7月17日付朝日新聞大阪本社版投書欄「声」に 「気分良かった無煙の投票所」という投書が出ている。 広島県では今回から投票所が禁煙・分煙になったのでよかったという内容だ。 全国的に行なわれる国会議員の選挙でも、 投票所の細かい点は地方によってずいぶん違うものだと感じた。 私は東京とこことで投票した経験があるが、 タバコの煙は気になったことがない。 一方、 こちらの投票所では靴を脱いで備えつけのスリッパに履きかえることを実質的に強要されると話すと、 よその人はたいてい驚く。
1998-07-24 (5) 01:06:07 +0900
新聞にはいってきたダイエット食品の折り込みチラシにあった 「ピザ1枚食べても 1/4 しか食べてない事にしてくれる」 とのコピーに添えられた写真は、 円型のピザ1枚とどう見てもその 1/6 以下としか思えないものを並べた写真であった。 分数がよくわからない読者相手の商売なのかも知れない。
「体験前」「体験後」 の写真はどれも別人かその間に十数年たっているとしか思えないし。
1998-07-23 (4) 01:40:30 +0900
先日、郵便局で 「7けたを正確に書けば「市区町村」名までを省略できます。 新郵便番号と、町域から下は、必ず正しく書いてくださいね!」 というポスターを見た。 「市区町村」の「町」と「町域」の「町」 の見分け方がわからないので局の人に聞いたが、説明がよくわからなかった。 ある人がいうには、「**市**町」「**区**町」とあれば 「市区町村」名の「町」ではありえないから省略不可とわかるのでは、 ということだが、 もしそれが正しいとして、 これらの住居表示から「**市」「**区」までを省略し、 「7けたの新郵便番号+町域以下」だけが書かれているのを見た人が この「**町」を「市区町村」名の「町」と間違えてさらに省略してしまう、 ということはないのだろうか?
ちなみに、以前は郵便番号を書けば都道府県名を省略できます、 となっていた。これならまぎれがない。
1998-07-10 (5) 00:11:27 +0900
夏目漱石「彼岸過迄」の一章「雨の降る日」 は幼い宵子の死を描いた間奏曲のような章であるが、その最後の 『「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二つのような子をこしらえてちょうだい。 かあいがってあげるから」 「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。 お茶わんや帽子と違って代わりができたって、 亡くしたのを忘れるわけにゃゆかないんだから」 の部分は、最初読んだ際「同じ子じゃいけないでしょう」でひっかかった。 「宵子と(瓜二つでなく、宵子と)同じ子でなくちゃいけないでしょう」 ならわかるのだが、もしかして誤植? と思って図書館で別の本を見たがこの通りだった。
二階の述語論理では(したがって数学においても) 「x = y」は「任意の述語 F( ) について、 F(x) が成り立つことと F(y) が成り立つこととが同値」と定義される。 よってイコールであれば両者を区別することはできないわけで、 だったらそれ以上何を望むの、と思ったのであるが、 世間一般の「同じ」というのはやや違っているようだ。
1998-07-09 (4) 23:00:58 +0900
なんと、甘酒は夏の季語である。 「俳句歳時記」(角川書店)ではじめて知った。 歳時記というのは俳句を作る人のために季語を集めた本らしいが、 ながめているだけでもなかなか面白い。 季節ごとに並べた日本の行事・動植物・食物などの百科事典、といった感じである。 この種の本は編者を異にするものがいくつか出ているようだ。 ほかに「ホトトギス新歳時記 改訂版」(三省堂)など。
1998-07-09 (4) 00:12:43 +0900
以上は単なる臆測です。 (確かユダヤ教の安息日は金曜日の夕方に始まるので、 もしも「ラテン語四週間」などをやろうと思ったら、 金曜の分は日が暮れるまでに済ませ、 土曜の分は日が沈んでからやればよいのかな?)
1998-07-07 (2) 23:29:10 +0900
1月5日付朝日新聞大阪本社版社会面「絆(きずな)」という連載に 「おとうちゃぁん」という表記が見られる。 「ぁ」が小書きであるのが珍しい。
1998-07-03 (5) 00:08:25 +0900
確か JIS では性別を数字で表わすとき男が 1, 女が 2 だったはずだが、 これだとなんだか男性優先のようだ。 私は男を 1, 女を 0 にしたらどうかと思う。 0 と 1 は小さい順に並べればもちろん「0, 1」だが、 キーボード上では 1, 2, 3, ..., 7, 8, 9, 0 の順に並んでいるので「1, 0」が自然な順番のようにも思える。 このあいまいさを利用すれば、 数字表記が男と女のどちらかを優先しているという批判をかわすことができると思うのだ。 でもこれじゃ「女は数に入れないのか」という批判がありうるか。
1998-07-03 (5) 00:01:09 +0900
1998年1月1日付朝日新聞大阪本社版テレビ・ラジオ面のコラム「キュー」 の誤植は「十個条」(「十箇条」が普通)かな、と思ったら冒頭の 「ワイドシー」だった。たぶん「ワイドショー」のことだ。
1998-07-02 (4) 23:53:35 +0900
97年12月27日付の朝日新聞大阪本社版総合面に 「暗い年には名ぐらい明るく/ 男 翔太 女 明日香/ 今年の赤ちゃん名前1位」 という記事が出ている。 毎年よく見る記事だが、 母集団が 「明治生命保険が今年十一月までに自社の保険に加入した、 九七年生まれの女の子約八千二百人、 男の子約八千四百人を調べたところ」 であることにはいままで気づいていなかった。 赤ちゃんの名前は、親の学歴・職業・収入などと関係があると思うので、 日本中の赤ちゃんで調べたら違う結果が出てくるかも知れない。
ところで、記事には「女の子」「男の子」別に書いてあるところが三カ所あるが、 全て女の子が先だ。明治生命の方針なんだろうか。 JIS では性別を数字で表わすとき男が 1, 女が 2 だったはずだ。
1998-07-02 (4) 23:37:15 +0900
T. L. ヒース著、平田寛訳「ギリシア数学史T」(共立出版)の 67 ページに、 タレスのエピソードとして 「ある人が、あなたが天文学でなさったある発見に対して、何を望まれるか、 と訊ねたとき、かれは‘その発見を他人が語るさい、 それがあなた自身の発見ではなくて、 私の発見だといってくだされば、それでけっこうです’といった」 という話があがっているが、 原書 Sir Thomas L. Heath, "A Manual of Greek Mathematics" の 81 ページでは When some one asked him what he would take for a certain discovery he had made in astronomy, he said, `it will be sufficient reward for me if, when telling it to others, you will not claim it as your own discovery but will say it was mine.' となっている。 どうやら「他人が語るさい」は「他人に語るさい」の誤植のようだ。 この訳書は最近一巻本として復刊されたが、 この部分はそのままだ。
なお、タレスのこの言葉は、 フリーソフトウェア作者にも当てはめられるように思う。 「ある人が、あなたが作ったあるソフトウェアに対して、何を望まれるか、 と訊ねたとき、かれは‘そのソフトウェアを他人に与えるさい、 それがあなた自身の作品ではなくて、 私の作品だといってくだされば、それでけっこうです’といった」
1998-06-30 (2) 23:20:08 +0900
数年前、新潟から弘前まで鉄道で旅行した際、 中学生のとき使っていた地図帳から東北地方のページをコピーしてもっていった。 東北地方が見開き二ページに収まっている地図だからたいしてくわしくはないが、 途中の駅名を確かめたり、 「しばらく海岸に沿って走るようだぞ」とわかったりして、 楽しかった。
それ以来ずっとペン差しに入れっぱなしにして持ち歩いていることに最近気づいた。 どうせコピーなんだから、帰りに寄った実家で捨てて --- もとい、リサイクルしてしまえばよかったものを。
