小鬼の市/H.マクロイ
The Goblin Market/H.McCloy
まず、ハロランがカレンダーに残していたメモ――“Max NPH パイ 四角形”の意味については、“Max”が“maximum”なのはともかくとして、読者が見当をつけるのはかなり難しいでしょう。作中にもあるように、“MPH”(miles per hour)を見慣れていたり、あるいは“九・八六九六という数字が円周率の二乗{スクエア}だということは小学生でも知っている。”
(308頁)(*1)という米国人であれば、まだしも可能性があるのかもしれませんが。
しかしそこから先、肝心の“アラゴーナ号の最高時速は九・八六ノット”
(309頁)という情報の重要性――“なぜ重要なのか”が大きな謎として浮かび上がってくるのが秀逸。そして、序盤から時おり言及される――例えば「第六章」冒頭など――アラゴーナ号の“奇妙な挙動”がミッチによって簡潔にまとめられ、それに対してエメットが決定的な失言を口にする、という流れがよくできています。
タンカーの最高速度が速くないことが鍵になっているのが逆説的で面白いと思いますし、そこから解き明かされる陰謀は確かに重大で、ドイツ潜水艦によるタンカー襲撃まで組み込まれていることで、なかなか強烈なインパクトを残すものになっています。
その分、殺人犯探しの影がやや薄くなっている感もありますが、解決場面でスタークが挙げている(332頁など)ように、思いのほか数多くの手がかりが用意されているのが実に周到です。
本書の最終章では、主人公をつとめていた“フィリップ・スターク”の正体が、シリーズ探偵のベイジル・ウィリング博士だったという趣向が明かされています。大胆にも、巻頭の登場人物一覧にはしっかりと“ベイジル・ウィリング”の名前があるわけですが、「第八章」でミッチがハロランのメモの解読をウィリング博士に依頼しようとするエピソードが巧妙で、登場人物一覧に名前があることを不自然に思わせないとともに、その事件への関わり方について読者をミスリードする仕掛けになっているといえるでしょう。
もっとも、“二大名探偵そろい踏み”
(帯より)などと紹介されてしまうと、勘のいい読者は早い段階で趣向に気づいてしまうおそれがある(*2)のですが、本書の大きなセールスポイントの一つとあってはやむを得ないところなのかもしれません。
*2: 実をいうと私の場合、紹介文をろくに見ないで書店のカバーをかけたまま読んでいたため、読み進めるうちにウィリング博士のことをすっかり忘れてしまい(苦笑)、うまいこと最終章で驚かされることになったのが幸いでした。
2013.02.05読了