのサイトが気になるのは、本来ならそこでキャンプする予定だったからだけではない。
そこは、あの椎名誠隊長率いる『怪しい探検隊』の粟島合宿の舞台であり、ついついこの目で見てみたかったのだ。
ガイドブックなどから得られる情報は、ただソレが存在している事を教えてくれているだけに過ぎない。
もちろんそれは必要な情報だし、そして有益なのは事実だ。
しかし、そういった実用書に頼った行動とは別に、好きな物語の舞台となった場所を実際に訪れてみるのは何だか楽しい。
「おおっ、コレが『クジラの形の岩』かぁ。なるほど」
「ほう、確かに『正しい水場』だねぇ」
そのポイントポイントで展開されたストーリーが思い浮かんできて・・・・・
その姿が想像どおりだったり、或いは想像とは全く異なっていたり、そんな事を検証するのも面白かったりするのだ。
粟島はココでも大繁盛で、サイトは大いに賑わい、テントの張り場にも困るような状態だった。
しかし実際にテントを張る訳ではないので何も困る事もなく、シゲシゲとあたりを見回す。
想像していたよりも狭く、そして傾斜のあるサイトながら、フンイキは良い。
湧き水垂れ流しの『正しい水場』の水もキッチリ冷えていて旨かった。
キャンパー達から怪しまれない程度に徘徊した後、やはり同じ物語に登場した民宿を眺めに釜谷の集落に戻る。
ソコは満室で予約は出来なかったけれど、出来る事なら泊まってみたかった民宿でもあるのだ。
文中で活躍していた民宿のオッチャンの姿をアタマに描きながらワクワクと向かってみれば・・・・
想像された佇まいとは程遠く、民宿とは名ばかりの豪華3階建てに生まれ変わっていた。
リアリティーな世界では、確実に時が過ぎ去ってしまっていたのだ。
やはり大混雑の観光船で内浦集落に戻り、いよいよ念願のワッパ煮を食うのだ。
ワクワクと、あの『生ビール』のノボリがはためく食堂に行けば・・・
おおっ、長蛇の列が出来ている。
「アタシ、もうガマンできない!」
なんてココロモチで、もう一軒の食堂に行ってみる。
ソチラはノボリは無いものの、この際だから瓶ビールでも良しとしようではないか。
しかし、同じく長蛇の列。
クドいようだけど、粟島は大繁盛していたのだ。
さらに探し出したもう一軒は、喜ぶべき事に行列が出来ていない。
しかし行列どころか、客が1人もいないのが気にかかる。
「すいませぇん、ゴハン食べれますか?」
「ゴハンは売り切れた。ウドンなら出来るよ」
「ウドンでもソバでもいいですけれど、ワッパ煮は・・・・・」
「ワッパ煮も終わっちゃった。ウドンじゃだめ? おいしいよ!」
「そ・そりは・・・・・・・」
この島にゴッタがえしている観光客は、老若男女ことごとくワッパ煮が目当てに違いない。
当然ながら我が家もそうなので、クダクダ言ってないで並ぶ事にする。
考えてみれば、離島でメシの行列は初めてだ。
一般論として「行列が出来る店はウマい」と考えがちだけど、それは正解ではない場合もある。
「客がマスコミに踊らされただけで、実態が伴っていない」
なんてケースは多いだろうし、
「他に食える所が無い」
などといった、いわゆる社員食堂みたいなケースもあるだろう。
しかし、なんともやりきれないのは
「店の手際が悪く、客が必要以上に待たされている」
為に、結果として行列となっているケースだ。
我々が並んだ食堂は、どうやらその最後のケースだった。
店のオトォチャン、オカァチャン、そして臨時に働いてるであろう小学生のボクチャンも含めて、なんだか右往左往しているのだ。
待ちに待って席に着き、真っ先に注文したビール・・・・
コップを持ってくるのに2分、センヌキを探すのに5分もバタバタと駆けずり回っていて、当然ながらその間は他の接客が出来ないでいる。
しかし、そんな事にモンクを言ってはイケナい。
予想外のハッテンぶりにココが離島である事を忘れていたけれど、離島に都会のジョーシキを持ち込むのはルール違反なのだ。
「ほぉら、熱いよぉ! 気をつけてぇ」
いよいよ、ワッパ煮が運ばれてきた。
すでにワッパの中には焼け石が投入されていて、グツグツと煮えたぎった汁が、豪快にオボンの上に吹きこぼれている。
調理場で石を投入しているシーンを覗くと、ホントにアッというまに沸騰しちゃうんだからたいしたモノだ。
ココロの準備も出来ないまま一瞬にして煮込まれてしまったタイやカワハギには申し訳無いけれど、なかなかンマいんだから迷わず成仏してもらいたい。
思い起こせば、こういう調理法は前にも1回経験があった。
