五匹の赤い鰊 The Five Red Herrings
[紹介]
スコットランドの片田舎、釣り人と画家が集うのどかな町で、嫌われ者の画家キャンベルの死体が発見された。絵を描いている最中に、崖から川に転落したと思しき状況だったが、ちょうど当地に滞在中のピーター・ウィムジイ卿は、些細な証拠をもとに偽装された殺人事件であることを見抜く。現場に残された描きかけの絵が犯人による偽装だとすれば、犯人はそれを描くことができる人物、すなわち画家に違いない。かくして、特にキャンベルとの対立が深かった六人の画家が捜査線上に浮かび上がるが、困ったことに六人全員が事件当時に怪しい行動を取っていたのだ……。
[感想]
貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿を主役としたシリーズの第六長編です。六人の容疑者の中の一人が犯人だという状況を見事に象徴する題名(“赤い鰊”は“レッドヘリング”、すなわち読者を誤った結論に導くための偽の手がかりのこと)にひかれて読んでみたのですが、残念ながら内容はやや期待はずれ。スコットランドの田舎町を舞台にユーモラスな人物たちが繰り広げるドタバタ劇という、物語全体の雰囲気はなかなか面白く感じられるものの、肝心のミステリ部分が今ひとつです。
本書の難点は、とにかく長すぎる上に複雑すぎるという点に尽きるでしょう(より正確には、複雑すぎるためにやたらに長くなってしまっているというべきか)。事件そのものはかなり単純なはずなのですが、六人もの容疑者たちが揃いも揃って事件前後に怪しい行動を取っている上に、列車や自転車といった移動手段の動きも錯綜し、全体が何とも混沌とした状況になっています。
そもそも、そのような状況を成立させるために死亡推定時刻に驚くほどの幅を持たせてあるのも問題で、いきおい捜査陣の作業も大変なものとなってきます。そして本書では、その地道な捜査活動がいちいち丁寧に描かれており、英国流(?)のユーモアに彩られた個々のエピソードはそれぞれに楽しめるとはいえ、あまりの分量に読んでいてげんなりさせられるのは否めません。しかも後に残るのが、次から次へと積み重ねられた玉石混淆(当然ながら、大半が“石”の方です)の膨大な情報の山ときては……。
隠されていた様々な事実が少しずつ明らかになってくるものの、六人のうち誰一人として容疑が晴れないまま、物語終盤には最大の見せ場である多重解決の幕が上がります。が、それぞれの“解決”自体がまた込み入っている上に、こちらはすでにその頃には“誰が犯人でもいい”という心境になってしまっているため、せっかくの見せ場も台無し。最後にすべてをひっくり返すピーター卿の推理が鮮やかなのは確かですし、それに関わる重要な情報を“頭のいい読者諸君は詳細を聞くまでもないと思われるので、このページから省略させていただく”
(44頁)という宣言とともに(読者に対して)伏せておく(ただしそれが何かを推理することは可能)という挑戦的な趣向にもニヤリとさせられるのですが、やはりミステリとしては面白味を欠いているといわざるを得ないでしょう。何事にも程があるというか、容疑者の数を半分にした“二匹の赤い鰊”くらいならばまだよかったのかもしれません。
蛇足ながら、作者自身による人名などの間違い(訳者による注記あり)が多すぎるのもいただけないところです。
つきまとう死 And Death Game Too
[紹介]
かつて父親に対する毒殺未遂疑惑が取り沙汰され、次いで夫を不審の残る事故死で亡くした女性、ルース・アップルヤード。いずれも証拠不十分で放免となったものの、財産を失って働く必要に迫られた彼女は、頑固でわがままな老婆レディ・ディングルに気に入られ、そのコンパニオンという仕事につくことができた。莫大な財産を握って親族を意のままに操ってきたレディ・ディングルだったが、遺言書を書き換えたと爆弾宣言をしたまさにその夜、脳卒中で意識不明となってしまう。そして数日後、急死したレディ・ディングルの遺体には他殺の形跡が……。
[感想]
