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刀と傘/伊吹亜門

2018年発表 ミステリ・フロンティア(東京創元社)
「佐賀から来た男」

 手がかりとなる五丁森の書簡については、壁に“血飛沫”が残る凄惨な現場にあって、書簡そのものには“一滴の血の汚れも見当たらない”――それでいて“滴の落ちた跡”(いずれも32頁)が残っている、ということで、書簡が一度持ち出された間に五丁森が殺され、その後現場に戻されたという不可解な状態が、実にさりげなく示されているところがまずよくできています。そして書簡に英文が書かれていたというサプライズが、書簡が一度持ち出されたことに納得できる理由を与えるとともに、犯人を特定する決め手となっているのがお見事です。

 ここで、五丁森が薬で眠らされたためにたやすく殺されたとする鹿野の推理に対して、五丁森の脇差が血脂で汚れていた――にもかかわらず傷を負った人物がいない――ことから、五丁森が切腹したとする江藤の推理は実に鮮やか。そしてそれにとどまらず、一見すると関係なさそうな落雷による火災と爆発を拾い上げて、“戦が始まった”と勘違いしたために切腹したという予想外の理由を導き出した上に、死体が滅多斬りにされていた理由として、某有名な古典ミステリ*1を先取りしたかのように、“傷を隠すなら傷のなか”(53頁)という言葉を持ち出してくるに至っては、脱帽せざるを得ません。

 最後に鹿野が、“介錯をしようとした”という真相に思い至ったことで、三柳の苦悩と悲哀までが浮かび上がってくるのが印象的……ではありますが、最初は介錯のつもりだったとしても、滅多斬りにまでなってしまったのはやはり、最終的には切腹を隠そうとしたということになるのではないでしょうか*2

*1: いうまでもないでしょうが、(作家名)G.K.チェスタトン(ここまで)(作品名)「折れた剣」(『ブラウン神父の童心』収録)(ここまで)
*2: 介錯とすれば首ですが、うまく首を刎ねることができなかったとしても、“幾つもの創痍を首筋に受け”たところで絶命したでしょうから、“右胸には(中略)深い刺し傷”は微妙ですし、ましてや“腕や脚にも刀傷”というのは完全に介錯の域を超えています(以上、いずれも26頁)

「弾正台切腹事件」

 引戸を閉じた後で支え棒を室外から操作するのはまず無理なので、板戸の方に直接細工をして開かなくするトリックであることはおよそ見当がつきますが、板戸を釘で固定するのは豪快というか何というか。それでも、“修繕のためか鴨居や敷居には内外から幾つかの釘が打ち込まれている”(90頁)という記述*3で、トリックの痕跡を隠蔽しつつ手がかりを示してあるのは巧妙です。

 しかし、100頁の図はトリックを成立させるために相当デフォルメされている節があるのですが、敷居の溝は実際にはかなり浅い(数ミリ程度では?)のが普通*4で、いくら“細く長い釘”(100頁)であっても、きれいに図のように釘を打つのは非常に厳しいでしょう*5。ついでにいえば、“強く引けば上部に框枠との隙間ができる”(82頁)というのは、板戸が引っかかった箇所を軸に若干回転して反対側が浮き上がる(鴨居の溝には余裕があるため)からで、板戸を釘で固定した場合にはそうならないはずです。

 このように、トリックには色々と無理があるものの、最後に鹿野が気づいたように“刑罰”のための密室――相手を外に出さないための密室であれば、犯人が何としても外から戸を封じる必要があるのは理解できるところですが……。

*3: もっとも、修繕のために鴨居や敷居の側面に釘を打つ必要があるかといえば、やや疑問ではありますが……。
*4: 敷居の溝は板戸が簡単に外れない程度であればよく、溝を深くすることにメリットが見当たらない一方で、溝を深くすればその分だけ板戸も大きく(高く)せざるを得ず、框枠にはめ込むのが難しくなるという大きなデメリットがあります。
*5: 床面すぐ近くで作業をしなければならない難しさもあります。また、釘の位置が板戸と敷居の縁ぎりぎりになるので、戸を破る際に釘が折れずに残ってしまう(木材の方が先に壊れる)可能性が大ではないでしょうか。

「監獄舎の殺人」

 執行直前の死刑囚――に限らずしばらく待てば死ぬ人物――をわざわざ殺すのは、相手が死ぬというだけでは不十分で、さらなる条件が必要であるということになります。そしてこの作品の状況からすると、それは死に方の問題と考えていいでしょう*6。つまり、毒殺でなければならないか、斬首では都合が悪いか、のどちらかとなります。

 そして、刑の執行がそのまま親の仇討ちとなる円理には、かなりのプレッシャーがかかっていることがうかがえるので、“斬首に自信がなかった”という動機はある程度わかりやすくなっている感があります*7。もちろん、これはこれで十分納得できるよく考えられた動機であるとはいえ、正直なところここまでであれば、前例を超えたとまではいえないように思われるのですが、ここから事件の様相が一変するのがこの作品の真骨頂。

 使用した毒が“ほんの二さじ”(155頁)にすぎず、死刑の延期が目的で殺意はなかった*8という円理の告白で、同じく(殺意こそないものの)死刑を延期させる動機を持つ“もう一人の犯人”が浮かび上がってくるのが非常に秀逸。と同時に、推理に尽力していた前の二篇とは打って変わって、槇村の犯行と安直に決めつけている江藤の“豹変”が、すんなりと腑に落ちてしまうところもよくできています。

