太田政良さん(国産サイドカー資料集Uより)

09年5月10日


国産サイドカー資料集U
 
以前に紹介した日本二輪史研究会発行の国産サイドカー資料集Uは太陸モータースの太田政良さんが雑誌などで語ったことをまとめたものです。今回はここに書いてあることをごくかいつまんでお話してみたいと思います。この資料は大変貴重なものですから、サイドカーに興味をお持ちの方は是非入手して一読されることをお薦めします。

目次は次のようになってます。

サイドカーを愛してつくって教えて、
輪が愛するBMWの改造記
サイドカーを語る
オリジナルGTサイドカー
サイドカーに生きる男
これがGTサイドカーだ
W1SAサイドカー
いかにしてサイドカーは作られているか
サイドカーのすべて
Q&A
SIDE CAR作りに燃える男
OHTA−GTUサイドカー
特集サイドカー
SIDE CARスペシャル
OHTA−BMWサイドカーはこうして生まれる

まず太田さんがなぜサイドカーに興味を持つようになったかですが、太田さんは若い頃やせていてソロの重い車だとセンタースタンドが立てられなかったそうです。それがサイドカーに興味を持つようになったきっかけだそうです。豪傑そうに見える人だっただけにちょっと意外でしたね。

最初に乗ったのが陸王の750のサイドカーで、これは教習所で随分練習したそうです。その後メグロの500(Z2)、メグロの650、ツェンダップ、BSAゴールデンフラッシュ、そのあとR60にスタイプ、R69Sとくるわけですね。R69Sにサイドカーをつけたときは友人の山口京一さんと相談してやったそうです。この山口京一さんという人はエキサイティングな乗り物が大好きな人でドリームCB750Fが発売されたときも4輪誌であるカーグラフィックに試乗記を書きました。

サイドカーに向いた人として、慎重派で気が小さいようだけど根性のある人、といってます。そそっかしい人は駄目で、また最初から結構スイスイ走れる人も自分で満足してしまって進歩がないとも書いてますね。「SIDE CAR作りに燃える男」には「日本で唯一のサイドカー工場」とも書いてあります。これは恐らく陸王やミナト等がなくなった直後でしょうね。やっぱり太陸は趣味としてのサイドカーの出発点だったわけです。

あんまり書くと入手して読んでみる価値がなくなりますからこの辺りで止めておきます。
この資料集を読むとサイドカーに関してよく言われていることが太田さんが出所であることが多いことも判ります。

 
在りし日の太陸モータース

2000年撮影

   

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