莫大な財産を握って周囲を振り回す老婆が、親族の集った屋敷内で殺害される事件を描いた作品――といえばどことなくありがちな設定のようにも思えますが、本書ではそこに“死を招く女”という題材が絡めてあるところが秀逸で、再三不可解な死の影につきまとわれる主人公ルースの存在によって、物語に一本芯が通っている印象を受けます。
ただ、ルースが過去に巻き込まれた二つの事件の顛末を、シリーズ探偵のクルック弁護士が関係者から聞かされる序盤は、少々もたついている感があります。メインの事件とは直接関係がないことが明らかであるにもかかわらず、それぞれに結構な分量が割かれている上に、基本的に伝聞という形になっていることもあって、読んでいてやや退屈に感じられるのは否めません。この部分でルースの過去が克明に描かれていることが後になって効いてくるのは確かですが、もう少し何とかならなかったかという不満が残ります。
しかし舞台がディングル家に移ってくる(クルック弁護士は一旦退場)と、一転して物語が生き生きと動き始め、かなり読みやすくなります。一族の中心であるレディ・ディングルが非常にはっきりしたキャラクターである上に、彼女(とその財産)をめぐる家族たちの確執が前面に押し出され、それぞれの思惑を抱える登場人物たちの姿がくっきりと描き出されています。さらにその中で、過去の苦境を乗り切った経験のせいもあってか、家族たちはおろかレディ・ディングル相手にも堂々と渡り合うルースのしたたかな姿が強く印象に残ります。
やがて事件が起こりますが、登場人物の中で動機がありそうなのはルースただ一人。しかもディングル家の一族には知られていなかった不吉な過去が明かされるに及んで、一気に疑惑は色濃いものとなり、ルースは絶体絶命の窮地に陥ってしまいます。が、ここに至ってようやくクルック弁護士が再登場。“私の依頼人はみな無罪”
という大胆なキャッチフレーズのもと、ルースの無罪を勝ち取るために精力的に事件を洗い直し始めます。ちなみに、このあたりの展開に一役買っているのがディングル家に滞在中の若者フランク・ハーディで、ルースの過去の事件を知っている上にクルック弁護士ともつながりがあり、さらに重要な場面を目撃するなど大活躍をしており、良くも悪くも物語をややこしい方向へと動かす(陰の)主役となっています。
かなり曖昧で、なおかつ不可解な状況をひっくり返す、思わぬ手がかりをもとにしたクルック弁護士の解決は、少々穴があるような気がしないでもないですが、やはり鮮やか。どちらかといえばサスペンス寄りだった物語が、終盤にきてそれなりにしっかりした本格ミステリの顔を見せてくれる、なかなかの佳作といっていいのではないでしょうか。
壺中の天国
[紹介]
静かな地方都市・稲岡市。そこに住む主婦・牧村知子は、父の嘉臣と、十歳になる娘の実歩との三人家族で、クリーニングの配達のパートをしながら盆栽を趣味として平和な生活を送っていた。しかしその稲岡市で、不可解な連続通り魔殺人事件が発生する。まず女子高生が、次いで家事手伝いの若い女性が撲殺され、市民は恐慌に陥った。しかも、犯人自身が書いたと思われる、支離滅裂な内容の怪文書が出回り、事態は混迷を深めていく。そんな中、学生の頃に牧村家に下宿していた水嶋則夫が、通り魔事件担当の記者として牧村家を再訪し、嘉臣らとともに推理を繰り広げるが……。
[感想]
記念すべき第1回本格ミステリ大賞を受賞した作品ですが、ミステリ部分もよくできていて面白いとはいえ、どちらかといえばそれ以外の部分に重点が置かれているような印象を受けます。少なくとも、“本格ミステリ”のイメージからはやや外れている感があり、個人的には受賞はやや疑問です。
さて、本書には「家庭諧謔探偵小説」という一風変わった副題がつけられていますが、物語のメインとなるパートではその副題の通り、祖父・母親・娘という三人からなる家族の日常がじっくりと描かれています。事情により父親は不在であるものの、こぢんまりとまとまった暖かみのある家庭が中心に据えられて物語の骨格となり、そこから周囲の人々へ、ひいては稲岡市という舞台へと広がっていく視線の先で事件が発生するという構図が、本来は恐るべき事件とは裏腹の安心感のようなものを生み出しているのが異色といえば異色でしょうか。