1998-06-30 (2) 02:19:44 +0900
28日付朝日新聞大阪本社版の投書欄「声」に、 《「あげる」乱発もうあきれた》という70歳のかたの投書が出ている。 前半にはテレビで聞いたという 「体を動かしてあげる」 「汗をかいてあげる」 「さすってあげる」 「野菜をよく洗ってあげる」 などの“おかしい”「あげる」の例が11あがっているが、 後半には 「お上品に思われるように話すには「あげる」 をつけなければならないことになってしまったようで、 今では「やる」は禁句なのだろうか」 とあるので、おそらく「犬にエサをあげる」 のような言い方が気になっているのであろうと思われる。 この場合は「あげる」ではなく「やる」を使って 「犬にエサをやる」とするのが従来の日本語の標準だが、 上の例はすべて単に「あげる」を省いても意味が通じるものばかりなので、 厳密には前半と後半がややずれている。 (しかし、投書にも編集者の筆が加わるので、 このずれが投書者によるものとはいえない。)
私もこの投書の趣旨にはおおむね同感であり、 「この式の右辺を計算してあげると」 などと言われるとからだのどこかがむずむずしてくるほうなのだが、 載っていた例から「〜てあげる」を省いて 「体を動かす」 「汗をかく」 「さする」 「野菜をよく洗う」 などと言い直してみているうち、 全く別のことを考え始めた。 それは、もしかしたら、 「現代人の中には動詞の活用形を知らないで 「連用形」+「て」+「あげる」の活用形で代用している人が案外いるのではないか」 ということである。 例えば、実は私も「さすって」の終止形が「さする」 で五段活用することは念のため広辞苑をひいて確認したのだが、 仮に「さすって」しか知らなくても、
さすってあげない さすってあげます さすってあげる さすってあげるとき さすってあげれば さすってあげよと活用させれば用は足りてしまう。 つまり、 個々の動詞については活用形を覚える代わりに「〜て」(動詞によっては「〜で」) の形を覚え、それに「あげる」の活用形をつければ済んでしまうのだ。 (過去は 「さすってあげた」の代わりに「さすった」と言うこともできる。 それには「て」を「た」に、「で」は「だ」にかえればよい。 また、命令は「さすって」だけでも表現可能である。)
この方法で、夏目漱石の「草枕」の冒頭を書き換えてみた。
どこかおかしいのは自分の意志と無関係なところにも 「あげる」 を使っていることだ。そこは「しまう」でおきかえてみよう。山路(やまみち)を登ってあげながら、 こう考えてあげた。 智に働いてあげれば角が立ってあげる。 情に棹さしてあげれば流されてあげる。 意地を通してあげれば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。
これなら、まあまあいける。山路(やまみち)を登ってあげながら、 こう考えてしまった。 智に働いてあげれば角が立ってしまう。 情に棹さしてあげれば流されてしまう。 意地を通してあげれば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。
昔どこかで、 フランス語を話していてどうしても動詞の一人称複数形の形が思い出せなかったら on を主語にして切り抜ける方法がある、 と聞いたことがあるような気がしてきた。 こうすれば意味は一人称複数だが動詞の活用は三人称単数ですむ。
1998-06-28 (0) 23:04:16 +0900
むかしメインのメールアドレスとして使っていたがいまは使っていないワークステーション (以下「WS」と略記)のアカウントに細工をし、 finger で調べると「Unread mail since Tue Jan 19 03:14:07 2038」 と表示されるようにしてみた。
touch でシステムメールボックスの時刻を書き換えるだけだが、 メール関連のソフトのバージョンによってはそのファイルの所有者が root かも知れない。 その場合は、 自分が root になれない限りあきらめるしかない。 この WS にログインしてうっかり「Mail」 と打ったりするとその時点でメールを読んだことになってしまうが、 それを防ぐにはパーミッションを 000 にしておけばよい。
「Tue Jan 19 03:14:07 2038」は現在の多くの UNIX で扱える最も未来の時刻、といわれている時刻である。 ただし UTC で表示した場合の話であり、 その WS の finger の出力は JST なのでもう 9 時間先の 「Tue Jan 19 12:14:07 2038」にできそうだが、 なぜかそうすると ls で見たときは 2038 年なのに finger の出力結果は Unread mail since ... 1901 になってしまう。
私の聞いた話が間違っているのかも知れないと思い、 次のようなプログラムを書いて試してみた。 ただし、これは time_t が long であり、 long が4バイトであって、 時刻を UTC の 1970-01-01 00:00:00 からの通算秒数で管理するマシンでないと意味がない。
#include <stdio.h> #include <limits.h> #include <time.h> int main() { time_t t = LONG_MAX; /* UNIX 最後の瞬間 */ printf(asctime(gmtime(&t))); /* Tue Jan 19 03:14:07 2038 */ printf(asctime(localtime(&t))); /* Tue Jan 19 12:14:07 2038 */ t -= ((long)10) * (365*3+366)*24*60*60; /* 40 年、前に戻す */ printf(asctime(gmtime(&t))); /* Mon Jan 19 03:14:07 1998 */ printf(asctime(localtime(&t))); /* Mon Jan 19 12:14:07 1998 */ return 0; }
その結果は、第二の printf の出力だけが予想と違った。 想像するに、 ライブラリ関数 localtime は long 型変数 t に時差を加えてから gmtime に渡しており、 t が負になるためおかしな結果になるのでは、と思われる。
UNIX 最後の瞬間は世界で最も進んだ時間帯であるところの GMT +1200 の時間帯が Tue Jan 19 03:14:07 2038 をむかえたとき、 すなわち UTC の Mon Jan 18 15:14:07 2038 なのかも知れない。
(最初のうち、touch でタイムスタンプを変えられることを知らず、 DOS 上のファイル管理ソフト「エコロジー」を使ってタイムスタンプを合わせ、 LHA で圧縮して ftp で WS に送り WS 上の LHA で解凍したりしていました。)
1998-06-26 (5) 23:42:50 +0900
23日付の朝日新聞大阪本社版に新しい教育課程のことが出ており、 後ろのほうの面には「秋山仁・東海大教授に聞く」という記事がある。
「会議の席で 「分数の割り算はどうして分母と分子を逆さまにしてかければいいのか、 小学生が納得できるように説明できますか」と問いかけたら、 顔を伏せた人が多かったそうですね」 という(おそらく)記者の問いかけで始まって、 「今の算数と数学は、 子どもたちの頭に知識をたくさん注入して、 分かったつもりにさせていている。 「納得できなくても、そういうものなんだ」という教え方」 と秋山教授の答が続く。
たいていの大人は説明できないと思うが、 それは必ずしも丸暗記の弊害ではなく、 いま小学校で分数の割り算の《意味》をどう教えているかを知らないからだと思う。 それを知らなければ説明できないのは当たり前だ。 中学・高校、さらに大学で数学を学んだ人にとっては、 小学生向きの分数の割り算の《定義》は忘れてもいっこうに困らない。 あまりいい例でないような気がする。
