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密室ロジック/氷川 透

2003年発表 講談社ノベルス(講談社)

 死体発見時に犯人が現場にいなかったことから、それより前に犯人が脱出したという詩緒里の推理は妥当です。そしてその出口は第二会議室の扉しかなく、その後の経路はA地点・B地点・C地点のいずれかになるというのも納得できます。

 ここで氷川はまず、各地点の人の動きをもとにして、A地点で一人きりになった詩緒里に犯行の機会があったことを指摘しつつ、犯人が千束のケータイをリセットしたと断定し、その方法を知らなかったことを根拠に詩緒里犯人説を否定しています。

 次いで、A地点からもB地点からも脱出が不可能だったことから、犯人はC地点から脱出したと推理し、その障害となる野毛が第三会議室に入ることを予測した人物、すなわち電話をかける予定だった野毛がケータイを買ったことを知らなかった人物(荏原奈美)が犯人だという結論を導き出しています。

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 氷川の推理の中で、いくつか気になる点があります。

・各地点の人の動き

 推理の出発点となっているのはA・B・C各地点の人の動きですが、厳密には作中で検討されているのは人数の増減のみで、人の動きの方向、すなわち各人がどちら側から来たのか/どちら側へ去って行ったのかには言及されていません。

 実際、物語前半のリアルタイムの描写の中では、新たな人物がやって来た方向やその場にいた人物が去って行った方向を視点人物がまったく気に留めておらず、読者はそのあたりがまったくわからない状態になっています。またそのような状況では、犯人にはA地点・B地点・C地点のいずれかを通過する必要はない(それとなく紛れ込んでしまえば十分)とも考えられ、犯人がC地点を通過したという氷川の推理が成立しないようにも思えます。

 しかし、現実的には各人がどの方向へ動いたのか警察に確認されないはずはないでしょうし、その情報は詩緒里経由で氷川に伝わっているでしょう。また、作中の描写はあくまでも特定の視点人物の視点に基づくものであり、他の人物が人の動きの方向に気づいていないという保証はないので、単にその場に紛れ込んだだけでは犯人にとって致命的な目撃証言(第二会議室の側からやって来た)が出るおそれもあります。

 結局のところ、各人が移動した方向に関する情報を氷川が手にしていたとしても、それは推理に不可欠なものではないというのが作者の設定であり、そのためにリアルタイムの描写の中でも意図的にそれが伏せられている、と考えるべきではないでしょうか。

・ケータイをリセットする方法

 氷川は、“A地点の証人のうち、最後の一人である詩緒里。きみだけが、あの場所で一人っきりになった(中略)きみには、誰も見ていないのを幸い、A地点を離れて第二会議室に入り、千束部長を殺害する――それだけの機会がたっぷりあった(155頁)と、詩緒里に犯行の機会があったことを指摘していますが、その後、千束のケータイをリセットする方法を知らなかったことを根拠に詩緒里犯人説を否定しています(“そのための情報が披瀝されたのは、この夜の第二会議室だけだった。それも、詩緒里も冴子も入室する前のことだ。”(161頁))。

 これに対して、puhipuhiさんは「(゜(○○)゜) プヒプヒ日記 2003-04-14」で、“犯行現場に誰からも見られずに出入りできた唯一の人物である”詩緒里こそが真犯人であり、“その人物が「ある事実」を知らないということは、作中では証明されていない。犯人と被害者が事件以前に何らかの形で接触していれば、その情報を入手する機会はあったはずである”と指摘していらっしゃいます。

 しかしながら、作中では千束自身が“これはね、いままで誰にも教えなかったことなんだけど”(54頁上段)と前置きしてリセットの方法を説明しているので、その言葉を信用する限りにおいては、詩緒里を含めた誰にも事前にその情報を入手する機会はなかったと考えていいのではないでしょうか。

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 ところが、千束のこの言葉を信用すると、また別の問題が生じてくるようにも思えます。

 氷川は“そのための情報が披瀝されたのは、この夜の第二会議室だけだった。(中略)ぼくがこの事実を知りえたのはもちろん詩緒里から聞いたからだけど、詩緒里、きみがそれを知ったのは事後的に尾山恭子さんから教えられたからだろう?”(161頁)と述べていますが、その恭子が第二会議室に入室したのは詩緒里や冴子と同時(“今夜の幹事役である尾山恭子と、前回の飲み会で等々力自身が高く評価した早野詩緒里が入ってくる。”(54頁下段))ですから、やはり千束の説明(54頁上段)を聞いていないことになります。

 作中で恭子がケータイのリセットについて言及したことが直接示されているのは、警察の情報をもとにした千束部長のケータイは営業部の彼の机の上で発見されたみたいですから。内部情報をすっかりリセットされて、ね――”(96頁)という台詞のみ。そしてこの台詞だけでは、彼女が具体的なリセットのやり方を知っているのかどうか、定かではありません。

 もちろん、実際には警察から細かいところまで聞かされた可能性はありますし、作中で描かれていないインタビューの続きでその情報が恭子から詩緒里に伝わったと考えれば、先の氷川の台詞も間違いではないということになるのですが……。

・C地点の確認

 氷川は、野毛が電話をかけるために第三会議室に入った隙に、犯人がC地点から脱出したと推理しています。

 これについて、滅・こぉるさんは「日々の憂鬱 1.10630(2003/04/12) 氷を中に置き換えれば……」で、“第二会議室からC地点は見えない。犯人が野毛の不在をあてにして行動するにしても、予めC地点が見える位置まで移動してタイミングを見計らう必要がある。それではA,B,Cの各地点から丸見えになってしまう。”と指摘していらっしゃいます。

 しかし、犯人は必ずしもC地点の様子を確認する必要はないようにも思えます。というのは、作中に“今夜、野毛は決まった時刻に一定の相手に電話をかけなくてはならなくなった。(中略)そして彼はみずからのその境遇を、開発部じゅうに言いふらしていた。”(31頁)という記述があり、野毛がいつ電話をかけるか(作中では言及されていないものの、状況からみておそらく午後七時ちょうど)を犯人が知っていた可能性が高いからです。

 そしてその情報は、最終的には氷川にも伝わっていると考えていいでしょう。したがって、氷川の推理は厳密には、犯人は野毛が特定の時刻に第三会議室に入ると考えて行動した、というものだったのではないでしょうか。もちろん、推理のそのポイントは読者に対しては伏せられていますが……。

・冴子の“嘘”

 氷川は、野毛が冴子に電話をかけるために第三会議室の電話機を使ったと推理し、冴子の証言を嘘だと断言しています。

 これに関して、滅・こぉるさんは「日々の憂鬱 1.10630(2003/04/12) 氷を中に置き換えれば……」で、“彼の推理には野毛が第三会議室で自分の携帯電話を使って冴子と話をしたという可能性が全く抜け落ちている。(中略)もっとも、氷川が見落とした可能性を考慮に入れても犯人の行動についての仮説に影響が出ることはない。その意味ではこれは瑣末なミスだと言ってよい。”と指摘していらっしゃいます。

 この指摘にはなるほどと思わされますが、その後の氷川の推理の“暴走”(千束から脅迫の電話がかかってきた等)を考えると、読者に対して(少なくとも完全には)提示されていない情報をつかんでいるのではないか、とも思えます。

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 これらはいずれも、読者が入手した情報と探偵が入手した情報との齟齬が原因になっているように思われます。そしてそれは、“得られるデータによって、探偵役が導く結論は、大きく変わる。”(178頁)という一文に象徴される、作者の狙いといっていいのではないでしょうか。

2006.12.08読了