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騙し絵/M.F.ラントーム

Trompe-l'oeil/M.F.Lanteaume

1946年発表 平岡 敦訳 創元推理文庫271-03(東京創元社)

 他にも色々とツッコミどころはありますが、やはり何といっても奇天烈きわまりないすり替えトリックが強烈です。何せ、ぬけぬけと“秘密の通路”が使われるわ、5人もの偽警官が動員されるわとやりたい放題の感があり、執筆年代を考慮に入れても大胆すぎて無茶なトリックといえるでしょう。

 解き明かされてみると他に可能性がなさそうなのは確かですが、このトリックを見抜くのは非常に困難です。冒頭に付された見取図で螺旋階段の相同性が示されてはいるものの、そこから二つの“小部屋”の可能性を思いつくのは難しいでしょう。しかも、単に“小部屋”を二つ用意するだけでは不十分で、模造品のダイヤも二つが必要*1ですし、何より監視に当たる警官も(ほぼ)二組存在しなければならないのが最大の障害で、城で毒殺されていた“警官”たちが偽物だったことが明かされる(262頁〜265頁)までは、欠片も思い浮かばないというのが実状ではないでしょうか。

 さらに、以下に引用する、警官の巡回に関する本文の記述にもが仕掛けられています。

[警官の巡回状況(106頁〜110頁より抜粋)]
時刻本文の記述略称
正午イタリア人警官のブルーニが最初の巡回に出かけた。螺旋階段を下り、鏡に囲まれてちょっと迷いそうになりながら鏡の間を抜けると、(中略)鏡の間に戻って螺旋階段を上り、小部屋の椅子にすわった。伊-1
午後零時半今度はサトウが巡回に出る番だった。彼はブルーニと同じルートをたどったが(後略)日-1
午後一時サトウが小部屋に戻ると、イギリス人のドライスデールが巡回に行った。(後略)英-1
午後一時半ノルウェー人は(中略)イギリス人が戻るとこれ幸いとばかり、そそくさと邸内の見まわりに出かけた。諾-1
午後二時またもや交替して、ドイツ人のバックハウスが巡回を始めた。独-1
午後二時半今度はジャナン警視が見まわる番だった。仏-1
午後三時プイヤンジュ邸ではジャナン警視が小部屋に戻り、セヴェロ・ブルーニが二度目の巡回に出かけた。伊-2
午後三時半日本人が二度目の巡回へ。日-2
午後四時ドライスデールが二度目の巡回へ。英-2
午後四時半ノルウェー人が二度目の巡回へ。諾-2
午後五時ドイツ人が二度目の巡回へ。独-2
午後五時半ジャナンが二度目の巡回へ。仏-2
午後六時モンソー通りではジャナンが最後の巡回を終えた。(後略)終了

 まず最初の〈伊-1〉には“小部屋の椅子にすわった”とありますが、これは“偽の小部屋”(小部屋II)を指しているとも解釈できるので、事実に反するとまではいえません。そして〈日-1〉と、〈独-1〉から〈終了〉までにも明らかな“嘘”はありません。しかし、〈英-1〉の“サトウが小部屋に戻ると”と〈諾-1〉の“イギリス人が戻ると”は、いずれも事実に反しています*2。つまり地の文に“嘘”が書かれているわけで、アンフェアな記述だと思われます。

 ところが、「第1章」の冒頭では、“編集人”が“以下の文章は、報告書、覚書、調書、速記録をつなぎ合わせたにすぎず、われわれが起草したものではない。(中略)だからこれは小説ではなく、アルバムのようなものだろう(後略)(20頁)と宣言しています。したがって、上記の事実に反する記述は作者による地の文ではなく、作中の人物による報告書等の記述なのですから、“嘘”があってもアンフェアとはいえないということになります。読者からすれば、何とも困った仕掛けだといえるでしょう。

 とはいえ本書のすり替えトリックは、殊能将之氏の2001年9月25日の日記中の、“たいていのフランスミステリ作家というのは、自分の書いた作品に無理があること自体をわかっていないのである。なぜわからないかというと、思いつきだけで小手先で書いているからだ。というフランス・ミステリ評に、ばっちり当てはまってしまっているのが苦しいところ。理論的には可能なトリックかもしれませんが、少なくとも警官たちがそれぞれ合計で四時間もの間*3偽警官と同席しながら、(変装していたとはいえ)誰一人“入れ代わり”に気づかなかったというのは、まったく現実的ではないでしょう。

 しかしながら、実現のための“ハードル”を極度に下げることで代わりに得られたインパクトは絶大で、およそ忘れられそうにないという意味で非常によくできたトリックだといえるのではないでしょうか――といいつつ、“読者への挑戦”にそぐわないトリックだというところはやはり気になってしまうのですが……。

*1: いうまでもないかもしれませんが、310頁以降の“事件の経過”でいうところの〈小部屋I〉で本物とすり替えられる分が一つ、そして〈小部屋II〉で最初から最後まで展示される分が一つ、合わせて二つの偽物が必要となります。
 これに関しては、犯人特定の手がかりとなっている複数の模造品の存在が、同時にトリックを暗示している……といえるかもしれません。
*2: ジャナン警視は〈小部屋II〉に足を踏み入れていないので、〈伊-2〉の“ジャナン警視が小部屋に戻りは事実です。
*3: 例えばジャナン警視の場合は、午後零時半から午後二時半、そして午後三時から午後五時までの間です。

2009.11.22読了

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