もう一つついでに。 「小学校六年で勉強する「円すい」などの体積の内容は、 実は高校で勉強する積分を使わないと、理解できない」 とあるが、 次のようにすれば“一応”理解させることは可能だと思う。 これは(途中までは)「科学の事典 第2版」(岩波書店) の“多角形と多面体”の項に出ている方法である。 まず、カバリエリの原理 (「2つの平行な面のあいだにはさまれた2つの図形であって、 それに平行な平面で切った切り口の面積がいつでも等しければ、 両方の体積は等しい」) を説明する。 次に、 三角錐の体積がそれと同じ底面・ 高さをもつ三角柱の体積の三分の一であることを説明する。 それにはその三角柱を二つの平面でうまく切って三つの三角錐に切り分け、 それらが等しい体積をもつことをカバリエリの原理で示せばよい。 (念のために書いておくと、その二つの平面とは、 三角錐の“下の”底面を ABC, “上の”底面を A'B'C' とし、 A と A', B と B', C と C' が辺で結ばれているとするとき、 A, B', C を通る平面と A, B', C' を通る平面である。) 円錐の体積はカバリエリの原理によりそれと同じ底面積・高さをもつ三角錐の体積に等しいから、 三角錐と同じく底面積×高さ/3で計算できることがわかる。 (円錐の体積そのものは「科学の事典」には載っていない。) 以上の説明は、 小学校で習う円の面積の説明よりは厳密だと思う。
(注:「科学の事典」は函にある表記であり、 本体に従うなら KAGAKU no ZITEN 2HAN (IWANAMI) である。 また、項目の名前も TAKAKUKEI to TAMENTAI である。)
1998-06-26 (5) 23:00:00 +0900
本当に上の方法で三分の一であることを示せるかどうか、 不安になってきた。 底面が二等辺三角形で、 その等辺の長さと角柱の高さが等しい場合には OK だが……。
2003-07-02 (3) 23:57:40 +0900
1990 年から 1999 年までの十年間は「九〇年代」だが、 2000 年から 2009 年までの十年間はなんと呼ぶのだろうか? 書き言葉としては「〇〇年代」を提案したいが、 これには「発音できない」という重大な欠点がある。
1998-06-22 (1) 23:20:41 +0900
最近、「神々の黄昏」第二幕をよく聴くのだが、 ブーレーズ盤の外箱とCDケースの表側はそっくりであるにもかかわらず、 配役の表示が微妙に違うのに気がついた。 外箱では「Jones Jung Huebner」が一行目、 「Altmeyer Becht Mazura Killebrew」が二行目。 CDケースでは「Jones Jung Huebner Altmeyer」が一行目、 「Becht Mazura Killebrew」が二行目。 それにしても、Gunther 役の Mazura が Alberich 役の Becht と Waltraute 役の Killebrew にはさまれて下段というのはよくわからない。 もっと大きな役だと思うのだが。
1998-06-22 (1) 02:33:54 +0900
21日付朝日新聞大阪本社版の日曜版最終面に 「世界の車窓から」というビデオの広告が出ている。 すでに買った人の声の欄に 「電車の好きな十才十カ月の孫に見せに行くのを今から楽しみにしています。 孫はこのビデオを見るのがとても大好きなので……」 とあるが、 その年になって祖父母とこういう関係にあるのはやや不自然だと思うし、 この年まで「*才*カ月」と年齢を数えるのも不自然である。
この孫は幼くして亡くなっているのではあるまいか。 いわゆる「死んだ子の年を数える」 ということでその子が生きていたときの数え方のまま 「*才*カ月」と数えているのかも知れない。 そのお孫さんはこの番組を見るのが大好きだったが、 亡くなったときは何かの事情でビデオをお棺の中に入れてやることができなかったのをこの人はくやんでいた。 それから数年が経ち、すでに自分の死を予感したこの人は、 自分が死んだら棺の中にこのビデオを入れてもらい、 あの世で孫に見せてやるのを楽しみにしているのかも知れない。
いや、全く別の事情かも知れない。
1998-06-22 (1) 01:23:55 +0900
20日付朝日新聞大阪本社版社会面下部の広告に 「オールナイトニッポン hide forever」というのがでている。 「地域によっては視聴できないエリアがございます」 って小さな文字で書いてあるが、 「地域」と「エリア」ってどう違うの、 というつっこみはさておき、 最近のラジオって文字情報とかも出るんでしたっけ?
1998-06-22 (1) 01:17:23 +0900
20日付朝日新聞大阪本社版ラジオ面のコラム「キュー」 《難しい“朝ドラ”のイメージ脱皮》 の間違いは誤植ではなく「WHITH LOVE」のつづり字であった。
1998-06-22 (1) 01:10:49 +0900
前に、 むかし入手した「パイロットボールペンレフィル」なるものをみつけたと書いたが、 今でもその名前で売られているのを発見した。
1998-06-19 (5) 01:32:00 +0900
18日の朝日新聞大阪本社版24面に 「ハ調で弾くピアノ名曲ベスト200」というCDの広告が出ている。 「全曲ハ調の編曲だから初心者でも簡単!」 とあるのに写真に写っている楽譜はシャープが一つ付いていて、 どうやらト長調のようだ。 しかも、 上にもう一段パートが加わっており、 その音域からするとバイオリン曲のピアノ伴奏譜ではないかと思われる。
それはさておき、 曲目に「エリーゼのために」が含まれているのだが、 確かあの曲の出だしはシャープもフラットもなしのイ短調だったはず。 バイエルの巻末に付録としてついており、 レッスンでやった記憶がある。 それをわざわざフラット3つのハ短調に直したら、 かえってむずかしくなるのではないだろうか?
1998-06-19 (5) 00:17:50 +0900
先日書いた「乾杯はやめましょう」について、 massangeana 氏から二点、御指摘をいただいた。 一つは 「逆に中国人から「日本の乾杯は全部飲むんだそうですね」と言われたことがあ」 る、ということ。 もう一点は乾杯が杯の酒を飲み干すことであっても、必ずしも 「ひといきに」とは限らないのではないか、ということである。
前者については、 確かにひとつの新聞記事だけを信じるのは危険だろう。 後者についてだが、 日本の宴会での乾杯を観察してみると、音頭をとる人の(望むらくは) 簡単な挨拶があって、そして「〜を祝して乾杯!」というかけ声がかかる。 それぞれ飲み物に口をつけ、おそらく一分も経たないうちに全員で拍手をする。 それまでにコップを空にしなければいけないと思い、 一時期はその通り実行していた。
これって間違った思い込みだったんだろうか? そうだ、今度、「乾杯!」から拍手までの時間を計ってみよう。
1998-06-18 (4) 00:55:30 +0900
ちょっと前のこと。 職場のワークステーションにプリンタがついた。 一ページに何行印刷できるか調べようと思ったが、 行番号のついたテキストが見つからない。 しかたなく C でちょろちょろっと書いたら、 なんと C コンパイラがインストールされていないではないか。
そこで考えこむこと半時ばかり(←ウソ)。
a という名前の新規ファイルに「From daresore」という一行と空行を打ち込む。 cat a a >> b で2倍に増やす。 続いて cat b b >> a でまた2倍に。 (厳密にいえば、元と比べて5倍になっているけど、ま、だいたいということで。) こんなことをくりかえして、 a という名前のファイルでメールもどきが十分たくさん含まれているものを作った。 それを Mail -f a で読み込むことにより、 目的のテキストを得たのだった。
(記憶にたよって書いているので、コマンド行などの細部は間違っている可能性があります。)
1998-06-18 (4) 00:42:06 +0900
新聞の折り込みチラシにはいっていた 「ダイエット・ブレス」なるものの広告に 「目標 -17kg 減!」 とあった。 体重は増えるのか減るのか!?
1998-06-15 (1) 01:35:50 +0900
新聞を見ていたら、 中国の「乾杯」は文字通り杯を干す、 と書いてあった。 広辞苑もそのように書いてあるが、 日本では単に宴会の初めの、飲み物に口をつける合図にすぎないようだ。
最近、 「イッキ飲みはやめましょう」 というポスターを大学でよく見かけるが、 もし文字通りに解釈するならば 「乾杯はやめましょう」も必要ではないだろうか?
