歯と爪/B.S.バリンジャー
The Tooth and the Nail/B.S.Ballinger
まず、作者の仕掛けた叙述トリック、すなわち裁判のパートの“被告人”をリュウだと誤認させるトリックが秀逸です。
プロローグ(7頁)の
まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐をなしとげた。
第二に彼は殺人を犯した。
そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである。
という宣言文の中の、“彼は殺人を犯した”という箇所がくせもので、(リュウの物語を読み進めていけばわかるように)復讐相手であるグリーンリーフ以外の人物にリュウが殺意を向けるとは考えにくく、“ある殺人犯人に対して復讐をなしとげた”
と重ね合わせてリュウがグリーンリーフを殺害したと考える方が、どうしても自然に感じられます。
一方、裁判は“アイシャム・レディック”なる人物の殺人事件に関するものであり、しかも被告人がかなり不利な状況です。そこから、リュウが“アイシャム・レディック”を名乗っていたグリーンリーフを殺害し(復讐をなしとげ)、その後犯行が露見して被告人となり、死刑判決を受けて“自分も殺された”
ことになるというストーリーが浮かび上がってきます。
これに対して意表を突いた真相はなかなかよくできているのですが、それが袋綴じよりも前の段階で明かされてしまうのはいただけません。袋綴じ(233頁以降)の直前、230頁の時点でリュウが“アイシャム・レディック”になりすましたことが示されているので、リュウの立場が裁判パートの“被告人”から“被害者”へと反転してしまいます。そうなると、残された“被告人”はグリーンリーフ以外に考えられません。さらに、“アイシャム・レディック”が復讐を仕掛ける側の人間であるならば、その死体が発見されないことにも疑念――“アイシャム・レディック”ことリュウの狂言ではないかという――が生じることになるでしょう。つまりは、真相のほとんどが見えてしまうことになるわけです。
しかしその後の袋綴じ部分では、そのリュウの企みが成功するのか否かが大いに興味を引きます。そして、ラストの“誰だ? 誰なんだ? 誰だ? 誰なんだ? 誰だ?……”
(296~297頁)というハンフリーズの悲痛な自問のリフレインによって、“一大奇術”の完全な成功を鮮やかに印象づける、見事な演出に脱帽です。
作中でリュウが使った偽装殺人のトリックは、もちろん科学捜査の発達した現代では通用しないものですが、時代を考えれば問題ないどころか、細かいところまでよく考えられていると思います。特に、題名にもなっている“歯と爪”や、奇術用の骸骨“オマー”の使い方が巧妙です。
しかし偽装殺人という真相が明らかになってみると、上記の宣言文の中の“彼は殺人を犯した”
及び“自分も殺された”
という2点がやや微妙な表現に感じられるのは否めません。が、自分が扮していた“アイシャム・レディック”を被害者とする殺人事件をでっち上げたことを考えれば、虚偽の記述とはいいきれないように思います。
実際のところ、“アイシャム・レディック”が殺されたことは裁判を通じて公式の事実として認められたわけで、ラストの“おれをはめたのは、いったい誰なんだ?”
(296頁)というハンフリーズの台詞からは、当のハンフリーズでさえそれを露ほども疑っていないことがうかがえます(“アイシャム・レディック”にはめられたとは思っていない)。となれば、リュウは“アイシャム・レディック(=自分)殺人事件”の真犯人ともいえるわけで、その意味で上記の表現も妥当というべきではないでしょうか(訊問におけるキャノン検事の“そうすると彼は、われとわが身を殺し、自分の死体を切断して火葬にするほど気が狂っていたのでしょうか?”
(283~284頁)という台詞も暗示的です)。
あるいはまた、“自分も殺された”
という表現には、指を一本失ったことで“奇術師リュウ・マウンテン”が“殺された”、という意味も込められているのかもしれませんが。