ミステリ&SF感想vol.69

2003.08.14
『新世界』 『ジェゼベルの死』 『闇よ落ちるなかれ』 『ガラスの麒麟』 『ブルー・シャンペン』


新世界 New World  柳 広司
 2003年発表 (新潮社)ネタバレ感想

[紹介]
 1945年8月、終戦にわく砂漠の町ロスアラモス。この町に集められた指折りの科学者たちの手で密かに開発が進められ、多くの困難を乗り越えて遂に完成した原子爆弾。この比類なき新兵器が、最後まで抵抗していた日本軍にとどめを刺したのだ。だが、その祝賀パーティが行われた夜、酔って騒動を起こした末に病院に運び込まれた男が、何者かに殺されてしまった。研究所の所長であるロバート・オッペンハイマーは、友人の科学者イザドア・ラビに調査を依頼するが……。

[感想]

 “原爆の父”ともいわれるオッペンハイマーが残した遺稿という形式で、終戦直後のロスアラモス研究所で起きた事件の顛末を描いた作品ですが、オッペンハイマー自身ではなく友人のイザドア・ラビの視点で書かれているのが奇妙でもあり、また巧妙でもあります。特に前半、ロスアラモスを訪れて間もないイザドア・ラビに対する説明を通じて、研究所を取り巻く様々な事情が読者にも伝わりやすくなっているのがよくできているところです。また、ここで披露されている科学者たちの奇矯なエピソードや、原爆開発の流れとその仕組みなどは、非常に興味深いものに感じられます。

 しかし後半は一転して、ロスアラモスを蝕む狂気の存在が浮かび上がっていきます。戦争が引き金になったとはいえ、いつしか坂道を転がりつづけるように自発的に、しかも誰一人自覚しないままに加速していく狂気。その産物である原子爆弾の途方もない破壊力と相まって、強い不安と恐怖を生み出している狂気の実体こそが、この作品の真価といえるのではないでしょうか。

 ミステリとしてはやや弱い部分もあるように思えるのですが、あまりにも重いテーマと結びついたその真相は、強烈な力を秘めています。狂っているのは一体誰なのか。色々と考えさせられる作品です。

2003.08.03読了  [柳 広司]



ジェゼベルの死 Death of Jezebel  クリスチアナ・ブランド
 1949年発表 (恩地美保子訳 ハヤカワ文庫HM57-2)ネタバレ感想

[紹介]
 帰還軍人のためのモデル・ハウス展で行われるアトラクション劇。舞台の上で華やかなページェントを繰り広げる馬上の騎士たちを、観客席から不安げに見守るコックリル警部。実は、公演の直前に、関係者3人に不気味な死の予告状が届いていたのだ。そして今、ライトを浴びた塔のバルコニーに、“ジェゼベル”とあだ名される悪評高い女性が進み出て――前にのめり、手すりを乗り越えて舞台に落下した……!

[感想]

 まず、導入部で描かれたある若者の自殺が原因となった、登場人物たちの間に横たわる複雑な感情が何ともいえません。また、探偵役であるコックリル警部を含めた登場人物たちがいずれも曲者揃いで、決して感情移入しやすいわけではないにもかかわらず、独特の魅力を放っています。このあたりは、作者の持ち味が十二分に発揮されているといえるでしょう。

 衆人環視の舞台上での殺人という不可能犯罪も魅力ですが、中盤以降の、仮説が次々と構築されては崩されていく展開は見応えがあり、特に第12章の終わりでコックリル警部の仮説が崩れ去る場面などは実に鮮やかです。また、唐突に始まる、それぞれの思惑を秘めた自白合戦も印象的。そして何よりトリックが非常によくできていて、最終的に明らかにされる場面のインパクトは強烈ですし、プロットとうまく結びついたその使い方もまた見事です。作者の代表作の一つとされているのも十分納得できるところです。