1998-06-13 (6) 23:55:13 +0900
カラヤン盤 CD の「ニーベルングの指環」の付属解説書を見ていたら、 「エルダはこのふたりがニーベルングの呪いを解き、 指環をラインの娘たちに返すであろうと告げる」 とあるが、対訳を読む限りそのようなせりふはない。 何かの間違いであろう。 渡辺護氏のような専門家にもこんなミスがあるかと思うとちょっと意外。 普通のファンなら対話の内容の細部まで覚えていなくても不思議はないが。 氏の「新版リヒャルト・ワーグナーの芸術」(音楽之友社)も違っているようだ。 念のためほかの対訳も見ておこう、 と思って取り出したクナッパーツブッシュの 1957 年バイロイトライブ盤 CD 解説の小林利之氏も同様。 ちなみにこの解説書の対訳はファーゾルトが「ござりますだ」言葉をしゃべる小笠原稔訳。
付:念のためレクラム文庫を見てみたら、 第三幕第一場には作曲されなかったエルダのせりふがある。 しかしそこでもそんなことは言っていない(ようだ)。
1998-06-12 (5) 01:20:45 +0900
文房具を雑多に収めた箱を整理していたら、 「パイロットボールペンレフィル」 なるものがでてきた。 約 86 ミリ × 25 ミリのビニール袋に長さ 67 ミリほどの金属製のボールペンの芯が赤青の2本はいっていて¥ 70 と書いてある。 封が切ってあるので2本入りだったのかどうかはわからない。 RFC-7 というのが型番だろうか。 いや、そんなことはどうでもいいのだ。 「リフィル」でなく「レフィル」であるところがおもしろいのだから。
1998-06-12 (5) 01:02:18 +0900
9日付朝日新聞大阪本社版のまん中あたりに 「仏滅・大安…「六曜」の削除訴え10年」という記事が出ている。 「社員手帳やカレンダーから、大安や仏滅などの記述をなくそう、 と企業に呼びかけている福岡市の団体が十年目を迎えた」 「先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の「六曜」 は仏教にも神道にも無縁の迷信だ。 起源は中国だが、日本で独自の形になって明治以降に広まった」 などとある。
六曜にはっきりした根拠がないという話は私も前から聞いており、 私自身はほとんど気にしたことがないが、 「では七曜は迷信ではないのか?」 と聞かれたらどう答えてよいかわからない。 現在、官公庁や公立学校が休日としている日曜日は明らかにキリスト教の聖日に起源をもつ。 「それが“迷信”でなくて六曜が迷信である理由は?」 「友引に火葬場が休むのは日曜日に学校が休むのと同じでしょ?」 と言われたらどう答える?
「広辞苑第二版」によると「迷信」とは 「宗教的・科学的立場から見て、 迷妄と考えられる信仰。 また、道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。 その判定の標準は常に相対的で、通常、 現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものについていう」 となっている。 最新の第四版でも 「宗教的・科学的立場から見て」 の句がないだけで全く同じである。 「七曜は“由緒正しい” 宗教であるキリスト教に由来するが六曜はそうではないから」 と説明したら納得してもらえるだろうか?
ところで、六曜は旧暦から簡単に計算できる。 旧暦の m 月 d 日の六曜は m+d を 6 で割った余りで決まるのだ。 手元にあった数年前の暦から計算してみると、 余りが 0, 1, 2, 3, 4, 5 の順で大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅となるようだ。 旧暦では「閏 m 月」というのが「m 月」の次に挿入されることがあるが、 それでも六曜は同じ式で計算する。 私は、 六曜がこのように簡単に計算されるのを知ってから全く気にしないようになってしまった。 ちなみに、仲秋の名月は旧暦8月15日と決まっているので必ず仏滅になる。
ということは、 この団体はカレンダーや手帳への旧暦の記載にも反対せざるを得ない、 ということになるのだろうか?
1998-06-10 (3) 02:17:28 +0900
5日付朝日新聞大阪本社版政治面の首相と記者のやりとりの中に 「8020(はちまるにいまる)運動だろ?」とある。 「2」を「にい」と読むのはよくあることだが、 辞書にはあまり載っていない。 「広辞苑」で「二二六事件」を調べようと思ったら 「ににろくじけん」でさがさなければならない。 ところで、「5」も同じようにのばして発音されることがあるが、 かなで書くとしたら「ごお」だろうか、「ごう」だろうか? 「十(とお)」とのアナロジーで考えれば「ごお」? 「五」と「十」は語源が全然違うからこんなところでアナロジーを持ち出すのがおかしいか?
1998-06-09 (2) 01:43:18 +0900
ふだん使っている DOS 上の自家製 FEP は 「XFER」「t」でかな漢字交じり文入力モードになり、 「XFER」「a」でそこから抜ける。 その FEP は Win95 では使えないので最近は「普通の」FEP を使うことも多いが、 慣れないせいかイライラする。 その原因の一つが、 かな漢字変換の ON-OFF がトグルになっていることだと気づいた。 どちらのモードにいるのかを間違えて全角で<P>などと打ってしまうのだ。 私の FEP はモード変換に2打必要だが、 それが負担だと思ったことはない。 トグルでないほうがいいのではと思うが……。
1998-06-09 (2) 00:57:50 +0900
7日の朝日新聞大阪本社版「ウイークエンド経済」 に高級ホテルの話が出ているが、 「客室のトイレットペーパーも、半分ほど使ったら新しい物に交換している」 そうだ。 だったら、芯の部分が太い特製トイレットペーパーを作ったらどうだろう? オーディオカセットの46分テープには芯棒の太い「太ハブ」 というのがあったと思うが……。 (それじゃ客が使いきってしまう可能性があるのでこのホテルのポリシーには合わないでしょう。 あくまで冗談です。)
1998-06-09 (2) 00:46:16 +0900
7日の朝日新聞大阪本社版4面の旅行代理店の広告に、 「食事は付きません。(機内食は含まれません)」 とあった。 どうも、ほかのツアーの「食事 夕1回(機内食は含まれません)」 などからそのままもってきたフレーズらしい。 機内食は出るの、出ないの?
1998-06-09 (2) 00:37:59 +0900
95年8月11日付朝日新聞大阪本社版「論壇」《民族主義の封印とくとき》には 「ミズーリ号」を「ミズ―リ号」とした誤植がある。
1998-06-09 (2) 00:30:40 +0900
長音符がダッシュになっている、と言いたかったのである。 フォントによってはわかりにくいので補足した。
2006-05-07 (0) 23:13:23 +0900
97年7月24日朝日新聞大阪本社版には女子中学生行方不明事件の容疑者を逮捕した、 との記事が大きくでている。
朝日新聞が年齢表記に使う活字は 「開きかっこ+漢数字(一から九まで)」「漢数字(〇から九まで)+閉じかっこ」 という特別なもので、 10歳から99歳まではこれらを組み合わせて使う。 例えば25歳だったら「(二」という活字と「五)」という活字を並べると 「(二五)」となる。 これで普通の活字二文字分のスペースを占めることになるわけだ。 (原文は縦書きであることにも注意。)
この記事でもこの表記が二度ほど見られるが、別の表記も使われている。 「通信社が「近所に住む無職の男(25)に未成年者略取容疑の逮捕状」 との一報をマスコミ各社に配信した」 という部分だ。 ここの「25」は算用数字で、これで一文字分を占めている。 その通信社の表記そのままなのだろうか。 わざわざ原文の表記どおりにする意味はあまりないと思うが。
ちなみに、9歳以下の場合は「開きかっこ+漢数字」と「つ+閉じかっこ」を組み合わせる。 100歳以上の場合? それは各自で確かめてほしい。
1998-06-09 (2) 00:27:30 +0900
97年2月17日付朝日新聞大阪本社版ラジオ面コラム「キュー」 《情報にも男女別々のものが》の誤植は 「コメンテーター」が「コメンテー夕ー」になっているというもの。 典型的な OCR のエラーと思われる。