 史実を踏まえれば、ここで江藤を告発することはできないわけですから、円理の言葉以外に証拠がなく疑念止まりとなっているのは絶妙*9。しかしそれゆえに、真相に気づきながらどうすることもできない鹿野の苦悩は計り知れません。

*6: 他の条件としては、“誰が”・“いつ”・“どこで”なども考えられなくはありませんが、“誰が”については斬首を担当する円理以外に強い動機がありそうな人物は見当たらず、“いつ”と“どこで”についてはどちらも斬首の場合と大きな差はないので、除外できると考えられます。
*7: これについては、「佐賀から来た男」で三柳が介錯に苦労したとされていることが、期せずして伏線になっている部分もあるようにも思われます。
*8: “生かす目的で毒を盛る”(158頁)という逆説も強烈です。
*9: お気づきかと思いますが、円理に関しても(自白以外に)証拠は何もありません。つまりこの作品は、一見すると動機が皆無とも思える極限状況――いわば動機面での“不可能状況”であるがゆえに、その中で唯一動機を想定できた人物を犯人と見なすことができる――犯人特定のための証拠/手がかりなしで――形になっているのですが、それを巧みに再利用してある、といえるかもしれません。

「桜」

 犯行時の“兄さん、貴方が悪いのよ”(169頁)という由羅の台詞で、五百木辺殺しではなく四ノ切殺しの方が“主”であることが匂わされていますが、由羅が四ノ切を“兄さん”と呼ぶほどの仲にもかかわらず、“なぜ四ノ切を殺したのか”が大きな謎となります*10。そして、由羅の回想を少しずつ重ねていった末についに明らかになる、“かつての憧憬を護るため”という動機――それが浮き彫りにする、もはやそれしかすがるものがなくなった由羅の境遇が胸を打ちます。

 最初に出会った時の様子で真相を見抜いた江藤はさすがですが、“四ノ切はなぜ懐紙を使わなかったのか”という問いを経て持ち出される、床の間の太刀の鞘に貼りついた桜の花弁*11という決め手が、これ以上ないほど鮮やか。犯行場面をはじめとして再三にわたり印象的に描かれ、作品の題名にもなっている“桜”が、実に効果的に使われているのがお見事。最後には、江藤が仕掛けた“逆トリック”だったことが判明しますが、“白色の紙切れのような物”(203頁)“真っ赤な汚れ”(204頁)といった、一見するとごく普通に思える描写が手がかりになっているのも秀逸です。

 しかして、鏡台の引き出しから短銃が出てきたことで、事態が一変するのがすごいところ。証拠品の短銃を手に入れることが可能で、なおかつ由羅を鏡台へ誘導した江藤の仕業であることは明らかですが、犯人に自殺されるという不始末の責任を鹿野に負わせ、鹿野を司法省に戻すという、とんでもない狙いには仰天です。鹿野ならずともさすがに“やりすぎ”の感は否めず、(「監獄舎の殺人」の真相と合わせて)決別もやむを得ないところでしょう。

*10: 読者と違って背景を知らない江藤の視点では、四ノ切は“犯人に見せかけるために殺された”と考えるのもやむを得ないかもしれませんが。
*11: 太刀が“白鞘”(164頁)で、由羅が気づかなくてもおかしくない状況となっているところも周到です。

「そして、佐賀の乱」

 まず、この一篇だけ冒頭の「鹿野師光報告書」がないのが目を引くところで、これは鹿野による報告書が書かれなかったこと――鹿野が報告書を書くことができなかったという結末を暗示している、といえます。そしてもちろん、江藤が西棟に入って以降のアリバイで一応は守られている*12とはいえ、“太刀を持っていたこと”が犯人の条件とされた時点で、鹿野の仕込み傘を知っている読者にとって犯人は明らかでしょう。

 「桜」の結末で鹿野が江藤に“敵”と宣言したことに、大曾根が江藤に語った“罪には罰”という鹿野の信条も加わって、鹿野には江藤を陥れる二重の動機がある……ように見せかけるミスディレクションが仕掛けられてはいるものの、これまでに描かれてきた鹿野の人物像にはそぐわない*13ので、“江藤をとどめるため”という動機は十分に予想できるところでしょう。そしてその動機にも、また折れた刀の欠片が目立つように残されていたことの意味にも気づくことなく、江藤自身が得々と真相を解き明かしてしまった*14大いなる皮肉にうならされます。

 最後には、佐賀の乱の顛末だけがさらりと記されていますが、鹿野の死をもってしても江藤が佐賀に戻るのを止めることはできず、江藤の弁舌をもってしても佐賀の乱を止めることはできなかった――というよりも、鹿野の死ゆえに江藤は破滅へ突き進まざるを得なかったようにも思われます。

*12: 鹿野に犯行が可能だった理由――江藤を追ってきたはずの被害者・吹上が江藤より先に西棟に入った理由は、なかなかよくできていると思います。
*13: 加えて、鹿野が江藤を陥れるつもりであれば、自ら手を汚すまでもなく吹上と手を組めばいい、ということもあります。
*14: 「監獄舎の殺人」と同じく京都監獄舎を舞台に、“犯人”と“探偵”が入れ替わっているという点で、“裏返し「監獄舎の殺人」”といえるかもしれません。

2019.01.10読了