それは、以前に所属していたバイクのツーリングクラブで、栃木あたりの温泉宿に泊まった時だった。
宴会が佳境に入ってきた頃、
「はぁぁい、ちゅうもぉぉく」
なんて感じで、宿のオカミらしき上品な和服姿の女性が、手下を引き連れて大鍋を運び込んできた。
「コレが当旅館名物の、○▼鍋でございまぁす」
誇らしげにそう告げると、生の肉やら野菜やらが満載されている大鍋に、手下に命じて次々と焼け石を投入させたのだ。
しかし、すでに狂宴状態に陥っているヨッパライどもの殆どは、グツグツと煮え始まった鍋に感心を示す事も無く
「まままま」
「ささささ」
前をはだけた浴衣姿で酒を注ぎあうばっかりで・・・・・
おジョーヒンなオカミは、なんだか間違って来ちゃった富山の薬売りみたいな様相となってしまった。
やがてトイレから戻ってきたヨッパライの1人が、おジョーヒンなオカミと大鍋とをシゲシゲと見つめ、
「なんでわざわざ石で煮るの?」
などと、たぶん言ってはいけない事を、下品にも聞いちゃったりしたのだった。
そうだ、コレはけっしておジョーヒンな調理法ではない。
ワッパと焚き火さえあれば作れる、先祖代々伝わってきた漁師のファーストフードなのだろう。
釜谷の『わっぱ煮広場』が正解で、勝手に体裁を整えた栃木の旅館はハズしちゃったのだ。
すまん、わっぱ煮広場。
もう、「貧租」だなんて言いません。
腹膨れれば、内浦地区の南端にある『ハゲノ浜』まで泳ぎに出向く。
シャワーなどの設備はもちろん、海の家までキチンとあるリッパな海水浴場で、やはりココも繁盛していた。
すぐ先にはキャンプ場もあり、どこから借りてきたのか、キャンプ道具を積み込んだリヤカーが行き来している。
広く、そして快適そうなサイトに並ぶテントがなんだかキモチ良さげで、
「う〜ん、やっぱりキャンプでも良かったなぁ」
などと考えても後の祭りで、ハッテンした離島も捨てたモンじゃないなどと考えたりもした。
さて、粟島での最終日。村役場に出向き、レンタチャリを借りる。
フツーのママチャリしかなかった飛島のと異なり、嬉しい事にココには、オコチャマ用シートがついているチャリもあるのだ。
さっそく、島を一周する、その名も「サイクリングロード」を突き進む。
もちろん半時計回りを選んだのは、あの矢ヶ鼻の「スーパー直線・ロング登り坂」を見てしまったからに他ならない。
海沿いのアチコチにテントが張られているのが見え、コッヘルで「自家製わっぱ煮」を作っている姿が楽しそうだ。
そんな光景を眺めながら快適に走り続ける事しばし・・・・・
旗崎の海水浴場を過ぎてしばらくすると、いよいよの登り坂が待っていた。
変速付きチャリとはいえ、18kgのオコチャマを乗せての登攀はなかなかキビシい。
「おとぉしゃん、ガンバレ!」
背後から聞こえるオコチャマの応援も空しく、遂には押し歩き。
歩く時だって、ヤツは後部のオコチャマ席に座ったままなんだからナマイキだ。
ヘリポートへの分岐あたりで力尽きて休憩し、ソコからは朱蘭さまがオコチャマを積むと・・・・・・
なんと下り坂ばかりになって、ロクに漕がないままで島の東端である鳥崎の展望台に到着してしまった。
西海岸は入り組んだ断崖絶壁が延々と続き、さすがにこの辺まで来ると人工的なモノは何も無く、やっと離島気分になってくる。
絶壁の上を進む道はそれなりにアップダウンを繰り返し、暗黙の了解で、ここから1〜2Km置きに登場する展望台ごとにオコチャマをトレードする事になった。
さほどキツい坂が続く訳では無いとはいえ、やっぱりオコチャマは重たい。
とにかく見通しが良く、遥か先の岸壁の上に見える展望台の姿が、励みになったり嘆きになったりする。
八ツ鉢鼻、仏崎とリッパなコンクリ製の展望台が続き、どこからも殆ど同じ眺めながら、キチョーな休憩ポイントなのでキッチリと展望しなければならない。
切石ヶ鼻を過ぎたあたりからは登りオンリーとなり、ヘロヘロとなって到着したのは、内浦と釜谷を結ぶ山越え県道との分岐点。
これで島の周回道路の約半分を走破した事になり、ココからイッキに坂を下れば釜谷の集落に至る。
「どうする?」
山を越えて内浦に戻るか、釜谷を経由してこのまま海沿いに進むか、運命の選択なのだ。
距離にしたら、山越えルートが遥かに短い。
しかし、当然ながら山越えが待っている。
釜谷から先の海沿いルートは、一箇所を除いて殆ど平坦なシーサイドの道らしい。
でも、その一箇所が問題だ。