あ、もうひとつ見つけた。 「彼女」が「波女」になってる。 紙面では縦書きだからこれじゃ「婆」だ。 草野満代アナウンサーのことをいっているので「婆」はちょっとかわいそう。
97年7月29日付《裸だけが売りもの?「失楽園」》は 「ベッドシーン」が「べッドシーン」になっている。
1998-06-08 (1) 23:57:56 +0900
「コメンテーター」はカタカナの「タ」が漢字の「夕」になっていた、というもの。 「ベッドシーン」はカタカナの「ベ」がひらがなの「べ」になっていた、 というのである。 フォントによってはわかりにくいので補足した。
2006-05-07 (0) 23:16:12 +0900
合宿形式で「ホモトピー研究会」をやっていたら土地の婦人たちがやってきて 「若い男が昼間っから何やってるんですか」 とすごい剣幕で詰問してきた、という話を思い出した。 「数学の勉強会ですよ。女の人もいますから、よかったら見ていってください」 と応対したらしばらくして帰ったそうだ。 この「ホモトピー (homotopy)」は、 学部の授業だと一次元ホモトピー群にあたる基本群しか説明できないことが多い。
1998-06-08 (1) 23:52:50 +0900
前半を削除し、タイトルも変えました。 元の形のものは「いろいろ(成人向け)」においてあります。 上のタイムスタンプはもとのままです。
2004-04-26 (1) 23:28:01 +0900
JTB 「停車場変遷大事典」の内容見本に 「小諸・小海間(佐久鉄道)→買収」 という表現が見られた。 この「→」の意味はわかりにくいが、 ちょっとこじつけて 「小諸・小海間を佐久鉄道から買収」 と考えると意味がよくわかる。 「→」や「〜」は“変体仮名”の「より」 と考えるとよいのかも知れない。
1998-06-08 (1) 01:37:01 +0900
JTB が「停車場変遷大事典」というのを出すそうだ。 10000円。 パンフレットを本屋さんでもらってきた。 国鉄・JRの全駅について、 とにかくいろいろなことが書いてあるようだが、 「清水港」という駅名が昔は「志みづみなと」 と書かれていた、なんてことが私には面白い。 残念ながら駅名のローマ字つづりは出ていないようだ。
1998-06-08 (1) 01:17:43 +0900
6月5日付朝日新聞石川版に 『「私はうつる病気」看護婦さんウソ一言 襲おうとした男撃退」』 という記事がでている。 襲われそうになったが 「感染性の病気だと偽り、病気の詳しい説明をしたところ」 助かった、という事件なのだが、 病名は伏せてある。 数日前に見た別の新聞には確か病名が書いてあった。 職場でとっている北國新聞を見たら、見出しに 『私は「****」撃退事件』 と書いてあった。 (****は病気の名前だが、 それに特に意味があるとも思えないのでここでは伏せ字にした。)
1998-06-06 (6) 02:22:45 +0900
ドイツ“新幹線”の事故についていろいろなニュースを見聞きしているが、 まず、「新幹線」という名称を用いているものといないものとがある。 「新幹線」では日本のあの新幹線と間違われる、と考えたメディアは避けたのだろう。 一方、「新幹線」と言わないと単なる普通の鉄道の事故に思われる恐れもある。
次に、ぶつかったのは「橋脚」か「橋げた」か。 どうも、「橋脚」のことを「橋げた」と言う人がいるようだ。 (私もそうでした。)
ところで、 運転手が気がついてみたら2両目以降の客車がなかった、 と聞いたとき、私は「ウルトラQ」の「地底超特急西へ」を思いだした。 新しいニュースによると、ブレーキをかけたのは 1両目だけが通過するのを見た駅員だそうだが、 「地底超特急西へ」 では子供たちの楽隊が歓迎の演奏をしているわきを、 2両目以降を切り離された「いなずま号」の機関車だけが通過するシーンがあったのだった……。
1998-06-05 (5) 02:35:10 +0900
1998-06-04 (4) 18:08:15 +0900
職場の図書室でケリーの「位相空間論」(吉岡書店)を見かけ、 奥付を見たら 「発行者 吉岡 書」「発行所 株式会社 吉岡清店」となっていてびっくり。 1974年の第4刷。
1998-06-04 (4) 18:01:30 +0900
3月8日付朝日新聞大阪本社版日曜版に、 ハローキティのペンダントの広告が出ている。 「キティーちゃん」ではなく「キティちゃん」、 「レディー」ではなく「レディ」という表記も興味深いが、 プロフィール中の 「得意科目=国語(イギリスだから英語)・音楽」 というのが興味深い。
単に「国語」とすると「イギリス生まれなのになぜ日本語?」と思われ、 「英語」とすると外国語嫌いの生徒にウケが悪い、 と考えたのだろうか。
1998-06-02 (2) 01:58:00 +0900
3月8日付朝日新聞大阪本社版に総合面によると、 グリニッジ天文台が10月末までに閉鎖されるらしい。
1998-06-02 (2) 01:52:20 +0900
5月30日付の朝日新聞大阪本社版ラジオ面コラム「キュー」 の誤植は「スケべ」。 カタカナの「ベ」がひらがなの「べ」になっているのだ。 朝日のフォントはひらがなの「べ」 のほうが角ばっていることを知らないと気づきにくいかも知れない。
1998-06-01 (1) 01:31:05 +0900
岩波から久野収氏の著作・対談などを集めた本が出るようだ。 内容見本裏の写真によると、 函のタイトルでは 「久野収集」の「集」の前後に細い大カッコがついて 「久野収[集]」のようになっている。 「収集」という熟語と間違われないためだろう。 内容見本のタイトルは「集」だけ活字を変えている。 5月30日朝日新聞大阪本社版第一面の広告では、 特に何の細工もなく「久野収集」と書いてあるように見える。
1998-06-01 (1) 00:49:49 +0900
少し調べてみたところ、 「青梅東高」はあるが「青梅高」は実在しないようだ。 (青梅駅近くにあるのは「多摩高」である。)
1998-06-01 (1) 01:25:40 +0900
「青梅」はかなで書けば「おうめ」だが、 これは「お+うめ」なのだろうか、 それとも「おう+め」なのだろうか? それによってローマ字表記が 「Oume」「O~me」と変わってくる。 (O~ は O のうえに山型をつけた文字「Ô」の代用のつもり。 HTML では Ô でよいはずだが対応していないブラウザもあるので。)
私は「おう+め」のように発音しているようだ。
1998-05-29 (5) 23:53:25 +0900
1月9日付朝日新聞大阪本社版ラジオ面コラム「キュー」の誤字は 「堪忍袋の尾が切れた」。 正しくは 「堪忍袋の緒が切れた」である。
それから 『コメンテーターたちは一様にぼう然とし、 「もしテレビに撮られていなかったらもっと早くに離婚していたかもしれない」 「いや撮られていたからもったんだ」と、相対する意見を口にした』 とあるが、この二人は実は同じことを言っているに過ぎない。 (これは家族の一人にいわれるまで気づかなかった。)
1998-05-27 (3) 23:13:58 +0900
朝日新聞ラジオ面のコラム「キュー」の本当におもしろい誤植はどうやら OCR の誤動作によるものらしいのでその種のミスのみをさがすべきかもしれないが、 3月16日付のでは 「この手のヒロインはもう二十年ほど前に大原麗子が演じていたが、 働く女にとっては永遠不滅のヒーロー像である」 の「ヒロイン」と「ヒーロー」の対比がおもしろい。 「永遠不滅のヒロイン像」というと別の意味になってしまうのだろうが、 ちょっとひっかかるものがある。
最初「顔に斜がかかっている」の「斜」が誤変換かと思ったりしたが、 最近はマンガの影響でこういう言い方があるようだ。
1998-05-26 (2) 00:23:12 +0900
本文ナシ
1998-05-25 (1) 17:49:12 +0900
この項目は「いろいろ(成人向け)」に移動しました。 上のタイムスタンプはもともとのものです。
2004-04-26 (1) 23:20:58 +0900