 なお、『切られた首』の登場人物が本書にも顔を出しているので、そちらを先に読んでおいた方がいいかもしれません。

 本書はA・Mさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。

2003.08.06読了  [クリスチアナ・ブランド]



闇よ落ちるなかれ Lest Darkness Fall  L・スプレイグ・ディ・キャンプ
 1941年発表 (岡部宏之訳 ハヤカワ文庫SF256・入手困難

[紹介]
 ローマを訪れていたアメリカの考古学者マーティン・パッドウェイは、突然の稲妻に打たれた瞬間、20世紀から西暦535年の古代ローマにタイムスリップしてしまった。だがこの時代には、各宗派間の陰惨な対立抗争、そして織烈化の一途をたどる領土紛争と、西洋古典文明がまさに黄昏を迎えつつあったのだ。この後に待ち受けているはずの、1000年にも及ぶ暗黒時代の訪れを食い止めようと、パッドウェイは持てる知識を総動員して奮闘するが……。

[感想]

 タイムスリップSFの古典的作品で、過去へやってきた主人公が現代の知識を生かして活躍するという展開は、M.トゥエイン『アーサー王宮廷のヤンキー』の系譜に連なる王道ともいえるものです。

 まず現代を舞台にした冒頭、主人公と科学者との時間の性質に関する議論から始まっていますが、これによって、過去の改変に対する主人公の抵抗感が取り除かれているのがうまいところです。禁忌を持たない主人公は、暗黒時代の訪れを防ぐという壮大な目標を心に掲げ、その歴史の改変は実に大胆かつ痛快なものになっています(何せ、6世紀のローマで新聞を発行してしまうほどですから)。この、恐れるところを知らない主人公の“暴れっぷり”が、本書の最大の見どころです。

 そして、歴史改変の具体的な手段は、“現代人”としての知識を生かした“発明”と、“考古学者”としての知識を生かした“予知”の二つ。次々と繰り出す“発明”によって商業的成功を収め、次第に権力に近づいていき、政治や戦争において“予知”を駆使する、という全体の流れは非常にスムーズで、このあたりは主人公の設定が功を奏しているといえるでしょう。

 政治や戦争が中心になっていく分、後半はややシリアスな場面が多くなるのですが、それでも、〈ハロルド・シェイ・シリーズ〉(F.プラットとの合作)にも通じるユーモラスな雰囲気によって、過去の世界で孤軍奮闘する主人公の悲壮さが和らげられ、非常に読みやすい作品に仕上がっています。今まで読まなかったことを後悔してしまうほどの傑作です。

2003.08.07読了  [L・スプレイグ・ディ・キャンプ]



ガラスの麒麟  加納朋子
 1997年発表 (講談社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 通り魔に殺された女子高生・安藤麻衣子。彼女の人となりを、周辺の様々な人々――親友・野間直子、直子の父・野間、養護教諭・神野菜生子、担任・小幡康子、野間の友人・“小宮”と息子の高志、卒業生の窪田由利枝――の視点を通じて、少しずつ浮き彫りにしていく〈連鎖式〉の連作短編集です。

「ガラスの麒麟」
 17歳の女子高生・安藤麻衣子が通り魔に殺害されてしまった。その直後から、野間の娘・直子が奇妙な言動を見せ始める。まるで、親友だった麻衣子が彼女に乗り移ったかのように。途方に暮れた野間は、養護教諭の神野菜生子に相談するが……。
 殺人事件が解決されるわけではないのですが、このエピソードで解かれる謎は十分な魅力を備えています。真相を導き出すプロセスにはやや無理があるのですが、それをカバーする仕掛けが巧妙です。

「三月の兎」
 安藤麻衣子の死から半月。担任の小幡康子は新たな問題に心を痛めていた。お年寄りにぶつかって手荷物の高価な壷を壊し、謝罪もしなかったという生徒は、もしや自分のクラスの生徒ではないか? だが、神野菜生子が示した真相は……。
 謎解きはかなりシンプルで、鮮やかではあるものの、物足りなく感じられます。

