ケイターハムはレプリカか

09年2月23日


コーリン・チャップマンとグレアム・ニアン

LOTUS SEVEN(ニ玄社)より

 
ケイターハム・スーパーセブンはロータス・セブンのレプリカなのか、あるいは継承者なのかという問題について私の考えを述べてみたいと思います。

現在Wikipediaで「ケイターハム」を検索すると、次のような意見が載ってます。

「ケーターハムのオーナーは、ロータス製とケーターハム製に限り本物で、他はレプリカもしくはクローン車と見なす傾向があるが、(ケイターハムは)様々な手が加えられて本来のロータス製セブンとはかなり異なっており、実際には改善されたレプリカもしくはクローン車である。」

この考えは73年にケイターハムがロータスから引き継いだのはシリーズ4だけであってシリーズ3は引き継いでいないという考え方に基づいています。

この問題はいろいろな考え方が出来るわけで、このように考えるのが明らかに正しいというものはないのかも知れません。

その上で私の考え方を述べますが、私は73年にケイターハムがセブン・シリーズ4を引き継いだときにシリーズ4を引き継いだというよりもセブンそのものを引き継いだという解釈をしてます。その当時の状況は私もかなり良く覚えていますが、一般の自動車ファンの捉え方はそうだったと思います。ロータスはセブン(S2)の生産を止めることを決めたことも過去にありましたから、セブンがケイターハムに引き取られてセブンは生きながらえるんだな、とそんな風に思いました。

セブンおよびスーパーセブンという車名を引き継いだということも自動車ファンの一般的な解釈からすればその車種そのものを引き継いだという解釈が普通だと思います。
LOTUS SEVEN(ニ玄社)にも「セヴンの一切合財を引き取った」という記述があります。

その後いくらも経たないうちにケイターハムはシリーズ4を止めてシリーズ3に戻したわけですが、セブンを引き継いだケイターハムがシリーズ5にしようがシリーズ3に戻そうが引き継いだケイターハムの自由だと思いました。

ケイターハムがシリーズ3に戻して、これをスーパーセブンと称して売り出した時に、ロータスやチャップマンから何の抗議もなかったということも、これが正当なセブンであるという状況証拠になると思います。

少なくともその当時そのように解釈したほうがセブンに愛着を持つ自動車ファンにとってより幸福なことであったことは間違いないです。ケイターハムが作るシリーズ3がレプリカだ、ということになったらセブンは消えてなくなったことになるんですからね。私は自動車ファンの幸福を優先させて物事を考えることがもっとも妥当なことではないかと思います。法律云々よりも自動車ファンの心情を重視すべきではないかということですね。
一応これが私の結論です。

Wikipediaに書いてあるものでは、現在のケイターハムはロータス・セブンとは随分違っているからレプリカだという論理ですが、これはちょっとおかしいと思います。車というものは時代とともに変わっていくべきものです。特に80年代にリアがドディオンになったことは正常進化だと思います。進化したからレプリカだというのはおかしいですね。正統な物であっても進化は当然あってしかるべきです。

次にレプリカという言葉について私が思うところを書いてみたいと思います。
実はケイターハムがセブンを引き継いだときにケイターハムはロータスのレプリカだという見方が主流でした。私自身もそう思ってました。これには説明が必要です。

レプリカという言葉は現在は「偽物」という意味を含めて使われていますが、昔は必ずしもそうではなく「代替品」というような意味でした。ケイターハムがレプリカだ、と言われたのは、ケイターハムがセブンを引き継いだことは十分に認めながら、しかしロータスはもう手に入らないからケイターハムで我慢する、つまり代替品でありレプリカである、という感じで言われたんですね。

なおセブンタイプについて各方面の人がどのように考えているかについてはカーグラフィック94年4月号に12人の著名人のミツオカ・ゼロワンについての考えが掲載されておりなかなか参考になると思います。いろんな考え方がありますね。

 

目次へ   ホームページへ   次のページへ