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木製の王子/麻耶雄嵩

2000年発表 講談社ノベルス(講談社)

 まず、白樫晃佳殺害の際の“アリバイパズル”に関しては、殺人現場が音楽室ではなかった――まず犯人ではなく被害者が移動した*1という真相が用意されていますが、純粋にパズルととらえた場合には当然検討してしかるべき可能性であるように思われ、さほど驚きはありません。ただし、(私のように)自力でのアリバイ崩しを放棄した読者はそうであっても、“ピブルの会”のメンバーのように真剣にアリバイ崩しに挑み、家族の忙しない動きを逐一頭に入れれば入れるほど、被害者が移動したという可能性は見えにくくなってしまうようにも思われます。

 純粋なパズルとしてはさておき、木更津悠也が“解を出せないことはないが、得られるのは虚数解なんだ”(202頁)と述懐しているように、現実的には無理のあるアリバイ工作であるのは確かです。そして、那智禎佳が“私は自分の子供を殺しました。”(253頁)という遺書を残して自殺したことで、一旦は白樫宗尚が犯人ということで確定したはずの結論――ひいては“アリバイパズル”の解答――が揺らぐことになるのが巧妙なところです。

 結局のところ、本書で最も重要なのは“どうやってアリバイを成立させたのか?”でも“誰が犯人なのか?”でもなく、“無理のあるアリバイトリックがなぜ成立し得たのか?”という謎*2であり、しかもそれが白樫家に隠された謎を解き明かす端緒となっているのが秀逸です。つまり、実体は“特殊ルール”に支配された閉鎖空間内の本格ミステリ――いわゆる“特殊ルール本格”でありながら、その特殊ルールそのものを謎としてあるわけで、非常に面白い試みといえるでしょう。

 木更津悠也がその特殊ルール、すなわち“聖家族”という設定に思い至るきっかけとなったのは香月実朝の“まるでTVドラマの家族のようだ”という一言だとされています(309頁)が、それが“ということは、今回の事件そのものも図式的なのか。なんかTVドラマに出てくる家族のようだな”(202頁)と、やや唐突な文脈で発せられているのは気になるところですし、白樫家の家系図を見て“一瞥して家系図には見えない。対消滅を繰り返していき最後に何もなくなってしまう。まるで人類最後の一族といった感じだ。(78頁)と意味ありげな独白をしているところをみると、相変わらず*3どこまで見通しているのか底知れないものを感じさせます。

 本当の母親を求めて白樫家に接近した安城則定の存在が、“聖家族”の崩壊――ジェノサイドの引き金になったという真相の皮肉は実に強烈。一方、未解決に終わった事件の雪辱を期した木更津悠也もまた、事件の真相の大半を見抜きながらも“敗軍の将何も語らず謎は謎として残る”(341頁)結末において“敗北”を喫したといえるでしょう*4。もちろん、事件の中ではさほど重要でない“アリバイパズル”に必死に挑んだ末に解くことができなかった如月烏有はいうまでもなく、主要登場人物のすべてに苦い思いを抱かせるに至った顛末が何ともいえません。

 なお、作中で説明されなかった“真相”については、「麻耶雄嵩『木製の王子』徹底解剖」(らじさん)と「買ったら積みます » [読了] 麻耶雄嵩『木製の王子』講談社文庫」(積読野郎さん)*5で詳しく説明されていますが、こちらでも少しだけ。