「ダックスフントの憂鬱」
 幼馴染の美弥の飼い猫・ミアが、足を鋭い刃物で切り裂かれる事件が起こり、怒りを覚える高志。だが、被害に遭った猫は他にもいるらしい。この連続猫切り魔事件について、知り合いである直子に相談してみたところ、やがて意外な真相が……。
 奇妙な謎と鮮やかな解決は、非常によくできていると思います。そして、何ともいいようのない悪意が強く印象に残ります。

「鏡の国のペンギン」
 校内に広まる、安藤麻衣子の幽霊の噂。その発端は、トイレの壁に書かれた不気味な落書きらしい。噂を聞きつけた小幡康子は神野菜生子に相談するが、彼女はまったく予想もしなかった、恐るべき結論に到達する……。
 謎解きには「ガラスの麒麟」に通じるところがありますが、こちらはさほど巧妙ではなく、穴も大きくなっているところが残念です。

「暗闇の鴉」
 高校卒業後、OLとなった窪田由利枝のもとに届けられたのは、悪意に満ちた手紙だった。中学時代の同級生の死、そして高校時代の事件について、容赦なく彼女を責めるその手紙の送り主は、すでに死んだはずの安藤麻衣子だったのだ……。
 「三月の兎」と同様に謎解きそのものはややあっけないのですが、繰り返し反転するイメージが鮮やかです。

「お終いのネメゲトサウルス」
 イラストレーターの野間は、安藤麻衣子が残した童話「ガラスの麒麟」を出版しようと、両親への仲介を神野菜生子に頼んだ。おりしも彼女は、窪田由利枝に届いた悪意の手紙に関する報告に向かうところだったという。そして事件は再び動き出した……。
 さりげない反転を交えながら、美しく収束していく物語。実に見事な結末です。

 本書は、長編化する連作短編、いわゆる〈連鎖式〉の作品ですが、それぞれのエピソードのつながり方はかなり独特です。全体をつなぐ軸となるのは、安藤麻衣子という少女の存在そのもの。最初の「ガラスの麒麟」で描かれた彼女の死の真相は解明されないまま、周囲に波紋を広げていくと同時に、様々な人物の視点を通じた描写によって、その人物像は少しずつ厚みを増していきます。そして、その波紋が壁に当たって跳ね返ってくるかのように収斂し、「お終いのネメゲトサウルス」で示される結末へとつながっています。「三月の兎」から「暗闇の鴉」までのエピソードは、それぞれある程度独立した謎と解決を備えている一方で、安藤麻衣子という存在に支配され、また奉仕しているといえるのではないでしょうか。

 本書のテーマは、繊細な心が負った傷、そしてそこからの再生、といったところでしょうか。恥ずかしながら、あまり繊細さを持ち合わせていない私としては、どうしても痛がゆさのようなものを感じてしまうのですが、理解できないことはありませんし、何よりテーマに沿って全体が非常にうまく組み立てられているのは間違いありません。ミステリとして弱い部分もいくつかあるとはいえ、作者にとっての一つの到達点といっていいでしょう。

2003.08.08再読了  [加納朋子]



ブルー・シャンペン Blue Champagne  ジョン・ヴァーリイ
 1986年発表 (浅倉久志・他訳 ハヤカワ文庫SF1071)

[紹介と感想]
 J.ヴァーリイの第3短編集。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞・星雲賞などの受賞作が並び、まさに傑作集といってもいいラインナップです。
 個人的ベストは、表題作「ブルー・シャンペン」

「プッシャー」 The Pusher
 児童公園で子供たちを物色するイアン・ハイゼ。彼は“プッシャー”だった。やがて、一人の幼い少女に目をつけたイアンは、彼女に話しかけた。やがて、イアンがつむぎ出す素敵な物語に、少女は少しずつひき込まれていくのだが……。
 上のあらすじだけ見ると、解説で表現されているように“ロリコンの変態おじさん”としか思えないかもしれませんが、その実体は断絶の哀しみに満ちた、何とも切ない物語です。