被害者たちの視点から描かれた殺害(に至る)場面には、(さほど分量が多くはないにもかかわらず)それぞれの人生が凝縮されており、それが不意に、しかも一瞬で断ち切られてしまう様子には何ともいえない不条理感が漂います。また、ばらまかれる怪文書に記されたいわゆる電波系の文章は、いかにもという感じではありますが、常識とは一線を画した狂気の論理をうかがわせます。さらに、時おり挿入されている、事件の被害者たちをモチーフにしている節のある謎のフィギュア製作者の独白にも、どこか常軌を逸した怪しい印象を受けます。
しかしながら、これらのいわば“非日常”の描写と主人公一家の“日常”との間に直接の接点はなく、同じ地域内で起きている上に誰が狙われるかわからないという恐怖があるとはいえ、主人公たちは事件をどこか遠くから眺めるような形になっているため、前述の安心感のようなものが生じ、結果として物語全体がのんびりしてとぼけた雰囲気に包まれています。このあたりは、いかにも倉知淳の作品らしい味わいといえるでしょう。
このような、殺伐とした事件とのんびりした物語の組み合わせは、ともすればちぐはぐした印象を与えがちになってしまうところですが、本書のテーマ、すなわち題名にもなっている“壺中の天国”という要素が両者をうまくつないでいます。これは中国の故事“壺中の天”を下敷きにしたもので、時に余人には理解しがたい自分だけの聖域であり、いわば“日常”の中の“別世界”です。この“壺中の天国”というテーマのもと、占い・フィギュア・盆栽・ラジコン・素人発明・新聞投稿・健康など様々な分野にわたって、被害者を含めた登場人物たちの“おたく”ぶりが概ねポジティブに描かれており、さながら“おたく賛歌”といった様相です。個人的には、ややポジティブにとらえすぎではないかと思えるところもないではないのですが、全般的にみればやはり(自分もそうであるだけに)微笑ましく感じられるのは確かです。
残念ながら、肝心のミステリ部分には少々物足りなさを覚えます。中心となるネタは、連続通り魔殺人の被害者たちをつなぐミッシングリンクで、シンプルにしてバカバカしい真相の突き抜け具合は爽快でさえあります。また、限られた手がかりをつなげ合わせて通り魔の正体に迫る怒濤の推理にも、(そこだけ抜き出せば)十分な見応えがあるといっていいでしょう。ただ、物語の中におけるミステリ部分はあくまでも“従”にしかすぎませんし、致し方ない部分もあるとはいえフーダニットとしてはかなり不満が残ります。
くたばれスネイクス! Hoka!
[紹介と感想]
『地球人のお荷物』に続く、〈ホーカ・シリーズ〉の連作短編集です。テディベアそっくりで地球文化の物まねが大好きな異星人・ホーカたちが、地球の全権大使となったアレックス・ジョーンズのみならず、その妻のタニや幼い息子までも巻き込んで繰り広げる大騒動を描いた、いずれもユーモラスな四篇が収録されています。
- 「くたばれスネイクス!」
- 地球からあっという間に全銀河に広まったスポーツ、それは野球だった。惑星トーカももちろん例外ではなく、ホーカたちは地球人さながらに野球に打ち込んでいた。だが、次の対戦相手はあくどいサレン人。人のいいホーカたちは、試合結果に貴重な鉱山の採掘権を賭ける羽目になった上、卑劣な罠に……。
- ホーカたちの度が過ぎた天真爛漫さには呆れてしまいますが、何とも無茶苦茶な試合展開には笑いを禁じ得ません。もちろん結末は痛快。
- 「スパイを捕まえろ」
- トーカの派遣代表団を連れて地球を訪れた大使アレックス。ところが、同じく連盟評議会に出席する他の惑星の代表者たちの間には、なにやら陰謀が渦巻いているらしい。そんな時に、スパイ小説を読んでしまった代表団のホーカたちは、まじめな諜報活動のつもりで悪ふざけを……。
- スパイ小説がネタになっているせいか、このシリーズらしからぬ(?)アクションやお色気なども盛り込まれた、やや異色のエピソードになっています。ドタバタの果てに待つ結果オーライのエンディングはいつもの通りですが、アレックスの慧眼も見逃せません。
- 「ホーカミの群」