東芝の冷蔵庫に「かわりばん庫」という名前の商品がある。 ある小部屋を必要に応じて冷凍庫やチルド室に変更できる、 ということらしいが、 どうも子供のころ使っていた「かわりばんこ」 という言葉とは使い方が違うような気がするのだ。 「かわりばんこ」は、 たとえば電車ごっこにおける運転手のように一人しかできない役を複数の子供が交代でつとめるときに使う。 「役」はひとつ、それを演ずる「子供」は複数である。 冷凍庫やチルド室が「役」、 小部屋が「子供」と考えれば、 一人の「子供」が複数の「役」を演ずるわけで、 なんだか逆のように思う。 もしも「かわりばんこ」という言葉から商品の性能を想像すると、 冷蔵庫がいくつかの小部屋に分かれていて、 その中の一つだけが特定の役目をし、 どの小部屋をそれにするかは自分で変えられる、 という感じにでもなるだろうか。
1998-05-25 (1) 02:22:00 +0900
よく「防犯カメラ作動中」と書いてあるお店があるが、 もし客がスリや置き引きにあって 「こう書いてあるからカメラが犯罪を防ぐと思って安心していて盗まれたのだ。 責任をとれ」 とかゴネたらどうするのだろう。 私がお店の人だったら、 小さい字で 「防犯カメラが守るのはお店の商品であり、 お客様の持ち物ではありません」 とでも書いておくかもしれない。
1998-05-25 (1) 02:12:00 +0900
本文ナシ
1998-05-25 (1) 02:05:00 +0900
この項目は「いろいろ(成人向け)」に移動しました。 上のタイムスタンプはもともとのものです。
2004-04-26 (1) 21:16:17 +0900
もう十数年も前だが、 朝日新聞スポーツ面の野球の記録に出ていた
………… [指] だれそれ 打指 だれそれ 走指 だれそれ …………のような部分が、 指名打者に代打や代走を送るときのルールと照らし合わせて納得がゆかないケースがあったような気がするのだ。 それ以来、 プロ野球の結果が出ていると指名打者の欄を見るくせがついてしまったが、 もとのケースがどんなのだったかは忘れてしまった。 (苦笑)
1998-05-25 (1) 02:01:10 +0900
5月5日の朝日新聞大阪本社版社会面に出ていた阪急交通社の広告の日程表に
+−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ | |午後:関西国際空港発→(ソウル乗継)→ | | +−−−−−−−−−〈日付変更線〉−−−−−−−−−+ |1|着後、ホノルル市内観光……… | | |……… | | | 〈ホノルル泊〉 | +−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ |2|……… |とあったという話の続きだが、 「この〈日付変更線〉から先は現地時間」 という意味だと思えばそれほどおかしくもない、 と気がついた。
もっとも、 そうだとしたら日付変更線を通過しない海外旅行にも日本時間と現地時間の間の線をいれないと統一がとれないが。
1998-05-25 (1) 01:48:12 +0900
日付変更線の通る地点は何かで決まっているのだろうか? それとも、 「ここは日付変更線の西側、ここは東側」 となるように注意して引けば細かい点はどうでもよいのだろうか? もし前者なら「日付変更線の長さは何キロメートルですか?」 というクイズがありそうなので、 後者のような気がする。 複数の世界地図を見ると折れ曲がる回数も微妙に違っているようだ。
1998-05-23 (6) 23:34:58 +0900
電子メールにはすぐ返事を書くのに普通の手紙だとなかなか返事を書かない人がいる。 たとえば私(笑)。
その理由を考えてみた。 電子メールは読む環境(=コンピュータの前)がすなわち返事を書く環境であるのに対し、 普通の手紙だとそうではない。 外から帰ってきて郵便受けの手紙に気づき、 着がえもそこそこにキッチンに立ったままあわただしく封を切って読んでいるのかも知れない。 そこには便箋も万年筆もないのだ。 「うん、返事はあとでゆっくり机に向かったとき書こう」 と思ってそのままになってしまうのではないだろうか?
もっとも、 最近はいろいろなコンピュータが身の回わりにはいり込んできたため、 電子メールの場合も 「読む環境=書く環境」とは言えなくなってしまったように思う。 私の場合、ちょっと長いメールだとTコード対応の自家製 FEP が使える 98 + MS-DOS 上でないと書きにくいので 「うん、返事はあとでゆっくり書こう」 となりがちである。
1998-05-23 (6) 23:28:43 +0900
子供のころ家族旅行で何度か箱根に行ったため 「ごうら」という駅名は知っていたが、 大人になってから小田急線の広告で Gora (o の上にのばす印として横棒がついていたかもしれない) という表記の行先表示をつけた登山電車の写真を見て、 十数年間「ご+うら」と発音していたことに気がついた。 漢字で書けば「強羅」だから 「ごう+ら」、すなわち「ごーら」のような発音になるのだろうが、 ひらがなしか読めなかったので「うら」 と勝手に結びつけて読んでいたものと思われる。 今でも、無意識に発音すると「ご+うら」になる。
1998-05-23 (6) 01:03:20 +0900
ちょっと前に、 旅行代理店のハワイ旅行などの広告は “行きの日程表には‘日付変更線通過’を書くが帰りは書かないようだ” と書きました。 あれから気になって見ているのですが、 やっぱり書くほうが多いみたいです。 そうでないとものすごく長い時間飛行機に乗っているように見えるから?
1998-05-23 (6) 00:50:05 +0900
ある方から、 私が前にここに書いた “朝日新聞大阪本社版のラジオ面にときどきでているの島崎今日子氏の「キュー」 のわざとやっているとしか思えない誤植”は OCR のミスではないか、というメールをいただいた。
「授業拒否」が「授業拒杏」になっているように、 字形の似た文字に間違っているのが多いから、 きっとそうであろう。 著者がワープロで書いた原稿をファックスか何かで朝日新聞社に送り、 編集部が OCR で読み取っている、と想像される。 意図的なものではなかったようだ。
でも、これからもがんばってさがします(笑)。
1998-05-23 (6) 00:48:40 +0900
V.I.アーノルド「古典力学の数学的方法」(岩波)の 2 ページに曰く 「n 次元アフィン空間 An は、 《座標系の原点が固定されていない》ことだけが Rn と異なる。 加法群 Rn は、 An 上に平行移動の群として働く(図1)。 つまり、aεAn, bεRn ならば、 a+bεAn. (すなわち、An の2点の和は定義されないものの、 2点の差は Rn のベクトルとして定義される。)」
なんだか ANSI C のポインタ型変数の値と似ている。
1998-05-22 (5) 22:45:55 +0900
子供のころ、 「火葬」「土葬」「水葬」などから類推して 「密葬」の「密」を遺体を処理する方法だと思い込み、 「小さな容器に遺体をつめ込んで葬ることかなあ」などと思っていた。
1998-05-22 (5) 12:22:10 +0900
先日、レコード屋で見たCDだったか音楽雑誌だったかに 「マーラー 交響曲第10番〜アダージョ」 という表記があった。 これは本来 「マーラー 交響曲第10番からアダージョ」 とでもなるべきところ。 「〜」を「から」と読ませるつもりであろう。
1998-05-20 (3) 18:40:12 +0900
19日付朝日新聞大阪本社版国際面「地球24時」の 「香港紙報道/中国軍が大規模演習」に 『中国空軍は「拳頭(げんこつ)」と名付けた精鋭部隊を編成しつつあり』 という文章が見られる。 岩波日中辞典で「げんこつ」をひくとこの「拳頭」が(簡体字で)出ているので、 このカッコは日本語で意味を説明したものであろう。
1998-05-20 (3) 00:17:21 +0900
18日付朝日新聞大阪本社版の主張・解説面「欧州通貨統合」 に欧州各国でのビッグマックの値段が出ていた。 ちなみに、価格はマクドナルド調べだそうだ。 こういう場合の共通の商品としてビッグマックが選ばれたのがなんとなく面白い。 そんなにマクドナルドって世界共通なの? って感じ。
だったら統一された通貨には「マクド」を選べばよかったのに。 ってのはもちろん冗談。
1998-05-19 (2) 01:52:02 +0900
18日付朝日新聞大阪本社版社会面の「世界最古のナマズ化石」という記事に 『日本魚類学会が……論文を受理したことで』とあるが、 この「受理」は accept の意味であろう。 単に受け取ったというのではなく、 学会誌への掲載を決定した、という意味での受理である。 そのことが一般の読者に理解してもらえるだろうか?
