本格ミステリ問答




 この文章は、「JUNK LAND」(MAQさん)の「一千億の理想郷」という企画を受けて書いたものです(本格ミステリ大賞関連の騒動(?)とはまったく関係ありません)。“本格ミステリとは何か?”を自分なりに突き詰めて考えてみようと思ったのですが、どうしてこんな形になってしまったのか……。

 なお、言うまでもないことではありますが、ここで示されているミステリ観・本格ミステリ観・ジャンル観は個人的なものであって、他人様に押しつけるつもりは毛頭ございません。
 また、あくまでも現時点でのものですので、当サイトの他のページに掲載してある文章と整合しない部分もあるかもしれませんが、ご了承下さいませ。

2003.05.23 by SAKATAM



ある日のご隠居と熊さんの会話

<問い>
「ご隠居、ご隠居!」
「何じゃ、熊か。どうしたんじゃ、藪から棒に」
「いえね、今日はちょっとご隠居に、物を教わりにやってきた次第で」
「ほほお、これは珍しいこともあるもんじゃのう。で、何がききたいんじゃ?」
「実はあっしもこう見えて、たまさかミステリなんぞを読むこともあるんでさあ」
「そりゃあまた、こう言っちゃ悪いが、まさしく柄にもないのう」
「……いや、まあそれで、どうも最近気にかかることがありやしてね、“本格ミステリ”ってえのは、一体何なんですかい?」


<背景>
「何じゃ、急にやってきたかと思えば、いきなり妙なことをきく奴じゃのう」
「てっきりご隠居ならご存じだと思ったんですがねえ」
「まあ、待て待て。さてはお前も、昨今の、多様化を通り越してやたらに拡散しつつある本格ミステリの状況に、危機感を持っておるようじゃな?」
「はて、角さんだか助さんだか、あっしにゃあそんな難しいことはわからねえんですが、どうも読めば読むほど“本格ミステリ”ってえジャンルが得体の知れねえ物に思えてきちまうんで」
「ほお?」
「これがハードボイルドならハードボイルドの、サスペンスならサスペンスの、似たような雰囲気ってやつが何となくわかるんですがね。“本格ミステリ”はどうもいけませんや。何せ、古い館のおどろおどろしい連続殺人に、トリックてんこ盛りってな感じの作品と、事件はちょこっとで、あとはひたすら探偵さんが推理を披露するってえ作品が、どっちも“本格ミステリ”だってえんだから恐れ入る。ねえ、ご隠居、もったいぶらずに教えて下さいよう」
「ふむふむ。まあ、混乱するのも当然じゃろうな。よろしい、ここは一つわしが説明してみるとしようかの」
「ありがてえ、さすがはご隠居だ」


<考え方>
「とは言ってもじゃな、“本格ミステリ”の定義は人によってかなり違っておる」
「そうそう、それであっしも困ってるんで」
「そもそも、“本格ミステリ”という言葉が生まれてきた経緯というものがあるのじゃから、本来はそれを考慮する必要があるのかもしれん。じゃが、わしはあえてそんなものは無視して、言葉の意味からシンプルに考えてみたい」
「それでようがす」
「そもそも、“本格ミステリ”とは……」
「とは?」
「……“本格的なミステリ”に決まっとるじゃろう」


<ミステリの定義>
「……ご隠居、そりゃあ、あんまりだ。“本格ミステリ”が“本格的なミステリ”じゃあ、ちっとも変わりゃしねえ」
「むむむ。つまりじゃな、それを説明するにはまず、“ミステリとは何か?”というところから始めなければならんのじゃ」
「“ミステリ”っていやあ、ほれ、犯罪が起きて、犯人を探して、ってやつじゃねえんですかい?」
「この罰当たりめが! そんなことを言ったら、北村薫の『空飛ぶ馬』をはじめとした、いわゆる“日常の謎”派はどうなるんじゃ?」
「いけねえ、うっかり忘れちまってました。なるほど、ミステリに犯罪は必須ではない、と」
「よいか、“ミステリ”といえば“謎”。そして“謎”とくれば“解決”じゃ」
「するってえと……?」
「言うなれば、“ミステリ”とは“謎とその解決に重点を置いた作品”じゃな」
「……」

「ちなみに、解決は必ずしも作中で明示されておる必要はないぞ。東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』も立派な“ミステリ”じゃ」



