ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 作家別索引 > 
  3. 短編ミステリ&SF感想 > 
  4. 暗黒の海を漂う黄金の林檎

暗黒の海を漂う黄金の林檎/七河迦南

2007年刊 二階堂黎人・編『新・本格推理07』(光文社文庫 に18-4)収録

 もちろん作者も織り込み済みだとは思いますが、三姉妹が殺害された後は“乗員6 うち船内死亡者3”と人数が限定された状況であるため、犯人の見当をつけやすくなっているのは確かです。真相が明かされる直前には、ゲイツによる“早業殺人”の可能性が示されているものの、さすがにかなり無理があるのは否めませんし、そもそも“地の利”がないゲイツの犯行とは考えにくいものがあります。というわけで、ノイ博士が犯人であることは予想しやすいのではないでしょうか。

 もっとも、船内には乗員がもう一人いるわけですが……作中に登場する“アイリス”は犯人らしくない――どころか人間らしくない印象を与えるところがありますし、題名の元ネタ(ギリシャ神話)や舞台が類似する某海外長編*1を連想させることもあって、“アイリス”が人間ではない可能性も当初から念頭にありました。しかし、“ノイ博士、アン、ブレンダ、クレア、アイリス、そしてゲイツ。本日0:00の時点ではその六人の名前のみが乗員として登録されていた。”(67頁)と明示され、“隠されたもう一人の乗員が犯人”という可能性がはっきり否定されている*2ことで、作者の罠にしっかり引っかかってしまいました。

 “君の名がアイリス……。君は知っているのかい? 博士の――”(36頁)というゲイツの台詞やその後の説明などで、ノイ博士の亡くなった妻の名前がアイリスであることは明らかといえますが、生きた人間ではなく死者の存在を隠すメリットが見えにくいために、前述のように疑念を抱きながらも騙されてしまうのが巧妙。そして、乗員を誤認させるトリックにより隠されていたアイリスの死体が、(フーダニットではなく)ハウダニット――編者・二階堂黎人が「選評」でいうところの玉突き的な死体の扱い方(663頁)をしたトリックの根幹をなしているところが秀逸です。

*

 しかしその犯行の手順が、かなり煩雑になっているのは否めないところ。作中でノイ博士がみせる“角砂糖のマジック”にたとえていえば、“角砂糖自体の移動”だけでなくそれを媒介し得る“手の動き”まで極力隠さなければならない――亜空間跳躍という現象を演出するために――わけですから、致し方ないところではあるのですが……。また、“全員が共犯”ではなく最低限必要な一人に絞ってある上に、殺害の実行はすべてノイ博士自身が担当していることも、手順が複雑になっている一因といえるかもしれません。

 まず、実験開始直前の様子は以下のとおり。殺害のためにノイ博士とアンが入れ替わっているのもさることながら、亜空間跳躍の演出のためにブランチIIをすでに無人にしてあるのがうまいところですし、ブレンダ自身がブランチIに乗りたがっていた(44頁)こと*3で、秘密裡の移動に説得力が出ているのも見逃せないところでしょう。

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室カプセル
偽装アンブレンダクレアノイ博士 
真相ノイ博士
ブレンダ
 クレアアン 

 そして、ブランチIでノイ博士がブレンダを殺害すると同時に、ベースステーションに残っていたアンが、隠してあったアイリスの死体をアンが受容装置のカプセルに移動させてブレンダの死体だと見せかける、メインのトリックを実行します。死体のすり替えによってアリバイを成立させるトリックはいくつかの前例がありますが、このトリックはアリバイを目的とするものではなく*4、切り離されたブランチIIにいたはずのブレンダの死体がベースステーションで発見されるという不可能状況を作り出すためだけに使われているのがユニークです*5

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室カプセル
偽装アン クレアノイ博士ブレンダの死体
真相ノイ博士
ブレンダの死体
 クレアアンアイリスの死体

