人狼城の恐怖/二階堂黎人
・〈人狼城〉のトリック
過去の伝説と同様に、〈銀の狼城〉にも〈青の狼城〉にも事件の痕跡が見当たらないことから、ある程度ミステリを読んでいればまず思いつくのが、例の“〈一つ〉と見せかけて〈二つ〉あった”トリック(*1)で、(作中の)二階堂黎人が提唱した“四つ子の城理論”――“双子の城が〈一組〉と見せかけて〈二組〉あった”――がそれに該当します。しかし、これでは既存のトリックのわずかな改変にすぎない上に、事件の痕跡が残っていないこと以外にはほとんど説明できていないのが大きな難点です。
それに対して、二階堂蘭子が導き出した“三つ子の城理論”は、感覚的に理解しやすいシンプルなものであるにもかかわらず、単純に“〈二つ〉と見せかけて〈三つ〉あった”ではないのが注目すべきところで、“双子の城が〈一組〉と見せかけて〈二組〉”であると同時に、講談社文庫版「第四部 完結編」の解説で笠井潔氏が“二つの城のあいだにある巨大な距離は、水平軸の上で一点に凝縮され、距離的にはゼロになる。”
(第四部675頁~676頁)と指摘しているように、“現場が〈別の場所〉と見せかけて〈同じ場所〉”とが組み合わされた、複合トリックとなっています。それにより、事件の痕跡の“消失”はもちろんのこと、人物や死体の“流用”が可能となり、“犯行を(中略)出来る限り容易なものにする”
(第四部317頁~318頁)ことができるようになっているわけで、実に秀逸なトリックといえるでしょう。
そしてまた、トリックの要である〈第三の城〉が、一同の目の前に堂々と鎮座していたという大胆さに脱帽です。
・個々の不可能犯罪
「第四部 完結編」で最初に検討されているのは、地下の物置部屋の密室状況――〈銀の狼城〉でのコネゲン夫妻殺しと〈青の狼城〉での“リュシアン”殺し――ですが、某海外古典短編(*2)でも使われていた“しゃべる生首”を捨てトリックとしてあるのはさておき、ワインクーラーの中に隠れていたという真相は、正直なところ脱力もの。密室状況が強固であるがゆえに“犯人が室内に隠れていた”以外に考えられないのは確かですし、ランズマンの“あの部屋にはワインの瓶はなかった”
(第二部608頁)という発言が手がかりになってはいるのですが、“深さ三十センチから四十センチ、直径五、六十センチ”
(第二部493頁)というサイズでは、いくら子供といえどもその中に隠れるのはさすがに難しいのではないかと思われます。
しかしながら、この密室で注目すべきはトリックそのものよりも、〈銀の狼城〉と〈青の狼城〉の双方で類似の状況――“双子の密室”が作り出されている点でしょう。もちろん、“リュシアン”の死体がサービス台の下に置かれていた〈青の狼城〉と違って、〈銀の狼城〉の方では(「第四部」で確認されるまでは)“しゃべる生首”のトリックが成立する余地もないではないのですが、少なくとも〈青の狼城〉でのトリックが解明された後は、〈銀の狼城〉でも同じトリックが使われた――〈銀の狼城〉にもラインハルト(のような人物)が存在したことになるわけで、前述の〈人狼城〉のトリックにつながる大きなヒントとなっています。
続いて検討される〈青の狼城〉でのシャリス夫人殺しは、バリスタ(石弓)という小道具をうまく使った機械仕掛けの早業トリックで、現象の鮮やかさが光ります。また、仕掛け用のロープが城の外壁にこすれる音が、〈銀の狼城〉でレーゼの耳に入っている(第一部320頁~321頁)ところもよくできています。
現実的に考えれば、それほど簡単に首が引きちぎられるのか気になるところではあります(*3)し、うまくいかなかった場合のリスクが大きすぎる――最後まで部屋にいたメイドのファニーが犯行に加担していることが明白になってしまう――とも思いますが、そのあたりは“お約束”として目をつぶるべきかもしれません。
そして、〈青の狼城〉地下の独房でのランズマン殺しが特筆もの。作中で蘭子が“パズル的な手順と工作”
(第四部177頁)と評していますが、殺害と密室構成を完全に分断した上で、死体が“発見”された後に犯人が密室に侵入するという手順が秀逸ですし、別の死体のパーツを利用してランズマンの死体がすでに切断されていたと誤認させる仕掛けも実に見事です。
