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ぶりぶち探訪(2006夏・波照間島)その3
ぶりぶち探訪
ぶりぶちへの道
波照間島には、この規模の離島としては珍しくバス路線がある。
ただし便数は極めて少なく、しかも港と集落を結ぶ1路線だけなので、気軽に利用できるとは言いがたい。
タクシーも無いけれど、レンタバイク屋やレンタチャリ屋があり、これらが借りられる民宿もある。
コート盛の近くのレンタチャリ屋では、レンタカーもあるらしい。
それは、波照間島への上陸を果たした日だった。
観光客でゴッタがえす港で民宿のクルマにブチ込まれ、宿に到着してから困った事態に気がついた。
押し寄せる観光客によって、島のレンタバイク・レンタカーは1台残らず借りられてしまっていたのだ。
う〜む、波照間島をナメていた訳ではないのだけれど、予約をしなかったのがマズかった。
「すみませんねぇ。夕方になれば空くんだけど・・・」
レンタバイク屋のオネェサンによれば、石垣島からの日帰り観光客がけっこういるらしい。
彼らは限られた時間で島を巡らねばならず、真っ先にレンタバイクを借りていくのだとか。
コチラは時間に余裕が無い訳ではないけれど、移動手段が無いのでは困る。
慌てて翌日からのバイクの予約はキッチリ入れたものの、今日はキャンセル待ち(石垣島へのお帰り待ち)の状態となった。
ヒルメシまでにも2時間近くあり、ダラダラしていてももったいない。前進あるのみ。
レンタチャリ屋に駆け込むと、コチラも大盛況で、マトモなチャリが残っていない。
「動けば何でもヨイです。前進あるのみっすから」
奥のほうから引っ張り出してきたチャリは、嬉しい事におこちゃまシート付き。
「コレでいいんですか?あまりブレーキききませんよ?」
「いいんです。キッパリ」
「整備してないからペダルも重たいですよ?」
「いいんです。慣れてますから」
「そうですか。お値段はサービスしますけど、ホントにボロなんで・・・」
「いいんです。お借りします。それじゃ行ってきます。・・・・(1分後)・・・パンクしてますぅ・・・・」
結局タイヤごと交換してもらい、とにかくサイクリングに出発なのだ。
昼メシまでの時間を考えると、あまり遠くまでは行けない。
お待ちかねの最南端は後回しにして、目指すは「ぶりぶち公園」。
ソコに何があるのかは知らないけれど、集落の中央にあった島内案内の看板を見て、公園好きのオコチャマが反応したのだ。
集落のある島の高台から島の北側へと続く坂道を、利かないブレーキを握り締めながら下る。
ほどなく外周道路にブチあたり、その交差点に『←ぶりぶち公園』と書かれた道しるべがあった。
「おうっ、コッチだ。思ったよりアッサリ着いちゃうな」
などと思ったらオオマチガイだった。
交差点から少し下ったあたりにあるハズなのに、公園らしきモノなど見当たらないのだ。
シムスケと南波照間島
別に激しく行きたかった訳でもないので、アッサリとぶりぶち公園を見捨ててシムスケを目指す。
それはイニシエの井戸なのだそうで、ココから遠くないという理由だけで目的地に選ばれたのだ。
外周道路を東に向かい、念の為にぶりぶち公園の方向にチラチラと目をやっても、それらしきモノは見えない。
オコチャマを乗せていても何とか漕ぎきれる程度の坂を登り下りしながら快適に進む。
観光客らしき数名を荷台に乗せた軽トラに抜かれ、その軽トラが遥か前方の枝道を左折するのが見えた。
そこがシムスケの入り口に違いない。
その交差点に辿り着いてみると、軽トラが入っていったのは畑の中のダート道だった。
「おいっ、ココから揺れるぞ。気をつけろ」
後に座っているオコチャマに声をかけ、ひるむ事無くダートに突入。
さしたる悪路ではないけれど、前科があるだけにパンクが怖い。
やがて道は下り坂になり、貯水池の裏を回り込んでイッキに下ると、先ほどの軽トラが停まっていた。
どうやらココがシムスケらしい。
ジャングルの中にゴツゴツの岩が剥き出しになった竪穴があり、その底に水が溜まっていた。
お世辞にもキレイとは言えない水で、とても飲んでみる気にはなれない。
まあ、そんなゼイタクを言えるのは今の時代だからこそだろう。