<余談>
「……ご隠居、ちょっと待って下さいよ。それじゃあ、冒険小説なんかの“広義のミステリ”(“ミステリー”?)があぶれちまいますよ」
ばかもの! “広義のミステリ”なぞ、不当表示以外の何ものでもないわ! 冒険小説を“広義のミステリ”などと称するのは、イチゴやバナナに“広義のお菓子”という札をつけて売るのと同じなのじゃ!」
「……けどご隠居、昔っから“バナナはおやつに入るのか”ってえ議論がありまして……」
「そんな議論はどうでもよろしい! とにかくじゃ、わしは原理主義者じゃから、“広義のミステリ”なんぞ認めはせんぞ!」
「ひええ」

「とはいうものの、わしもただの頑固爺いと思われてはかなわんから、ちとここでフォローをしておこうかの」
「はあ……(どう考えてもただの頑固爺いじゃあねえか)」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえいえ、何にも」
「うむ、では続けるぞ。世の中にはもちろん、“謎と解決にも重点を置いた冒険小説”というものもあるじゃろう(すまん、今はちょっと具体例は思いつかんのじゃが)。しかし、じゃからと言って、冒険小説すべてを“ミステリ”に含めるのは、あまりにも無茶ではないかのう?」
「でもご隠居、その、“謎と解決にも重点を置いた冒険小説”ってえのは、“ミステリ”と“冒険小説”のどっちに分類すりゃいいんですかい? どっちに入れても角が立ちそうで……」
たわけ! そういう作品は“ミステリでも冒険小説でもある”のじゃから、“ミステリ”と呼んでも“冒険小説”と呼んでも一向に構わん!」


<さらに余談>
「そもそも、小説のジャンルは“分類”ではない。生き物の分類などと同じように考えるのが、大きな混乱のもとなのじゃ」
「へえ?」
滅・こぉる氏がすでに同じような例を挙げておられるから、まずこれを読め(2002年10月29日付の最後の段落じゃ)! 読んだか? ならば、わしの言わんとするところはわかるじゃろう。たとえば“ニワトリであってなおかつイヌである生き物”が存在しないのに対して、“ミステリであってなおかつ冒険小説である小説”が立派に存在するように、小説のジャンルは生き物の分類と違って排他的ではない。小説のジャンルというものの実体は“分類”ではなく、内容や特徴を示すキーワードにすぎないのじゃ」
「……ううむ」
「たとえば、いわゆるハイブリッド的なジャンル名として比較的よく知られているのが“SFミステリ”じゃが、これも生き物のような“分類”(カテゴリー)を意味するのではなく、“SF要素”と“ミステリ要素”の存在を示していると考えるべきじゃろう」
「ははあ」
(勝手に引き合いに出してすみません>滅・こぉるさん)

「そういうわけで、謎も解決もない冒険小説をミステリに含めてしまうのは、内容が適切に表示されるとはいえないのじゃからして、大いに問題じゃろう。冒険小説は堂々と“冒険小説”と表示すればよろしい」
「まあ、そりゃそうですねえ」
「それを、勝手に“広義の”という枕詞をつけてみたり、“ミステリ”と“ミステリー”で区別したりと、小手先のごまかしをしようとするのが気に食わんのじゃ。JAROに訴えられてもおかしくないじゃろ?」
「……(ご隠居、そりゃあベタすぎ)……」
「まあ、歴史的な経緯がある、というのもわからんではないのじゃがな……」



<本題に戻る>
「……さて、かなり脇にそれてしもうたが、“ミステリ”が“謎とその解決に重点を置いた作品”である、というところまではよいかな?」
「へえ」
「ようやく“ミステリ”の定義がはっきりしたところで、肝心の“本格ミステリ”、すなわち“本格的なミステリ”じゃが……」
「そうそう、それですよ、それ」
「“本格的”という点に関して、わしは二つの条件を付け加えたい。量の問題質の問題じゃ」


<量の問題>
「まずは量の問題からいくとしよう。“本格的”なミステリというからには、ミステリとしての要素、すなわち謎と解決が作品の中心となっておるはずじゃろう」
「ご隠居、その、“中心”ってとこが、ちょっとわかりづれえんですが」
「言いかえるならば、謎や解決と無関係な要素が少ない、ということじゃ」
「へ?」
「たとえば、“SFミステリ”はSF要素とミステリ要素を兼ね備えた作品じゃが、そのSF要素が謎や解決に関わってくる場合には、謎解きが作品全体の中心に位置していると考えてよいじゃろう」
「なるほど。逆にそれが謎解きと無関係な場合には、作品の中の謎解きの比重が下がっちまうわけですから、“本格ミステリ”とはいえない、ってことですかい?」
「その通りじゃ」


