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  4. ティンカー・ベル殺し

ティンカー・ベル殺し/小林泰三

2020年発表 創元クライム・クラブ(東京創元社)

 本書には、[叙述トリック][作中の謎解き][アーヴァタールのトリック]、そして[真の動機]と、大きく分けて四つのネタ/見どころが盛り込まれていますが、それらが巧みに組み合わされて絡み合うことで、全体として強固な仕掛けになっているところがよくできています。

*

[叙述トリック]

 ピーターがティンカー・ベルを殺す場面が描かれていることで、(怪しいとは思いつつも)〈ピーター・パンが犯人〉だと思わされてしまいますが、そこでピーター・パンと“双子の兄”ピーター・ダーリングを混同させる叙述トリック――このシリーズならではの特殊な世界設定とはまったく無関係に〈ネヴァーランド〉の側だけで完結する、シンプルな叙述トリックが飛び出してくるのにしてやられました。

 同名の人物の存在はやはりあざとく感じられはします*1が、しかし設定による呼称の制限がなかなか巧妙で、ウェンディをはじめ同じダーリング家の子供たちは当然“ピーター”と呼ばざるを得ません*2し、他の人々からしても、“ダーリング”という名字だけでは区別ができず、いちいちフルネームで呼ぶのはくどすぎるので、“ピーター”という呼び方に落ち着くのは妥当。そしてピーター・パン当人はもちろん、ピーター・ダーリング個人を認識できず“双子”としか呼ばないわけで、“もう一人のピーター”の存在がしっかり隠蔽されています。

 問題のティンカー・ベル殺害に至る場面(「5」)では、前半と後半での“ピーター”の入れ替わりに気づかせない手際がお見事。ピーター・ダーリングの言動をピーター・パンに“寄せてある”感もありますが、どちらの“ピーター”でも違和感のない会話が展開されています。その中にあって、“「あなたらしくない……言い方だわ」/「ここ数か月で随分利口になったんだよ」”(61頁)という最後のやり取りは、よく考えてみると大きなヒントになっている*3のですが、ここで気づくのはやはり難しいように思います。

 会話だけでなく、ピーター・パンの残虐な行為をそのままなぞるような犯行の継続性(?)が、人物の混同に大きく貢献しているのはいうまでもありません。加えて、犯人が“ウェンディのことを言いふらされたくない”(61頁)と殺害の理由を説明してはいるものの、その奥に隠された切実な[真の動機]まではまったく見えないので、ピーター・パンならではのカジュアルな犯行だと思わされるのがうまいところ。このあたり、殺人をいちいち覚えていないことも含めて、原作小説を踏襲したピーター・パンの造形が巧みに利用されているのが秀逸です。

 次はウェンディがタイガー・リリイに質問する場面(「13」)で、タイガー・リリイがピーター・パンのアリバイを証言した後の“うまくやったわね、ピーター(147頁)という言葉は、“ピーター・パンが何とかしてアリバイ工作を成功させた”ようにも受け取れてしまうのが困ったところ。実際には、ピーター・パン以外、入り江から一人で家に戻った人はいた?”(147頁)と質問しているのですから、“うまくやった”のも当然ピーター・パン以外の人物である*4はずですが、〈ピーター・パンが犯人〉だと思い込んでいるとこれも気づきにくいでしょう。

 最も危ういのが、双子の弟ティモシイが炎の中に取り残されている場面(「19」)です。ピーター・パンが“どこかに飛んでいってしまった”にもかかわらず、ウェンディが“一緒に来て、ピーターを助けるの”(いずれも195頁)と呼びかけているのは、あまりのことにてっきり“ティモシイ”の誤植だと思ってしまいましたが(苦笑)、ティモシイがリーダーであるピーター・パンに助けを求めるのはまだ不思議ではないとして、最後の“ピーター……愛している(196頁)という言葉は完全に意味不明で、ここで双子の兄が“もう一人のピーター”であることに思い至らなかったのが不覚です。

