本箱の奥の『戦うぼくらの砦』(著者:三里塚芝山少年行動隊 出版:合同出版1971年)を思い出していたが…。 どこか違う。前面に出ている(出されている?)何人かの半泣きの幼児の顔は…。
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この詩、本来は、大阪府と保育園との闘争についての詩として作り始めた。「紅旗飄飄として 農園に挙がり,大義の歌聲 天を衝きて響く。太守來りて修る 新官道,寸寸土(芋)は勝る寸寸の金。」のように…。
ミスの無いよう、念のために、この問題をネット上で調べてみた。すると、全然別のことが書かれてあって、しらけてしまって、作詩衝動は消えてしまった。
はじめ、わたしは、「おお! 土地をめぐっての闘いか!!! 三里塚みたいだな!!」と思っていたが、「違う」という。「土地の強制収用」ではなくて、既に所有者は替わっており、そこに植えられていた「サツマイモ撤去の代執行」であるという。それに対して闘争を展開する保育所側は、土地の所有者が変わったことに因って相続税免除だったのが、相続税2300万円を納める必要が出てきたことに起因する、のだと……。」(あの半泣きの幼児は、一体…)
…つまり…、反・相続税闘争だった……のか…。「芋の収穫行事」を楯にし、幼児をダシにした “イモ戦争” ということだった。がっくり。(日本国憲法第三十条には、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」とあって、国民の三大義務といわれるあれは、“闘争”で解決できるのかな?)
(あの報道、誤解を惹き起こすのじゃないか? わたしは「反・土地収用に起ち上がった幼児の義挙」と勘違いしてしまった。誤解する方が短慮なのか…ナ。)
燃え上がったわたしの作詩感情は、すっかり冷え切ってしまったが、既に詩は出来上がってしまい、部分訂正したものの、中途半端な気持ちいっぱいの詩になった。「覇王・項羽は自らが最前線を駆け抜け、自らの面目のために自分から散っていった(陰陵)。彼は、幼児を前線に置くようなことはしなかった。『何の面目があって父兄に顔を合わせられようか』と」。「於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長檥船待,謂項王曰:『江東雖小,地方千里,衆數十萬人,亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船,漢軍至,無以渡。』項王笑曰:『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王(「王」字は動詞)我,我何面目見之?縦彼不言,籍(項籍=項羽のこと)獨不愧於心乎?』」
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・三里塚:「三里塚闘争」。成田空港の建設に反対した、(はじめは)農民の闘争。
・筵旃:むしろ旗。「旃」:赤旗。
・無論:…にしても。…にかかわらず。…を問わず。何はともあれ。とにかく。
・太守:ここでは知事を謂う。大阪府の橋下知事。
(筵旃:筵旗。日本農民起義用的草簾旗。)
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