- 大使アレックスが不在の折、異星人の宇宙船がトーカのジャングルに不時着したらしいと知らされた大使夫人のタニは、幼い息子を連れて救出に赴く。ところが、息子が持ってきた『ジャングル・ブック』を読んでしまったホーカたちは、いつの間にかオオカミや黒ヒョウになりきってしまい……。
- 風見潤・安田均編『世界SFパロディ傑作選』にも収録されたエピソード。ホーカたちが今回お手本にするのはR.キップリングの『ジャングル・ブック』で、ジャングルに不時着した○○に似た姿の異星人を巻き込んで、愉快な騒動が繰り広げられています。
- 「ナポレオン事件」
- 大使アレックスがトーカを離れている間に、事態はすっかりタニの手に負えなくなってしまった。ホーカたちが取り入れた様々な地球文化がなぜか入り混じって混乱状態になった上に、野心を抱いた(ホーカの)ナポレオンが覇権を求めて(ホーカの)英国軍との間に戦端を開こうとしていたのだ……。
- 何といっても、アレックスの協力者として新たに登場する、(なぜか)日本趣味の異星人・ブロブが魅力的です(193頁の何ともシュールなイラストには苦笑)。その分、ホーカたちの騒動の面白さがやや減じているように感じられるのは残念。アレックスは大活躍ですが。
厭魅{まじもの}の如き憑くもの
[紹介]
古い因習に支配された山村・神々櫛村。山神であるカカシ様を崇めるこの村の実権を握るのは、神櫛家と谺呀治家という二つの大地主だったが、代々“さぎり”という名の巫女を生み、憑き物筋として“黒の家”と呼ばれる谺呀治家と、“白の家”と呼ばれる神櫛家との間には、深い溝が横たわっていた。そんな中、神々櫛村を訪れた怪奇作家・刀城言耶は、村に伝わる様々な怪異譚を収集しようとするが、その矢先、村に滞在していた怪しげな山伏が谺呀治家の巫神堂で、カカシ様の蓑と笠を身に着けた姿で殺されたのを皮切りに、カカシ様の祟りとも思える不可解な殺人が相次ぎ……。
[感想]
横溝正史の一部の作品を思わせる、因習に囚われ旧家の対立が横たわる閉鎖的な村を舞台にした作品ですが、憑き物や山神、そして恐るべき厭魅{まじもの}といった怪異が前面に押し出され、ホラー寄りのミステリとなっています。村人たちの心理的なバックグラウンドとなる怪異に基づく伝承は、数も多く、またそれぞれが丁寧に作り込まれており、全編を通じて禍々しい雰囲気が十分に伝わってきます。
物語は、村を訪れた怪奇作家・刀城言耶の「取材ノート」、谺呀治家の憑座{よりまし}をつとめる少女・紗霧の「日記」、神櫛家の三男・漣三郎の「記述録」などが交錯する形となっていますが、怪異の中心に位置するともいえる紗霧、旧弊を嫌いながらも完全には怪異を否定しきれない漣三郎、そして完全な部外者である刀城言耶という風に、それぞれの立場が異なることで、怪異を眺める視線に微妙な違いが出ているのが面白いところです。もっとも、怪異を合理的に解体しようとする刀城言耶でさえも、最後には割り切れない部分が残り得るというスタンスをとっていますし、幼い頃にそれぞれ兄と姉を不可解な事件によって失っている漣三郎と紗霧にとってはなおさら、怪異を完全に切って捨ててしまうことは難しくなっているのですが。
前述のように雰囲気十分の世界の中で、相次いで起こる事件もまた怪しい様相を呈します。人間業とは思えない不可能状況や死体に施された異様な装飾など、ホラーとしてもミステリとしても非常に面白い状況になっているのが見事で、ホラーとミステリの融合を志向する作者の面目躍如といったところ。次々と起きる怪事件に、ミステリ的な興味と恐怖がエスカレートしていき、物語はいよいよクライマックスを迎えます。
そして、主な登場人物が一堂に会した、古式ゆかしい解決場面。探偵役となる刀城言耶の妙に頼りない様子には少々ハラハラさせられますが、それもまた作者のしたたかな計算の産物といえるでしょう。事件のみならず過去の怪異譚までも含め、謎が解かれては残りといったプロセスを繰り返した果てに、鮮やかな演出をもって繰り出される最後のサプライズはまさに圧巻。中心となるトリックはいくつか前例があるものですが、その使い方は非常に秀逸です。また、そこに至る伏線が細かく張りめぐらされているところも見逃せません。評判に違わぬホラーミステリの傑作というべきでしょう。