波照間島には川も自然の池も無く、水はけの良い石灰岩が主体で出来た島でもある為、井戸が掘れる場所も限られていたのだそうだ。
島の北面に点在する井戸を中心とした当時の集落が数箇所あり、ココも「シムス」という名の集落だったとの事だけど、
今や密林に覆われていて全くピンとこない。
しかし、満潮時には海水が逆流してくるなど、決して快適な水源ではなかったらしい。
苦労したのは、水だけでは無かったのだろう。
沖縄の離島のどこに行っても聞くのは、琉球が薩摩に支配された時代の『人頭税』という過酷な税金に苦しめられた話。
もちろん波照間島も例外ではなく、40人ほどの島民が島から逃げ去ったというイイツタエがあるそうだ。
それは
「役人の船を奪い取って南波照間島に逃げた。出航間際、忘れ物を取りに戻った一人がオイテキボリになり、嘆き悲しんで余生を送った」
というアラスジで、もちろん南波照間島という島は実在しない。
沖縄には古くから「ニライカナイ」という名の南方にあるという楽園の存在が伝えられていて、その一環なのだろうか、
南波照間島の他にも南与那国島とかイロイロと語り継がれているらしい。
ただし、波照間島のイイツタエには記録が残っているそうだ。
1648年、琉球王府の「八重山島年来記」に残された記録の要旨
「波照間村の平田村百姓4、50人ほど大波照間という南の島へ欠落した。
島の行政責任者2名が首里へ報告に上り、落ち度があったとして罷免となった。
帰途、南の島に漂着し翌年与那国経由で帰島した」
(参考:波照間島あれこれの中の、
「パイパティローマ」より)
この逃亡者達の結末の記録は無いらしい。
なにしろ人間一人一人を管理して税金を課していた時代だから、他の島に漂着してもコッソリと余生を送れる訳が無く、
そういう記録が無いという事は、海の藻屑となったと考えるのが妥当なのかもしれない。
ただ、オイテキボリになって嘆き悲しんで余生を送った1人と、果たしてどっちがシヤワセだったのだろう。
ぶりぶち公園、再び・・・
シムスケを後にし、外周道路に戻ったあたりで、レンタバイク屋からのデンワが入った。
思ったより早くバイクに空きが出て、昼から借りられる事になったのだ。
そうと決ればソッコーで宿に戻り、チャリを返して午後に備えなければならない。
機動力が格段と強化されたからには、最南端やらアチコチに足を伸ばすのだ。
こうして、ぶりぶち公園の存在などは記憶から消え去っていった。
何日目だっただろうか、ダラダラと外周道路を走っている途中、再びあの道しるべが目に入った。
『←ぶりぶち公園』
そして思わず、道しるべの示す方向にハンドルを切った。
怪しげなナニモノかにイザナワレたなんて事だったらオモシロ怖いのだけれど、けっしてそういう訳ではない。
くどいけれども小さな島であるために、要は、行くべき場所はすでに行き尽くしていたのだ。
道しるべのあった交差点から細い坂道を下り、道がダートに変わる手前に、なにやら人工的な、そしてブキミな池があった。
養魚場を極めて小さくしたような形で、当然ながら魚なんかいない。
「なんだなんだ?ココが公園か?」
公園っぽいフンイキなど全くなく、代わりに『下田原城跡』などと書かれた看板があった。
しかし看板が指し示す方向は、ウッソウとしたジャングルなのだ。
かすかに残るケモノ道のようなモノを発見し、意を決してソコからジャングルに分け入ってみると・・・・
ガダルカナル状の密林の中に顕れたのは、不自然に小広い空間だった。
「あった、あったよ!キミワルかぁ!!」
確かに、墓石のようなモノに「ぶりぶち公園」と書いてある。
その背後には苔むした石垣がデンと構えていて、その石垣の上に登る崩れかけた石段がブキミに続いていた。
こ・こりは登ってみるしかない。
「よぉしっ!探検だぁ!」
「トーちゃん、やだよぅ!こわいよう」
「何を言うか。オマエが来たがっていた公園ぢゃないか!」
石段を登りきると、両脇を石垣で固められた迷路のような小道が続いていた。
もちろん路面はガダルカナルで、歩きにくい事この上ない。
オコチャマを叱咤激励した手前、いまさら後に引けなくなり、岩石迷路を右に左に何度か曲がると・・・・
ぐげげげげ!!