*1: 巻末にある『ピーター・パンとウェンディ』の紹介で“六人の迷子たち(トートルズ、スライトリイ、ニブス、カーリイ、双子たち)”(278頁)とされているところをみると、原作小説では双子の名前が出ないままなのを利用して、小林泰三が双子を“ピーター”・“ティモシイ”と命名したようですが、もともとピーター・パンとは兄弟でも何でもないことを考えれば、名前がかぶるのも絶対にあり得ないことではないでしょう。
*2: ピーター・パンと一緒に過ごすのは一時的なので、区別できるような愛称をつけるというのも考えにくいものがあります(もっとも、ダーリング家の養子になる前は“迷子たち”としてピーター・パンと暮らしていたわけで、その頃はどうしていたのか……)。
*3: ピーター・パンらしいと思える発言が“あなたらしくない”と評されている点、ピーター・パンの“俺”とは違う“僕”という自称、そしてティンカー・ベルと会っていなかったことをうかがわせる“ここ数か月で”という表現と、いずれもこの“ピーター”がピーター・パンではないことを示唆しています。
*4: それを受けたは何もしてないよ”(147頁)という返事でも、やはり自称がピーター・パンとは異なっています。

[作中の謎解き]

 探偵と助手をつとめるピーター・パンとビルが、そのまま事件を解決するとはさすがに思いませんでしたが(苦笑)、ウェンディと樽井友子という二人の探偵役が、二つの世界で並行して事件の謎を解く構成が異色。本書では後述する理由で、〈ネヴァーランド〉で事件が解決された結果が〈現実世界〉に伝わる形ではなく、同時進行の謎解きでなければならない――そしてそれが読者に伝わらなければならないのですが、そのためには井森とビルが謎解きの途中で居眠りをする必要があります。ということで、井森が居眠りをしてもおかしくない状況を作り出すことが、〈現実世界〉で雪崩が起きた理由の一つではないでしょうか*5

 さて、〈ネヴァーランド〉でのウェンディの謎解きは、ピーター・パン以外で唯一アリバイが成立しているように思われる、“双子”のアリバイ崩し……ですが、“同ジ顔ヲシタ二人ダ”(161頁)という人魚の証言に対して、“この島には同じ顔の人はもっといるよ”(223頁)というビルの無邪気な台詞から、もう一組の双子がいたという驚愕の新事実が持ち出されるのが強烈。ジョージとジャックはここで初めて名前が出ていますが、ピーター・パンが点呼を取った場面(78頁)で、個人名ではなく“双子!”と呼ばれて返事が二回あるのは二組の双子がそれぞれ返事をしたと解釈できる*6ので、これもまた一種の[叙述トリック]*7といっていいように思います。

 読者への手がかりとしては、マブ女王の二組の双子は何人ですか?”という問いと“ピーターは二と四の区別が付かない”という結論(いずれも128頁)がありますが、〈現実世界〉の側にも手がかりが用意されています。雪崩が起きた後(「20」)に名前が出てくる門野陽香――“彼女の妹も同級生だった。”(201頁)とあることから、妹の陽菜とは双子であり、最初から双子だと明示されている(50頁)二連一郎・次郎の兄弟と合わせて、〈現実世界〉に二組の双子がいると明かされることで、〈ネヴァーランド〉の方にも二組の双子がいることが示唆されているといえるのではないでしょうか。

 作中での謎解きに戻ると、入り江にいた“同じ顔”が二人だけであれば、“二組の双子のうち一組しかアリバイが成立しない”にとどまらず、“双子のうち少なくとも一人は確実に入り江にいなかった”ことが判明するのが鮮やかです。そして、誰に向けられたものか作中の登場人物には最初からわかっている、タイガー・リリイの“うまくやったわね”(147頁)という言葉が犯人特定の決め手となるのも納得です。

 もちろん読者にとっては、ピーター・ダーリングの存在が明かされた時点で犯人が明らかになりますが、前述のように“二組の双子”につながる手がかりは示されており、人魚の証言と合わせて確実にアリバイがない人物がいることに気づけば、ピーター・パンではない真犯人に思い至ることも可能で、そこから[叙述トリック]を見抜くことも不可能ではないように思います。