 次なる難題は、本物のブレンダの死体をいかにして(ゲイツに気づかれることなく)ブランチIからベースステーションへ移動させるか。ブランチIにいることになっているアンに偽装するのは、当然といえば当然かもしれませんが、宇宙服を着せてブランチIからベースステーションの方へ押し出す――後は死体が勝手に移動していくという、宇宙空間ならではのトリックが使われているのが非常に秀逸。また、ブランチ同士を先に合体させることでノイ博士のブランチIIIへの移動を可能にしてあるのも、さりげなくうまいところです。

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室カプセル医療処置室
偽装アン
(ベースへ移動)
 クレアノイ博士 ブレンダの死体
真相ブレンダの死体
(ベースへ移動)
 クレア
ノイ博士
アン アイリスの死体

 かくして、ベースステーションに二つの死体が揃い、ブランチがベースステーションに合体する前に“クレアの死体”がカプセル内で発見されることになり、不可能状況がより一層補強されています。

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室談話室カプセル医療処置室
偽装   ノイ博士アンクレアの死体ブレンダの死体
真相  クレアの死体
ノイ博士
 アンアイリスの死体ブレンダの死体

 次は、ブレンダの場合と同様に、本物のクレアの死体に始末をつける必要が出てくるわけですが、すでにブランチとベースステーションが合体していますし、そもそもブランチは無人ということになっているので、同じ手は使えません。そこで、切断したクレアの首だけを移動させるトリックが使われていますが、宇宙服のヘルメットが巧みに利用されているのがこの舞台ならではです。

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室談話室カプセル医療処置室
偽装   ノイ博士
(ブランチへ移動)
アンクレアの死体ブレンダの死体
真相  クレアの胴
ノイ博士
(ベースへ移動)
 アンアイリスの胴
クレアの首
ブレンダの死体

 最後は、ブランチIIIに残したままのクレアの胴の存在を隠蔽するために、殺害したアンの首をブランチIIIに持ち込んで、胴もアンのものだと見せかけるトリック。ブランチIIIへはゲイツと同行することで、犯人のアリバイも成立することになっているのが効果的です。

 ブランチIブランチIIブランチIII操縦室談話室カプセル医療処置室
偽装  アンの死体 ノイ博士クレアの死体ブレンダの死体
真相  クレアの胴
アンの首
 ノイ博士アイリスの胴
クレアの首
ブレンダの死体

*

 事件が起きた結果として生じた状況――「事件の検討I」で結論づけられたように、亜空間跳躍が実現可能と考えなければ説明がつかない(ように見える)事態となっていることを考えれば、犯行の動機は明らか*6だと思いますが、追い詰められる原因を作ったゲイツへの復讐という構図が印象的。最後の、ノイ博士自身が一度だけ亜空間跳躍に成功していたという真相は、何となく既視感があるような気がします……が、ちょっと思い出せません。

* * *

*1: (一応伏せ字)ロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』(ここまで)。こちらの作品では、語り手が人間でないことはすぐに明かされますが、冒頭では叙述トリック的な描写がされています。前述の類似点も踏まえると、この作品の着想の一つがそこから得られたことを匂わせてあるようにも思われるのですが、考えすぎかもしれません。
*2: 気をつけて文章を読んでみても、その場に登場している人物の存在を隠すトリック(→拙文「叙述トリック分類#[A-3]人物の隠匿」)が使われている様子がない、ということもありますが……。
*3: このエピソードを、“不和の林檎”になぞらえた姉妹間のライバル意識の表れとして印象づけてあるのも巧妙です。
*4: 犯人のアリバイは、操縦室を離れなかったという偽装によって成立しており、死体のすり替えとは関係ありません。
*5: 死体のすり替えを密室状況の演出のために使った前例としては、新本格作家の長編((作家名)二階堂黎人(ここまで)(作品名)『人狼城の恐怖』(ここまで))がありますが、そちらではそのトリックによって犯人のアリバイも成立することになっています。
*6: これが、犯人を予想しやすい理由の一つにもなっていると思います。

2014.09.13追加