1998-05-19 (2) 01:41:30 +0900
18日付朝日新聞大阪本社版第一面に 「日本標準時の天文館/子午線からずれます」 という記事が出ている。 新しい基準を採用することにより緯度・経度が変わるので、 『東経一三五度の子午線上に日本標準時を示す大時計を掲げた市立天文科学館がある兵庫県明石市を始め、「子午線のまち」を売り物にしている兵庫、京都の五市十一町は「建物やモニュメントを移すわけにはいかないのに」と困惑している』 ということなのだが、 この部分以外では「幻の子午線」「子午線上市町交流協会」「子午線最南端」 「子午線は町のキャッチフレーズ」「子午線上の海岸に」 などと「子午線」が単独で使われており、 「東経135度の」がついていない。 見出しも同様である。
最初に説明してあとは省略、ということなのだろうが、 「子午線というのは東経135度を通っているものだけ」 とカン違いしないだろうか? 「135度の隣の子午線は何度なんですか?」と聞く子供も出てくるかも知れない。
(現在では、世界中でひとつの時刻を決め、 日本標準時はそれからの時差が何時間、と決めているはずなので、 東経135度の子午線には特に意味はないと思うのだが……。)
1998-05-19 (2) 01:34:58 +0900
エンピツをワイシャツの胸ポケットにさして持ち歩くよい方法はないか、 と前から考えていた。 前に使っていたクリップつきのキャップはしばらく前にこわしてしまったのだ。 数日前に、二十年ほど前から使っているシャープペンシルがついに壊れてしまった。 そのクリップは金属でできており、弾力を利用して軸にくっついていた。 はずしてエンピツにはめてみたらぴったりはまる。
1998-05-19 (2) 00:21:58 +0900
振りがなが使えない、あるいは使いたくない、といった場合に、 後ろにカッコに入れて読みを示すことがある。 「円錐(えんすい)」といった具合であるが、 カッコの使い道はこれだけではないので誤解が生じる場合がある。 何かうまい方法に統一できないものだろうか? カッコの形を工夫してもよいし、 「円錐(よみ:えんすい)」のようにカッコの中身の先頭に決まった文字列を書く、 という方法でもよい。
1998-05-19 (2) 00:16:30 +0900
もしもあなたがエンピツをエンピツ削りで削っていて、 芯の先を完全に尖らせる習慣があったとする。 そして、軸の先から出ている芯が、 長さにして半分ぐらいになったらまた削っているとしよう。
ここで、話を簡単にするため、 削る直前の芯先は軸に垂直な平面で切り落とされた形をしている、と仮定する。 すると、あなたが使っているのは芯のうちの内側の部分だけであり、 直径にして二分の一、断面積にすれば四分の一にすぎないことがわかる。 さらに、三角錐[サンカクスイ]の体積が底面積×高さ/3であることを思い出すと、 さらにその三分の一、すなわち十二分の一しか芯を使っていないことになる。
一ダースのエンピツを買ってきても、 実際に使っている芯はそのうちのたった一本分にすぎないのである。
(これは、私が上司から聞いた話です。)
1998-05-19 (2) 00:09:51 +0900
17日放送のテレビアニメ「サザエさん」は、カツオの声が別人だったようだ。 イソノ家一同が茶の間に集まっているシーンでも、 一人だけよその子がまじっているように感じられた。 番組最後に画面に出る声優さんの名前を見ると、 いままでどこかで見たようだが、よく思い出せない。 また、隣のうきえさんを担当している声優さんの名前は、 いつも出るのに今回は出なかったような気がする。
1998-05-18 (1) 23:39:55 +0900
「すぐお金貸します/車に乗ったままでOK」などという貼り紙を見るが、 「自動車に乗ったまま、 自動車の窓ごしに手続きをしてお金を借りられるほど手続きが簡単」 の意味なのか、それとも 「自動車を担保にお金を借りられるが、 借りた時点では貸し主に自動車を押さえられるわけではないのでその自動車に乗りつづけることができる」の意味なのか?
1998-05-18 (1) 23:12:09 +0900
5月5日の朝日新聞大阪本社版社会面に出ていた阪急交通社の広告の日程表に
+−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ | |午後:関西国際空港発→(ソウル乗継)→ | | +−−−−−−−−−〈日付変更線〉−−−−−−−−−+ |1|着後、ホノルル市内観光……… | | |……… | | | 〈ホノルル泊〉 | +−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ |2|……… |とあるのを見たとき、 日付変更線が空間内にあるのではなく時間軸上の一点であるかのような不思議な感じがしました。
5月11日の朝日新聞大阪本社版社会面に出ていた日本交通公社の広告では
+−+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+ |1|夕刻:関西国際空港→〈日付変更線通過〉→…… |となっており、このほうがすっきり頭にはいる感じです。
しかし、いずれも帰りの日付変更線通過は書いてありません。 通過そのものに意味があるんじゃなくて、 一見したところ時間が戻るように見えることの説明のためなのでしょう。
1998-05-16 (6) 02:15:22 +0900
3月27日付朝日新聞大阪本社版ラジオ面のコラム「キュー」 『芸能人は本音を話す方がお得』の誤植は「リポー夕ー」。 かたかなの「タ」が「夕方」の「夕」になっているのだ。 近くの「NHKラジオ夕刊」の「夕」と比べて確かめた。
1998-05-16 (6) 01:09:02 +0900
5月14日付朝日新聞大阪本社版総合面によれば、 また夏時間が検討の対象にあがっているようだ。 数年前にもそんなことが報道されていたような気がする。 前には消費拡大も夏時間の効果として期待されていたようだが、 今回は省エネルギーだけだ。
1998-05-16 (6) 00:22:31 +0900
5月14日付朝日新聞大阪本社版社会面に、 衆議院の法務委員会で死刑制度の是非について議論がなされた、という記事が出ている。 記事には 『法相自身、死刑に代えて終身刑を設けることを個人的に考えたこともあると披露。 しかし、終身刑で社会から遮断された生活が続けば、 人格が完全に破壊されるかもしれないとの結論に達し、 「結局、現行制度が妥当ではないかという思いに至った」 と述べた』 とあるが、 これだと死刑廃止論者から 「死刑か終身刑か、受刑者に好きなほうを選ばせればいいではないか」 と容易に反論されないだろうか?
1998-05-16 (6) 00:20:25 +0900
最近、オルファ社がナイフとエンピツを手にした子供の写真を新聞広告に使っているが、 子供が刃を出したままのナイフを持ってカメラのほうを見ているのが気になる。 私だったら刃をしまうまでは刃から目を離さないが。
1998-05-16 (6) 00:09:32 +0900
5月15日付朝日新聞大阪本社版ラジオ面のコラム「キュー」 『新鮮・優れた企画「課外授業」』の誤植は簡単に発見できました。 「再現フイルム」と「再現フィルム」の両方の表記が見られ、 外来語の書き方が不統一、ってことですな。
ちょっと前のですが、 昨年12月25日付『男の欲望が見えた「青い鳥」』は 冒頭の「べッドシーン」が誤りです。 ひらがなの「べ」じゃなくてかたかなの「ベ」が正しいんですが、 この二つ、フォントによっては区別がつきにくいかも。
1998-05-15 (5) 23:30:30 +0900
前に、「いろいろ」は奥村晴彦さんが発明したタイトルであると書きましたが、 massangeana 氏からそれは間違いとの御指摘をいただきました。 奥村さんが非常にこのタイトルを好まれたのでカン違いしたようです。
もう一つ。 このページに、対応する </A> なしの <A NAME="..."> を置いていたことがありますが、 それはいけない、とのことです。 実際に飛び先としては使っていなかったので、 全部削ってしまいました。
massangeana さん、ありがとうございました。
1998-05-14 (4) 02:19:26 +0900
ソースファイル上で
このページに、対応する </A> なしの <A NAME="..."> を置いていたことがありますが、となっていたのを
このページに、対応する </A> なしの <A NAME="..."> を置いていたことがありますが、に改めた。
2006-01-11 (3) 00:42:46 +0900
http://... という例のあれを何と呼ぶか、 わからなくて PC-VAN で奥村さんにお尋ねしたことがありましたが、 最近、「ブックマーク」と呼んでいる人を見ました。 「私のホームページのブックマークは http://... です」 といった具合です。 時々、「ブックマークは http://... にお願いします」 などと書いてあるページがありますが、 そこから生じた誤解ではないかと思います。
1998-05-14 (4) 02:15:07 +0900
朝日新聞大阪本社版のラジオ面にときどきでている島崎今日子氏の「キュー」は、 わざとやっているとしか思えない誤植をほぼ毎回とりいれているので、 面白くて目が離せない。
