ひとりで歩く女/H.マクロイ
She Walks Alone/H.McCloy
1948年発表 宮脇孝雄訳 創元推理文庫168-03(東京創元社)
“部分を取り上げてみれば、どこに嘘があっても不思議はない”
(128頁)というウリサール警部の台詞を待つまでもなく、手記とくれば疑ってかかるのがミステリファンの習い性(逆にいえば、このウリサール警部の台詞は露骨すぎると思います)。というわけで、手記の主であるニーナには疑惑を向けていたのですが……。
一つには、“リヴィア・クレスピ”(レスリー・ドースン)の死がどうしても偶発的なものに見えてしまうため、事件の全体像が見えにくくなっているように思います。ところが、これが十万ドルの隠し場所と組み合わさった途端に、すっきりと腑に落ちてしまうのがお見事です。また、これに関連して、ハーリー博士の右手の怪我の真相もよくできていると思います。
また、十万ドルの動きがわかりにくいために、ニーナの動機が判然としないところもあるように思います。さらにいえば、ルパート・ロードの死の状況が曖昧なことが、不可解さに輪をかけています(ニーナにはルパートを殺す動機はないでしょう)。
なお、解説で津田裕城氏が指摘する、“犯人の当初の殺人計画では(中略)手記が自然な形で警察の手に渡るようにすることは不可能だったはず”
という問題ですが、これは本書の展開ほぼそのままの形で可能になるのではないでしょうか。要は、実際に変死する“リヴィア”が手記の主であるように(船長らに)思わせればいいので、適当なところで手記を中断して署名を残さず、船長らが見つけやすいところに隠しておけば、十分に可能だと思います。