コチラから行けば、難関である矢ヶ鼻の「スーパー直線・ロング登り坂」は下る事になるとは言え、どこかで同じ高度分を登らなければツジツマが合わないではないか。
どうせ激しく登るハメになるのならば、ここはイッキに山越えをしてしまったほうが早く帰れそうだ。
何しろ今日の船で帰らなければならないし、もう一度ワッパ煮も食いたいのだ。
並々ならぬ決意をした割には、意外とアッサリ最高地点を越え、あとは一度もペダルを漕がずに内浦の集落へ着いた。
汗を流しに漁火温泉に入れば、相変わらずゴッタがえしていた入浴客が、申し合わせたように一斉にいなくなってしまった。
そうか、12時30分にフェリーが出るのだ。
その後の高速船に乗る我々には、まだまだ時間がある。
貸し切り状態となった風呂にユッタリとつかった後は、再びワッパ煮が待っている。
食堂に向かう道は人気もマバラで、それは初めて見せた普段着の粟島の姿だった。
おおっ、さすがの大繁盛・粟島も、なんだか離島っぽくなってきた。
もちろん食堂もガラガラで、おヒルネ体勢に入ってしまったオコチャマを座敷に転がしたところで誰のメイワクにもならず、オトォチャンとオカァチャンはワッパ煮をつつきながらビール瓶を次々と空にした。
やがて我々の高速船の出航時刻も徐々に迫ってきた。
しかし、このままヨッパラいながら粟島の旅を終える訳にはいかない。
一箇所、妙に気になるスポットが残っていた。
粟島観光案内所のパンフレットに『ぜひ見てほしい所』として紹介されている観音様やら弁天様は、なんともマジメに次々と訪れてしまっていた。
ところが、その筆頭にあげられている『風の三郎様』を、発見できずにいたのだ。
その妙チキリンな名前のスポットは、パンフレットの原文ママで
「大風が吹くと船の安全を考えて島民は祈りに行きます」
という所なのだそうだ。
でも文面からは、その祈られる対象が判らない。
仏像なのか、お地蔵なのか、或いは天然の石か御神木なのか。
大風は吹いていないけれど、我々はこれから船に乗るのだ。
粟島から安全に帰る為にも、そして、そのご利益が『粟島近海以外でも有効』ならば、今後の為にもぜひともお祈りしておきたい。
その場所は、パンフレットに「民宿いずみやさんの後ろにある」とだけ書いてある。
しかし前日の夜、いくら「いずみやさんの後ろ」を探しても、ソレらしき物は見当たらなかったのだ。
もしかしたら民宿の敷地内にあり、道路からは見えないのか、
或いは「いずみやさん」というのがマチガイなのか、
まさか撤去されてしまったのか。
出航前に、もういちど『風の三郎様』を探しに、いずみやさんの後ろに行ってみる。
やはりソレらしきモノは無いものの、そのあたりの道端にイスが置かれていて、ひとりのオババが身動きもせずに座っていた。
ま・まさか、このオババが『風の三郎様』なのか!
生ける御神体なのか!
さすがにそんな事を真剣に考える訳も無く、さっそくオババに聞いてみる。
「すいません。『風の三郎様』ってのはドコですか?」
オババは、それまでの動作からは考えられないスバヤさで顔を上げ、
「ええっ?『風の三郎様』に行くって?」
そんなニュアンスの粟島語を口にし、にらみつけてきた。
なんだか聞いてはイケナいヒミツに触れてしまったのだろうか。
「は、はあ。パンフレットに出てたんで、お参りしたいんです」
「ソコの小道を登った右側。ココからすぐ」
オババが指し示したのは、民家の裏山のようなところに続く小道だった。
そこは、まさかと思いながら夕べも登ってみた道で、その時は何も無かったハズだ。
粟島語を完全に理解できないワタクシが聞き間違えたのだろうか。
オオゲサな身振りで小道を指差し、もう一度聞いてみる。
「ココですか?」
「そう。すぐそこ。う〜んと小さいから気をつけて見てないと見落とすよ。木の根っこあたりをね」
オババはイスから立ち上がり、やはりオオゲサな動作で小道を指差した。
『風の三郎様』は、オババの言うとおり、気の根っこの洞穴に埋め込んである、小さな石の祠だった。
その名前や云われなどを示す表記は何も無く、確かに見落とされてアタリマエのような目立たなさだった。
こんな小さなガタイで、累々と連なってきた粟島の漁師達の安全を守りつづけていたのだろう。
そしてその存在すら知らずに和製リゾートアイランドを満喫する我々観光客を、安全に島に招き入れ、そして送り出してくれていたのだ。
なんだか傾いてしまっている『風の三郎様』の屋根に、そんな苦労が忍ばれているように思えた。