「ブルー・シャンペン」 Blue Champagne
 月の周回軌道に浮かぶ衛星〈シャンペン・グラス〉と巨大な水の球〈バブル〉。その豪勢なプールで救助員をつとめるクーパーの前に現れたのは、少女時代に首の骨を折りながら、人工骨格〈黄金のジプシー〉を身に着けて人気スターとなったメガン・ギャロウェイだった……。
 後にルナ自治警察の刑事として活躍する「バガテル」「バービーはなぜ殺される」(いずれも『バービーはなぜ殺される』収録)などを参照)アンナ=ルイーゼ・バッハが登場してはいるものの、この作品の主役はあくまでもクーパーとギャロウェイであり、二人のが物語の中心となっています。しかし、その恋の行く手に待ち受ける苦さは途方もなく強烈です。一方の主役であるクーパーに深みが感じられないのが気になりますが、強く印象に残る結末はお見事です。
 また、物語の背景に流れている、〈黄金のジプシー〉や〈バブル〉といったガジェットが生み出す鮮やかなイメージも秀逸です。

「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」 Tango Charlie and Foxtrot Romeo
 30年以上も前、奇病の発生により廃棄され、今や月面への墜落を待つばかりの宇宙ステーション〈タンゴ・チャーリー〉。だが、そこに一人の少女が生存していることが明らかになったのだ。バッハ刑事は人気スターのギャロウェイと協力して、懸命に少女を救おうとするが……。
 「ブルー・シャンペン」の続編です。
 こちらもよくできた作品ではあるのですが、前作の主役の一人であるギャロウェイの登場によって、物語の焦点が定まりきれていないところが残念。しかし、結末はやはり苦さを伴う印象的なものになっています。

「選択の自由」 Options
 幼い三人の子供の世話に追われながら、仕事を続けるクレオ。労働力に余裕のないルナでは、母親に負担がかかるのも仕方のないことだった。だが……。ふと目にした性転換の特集記事をきっかけに、彼女は……。
 ヴァーリイの未来史〈八世界シリーズ〉(『バービーはなぜ殺される』を参照)では、身体改造や性転換が日常的に行われる未来の世界が舞台となっているのですが、この作品で描かれているのはそのごく初期の時代で、ジェンダーの問題が扱われています。物語としての起伏に乏しいようにも思えますが、その描写には考えさせられます。

「ブラックホールとロリポップ」 Lollipop and Tar Baby
 「あなたは何?」「ブラックホールです」――冥王星よりも外側の宙域、母船から離れてただ独りでブラックホールを探し続けるザンジア。その彼女に、ラジオのスピーカーを通じて話しかけてきたブラックホールは、やがて恐るべき真実を告げる……。
 『バービーはなぜ殺される』にも収録された、ヴァーリイの代表作ともいえる傑作です。
 まず、“話しかけてくるブラックホール”という奇天烈なアイデアが秀逸です。一体どうしてそんなものが話しかけてくるのか、というところも非常に面白いのですが、ブラックホールとの会話を通じて進行していくザンジアの“狂気”とその結末も見どころです。

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 隠遁生活を送っていたヴィクターのもとに隣家からかかってきた電話が、すべての始まりだった。コンピュータを駆使して大金をだまし取っていた隣人の死。暴かれた人々の秘密。ヴィクターに遺された巨額の遺産。そして、調査に訪れた天才的な娘との恋。しかし……。
 現代を舞台にしたホラー風という異色の作品です。いわゆる“ハッカー”(クラッカー)とコンピュータ・ネットワークが扱われていますが、1984年に発表された作品であるため、やや古臭く感じられる部分があるのも仕方ないところでしょう。
 登場人物たちはそれぞれに魅力的ですが、特に世捨て人である主人公の雰囲気が印象に残ります。

2003.08.10再読了  [ジョン・ヴァーリイ]


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