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水の迷宮/石持浅海

2004年発表 カッパ・ノベルス(光文社)

 地味ながら細部まで考え抜かれ、ミステリとして非常によくできた作品になっていると思います。特にボラ関連が秀逸で、水族館ならではの証拠であると同時に水族館ならではの隠滅手段、しかも最終的にはそれが犯人特定の決め手となっているところが見事です。

 事件を知る人物の中で唯一の部外者であるという探偵役・深澤の立場も、うまく設定されていると思います。視点人物である古賀の思考をみてもわかるように、波多野館長に心酔している職員の立場では、脅迫メールの一つが波多野館長によるものだという発想が浮かばないのも自然です。立場の違いによって盲点を作り出し、読者の目からも真相を見えにくくしてしまうという手法が巧妙です。

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 真相が解明された後の最終的な事件の処理については、納得がいかないと感じる向きもあると思います。問題になりそうなのは、犯人が裁かれないまま事件が闇に葬られること、そして事件関係者ではなく部外者で(少なくとも水族館の職員ではない)探偵役でもある深澤が主導していること、の2点でしょうか。

 まず前者については、作中でも言及されている(318〜319頁)ように、大島が殺されたことを公表すれば片山の夢を実現させることは不可能となるので、致し方ないともいえます。仮に、真相を隠したまま全員が口裏を合わせて、職員同士の個人的な問題(例えば恋愛感情のもつれなど)で片づけることができたとしても、館内の不祥事というスキャンダルになってしまうことは避けられないでしょう。ましてや、原因となった片山の死、ひいては資金横領問題まで露見してしまえば(そうなってしまう可能性は高いと思います)、水族館全体が致命的なダメージを受けることは間違いありません。
 また、大島の方が先に手を出したということで、多少は情状酌量の余地もあると思います。当初から大島を殺すつもりだったとは考えにくく、深澤による再現も納得できるところです(もっとも、最終的には明確に殺意を持っていたと思われるので、“正当防衛”とはいえないと思いますが)。

 一方、後者については、深澤が探偵役として事件を処理しようとしているわけではないことに注意すべきでしょう。かつて片山への協力を断ったことを悔いている深澤は、事件そのものに対しては部外者として謎を解いているものの、事件の背景である片山の夢に関しては当事者の一員としてその実現を推進しようとしているのです。いいかえれば、深澤の探偵役としての立場は、事件の謎を解き明かした時点までで終わっているのです。
 また、現実問題として他に適任者がいないということもあるでしょう。事件の種をまいた波多野館長に処理をゆだねるわけにもいきませんし、他の職員では同僚である寺尾美奈に対する遠慮が先に立ってしまうのではないでしょうか。

 ただ、私としても100%肯定できるわけではありません。片山の夢は、自分の手で羽田国際環境水族館に巨大水槽を作り上げることだったはずなのですが、“夢”(の産物)だけが一人歩きして“人”が置き去りにされているように感じられてなりません。これはまた、脅迫事件まで引き起こしたもう一人の当事者であるはずの片山貴子が、完全に蚊帳の外に置かれてしまい、エピローグでもまったく言及されていないことにも表れているように思います。何というか、“死者の夢の実現”という美名のもと、巨大水槽を作り上げることが一種の免罪符になっているようにさえ思えてしまいます。もちろん、関係者たちが片山の死を忘れてしまったというわけではありませんし、巨大水槽の実現という難事業は尊敬に値するのですが……。

2004.10.27読了

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