殉教カテリナ車輪/飛鳥部勝則
東条寺桂の手記の中に記されている二重密室殺人事件は、井村正吾が冒頭で挙げた“二つの密室殺人が同時に起こる。しかも犯人は一人である。むろん凶器も一つである”
(31頁)という条件にほぼ合致しています。“凶器が一つ”である以上、完全に“同時”ではあり得ないのはもちろんですが、“おそらく二分、長くても三分”
(241頁)というごく短い間隔で二つの事件が起きていますし、佐野美香の首に刺さっていたナイフから検出された豪徳二の血液が、“凶器が一つ”、ひいては“犯人は一人”の裏付けとなっているのがうまいところです。
最大の難関となるのはもちろん“同時に起こる”という部分で、単純な密室からの脱出だけではなく、犯人及び凶器が二つの密室の間をごく短時間で移動しなければならない(ように見える)という、強力な不可能状況を生じています。作中の事件ではさらに、二つの密室の位置関係(隣り合うのではなく一階と二階にある)及び二つの事件の順序(一階の豪徳二が殺された後に二階の佐野美香が殺された)に工夫が凝らされ、犯人及び凶器の移動に“下から上へ”という条件が追加されている(ように見える)(*1)ことで、より困難な状況となっている印象を与えています。
そのような不可能状況に対して、手記の「第六章」で河野勝明が披露している推理はなかなか面白いものになっています。“犯人は一人”という条件はそのままながら、“同時に起こる”及び“凶器が一つ”という条件をいずれも偽装工作だとする――さらに事件の順序を入れ替える――ことにより、不可能状況の“ハードルを下げて”いるのがポイントで、少なくとも移動に関しては“犯人のみが二階から一階へゆっくり移動すればいい”ということになります。悲鳴を録音したカセットテープによるトリックは陳腐ですし、犯人が台所のナイフとよく似た形のナイフを用意していたというのは都合がよすぎる感がありますが、スポイトを使って絵の具を垂らしていく良経介独特の技法が凶器を偽装するトリックにうまく取り込まれているところが秀逸です。
それに対して東条寺桂が示す“解決”は、“二つの密室殺人が同時に起こる。しかも犯人は一人である。むろん凶器も一つである”
という条件を見事に満たしています。ポイントは、拙文「私的「密室講義」」でいうところの「人の出入りがある」密室と「凶器の出入りがある」密室とが組み合わされている点で、二つの密室の間を“下から上へ”移動するのが凶器のみで犯人の移動が必要ないために難易度が下がっているのです。作中でも指摘されている(317頁~318頁)ように、“下から上へ”ナイフを投げ上げるというのは計画殺人としては納得しがたい真相ですが、佐野美香殺害がアクシデントであることは「プロローグ」の“私は豪徳二を殺した。”
と“私は佐野美香を殺してしまった”
(いずれも11頁)という表現の違いに示唆されており、十分に説得力があるといえるのではないでしょうか。
「プロローグ」に置かれた“私は豪徳二を殺した。/理由はない。”
(11頁)という告白と、“手記”の冒頭の“私は豪徳二を殺す。/理由はない。”
(171頁)という決意表明との対応は、東条寺桂が犯人であることを露骨に示唆しているようにも思えます。また、手記の中の“らしからぬ”鮮やかな謎解きにはかなりの違和感がありますし、“豪を刺した時、豪は大声で悲鳴をあげた。(中略)文字通り、考えもなく、だ。”
(304頁)あたりの描写(*2)が“自身の心理”としても通用するものになっているなど、多少気をつけて読めばおかしなところも見えてくるかと思います。さらにいえば、そもそも東条寺桂の遺した絵の解釈がミステリ部分と結びついているということ自体、東条寺桂への疑惑を高めるものともいえるでしょう。
しかしながら、手記の中で事件発生時の様子が描かれた「第三章」を信用する限り、視点人物が犯人である可能性はまったくないということが、真相を見抜くにあたっての最も強力な障害(*3)として機能しており、その章だけが東条寺桂が書いたものではない――視点人物が東条寺桂ではないという思いもよらない叙述トリックに気づかない限り、真犯人に到達することは不可能です。
その叙述トリックを解き明かす手がかりが、作中で指摘されている(319頁~321頁)ように手記の中に巧みに配置されているのもさることながら、冒頭の矢部直樹と井村正吾の何気ない会話の中の(推理小説を)“書いたといっても一章分だけだ。それも途中の章だ。”
(26頁)という凄まじい伏線には、さすがに脱帽せざるを得ないところです。
図像解釈学に関しては、『殉教』の“二階の窓へ駆け上がっていく人物”
(106頁)が、“凶器だけが《壁を駆け上がって》いった”
(303頁)という真相を象徴していたというところもよくできていますが、やはり東条寺桂の描いた『車輪』の真相――“義父殺し”を示す『イクシーオーンの車輪』だった(*4)というのがお見事。『殉教カテリナ車輪』という題名そのものがミスディレクションとなっているわけで、非常に面白い仕掛けだと思います。
“二階の窓へ駆け上がっていく人物”(106頁)が、“下から上へ移動する犯人”のイメージを補強しているのはいうまでもないでしょう。
*2: ただし、直前の
“おそらく、次のような心理が働いていたのだろう。”(304頁)という一文がくせもので、真相を知った後では“自身でも意識していなかった心理を回想してみた”と解釈できますが、やはり単純に“犯人の心理を推測する”という印象が強く、巧妙なミスディレクションとなっています。
*3: 東条寺桂に佐野美香を殺害する動機がないということも障害になり得ますが、前述のように佐野美香殺害がアクシデントであることが「プロローグ」で示唆されているので、さほど強力なものとはいえないでしょう。
*4: その真相――少なくとも『カテリナ車輪』ではないことは、冒頭の
“車輪には全裸の男が縛られていた”(17頁)絵を見た矢部が
“謎が、解けた”(18頁)と口にしたことによって、示唆されているといえるのではないでしょうか。
2009.01.02再読了