跡形なく沈む/D.M.ディヴァイン
Sunk without Trace/D.M.Devine
シルブリッジに“火種”を持ち込んだルース・ケラウェイが殺されるのかと思いきや、その時点では命を狙われる理由がはっきりしない“意外な被害者”――リズ・ロスが最初に殺されるという、ひねり具合が面白いところです。リズが事件の前日にルースに会いにきたことは事件後すぐに明かされています(81頁~82頁)が、ルースがでっち上げた理由を否定したケンは真相に近づいてはいる(*1)ものの、リズの境遇などからして選挙の不正との接点が見えないところが、よく考えられていると思います。
後に明らかになる不正の方法は、拍子抜けするほどに単純かつ大胆なものですが(*2)、一方の当事者がリズの父親シリル・ノートンだったことが判明してようやく、リズと不正疑惑がつながって――父親の問題なので知っていてもおかしくない――殺害の動機が見えてくるところがよくできています。
先にリズが殺されたせいで、続いて起きたルースの“失踪”もどのようにとらえればいいのか、今ひとつ判然としなくなっている感があり、事件の全体像が容易にはつかめないのがうまいところ。ルースがそれこそ(生死に関わらず)“跡形なく”消え失せてしまったことも、事態の混迷に拍車をかけています。
とはいえ、ルースの計画があくまでも父親を標的としていたことから、ルースの父親であることが判明したロバート・ハッチングスに、ひいては――後にハリー・マンロー部長刑事が“パドックの馬を全部”
(370頁)と表現しているように――ハッチングス家の人々に、疑いが向くのは自然。というわけで、犯人についてはある程度まで見当をつけやすくなっている、ともいえるのですが……。
アリス・スミスがハリーに告げた(*3)“ハッチングス家にはいい人がふたり、悪い人がふたり”
(190頁)という言葉は、そのまま手がかりとして扱えるようなものではないとしても、かなりあからさまなヒントになっているのは確か。また、ロバート・ハッチングスからルースの母親宛の手紙の中の、“私はその不正に関わっていないんだ。”
(317頁)という記述を信用するならば、シリル・ノートンとの取引を行った人物はおのずと明らかなはずです。しかしながら、色々な要素が絡んだ巧みなプロットゆえに、読んでいる間はそこまで思い至らなかったのが不覚。
内線電話を使ったアリバイトリックにしても、(致し方ないとはいえ)システムが事前にはっきり示されてはいませんし、“ジュディは電話について説明した”
(96頁)などと省略されていることで、ハリーが何を問題にしているのかがわかりにくくなっていますが、それでもロバートを除くハッチングス家の人々のアリバイが、“リズからの電話”に支えられていることを考えれば、それで真犯人を見抜くことも不可能ではないでしょう。
終盤、ジュディが電話をきっかけに真相に気づいた場面(348頁)までくると、さすがにアリバイトリックも犯人も明らかですが、それでもクライマックスのカーチェイスを経てぎりぎりのところまで、ケンの視点による地の文で“男の姿を照らし出す。”
(363頁)などと最後のミスリードを仕掛けてあるのがお見事。そして、犯人の末路とともにルース(の遺体)の行方を示す、題名そのままの“沈みました、あとかたもなく”
(364頁)という一言が、何とも鮮やかな印象を残します。
“そもそも、リズはずっとルースに興味を持っていた。自分で探偵のまねごともしていたよ。そして、何か汚いものを掘り出した。たぶんそのせいで――”(85頁)。
*2: ほぼ間違いなく議席を獲得できたはずの候補者が
“土壇場で立候補を辞退”(248頁)した時点で、疑惑を招いてもおかしくなかったはずですし、ジュディがこの記事を見た後でも依然として不正の方法を検討している(253頁~254頁)のは、いささか不自然なようにも思われますが……。
*3: 余談ですが、本書の後半になるとこの探偵役コンビが存在感を増していき、それが大きな魅力の一つとなっています。
2013.03.16読了