まるでクマの死骸のような、真っ黒で毛むくじゃらの物体が倒木の間に横たわっていたのだ。
「ぐえええええええ」
実際にクマなんかが居る訳が無く、おそらく何かの植物なのだろうけれど、んもぉ親不知・子不知で後先になりながら逃走すると、
極めつけに目に入ってきたのは、センベイみたいに乾燥しちゃったヤギの死体。
もう、転げ落ちるように逃げ去るのみだったのだ。
それにしても、この公園のブキミさは何なのだ。
薄暗いジャングルの中に切り開かれたナゾの空間。
その斜面には点々と、木製だかコンクリ製なのか、とにかく奇怪な形のベンチが並んでいる。
しかも全てが、まるでステージでもあるかのように、生真面目に一方向を向いて並べられているのだ。
ただし実際にはステージなど無く、視線の先にはジャングルが迫っているだけなのだ。
誰が、誰が座ると言うのだ!!何の為に!!
思わず、映画『千と千尋の神隠し』のワンシーンがアタマに浮かぶ。
夕暮れのメシ屋街を逃げ走る千尋の周りに、半透明の影のような人物(?)が次々と現れてくるシーンだ。
夕方になると、このベンチには、ああいうヤカラが沸いてきて座るに違いない。
「まさか」「そんなオオゲサな」
などと思うのであれば、実際にココを訪れる事を強く勧めるしかない。
さらば波照間
波照間島の朝、
バイクで走り抜ける直線ダートでは、何も求めない事が楽しいのだと風が教えてくれた。
波照間島の昼、
ニシ浜の波に漂っている自分には、都会に帰って暮らす日常が想像できなかった。
波照間島の夕方、
あのベンチに座るであろう連中は、きっと悪いヤツラではないように思えた。
波照間島の夜、
泡盛で濁った目で夜空を見上げると、天の川に支配された光の中に、巨大風車のシルエットが黒々と浮かびあがっていた。
そして・・・・
波照間島の最後の朝。
波照間酒造の前では早い時間からコメのニオイが溢れ出し、泡波の製造が再開された事を告げていた。
これから島を離れる観光客の感傷などにはお構いなく、普段着の波照間の一日が始まったのだ。
港の桟橋には波照間海運、安栄観光、2社の高速船を待つ客がゴッタがえし、それぞれに行列を作っていた。
殆どがワカモノで、なんだか楽しくって仕方が無いような笑顔で語り合っている。
行きの船が波照間に到着した時の、先を争うようにバラバラと散っていった姿とは異なり、
まるで誰もがみんなオトモダチのように、とにかくクッタクのないノーテンキさが満ち溢れていた。
その中に、あのセレブ風ねぇちゃんの姿も見えた。
相変わらずオジョーヒンなワンピースをひるがえし、大き目の帽子からは笑顔が垣間見える。
どうしたのだ。キミタチは、旅の終りの哀愁をミジンも感じないというのか。
いや、そう考えるのがマチガイなのかもしれない。
このフシギ島を知ってしまった事を喜び合っている彼らの感情は、
「一時的に島を離れるだけさ」
なんてナマヤサシいモノではなく、日常もヘチマも無く波照間に感化されてしまったに違いない。