真っ暗な夜明け/氷川 透
ブロンズ像ではなく台座が凶器として使われたのはなぜか?――この魅力的な謎に対する、ブロンズ像の一時的な不在という解決は、意表を突いていて非常に面白いと思います。もちろん、凶器として使われなかったという事実以外に具体的な根拠があるわけではないのですが、これは致し方ないところでしょう(*1)。少なくとも、最も説得力のある仮説であることは間違いありません。
そして、そのブロンズ像の不在を出発点として、まずブロンズ像を持ち出すことができた人物を特定し、次にその人物の動きからブロンズ像がいつ不在だったのかを特定し、最後にその時間帯に台座を持ち出すことができた人物を犯人とするという犯人特定のロジックも、非常によくできていると思います。
ちなみに、ブロンズ像を持ち出すことができたのがバッグを所持していた人物だけだとすれば、他の人物はブロンズ像の有無にかかわらずそれを凶器として使うことができなかったのではないか、という指摘もあるようですが(例えばこちらを参照)、これには同意しかねます。
そもそも“ブロンズ像ではなく台座が凶器として使われたのはなぜか?”という疑問が生じること自体、ブロンズ像を凶器とする方が自然な行為だということを意味するのですから、それが十分に可能な状況だった(例えば休憩コーナーとトイレの位置関係など)と考えるべきでしょう。つまり、ブロンズ像をすぐ横のトイレまで持っていくことが誰にでも可能だったという(暗黙の)前提があるからこそ、犯人がそうしなかった理由が問題になるのです。
一方、犯行時にブロンズ像が他の人物によって持ち出されていたとすれば、それは現場となったトイレ以外の場所ということになります(*2)。そうなると、時間や距離を考えればむき出しで持ち歩くのは難しく、バッグを所持していた松原だけが可能だったという氷川の論証は、妥当なものだと考えられるでしょう。
ロジックの中で気になるのはむしろ、ブロンズ像が元に戻された理由の方です。こちらでも指摘されているように、氷川は“自分自身が犯意をもっていたからこそ、自分が選んだ凶器を携帯しつづけるのを避けた”
(298頁)と、あたかも事件が起きたことがきっかけであるかのように述べていますが、松原が死体を発見した後にはブロンズ像を元に戻す機会はありません。
氷川は、松原が休憩コーナーの前を通ったのは以下の三度であり(305頁)、“三つの機会のうち第三が否定されたんだから、第一で像を奪い、第二で戻したとしか考えられない”
と指摘しています(307頁)。
- 最初に改札を入り、階段をおりるまでのあいだ
- 冴子と二人で休憩コーナーそのものに行ったとき
- 自分がトイレに行くまでのあいだ
松原が死体を発見したのは第三の機会よりも後のことなので、事件の発生を受けてブロンズ像を元に戻したという仮説は明らかに誤っています。もっとも、休憩コーナーで“送らせてくれ”と冴子に言い出すことができなかった松原が、その時点でその日の犯行をあきらめてしまったとすれば、第二の機会にブロンズ像を元に戻すこともあり得るでしょうから、決して致命的な矛盾とはいえないと思います。
最後に氷川が言及するレシートの問題については、どうとらえたらいいのかよくわからないところもありますが、ロジックで割り切れずに“余り”が出てしまったための、照れ隠しのようなものということでしょうか。
*2: 女子トイレは除外してもかまわないと思います。そこでブロンズ像を使う理由はありません(*3)し、そこからさらに他の場所へ運ぶとすれば同じことです。
*3: そこで誰かを殺そうとしたという可能性も考えられるかもしれませんが、誰も(標的として)女子トイレに呼び出された様子はありませんし、ブロンズ像を持ち出した人物があてもなく標的の人物を待っていたとも思えないので、やはりあり得ないでしょう。
2005.09.13読了