 一方、〈現実世界〉での友子は、ピーター・パンと海賊と赤膚族にはアリバイがあるので除外し、アリバイトリック(?)が可能だと考えられる双子たちの中に犯人がいるところまでは気づいているようですが、そこから先は決め手を欠き、酢来酉雄(スライトリイ)がタイガー・リリイの言葉を思い出したことでようやく犯人が確定します。人魚の証言が手がかりとして使われないのもさることながら、そもそも“友子がどこまで知っているのか”が判然としない*8ので、今ひとつすっきりしないところがありますが、これは多重解決を意図したようなものではないので問題はないでしょう。

*5: ビルの方は居眠りではなく、山火事で煙を吸って意識を失ったようですが、人間でそれは一大事なので、居眠りの方がまだ穏当でしょう。
*6: 考えてみれば、双子に対するピーター・パンの反応から、双子の二人がそれぞれ返事をするのは禁物だと十分にわかっていたはず。しかし、二組の双子が揃ったのが初めてだったために、対処を誤った――ということではないでしょうか。
*7: ピーター・パンが双子を理解できないことを利用した、特殊な人物の隠匿トリック(→「叙述トリック分類#[A-3-3] 第三者の隠匿」を参照)ととらえるのがよさそうです。
*8: “井森はビルが見聞きしたことをおおよそ伝えた。そして、酢来や一郎や百合子たちが記憶のあやふやな点、抜け落ちている点を補足した。”(214頁)とありますが……。
 ちなみに、友子は〈ネヴァーランド〉のことを知らないふりをしているので、井森に経緯を尋ねているとはいえ、この時点では“本当に知らない”と断定はできません。

[アーヴァタールのトリック]

 本体―アーヴァタールの関係は大半が名前の類似で示唆されています*9が、“ウェンディ”→フレンディ? 友達{フレンド}のこと?”(98頁)→“友子”、そして“ダーリング”→“樽井”でウェンディ・ダーリングにつながる樽井友子と、露骨にフック船長を表している(としか思えない)富久鉤夫が、いずれも別人のアーヴァタールだったというのは、あまりにもひどいというか何というか(苦笑)

 とはいえ、手がかりはしっかり用意されている……というだけでなく、[作中の謎解き]そのものがアーヴァタールの正体を見抜く手がかりになっているという、意外な手がかりの配置が秀逸。〈ネヴァーランド〉ではウェンディが、そして〈現実世界〉の方では友子が謎解きを始めるところまでは、“ウェンディ=友子”と思わせるミスディレクションになっていますが、謎解きの手順の違いで別人だと判明するのが非常に面白いところです。

 いみじくも作中で友子が“ここで喋ったら、その瞬間に全員に知れ渡ってしまうから、本当は知らなかったと証明することはできない”(217頁)と口にしている*10ように、〈ネヴァーランド〉の謎解きの内容が〈現実世界〉に伝わった後では、“友子が人魚の証言を知らない”という手がかりが“消滅”してしまうわけですから、二つの世界での謎解きは並行して行われる必要があり、なおかつ井森だけがビルを介して〈ネヴァーランド〉での謎解きを知り得たことで、“ウェンディが人魚の証言を謎解きに使った”という手がかりを利用できるようになっているところがよく考えられています。

 友子がウェンディでないことがわかれば、ウェンディのアーヴァタールに該当し得る主要登場人物は、富久ただ一人ということになります*11が、その前に、富久のチームの名前フレンディーズ(221頁)が明かされたところで、上に引用した友子の聞き違いを思い起こすことができれば*12、そこで富久がウェンディのアーヴァタールだと気づくことも可能ではないでしょうか。

 友子とマブ女王はまだしも、富久とウェンディではいくら何でも人物像が違いすぎるので、心情的に受け入れがたい部分がないでもないですが、インパクトのある真相であることは間違いありません。

