李煜　一斛珠　詩詞世界　碇豊長の詩詞：漢詩

　一斛珠
liyu LiYu 漢詩

晩妝初過，
沈檀輕注些兒箇。
向人微露丁香顆，
一曲淸歌，
暫引櫻桃破。

羅袖殘殷色可，
杯深旋被香醪。
繍床斜憑嬌無那，
爛嚼紅茸，
笑向檀郎唾。

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一斛珠
　　　　　　　　　　　　　

晩の妝（よそほ）ひ　　初めて過（を）はり，
沈檀　輕く注す　　些兒箇（いささか）。
人に向かいて　微（かす）かに露はす　　丁香の顆，
一曲の　淸歌，
暫し　　　櫻桃を引（し）て　破（ひら）かしむ。

羅袖　れ殘（すた）るれども　　殷色　可（よ）きは，
杯に　深くいたせば　　旋（たちま）ち　香醪に　（ぬ）被（ら）さる。
繍床に　斜めに憑（よりかか）りて　　嬌として　那（いかん）ともする無し，
紅き茸（いと）を　　爛嚼（かみつぶ）して，
笑ひて　檀郎に向ひて　唾く。

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私感注釈

※一斛珠：詞牌の一。双調。韻。詳しくは下記「構成について」を参照。この作品は、視覚のみならず、嗅覚、聴覚と多方面から対象に迫っていくさまは、まことにリアルで、官能的であり、千年前の作品とは到底思えない。

※晩妝初過：晩方の身繕いがいましがた終わって。李煜の玉樓春では「晩妝初了明肌雪」とあり、似通った表現である。
・晩妝：晩方の身繕い。装い。「妝」を「粧」ともする。同義の漢字。「暁妝」ともする。
・初過：今し方終えた。今し方一通りした。「初了」ともする。前者と同義。　・初：いましがた初めて（…した。）。　・過：（量詞）ひとわたり、一通り。（動詞）終える。経る。

※沈檀輕注些兒箇：濃い紅い色（のくちべに）を軽やかに、少しばかりつける。　・沈檀：濃い紅い色（のくちべに）。　・沈：色が濃くつやがあるさま。・檀：赤色。　・輕注：（口紅を）軽やかにつける。　・些兒個：若干の。少しばかり。些かの。現代語でも“一些（兒）”という。

※向人微露丁香顆：人に向かって、香しくて可愛い舌をかすかに見せる。　・向人：人に向かって。この「人」は、男性。　・微露：ちらっと見える。少しだけ見せる。わずかに顕わす。　・丁香顆：（美女の）香しくて可愛い舌。チョウジを口臭を消すための香料として使うのに、艶めかしい美女がよく使っていたので、転じて美人の舌。　・丁香：チョウジ。香料の名。口臭を消すための香料でもある。　・顆：つぶ。小さな塊。“粒”よりも大きい。

※一曲淸歌：一曲の淸らかな歌。淸歌のイメージとしては、楽器の音もなく軽やかに一人で軽く唱っている感じがするが…。

※暫引櫻桃破：しばし、サクランボのような唇がパッと開かれていた。　・暫：しばし。短時間をいう。　・引：（白話）…に引かれて……する（させる、させられる）。…によって……する（させる、させられる）。　・櫻桃：サクランボ。唇を指す。　・破：（唇が）パッと開くこと。

※羅袖殘殷色可：うすぎぬの衣装のそでが濡れてよごしてしまったが、黒ずんだ紅い色も（意外と味わいがあって）よい。　・羅袖：うすぎぬの衣装のそで。
・殘：濡れてダメになる。　・：うるおす。ひたす。王維の「送元二使安西」の「渭城朝雨輕塵」にも使われている。　・殘：ちゃんとしたものがダメになっていくこと。
・殷色：黒ずんだ紅い色。どす黒い赤。　・可：（…も）よい。ここでは…がよい、ではない。

※杯深旋被香醪：（袖をぬらしたのは）盃に深くまで酒を注いだために、たちまちに芳醇な酒でよごしてしまったのだ。　・杯深：盃に深くまで酒を注いでいる。盃にたくさん酒が入っていること。　・旋：（古白話）たちまち、ただちに。ついで、その後。　・被：…られる。受け身表現。
・香醪：香しい美酒、芳醇な酒。濁酒。ここでは前者の意。（日本酒の作り方になるが、醪（もろみ）を上槽で濾して清んだ酒にするが、その一つ前の醪は、できたての香りの高い、通の好む酒。）　・：けがす。よごす。

※繍床斜憑嬌無那：（女性が）ベッドに斜めにもたれかかるさまは、艶めかしくあでやかで、何とも言いようがない。　・繍床：女性用のベッド。　・斜憑：斜めにもたれかかる。憑を凭ともする。同義の字。　・嬌：なまめかしい。あでやかである。　・無那：いかんともすることができない。＝無奈。

※爛嚼紅茸：紅い糸をかみつぶす。　・爛嚼：かみつぶす。ぐちゃぐちゃに噛み潰す。　・紅茸：紅い糸。　・茸：細くて柔らかい糸。
※笑向檀郎唾：紅い糸をかみつぶして愛しい男にはきかけてくる。う～ん、すごい表現である。　・笑向檀郎：笑いながら檀郎に向かってはきかける。　・檀郎：女性からみて、男性の恋人。「愛しいあのお方」。詩詞では、普通名詞として使われる。　・唾：はく。はきだす。

◎　構成について
　
　双調。五十七字。仄韻字一韻到底。韻式は「ａａａａ　ａａａａ」。韻脚は「通個顆破　可那唾」で第九部去声二十一個。は韻をふんでいない。

○●，（仄韻）
○●○○●。（仄韻）
○●○○●，（仄韻）
●●○○，
●○○●（仄韻）

●○○●●，（仄韻）
○●○○●。（仄韻）
○●○○●。（仄韻）
●●○○，
●●○○●。（仄韻）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　