あんときゃ夜走り朝帰り



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開設2000/05/20






山田深夜is?

1961年、福島県須賀川市生まれ。
地元の高校を卒業後、神奈川県横須賀市で私鉄職員として約20年勤務。1997年、文筆業に専念するために退職。バイク雑誌各誌に小説を発表。
2005年、寿郎社より『横須賀Dブルース』、『千マイルブルース』の二冊を上梓。
2005年、『横須賀Dブルース』が「本の雑誌」上半期ベストテンに入る。
2007年、角川書店より『電車屋赤城』を上梓。
2007年、『電車屋赤城』が第29回吉川英治文学新人賞にノミネートされる。
2008年、講談社より『ひとたびバイクに』を上梓。
2009年、『リターンズ』(徳間書店「問題小説」にて前年掲載)が、日本推理作家協会賞短編部門候補となる。
2011年、徳間書店より『ロンツーは終わらない』を上梓。









今日の雑記

最近、「才能」をよく考える。
まあ一言で言えば、
才能とは天から与えられたものだ。
文字通り、「天賦の才」なのである。
で、才能にもいろいろあるわけで、
たとえば「小説家の才能」。
これはもう、
メジャーデビューできたかどうかでわかる。
つまり商業誌に載りギャラを貰えるようになったら、
その人には小説家の才能があるということ。
けれどデビューしたとなると、
「才能があるかないか」の次元ではもうない。
まわりはもう、
才能のある人ばかりなのだから。
で、「その才能はどのくらいか」となる。
そこで、そこから先の作業が重要となる。
どういうことかというと、
才能を磨く、という行為。
けれどこれが難儀であり大問題なのだ。
才能は、
誰でも磨けば光るというものではないからだ。
個人差がとても大きいのだ。
磨けば磨いただけ光る人がいれば、
磨けど磨けどまったく光らない人もいるのである。
才能とは、あったらあったで、
本当に厄介で残酷なものなのだ。
この残酷性をわかりやすくほかの業界の例で言うと、
野球の斎藤佑樹と田中将大。
同い年のふたりはともに才能がありプロになったが、
現在の境遇は天と地ほどの開きがある。
片や泣かず飛ばずの二軍選手であり、
片や大リーグのスター選手なのだ。
たしかに世の中を舐めたような言動をする斎藤だが、
けれど彼が努力をしていない、
つまり才能を磨いていないわけがない。
彼なりに必死でやってきたと思う。
しかし結果がこれなのである。
本当に残酷だ。
小説家も同じ。
華々しくデビューし文壇で持て囃されたのに、
いつの間にか消えていったという人は沢山いる。
芥川賞をとった小説家が現在生活保護を受けているとか、
その後一冊も出してないとか、
そんなのはザラなのだ。
「私の不幸はなまじ文章が書けることである」と言い、
食えなくて筆を折った人がいるが、
それはとてもわかる。
だが見切りをつけて小説家を廃業することは、
決して悪いことではない。
だって違う世界にも才能があるかもしれないのだから。
事実「元ミュージシャンの会社社長」とか、
「飲食チェーン店オーナーは元俳優」など、
ほかで才能を見出した人はいっぱいいるのだ。
そこで、私である。
普通ここまで売れていないと、
ふてくされ、見切りをつけ、
なにかほかに仕事を探すところだろう。
だがそれをしないのは、
自分の才能がいつか光ると信じているから。
根拠は、光りかけたことがあり、
その時の手ごたえを覚えていること。
いや結構ふてくされていたのだが、
自信がついたこともあり今は違う。
なので時代のせいにしたり、
「俺は死後に認められる」とかの、
情けないことはもう言わない。
生きているうちに光ってみせる。
ビカッと。
って、現状は、
頭ばかり光っているわけだが。

( 2016.7.25 )