リピート/乾くるみ
作中で天童が“ミッシング・リンクの逆パターン”
(384頁)と表現しているように、“被害者”たちの間には第三者には知られていない、しかし当事者たちは知っている“リピーター”というつながりがあります。そのつながりがわかっていることが、“ゲスト”たち、ひいては読者に対して、強力なミスディレクションとして機能しているところが秀逸です。
連続殺人かと思われた事件が、正真正銘の事故死などを含むバラバラなものだったという真相は、有名な海外作品((以下伏せ字)ウィリアム・L・デアンドリア『ホッグ連続殺人』(ここまで))のような前例がありますが、そちらの作品では(当然ながら)連続殺人であることを世間に対してはっきり示す偽装が施されているのに対して、本書では“リピーター”という“ミッシング・リンク”が連続殺人を装う仕掛けとなっているところが非常にユニークです。つまり本書では、“ミッシング・リンク”を知っている人物だけが騙されていることになるのです。
そして事件の背後に隠された“リピート”の真相は、本来の運命をねじ曲げて命を救われた人々が“ゲスト”として選ばれたというものです。すなわち、本書のポイントは“被害者”のミッシング・リンクではなく、選ばれた“ゲスト”のミッシング・リンクだったわけで、“ミッシング・リンクの逆パターン”
という逆転した構図をさらにひっくり返す、実に見事なものといえるでしょう。
このミッシング・リンク自体が当の“ゲスト”たちの視点からは見えなくなっているところに注目すべきでしょう。“ゲスト”たちの共通点――本来(“R8”まで)は死ぬ運命にあったということは、“R9”で“ゲスト”に選ばれた当人たちには知り得ないのです(*1)。それを知り得るのは、“R8”までの記憶を持っている風間と池田のみ。つまりこのミッシング・リンクは、いわば上位の視点からしか見えないものであり、“メタ・ミッシング・リンク”というべきかもしれません。
445頁で毛利が衝撃を受けているように、“R9”から“R10”へ旅立った“ゲスト”たちが、人生をやり直すチャンスを与えられたのではなく、せっかく“R9”で命を救われながら再び(?)危機に直面させられることになった、という真相は強烈です。そしてそれを踏まえてみると、ディスカッションの最中に池田が口にした“あるいは……私たちを殺すために、この世界に誘ったとか?”
(386頁)という台詞(ヒント?)が実に空恐ろしいものに感じられます。
本書の結末では、(一応伏せ字)『そして誰もいなくなった』(ここまで)と同様に“リピーター”たちは全員死亡しています。唯一“R11”へたどり着いた毛利もすぐに死んでしまったので、“R10”から“R11”へは“リピート”の秘密は伝えられなかったことになるのですが、これは結局“R11”が再び“R0”となっただけで、風間らが“リピート”の秘密を発見して同じことが繰り返されることになるのでしょうか。
ところで、“リピート”という現象をSF的に考えてみると、風間をはじめとする“リピーター”によって1月13日から10月30日までの“歴史”が何度も改変されている(*2)というよりも、単純に並行世界と解釈する方が自然であるように思えます。つまり、“リピーター”の意識(記憶)はある世界の10月30日から別の(近くの、すなわち元の世界との差異が少ない)世界の1月13日へと移行するのであって、移行を何度も繰り返している風間と池田が“R0”~“R11”のように――あたかも順序があるように――認識しているにすぎないのではないでしょうか。
そして、“イレギュラーな事象は最小限となる法則”(*3)を想定してみると、元の世界で“リピーター”の肉体が消滅してしまうとは考えにくいものがありますし、意識(記憶)が肉体から切り離されて別の世界へ移行するよりも、意識(記憶)――情報――のコピーが別の世界へ移行する可能性が高いように思われます。要するに、例えば“R9”で《黒いオーロラ》に突入した人々はそのままで、意識(記憶)のコピーだけが“R10”へ移行してその世界の人々に“上書き”されたのではないかと思えるのですが……。
もしそうだとすれば、“R10”で犯した殺人の罪から逃れようとした毛利の努力は無駄だったことになり、結末の救いのなさが一層際立ちます。もちろん本当のところはどうなのかわかりませんが、一つの解釈として。
*2: 例えば“R9”が10月30日以降そのまま“確定”したかどうかは(風間らでさえ)確認できないのですから、一応はこの解釈も成立するでしょう。ただ、何度も改変され続ける――10月30日以降が不確定――というのはいかがなものかと思います。
*3: 適当にでっち上げてみたものですが、言いたいことは何となくおわかりいただけるのではないかと……。
2007.11.29読了