この切断された死体の使い方――切断のタイミングを誤認させる――は、本書とほぼ同時期に発表された某国内作品(*4)に通じるところがありますが、そちらが(一応伏せ字)ストレートに(?)アリバイトリックに利用されている(ここまで)のに対して、本書では一見すると結びつきにくい、密室を構成するのに利用されているところがユニークです。
また本書の場合、道具として使われる(ゼーンハイムの)死体のパーツが、ゲルケン弁護士ら訪問客には“見えない”場所――〈銀の狼城〉側から持ち込まれていることで、別の死体という疑念を差し挟みにくくなっているところもよくできています。
〈銀の狼城〉の武器室でのフェラグード教授殺しは、蘭子が“一引く一はゼロ”
(第四部285頁)と指摘しているようにシンプルな部分もありますが、ゼーンハイムの顔の剥製を使ったものすごいトリックには唖然とさせられます(苦笑)。とはいえ、死体の首をそのまま使おうとしても甲冑にうまく収めるのは難しいわけで、よく考えてあるといってもいいのではないでしょうか。
・事件の背景
物語の途中で提示される、“ドイツ人”もしくは“アルザス人”という巨大なミッシング・リンクは新鮮で面白いと思ったのですが、最終的にうやむやになってしまっているのが残念。移植のための材料を手に入れるだけであれば、他にもっと楽な方法があるはずで、動機と事件のアンバランスさにいささか釈然としないものが残ります。
事件の背景の一つである“ハーメルンの笛吹き”の秘密はなかなかよくできていると思いますが、優生学の思想自体は目新しいものではありませんし、それだけで“超人”を生み出すのは原理的に不可能だということもあって、やや肩透かし気味になっている感もあります。また、「好事家のための後書き(ノベルス版)」に記されているように、カバラ/ユダヤ教徒関連のネタの扱いが少々物足りないものになっているのは否めません。
一方、「第四部」の「終わりのない物語の始まり」で読者に対してのみ明かされる、「第一部」の語り手であるテオドール・レーゼが物語半ばですでに死んでいたという“真相”は、(一応伏せ字)二階堂蘭子シリーズではおなじみの“オカルトオチ”である(ここまで)ためにある程度予想できるとはいえ、やはり強烈です。ブロッホが毒殺事件の発生を告げた時点では“今はまだ飲んでません。”
(第一部435頁)と答えているものの、その前にレーゼは“いつもの薬を水差しの水で飲んでから”
(第一部431頁)眠りについているわけで、犯行の機会を考えればすでに毒が入れられていた可能性は十分すぎるほどあるのですが、あまりにも普通に生きて動いている(ように見える)ために想定しがたいものになっています。
この“オカルトオチ”については、作者が敬愛するジョン・ディクスン・カーの基本的な姿勢――オカルト的な要素も最後には合理的に解体する――とはまったく異なるものですし、さらにいえばカーの(以下伏せ字)『火刑法廷』の“二番煎じ”にすぎない(ここまで)と受け取ることもできるでしょうが、むしろ、単なるミスディレクションとして使い捨てるのではなくオカルト的にもきっちり結末をつけるというスタンスの表れであり、三津田信三らに先駆けて本格的なホラーミステリを指向していた、ととらえるべきなのかもしれません。
*2: (作家名)ジョン・ディクスン・カー(ここまで)の(作品名)「新透明人間」(ここまで)。
*3: 首がちぎれるより先に、ロープが矢から外れる(あるいは切れる)ようにも思えます。また、バリスタの位置と被害者の位置に高低差があるのも気になるところで、ロープがぴんと張った瞬間に矢は(後方だけでなく)下方にも引っ張られることになり、進行方向が変わったり回転が加わったりして運動エネルギーがある程度失われてしまいそうな気がするのですが……。
*4: (作家名)山田正紀(ここまで)の長編(作品名)『おとり捜査官2 視覚』(ここまで)。
2011.12.26 / 2012.01.01 / 01.03 / 01.08再読了