死の相続/T.ロスコー
Murder on the Way!/T.Roscoe
まず、現場となっている屋敷(モルン・ノワール)がクローズドサークルでないにもかかわらず、遺言状の中の“二十四時間はどんなことがあっても絶対にモルン・ノワールを離れてはならない。”
(48頁)という条件によって相続人たちが心理的に束縛され、“擬似クローズドサークル”が成立しているのが面白いと思います。犠牲者(候補)たちを物理的に閉じ込めたりするのではなく、メリットとデメリットをちらつかせることで自発的にとどまらせるという手法は、今となっては他の作品でも知られています(*1)が、それがこの時代にすでに使われていたというのは驚きです。
相続人たちを屋敷にとどまらせた上に、相続権をめぐっての殺し合いを煽るかのような遺言状には、作成者であるアンクル・イーライの悪意が込められていることは明白です。さらに、相続人たちが次々と殺されて容疑者が減っていく状況を考え合わせると、(これも今となっては、かもしれませんが)いわゆるバールストン先攻法――自分が(真っ先に)死んだように見せかけて、容疑の圏外へ逃れようというトリック――を疑うのは常道ですから、犯人はかなり見え見えになってしまっています。
それでも、犯人自らゾンビを装うという強烈な仕掛けには、完全に脱帽です。通常のミステリでは考えられない、あまりにも大胆かつ豪快な仕掛けですが、(この時代の)ハイチという特殊な舞台では十分に成立してしまうところがポイントです。しかもその仕掛けは単なるこけおどしなどではなく、犯人にとって実用的な意味のあるものだったというのが秀逸です。
現場が外界から隔離されていない(クローズドサークルでない)場合には、連続殺人に対する警察の介入は避けられないのですが、本書では暴動を起こさせることで憲兵隊を現場から遠ざけるという奇策が使われています。それを実現させるための手段が、迷信深いカコに対して支配力を持つゾンビへの“クラスチェンジ”なのです。
そしてもう一つ見逃せないのが、犯人がゾンビとして“復活”する(そしてそれが世間に通用する)ことで、公式にはすでに死んだことになっているにもかかわらず堂々と人前に登場できるようになっている点です。これは、バールストン先攻法を採用するにあたって犯人が直面を余儀なくされる、“生前”の環境にそのまま復帰することが不可能だという本質的な問題への、非常にユニークな解答といえるのではないでしょうか。
しかも、ぬけぬけとした棺桶のトリックを密かに使っていながら、墓が掘り返された際に大々的に“復活”をアピールすることで、連続殺人に関するアリバイを主張することさえ不可能ではなかった(*2)わけで、ゾンビを信じる人々にとってはバールストン先攻法本来の効果もそのまま残るということになっていたかもしれません。
しかしその犯人が、自らの手で殺したはずのピートの“復活”を目の当たりにし、“ゾンビ対決”に敗れてショック死してしまうという皮肉な決着が圧巻です。そしてそれに一役買ったのが、カートの描いたピートの肖像画だというのがまたお見事。散々な目に遭ったカートにとっては、大きな救いとなったかもしれません。
*2: 山口雅也『生ける屍の死』の
“すまん、ちょっと、死んでたんでな”という一言に匹敵する名言が生まれるチャンスだったのですが……残念です。
2007.08.31読了