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知多覧古

滄海悲風盈我襟,
千年遺恨血流潯。
御堂路上多紅蒜,
因爲鄕人悼至今。



野間の海。沖から強い風が吹いてくる。
「血池(ちのいけ)「源義朝公のお首級を洗われた旧跡地 平治元年」
との掲示。池の中の棒には経文(?)が書かれている。
義朝公のお墓には、多くの木太刀が供えられている。 織田三七信孝卿の墓。


滄海の悲風  我がえりつ,
千年の遺恨  血流のふち
御堂 み だうの路上  くれなゐさん 多きは,
ってる  鄕人 いたみて 今に至るに。

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  知多半島の海岸に行った。海からの風が強い。

  美浜町野間にある野間大坊は、平治の昔、源義朝が長田忠致のため、湯殿で謀殺された。義朝は、「我に木太刀の一本なりともあれば」と言いながら、無念の最期を遂げた。その義朝の首を洗った「血の池」が今も遺されている。更に、豊臣秀吉に敗れた織田信孝は、この野間大坊で自害した。織田信孝は
昔より しう(討つ身=内海(野間の隣の地名))野間のまなれば むくいを待てや 羽柴筑前 は しばちくぜん」(平治の源義朝の昔より、主筋を討つ歴史のあるこの内海(うつみ)・野間(のま)の地だからこそ、また同様のことが起こったのだろう。羽柴筑前(豊臣秀吉)よ、主筋を討つ、この酬いを待って居れ)との辞世の歌を遺し、怨みを飲んで自害を遂げた。

  その知多半島には、鮮血の色をした真っ赤な彼岸花が咲き乱れている。地元の人が、無惨な最期を悼んで、生やしているのだろう……か。

  平成十九年六月二十八日に作った絶句に『野間大坊』「綠蔭大坊響海濤,織卿遺恨陰陵遭。義公可惜缺秋水,憤怒威靈獻一刀。」がある。

  なお、お昼は、かんぽの宿・知多美浜で、刺身御膳1575円(×2)を食べた。

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・御堂:大御堂寺おほ み だう じ のこと。野間大坊 の ま だいばうの正式名称。
・蒜:石蒜で、彼岸花。


平成二十年九月二十五日




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