 まず、各章の冒頭に挿入されたエピソードをもとにした、“聖家族”の本名と聖家族名の対応については以下の通り。

記載箇所本名聖家族名根拠
第1章(11頁〜12頁)星野牧枝白樫伸子第24章(300頁〜301頁)との描写の一致から。
第3章(35頁〜36頁)福原幸夫那智規伸千恵子(晃子)とともに殺害されることから(一人で宗尚を待つ(第26章;316頁)規晃ではない)。
第3章(35頁〜36頁)川尻千恵子那智晃子幸夫(規伸)とともに殺害されることから。
第5章(64頁〜65頁)
第9章(98頁)
遠山俊紀白樫宗伸朋美との関係から。また“白樫宗伸”はその年齢からみて、中学生の息子がいた伊藤景司(第16章;221頁〜222頁)ではあり得ない。
第7章(82頁〜83頁)
第20章(270頁)
第28章(333頁〜334頁)
矢野佳伸白樫宗尚第27章(327頁)“宗尚の本名は(中略)“佳伸”あるいは“伸佳”である可能性が高い。”という木更津の指摘から。
第9章(98頁)
第14章(195頁〜196頁)
藪朋美白樫晃佳第14章(196頁)の独白中の“新しい父”は“聖家族”に加わる以前の父親*6であり、その表現から“聖家族”内に“さらに新しい父”はいないと考えられるので、該当する女性は晃佳のみ(宗晃は“父”ではない)。
第12章(144頁〜145頁)中込久之白樫宗禎“妹”の時子(妻の尚佳)とともに“母”(禎佳)に殺されていることから。
第12章(144頁〜145頁)
第17章(236頁〜237頁)
湯舟時子白樫尚佳“兄”の久之(夫の宗禎)とともに“母”(禎佳)に殺されていることから。
第16章(221頁〜222頁)伊藤景司那智規晃消去法による。
第18章(251頁〜253頁)葛西京子那智禎佳消去法による。

 “白樫宗尚”こと矢野佳伸が一連の殺人の犯人であることは確かですが、秩序を破壊することを決意し(第5章;64頁〜65頁)、(安城則定の出現という)好機を得てそれを実行に移そうとしていた(第9章;98頁)遠山俊紀(白樫宗伸)が、矢野佳伸に“ガラス細工に入った罅”(第20章;270頁)の存在を告げて“聖家族”の崩壊を引き起こした黒幕だと考えられます。そしてその顛末を記してあるのが、第19章冒頭(261頁)の独白だということでしょう。

――『木製の王子』の各章の初めに短いエピソードが挿入されていて、そこの出てくる人物の名前を挙げてみますと、星野、福原、川尻、遠山、矢野、中込、藪、伊藤、湯舟……ですが、これはやはり阪神の選手から取ったものなんですか?

麻耶 そうです。阪神ファンなものですから。一応、阪神ファンには犯人が分かるという設定になってます(笑)。

 上のインタビューにもあるように、“聖家族”の構成員の本名(名字)が本書出版当時の阪神タイガースの選手から取られていることは、野球ファンならおわかりかと思いますが、ずらりと投手が並ぶ中で唯一の野手である“矢野”が白樫宗尚の本名に割り当てられ、“仲間はずれが犯人”という趣向になっています。

 ちなみに、前述のように“聖家族”崩壊の黒幕である白樫宗伸の本名として、投手でありながら一時期野手に転向していた経験のある“遠山”(→「遠山奬志 - Wikipedia」を参照)が割り振られているところに何か意味があるようにも思えますが、「買ったら積みます » [読了] 麻耶雄嵩『木製の王子』講談社文庫」によれば文庫化の際に“矢野”と“藪”を除いて当時の選手名に変更され、白樫宗伸は(野手経験があるわけではない)“吉野”(→「吉野誠 - Wikipedia」を参照)となっているので、こちらの考えすぎだったようです。

*1: 「アリバイトリックの分類(仮)」中の、「被害者側」の「場所の偽装」に該当するトリックといえます。
*2: ついでにいえば、アリバイ――しかも全員の――を成立させる動機に重きが置かれているのも目を引くところです。
*3: 『翼ある闇』を参照。
*4: 探偵役が“名探偵”メルカトル鮎であれば、このような結末にはならないように思われます。
*5: どちらも現在は削除されているので、「Internet Archive」内のコピーにリンクしてあります。。
*6: “優しく頭を撫でてくれた”(196頁)“神様”は、“ヨハネの教”の“エクラ=ミュルティプル”を指すと考えるのが妥当でしょう。

2002.04.25読了
2009.08.05再読了 (2009.10.03改稿)

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