4月17日付「学校は苦痛? 増える教師不信」では 「授業拒否」が「授業拒杏」になっている。 ワープロの誤変換ではありえないし。 不思議。
4月25日付「嫁姑への偏見どぎついドラマ」はなかなか間違いがみつからなかったが、 最後の文章の最後に句点がついていないのだった。
1998-05-12 (2) 00:06:56 +0900
4月11日付朝日新聞大阪本社版に、 定期貯金をする際「百万円一口」より「千円千口」 のほうが利子が高いのは利子計算の際 「一銭以上なら一円に切り上げる」からだ、と書いてあったが、 そういうことだったのか。
以前、どうしてそうなるのかわからず、 いわゆる“本局”の窓口でたずねたところ、 局員は利子の計算表のようなものを出してきて電卓で計算してみせてくれたが、 この規則を知らないようで利子の端数を切り捨てるものだから当然百万円一口のほうが利子が多くなる。 「利子が多いほうが利子にかかる税金も多いから」とか言っていたようだがそれもおかしい。
ところで、利子に課税されるようになる前は確かに百万円一口のほうが利子が高かったような気がする。
1998-05-11 (1) 23:45:36 +0900
4月8日付け朝日新聞に出ていた週刊朝日4月17日号の広告に 「山一レディー」という表記が見られた。 最近は「レディ」と表記されることも多いのだが。
ところで、「山一レディー」と聞くと“幽霊漢字”の「妛」を思い出すのは私だけではないはずだ。(笑)
1998-05-11 (1) 23:34:48 +0900
4月14日付朝日新聞大阪本社版のコラム「私空間」にはサイモンとガーファンクルの 「サウンド・オブ・サイレンス」から(新聞上で数えて)8行ほど引かれているが、 コラムのわきに JASRAC の許可証(?)が載っている。
もっと長く引用しても何も書いてない場合もあったような気がするが。
1998-05-11 (1) 02:18:36 +0900
4月18日付朝日新聞大阪本社版の「街の遊撃手」というコラムでジャーナリストの池谷直人氏が「九十年代」という雑誌について書いておられるが、 昔の誌名は「七十年代」だったのに対し朝日新聞としては 1970 年からの 10 年間を呼ぶ語は「七〇年代」と表記するらしく、 「八〇年代になったら『八十年代』になるのかなぁ」 などの書き方が面白い。
1998-05-11 (1) 02:11:56 +0900
5月9日付朝日新聞大阪本社版の「街の遊撃手」というコラムに、 落語家の桂歌之助氏が 「映画『スターウォーズ』で、 ハリソン・フォードが氷漬けになり悪者に運ばれるシーンがあったが、 あれと同じである。 ただ、ハリソン・フォードは宙に浮いていたが、 こちらの棺桶には下に車があり係員がゴロゴロ押している」 と書いておられるのを読んだ。
この映画(正確には二作目の「帝国の逆襲」)は私は LD で何度も見ているし、 最近の改訂版は劇場で見たのに、 宙に浮いていることは知らなかった。
家族の一人が間違いなくそうだと言うので LD で確認すると、ハン・ソロを運ぶシーンは二度。 確かにその通りである。 最初のほうでは、 浮き上がってしまわないよう運ぶ人間が上から力を加えているようにも見える。
なんで気がつかなかったんだろう。 もっとも、宙に浮くしかけがついていることは、 冷凍されて機械から出てくるシーンでも、 「ジェダイの復讐」で解凍されるシーンでも、 ストーリーの中には生かされていない(と思う)のだが。
1998-05-11 (1) 02:01:00 +0900
わが家の PC-9821 Xa7 には FreeBSD もインストールしてあるのだが、 土曜の夜、 root でログインしてユーザ sunomono (仮名)のユーザ情報を変更してみようとして間違って root のログインシェルを sunomono と指定してしまった。 次に root でログインすると存在しないファイル sunomono をログインシェルとしてさがすのですぐログアウトしてしまう。 これではシャットダウンすらできない。
sunomono でログインして ftp で /etc/passwd を書き換えようとしたが、 このシステムは root での ftp を認めないらしくてダメ。 インストールフロッピーで立ち上げ直してハードディスクをマウントして、 というアイディアもダメ。 なさけないことに、 しばらく考えてやっとのことでシングルユーザモードのことを思いついたが、 vi は一時ファイルが作れないとかで、 emacs は TERM が設定されていないとかで使えない。 ee というエディタが使えたので /etc/passwd を書き換えたが、 普通に立ち上げなおすとやはり root でログインできない。 少し考えて、シャドウパスワードを使っているからだと気づき、 /etc/shadow.passwd を書き換えようとしているうちに ee までも core を吐いてつぶれるようになってしまった。 昔 MINIX で使ったことのあるラインエディタ ed を思い出しながら使ってみる。 このラインエディタはコマンドモードにいるのかインサートモードにいるのか全くわからないので苦労する。 やっと書き換えには成功したがやはりダメ。
しかたなく、 全く方針を変えて /etc/group をいじって sunomono が su で root になれるようにしてみたが、 root になるときログインシェルをさがしにゆくようでまたまたダメ。 ついに、 sunomono のホームディレクトリに /bin/csh を sunomono という名前でコピーしておくことを思いつく。
それにしても、 root のログインシェルが簡単なミスで書き換わってしまうのはまずいんじゃないかと思うんですが……。 root だから /etc/shells にないファイルを指定するのも自由というわけ?!
結構何度もリセットボタンを押し、 その結果として何度も fsck のお世話になってしまいました。
1998-05-11 (1) 01:41:17 +0900
このページで使っている日時の書き方において、 XXXX-XX-XX が年・月・日、 XX:XX:XX が時・分・秒であることは明らかであろう。 カッコの中にはいっているのは曜日である。 0 が日曜日、1 が月曜日、2 が火曜日、3 が水曜日、4 が木曜日、5 が金曜日、6 が土曜日を表わす。 最後の +0900 は UTC との時差である。
1998-05-09 (6) 23:19:22 +0900
ここと次との間で一か月ほどが経過しているのは、 少し書いてみたところで HTLM 文書としてのスタイルをいろいろ試していたからである。
1998-05-09 (6) 23:18:00 +0900
Win95 の画面の配色を、ちょっと前に急にモノクロームにしてみたくなった。 自分で色を作れるようだが、 そこまで凝る気はないのでパレットにはいっている色から白、黒、灰色を適当に選んで割りつける。 デスクトップは黒で、画面がしまって見える。 結構これが気にいったのだが、 ある人曰く「IE4 かと思った」。 そういえば、職場で見かけた IE4 の影響を受けていたようだ。
1998-04-08 (3) 00:18:32 +0900
ちょっと前の NHK ラジオ英会話で Bob Dylan の Blowin' in the Wind がとりあげられていた。 中学生のころ合宿で意味もわからず歌ったものだが、 The answer, my friend, is blowin' in the wind の my friend の前後にカンマがあるのを知らなかった。 先輩たちが手書きの歌集を作るときに抜かしたのか私が見落としたのかはわからないが、 The answer my friend is blowin' in the wind と思い込んでいたのだ。 当時ドイツ語を習い始めていたせいか、 「この my friend は属格で、 後ろから the answer を修飾しているのかも知れない」 と思っていたような記憶がある。
1998-04-07 (2) 23:59:49 +0900
「いろいろ」は、 パソコン通信PC-VANのSIG「サイエンス」でSIG-OPの奥村晴彦さんが発明したタイトルといわれている。 「雑談」とか「misc.」に相当すると思われるが、 やまとことばであるところが気にいっているのでこのページの名前にも採用した。 「サイエンス」の「いろいろ」のノリで、 気がついたことを気のむくままに書いてゆきたい。 よほどまずいことを書いてしまった場合を除き、 間違いがみつかっても削除はせずに訂正を書き加える予定である。
なお、最後に書かれているのは日時である。
1998-04-12 (0) 03:08:20 +0900
「すのもの」という名前の由来についてときどき聞かれるが、 深い意味は全くない。 初めてファミコンでロールプレイングゲームをしたとき― 確かそれは「ディープダンジョン」だったと思う―、 主人公に好きな名前をつけられるのでいろいろ試したがどうもしっくりしない。 たまたま「すのもの」にしたらゲームが先まで進んだので、 その後もロールプレイングゲームをするときは必ずその名前を使った。 そうしているうちこれが自分の分身のようになり、 パソコン通信PC-VANに参加したとき自分のハンドルに選んだのだった。
1998-04-12 (0) 02:51:45 +0900