*9: 〈ネヴァーランド〉での人名とまったく関係なさそうなのは、門野陽香(ジョージ)と門野陽菜(ジャック)くらいでしょうか。
*10: 当然ながら、このあたりの伏線とする意図もあったのだと考えられます。
*11: 他に雪崩で生き残ったメンバー(211頁)のうち、鳥取衆人はトートルズ、牟尼周作はニブス、雁谷跡はカーリイ、そして須田貴意はもちろんスターキイでしょう。
*12: もちろん、巻末の『ピーター・パンとウェンディ』の紹介にある“ウェンディ”という名前の由来を知っていれば、より確実です。

[真の動機]

 “ティンカー・ベル殺し”は単なる口封じであって、“ウェンディのことを言いふらされたくない”(61頁)と犯人がいう“ウェンディのこと”が、本命の“ウェンディ殺し”の計画だったというのがまた強烈。それが明かされてみると、ティンカー・ベルの“わたしも同じ考えだから”(58頁)という言葉が、“ピーター”へのお追従*13ではなく真意だったことにもうならされます。前述のように、“動機の不在”によって犯人がピーター・パンだと思わされる部分があるのですが、逆に犯人がピーター・パンだと思わされることで真の動機が隠されている部分もあり、相互に補強し合う仕掛けといっていいかもしれません。

 〈ネヴァーランド〉のウェンディ自身には、(ティンカー・ベルやタイガー・リリイを除けば)命を狙われそうな理由が見当たらない一方、富久鉤夫が問題のある人物*14であることは次第に明らかになっていきますし、二つの世界の設定がわかっていれば、〈現実世界〉のアーヴァタールを殺すために〈ネヴァーランド〉の側で殺人を企てるという構図に思い至るのも難しくない*15はずですが、隠されたアーヴァタールの正体が明らかになるまでは、“ピーター”がウェンディを真の標的としていることに気づくのは困難でしょう。

 つまるところ、“二連一郎が富久に恨みを持っている”ことまで明らかになっても、一郎と犯人“ピーター”の関係[叙述トリック]を介して隠される一方、富久とウェンディの関係[アーヴァタールのトリック]で隠されているため、犯人“ピーター”とウェンディを結びつけて真の動機を見抜くところまでは、なかなかたどり着けないのではないでしょうか。

*13: ウェンディに関して、ティンカー・ベルがピーター・パンと“同じ考え”であるはずはありません。
*14: “フレンディ”(278頁)と呼ばれていた原作者バリーの少年愛の噂”(272頁)を下敷きにした造形は、作者の底意地の悪さをうかがわせます(←敬意を込めて)。
*15: もちろん、(以下伏せ字)『アリス殺し』で前例がある(ここまで)こともありますし。

*

 富久鉤夫が壮絶な死のループに取り込まれてしまったことで、ウェンディも終わりのない悪夢*16にとらわれることになったわけですが、ピーター・パンと傷を嘗め合って(249頁)というマブ女王の言葉は、日田半太郎の自殺未遂を知るとともに富久の顛末を察した、樽井友子の記憶を受けたものと考えていいでしょうか。時系列がややおかしいような気がしないでもない*17ですが、その後のウェンディとピーター・パンのやり取りなども含めて、暗雲を予感させる印象深い結末だと思います。

 一方の〈現実世界〉では、最後の「28」での井森と亜理の会話そのものは『アリス殺し』「8」冒頭と同じ――割り込んできた“中年の男性”は谷丸警部――ですが、そちらにはない井森の独白が追加されているのが大きな違いです。『アリス殺し』の時点でどうだったのかはわかりませんが、ここでの井森は(なぜか)世界のループに気づいており、ループから抜け出すことを決意しているので、続編ではシリーズが大きな転機を迎えることになっていたのかもしれません。

*16: “ずっと悪夢を見ているの”(265頁)という言葉からすると、それまでの富久の記憶もウェンディにとって悪夢だったようですが。
*17: 「25」でウェンディがピーター・ダーリングの死刑を止めたことを、「26」で富久がすでに知っている(251頁)ので、富久が雪の中で眠って目覚めるよりも前に、友子が眠ったことになります。普通に考えれば、雪穴の中で救助を待つ間に眠るのは危険なので、死ぬために外に出た富久が眠ってしまう方が先ではないかと思われますが、井森と同じように居眠りをしてしまったということかもしれません。

2020.08.10読了