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追いし者 追われし者/氷川 透 |
2002年発表 ミステリー・リーグ(原書房) |
・叙述トリックについて
本書では自称の使い分けによる叙述トリックが使われていますが、(特に序盤では)私的な場面と公的な場面での違いという理由には説得力が感じられますし、“追う者”と“追われる者”という立場を利用したミスディレクションや、“モトムラハルシゲ”から“元村治成”への表記の切り替えという伏線などは非常によくできていると思います。ただし、せっかくの効果を損ねてしまう欠点があるのが残念です。 まず、自称の使い分けに必然性を与えるために公私の区別という理由を導入していながら、S市を訪れる場面でもそのまま“おれ”と“わたし”の使い分けが行われているのは、明らかに問題でしょう。S市訪問は、倉田係長からの電話を受けた場面を除いて完全に私的な状況であり、“わたし”という自称を使う必然性はまったくないので、前述の説得力が台無しになってしまっています。
もう一つ、“わたし”のパートにいくつかアンフェア気味な記述が目につくのも難点です。 |
・事件の真相と「外挿」について
本書では、南條博隆と小宮山徹志が登場する「外挿」のパートにおいて、作中作に仕掛けられた“おれ”と“わたし”の叙述トリックが比較的早い段階で明かされ、さらに小宮山の指摘を受けて「最終章」が書き直されたという設定になっています。
“おれ”=“わたし”であることを作中作の中で示すのは、例えば早南美の話を聞いて三人の会合を設定したのが“おれ”であることを最終章で明示するなどすれば不可能ではありませんが、自称の使い分けの理由や“モトムラ”→“元村治成”という伏線などについては作中作の叙述トリックはメタレベルからの解説が不可欠です(*1))。それが、「外挿」のパートが導入された理由の一つであるのは間違いないでしょう(*2)。
ここで問題になるのが、二つの謎解きの微妙な関係です。
作者はこの問題を解決するために、実に思い切った、しかも巧妙な手段をとっています。一つは、作中作の叙述トリックをいわば“捨てトリック”として早い段階で明かしてしまうこと。そしてもう一つは、香澄を犯人とする「最終章」の概要を示しておいて、それを南條に書き直させていることです。
ただ残念なことに、作者の狙いが非常に面白いものであるにもかかわらず、実際にはそれほど効果が上がっているとはいえません。
*1: 特に自称の使い分けについては、前項で指摘したように“おれ/わたし”のS市訪問の場面で破綻していることもあって、作中作だけで読者がそこまで読み取るのはおそらく無理でしょう。逆にいえば、小宮山がそこまで読み切っているのは、よくいえば超人的な読解力のなせる業であり、悪くいえばご都合主義以外の何物でもありません。
*2: その意味で、南條博隆が書いた作品(すなわち本書から「外挿」を除いたもの)には大いに問題があると思います。 *3: 早南美の話を聞いたのが“わたし”ではなく“おれ”だったとすれば、この問題はクリアされますが、今度は“南條博隆が書いた作品”の読者に対して“おれ”=“わたし”という真相を示すことが難しくなるでしょう。 |
・小宮山徹志について
この項では、『密室は眠れないパズル』の内容に触れますので、そちらを未読の方はご注意下さい。 [↓以下伏せ字;範囲指定してお読み下さい] 作中で、南條博隆が書いた小説を読んでその仕掛けを見破った人物の名は、何と小宮山徹志。『密室は眠れないパズル』をお読みになった方はおわかりのように、かつては東都出版の敏腕編集者であり、作家の卵であった氷川透をデビューさせようとしている最中に、殺人事件を起こしてしまった人物です。 しかしながら、小宮山は事件解決後に逮捕されたはずであり、しかも作中に記されたその年齢によれば『密室は眠れないパズル』から5年ほどしかたっていないので、普通に考えればまだ獄中にあるはずです(動機からみて情状酌量の余地はないと思われるので、刑期を終えて出てくるには早すぎるでしょう)。脱獄したという可能性もないとはいえないかもしれませんが、それにしてはあまりにも大っぴらに行動しすぎです。したがって、『密室は眠れないパズル』の結末(から想定される現状)とは明らかに矛盾しています。この矛盾にもかかわらず、本書に小宮山が登場しているのは一体どういうことなのでしょうか。 単純に考えれば、本書の「外挿」は一連の“氷川透シリーズ”における作中の“現実”とはリンクしていない、ということになるでしょう。そして、メタフィクション仕立ての本書における原稿の読み手という立場の謎解き役にふさわしい人物として、『密室は眠れないパズル』で謎解き役としての資質を披露した小宮山が選ばれた、というところでしょうか。 と、これだけで終わっては面白くないので、もう少しだけ妄想を。 「外挿」のパートではもう一つ、“あの氷川透を見いだした”という小宮山の台詞も気になります。“見いだした”という表現は単に“最初に才能を見抜いた”という意味なのかもしれませんが、“あの氷川透”という言葉から“氷川透”がすでに作家となっていると考えられるので、小宮山自身が“氷川透”のデビューに関わったというニュアンスがあるように感じられます。 もちろん、『密室は眠れないパズル』の結末では“氷川透”の東都出版からのデビュー話は没になってしまったわけですが、そもそも本書に小宮山が登場していること自体がその“現実”と矛盾しているのですから、他の点でも“ずれ”が生じていてもおかしくはないでしょう。つまり本書の「外挿」は、『密室は眠れないパズル』の事件が起きなければあり得た“もう一つの現実”――小宮山が逮捕されることもなく、“氷川透”はそのまま東都出版からデビューした――という“if設定”を描いたものだと解釈することもできるのではないでしょうか。 [↑ここまで伏せ字] 2005.12.22読了 |
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