<質の問題>
「次に質の問題じゃが、“本格的なミステリ”であるためには、ミステリの要素である謎と解決そのものが“本格的”でなければならん」
「まあ、そうですかね」
「ところで、“謎と解決”の本質とは何じゃ?」
「えっ!? そ、それはそのう……(急にそんなこと言われたって、わかるわけねえじゃねえか!)」
「謎なくして解決なし。すなわち“謎と解決”の本質とは、それがセットであること、つまり謎と解決がきちんと対応しておることじゃ。これは別に一対一対応でなくともかまわんのじゃが、とにかく謎に対する解決は何でもよいわけではなく、あまりにも突拍子もないものであってはならんのじゃ」
「つまり、謎に対する解決が論理的に導き出されなくちゃならねえ、ってことですね?」
違う
「え?」

「確かに“論理的な解明”は本格ミステリにおいて重視されることが多いのじゃが、わしはそれが必須であるとは思っておらん。なぜなら、叙述トリックを使った作品の大部分が、論理的に解明されないからじゃ」
「……そりゃそうですがね、そういう作品は本格ミステリじゃない、ってことにするわけにはいかねえんですかい?」
「先にも言ったように、わしはミステリを“謎とその解決に重点を置いた作品”と考えておる。そして、その“謎と解決に重点を置く”という姿勢を追求する点において、叙述トリックとそれ以外の間に差はないじゃろう。したがって、叙述トリックを使った作品を直ちに本格ミステリから除くのは、不適切だといえるのじゃ」

「てえことは、結局どうなるんで?」
「謎と解決がきちんと対応しているか否かは、その解決に納得できるか否かにかかっておる。すなわち、謎に対する解決に説得力が備わっているものこそが、“本格的”といえるのではなかろうか」
「……」


<必須ではないもの>
「ちなみに、この説得力を生み出す上で重要なのが“伏線”なのじゃ。この“伏線”の重要性に比べれば、“トリック”も“論理的な解明”も“結末の意外性”もものの数ではない」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、ご隠居。まさか、“論理的な解明”のみならず、“トリック”や“結末の意外性”なんかもいらねえってえんじゃ……?」
「ええい、ごちゃごちゃとうるさい奴じゃのう。そのあたりは全部ひっくるめて本格ミステリに必須ではないっ!」
「そんな無茶苦茶な……」
「よいか、“本格ミステリの定義”“すぐれた本格ミステリであるための条件”を混同してはならんのじゃ」
「はあ?」
「よいか、お前が挙げた“トリック”だの“論理的な解明”だの“結末の意外性”だのは、“謎と解決”の魅力や説得力を高めるための手段であって、“すぐれた本格ミステリ”には必要になってくるものかもしれん。じゃが、“本格ミステリ”に必須であるとはいえんのじゃ」
「……でも、そういうのがねえと、つまらなくなっちまうんじゃあ……?」
うつけ者! まだわからぬかっ! “本格ミステリ”という言葉は、面白さや出来のよさを保証するものではないのじゃ! 出来のよいものだけをジャンルに取り込もうという、その了見が間違っとるっ!」
「ひええ(……またかよ。カルシウムが足りねえのと違うか?)」


<本格ミステリの定義>
「よいか? またまた脇にそれてしもうたが、先の二つの条件を付け加えると、“本格ミステリ”とは“謎と説得力のある解決が中心となった(無関係の要素が少ない)作品”といえるじゃろう」
「……わかりやした」(ぱちぱち)
「どうじゃ! この定義なら、『三つの棺』も『そして誰もいなくなった』も『毒入りチョコレート事件』も、『十角館の殺人』も『星を継ぐもの』も、さらには『六枚のとんかつ』に至るまですべて、(さほど)無理なく“本格ミステリ”といえるのじゃ。わはははは!」



<おわり>
「……いやあ、ご隠居。今日はいい話を聞かせていただいて、おかげであっしの頭もだいぶすっきりしやした」
「うむ」
「ただ、どうも一つだけ物足りねえところがありやす」
「ん? 何じゃ?」
「せっかくのありがてえお話ですが、何かこう、オチはねえんですかい?」
「これこれ、熊や。“わしらは本格ミステリの登場人物ではないのじゃから”、意外な結末など期待してはならんのじゃ」
「……恐れ入りやした」




黄金の羊毛亭 > 雑文 > 本格ミステリ問答