ちょっと前に
と書いたが、 夫の姓を名乗れば夫が、妻の姓を名乗れば妻が戸籍の筆頭人になるので、 この場合でも選択には意味があるのであった。婚姻届には結婚後どちらの姓を名乗るか選ぶ欄があったと思うが、 同姓同士で結婚した場合、 どのくらい真剣に考えてこの欄に記入するだろう? あまりないケースだから問題ないと思うが、 「夫の姓を名乗る夫婦が何%、妻の姓を名乗る夫婦が何%」 というとき、このケースを別扱いしなくてよいものだろうか?
教えてくださったかたに感謝します。
2000-04-22 (6) 03:02:33 +0900
金沢のそばに「松任」というところがある。 「まっとう」と読むのだが、 こっちにくるまで「まつとう」だと思っていた。 広辞苑第四版も間違っている。 ふりがなの振ってある書籍でも小書きの「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」 を小さく書かないことが多いのでこの例は区別しにくい。
2000-04-22 (6) 02:57:14 +0900
「四」は避けるのに。 「だから東京23区を市にするのは反対」と言おうとしたが、 「区」も「苦」に通ずるか。
2000-04-22 (6) 02:51:48 +0900
「四元中継」も「しげん〜」だろう。
2000-04-22 (6) 02:50:35 +0900
小宮豊隆「夏目漱石(下)」(岩波文庫)21 ページに 「一つの筋がズート進行してるようなものだ」 とある。 漱石の談話らしきものからの引用部分。
2000-04-22 (6) 02:48:53 +0900
中島みゆきが彼女のために書いた「かもめの歌」 のフランス語版を収録しているアルバムだ。 ずっとさがしていたが、なにげなくレコード屋で発見。 最近はやっているのだろうか?
「かもめの歌」は日本版だけのボーナストラックだ。 間違って向こうのを買わなくてよかった。 もっとも、アルバムの原題が je te dis vous とは知らなかったので買いようもないのだが。
中島みゆきの原詩は片思いなどの初めからなかった恋を歌ったようにも読めるが、 フランス語訳は Comme nos jours heureux などとあるので終わった恋を歌っているように思える。 がまだよく読んでいない。
おととしの夏、期末試験の採点をしながらさんざん聞いた曲。
2000-04-22 (6) 02:35:00 +0900
「日朝」「日韓」「米朝」「米韓」などというのに、 なぜ朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のことは「朝韓」または「韓朝」といわずに 「南北」というのだろう?
2000-04-22 (6) 02:17:25 +0900
「サクラチル」という合格電報 --- 厳密には不合格電報となるのかも --- があると聞いたことがある。 合格は「サクラサク」だ。 「散る」からにはその前に「咲く」だろうに、 と思ったらなんだか変な気がしてきた。 「サクラサカズ」のほうがよくはないか?
それとも、サクラの木そのものが砕け散ってしまうことをいっているのか? (人面樹のメガンテ、なーんちゃって。)
2000-04-22 (6) 02:11:02 +0900
「初めに〜ありき」という言い方が余りに広まっているので、 文語訳のヨハネ傳の冒頭は「初めに言葉ありき」だと思っていたら、 そうではなく「太初(はじめ)に言(ことば)あり」だった。 「太初(はじめ)に言(ことば)あり、 言(ことば)は神と偕(とも)にあり、 言(ことば)は神なりき」 だ。 日本聖書協会からきた 「文語訳 小型新約聖書詩篇附」のお知らせの組み方見本を見ていて気がついた。
2000-04-04 (2) 02:56:22 +0900
朝日新聞には、 ときどき「カタカナは仮名」と断ってある記事がある。 「ケンジ」とか「ユミ」とあったらそれらは仮名だが 「山田太郎**局長」は実名、ということだ。 しかし、日本人にもカタカナの名前の人がいる、ってことが忘れられてないだろうか。
2000-04-04 (2) 02:40:50 +0900
31日づけ朝日新聞大阪本社版の投書欄に 「若者の会話はまるで暗号だ」というのが出ている。 読んでみると、 電車の中の若者の、かかってきた携帯電話での会話が 《驚いたのは、まるっきり会話になっていなかったことだ。 そのときの会話を再現すると、こんな調子だった。 「マジかよ」「おっ、マジかよ」「マジかよ」》 《こんなふうに相手の話に答える形で相づちを打っているのだ。 会話というより、まるで暗号だ》 というのだが、 かけてきたほうが一方的にしゃべり、 受けたほうは相づちだけ、 というのは昔からあるはずだ。 もっとも、その相づちが年配の方なら「おや、まあ!」であり、 私ぐらいなら「うん」、 もっと若い人だと「ほんと?」「ウッソー!」になる、 という違いはあるかもしれないが。
私には、投書した人の頭の中では 「相手の言っていることが第三者にはわからない携帯電話特有の不愉快さ」 「『マジ』という若者言葉への反感」 などがごちゃまぜになっていると思えてならない。 そう言われればそれなりに共感するのだが、 これだけから 《人々の会話が日本語らしくならないものか》 と言われると。
※ この「いろいろ」で新聞への投書を取り上げる際には、 投書した人の名前を引用しない場合があります。 その人を批判することが目的ではないし、 投書欄は新聞の意見を代弁しているものを採用することが多く、 むしろ新聞社側の採用基準について考えたいと思うからです。
2000-04-04 (2) 02:40:31 +0900
新聞の投書欄などで、 ワープロ書きの手紙は失礼かいう議論をときどき見かけるが、 本来は用があるなら自分で訪ねるのが当然で、 手紙を送ること自身が失礼にあたる、 と私は思う。
それから考えれば五十歩百歩だろう。
2000-04-04 (2) 02:13:27 +0900
朝日新聞への投書を長いあいだ見ていると、いくつかのパターンが目につく。 最近は、 コンピュータは便利かもしれないけどそれで失われているものも多いのでは、 というのをちょくちょく見かけるようだ。 そういった投書の中の、「コンピュータ」なり「パソコン」なりを 「文字」で置き換えてみると、それなりに意味が通っておもしろい。 文字が広まり始めたころ、 文字を覚えれば確かに便利だろうけどそれで失われるものもあるのでは、 と考えた人がいたはずだ。 実際、 文字があるおかげでわれわれは長い文章をそのまま暗記する能力を失ってしまった。 文字で書きつけておけば覚えておく必要がないからだ。 文字がない時代には、 夜は家族が一つに集まって、 お年寄りの話を聞いたりしたのだろうが、 みんなが文字を読める現在では各自が別々の本を読むのでそういう習慣は失われてしまっている。
文字を読めない「新聞の読者」は存在しないわけで、 この傾向は当然ともいえるのだが。
2000-04-04 (2) 02:07:08 +0900
3月31日づけの朝日新聞大阪本社版社会面に 《一月十九日付朝刊「オウム真理教、教団名を『アレフ』に改称」 などの記事で、アレフは 「サンスクリット語で『無限の発展』の意味がある」 とあるのは誤りで、 サンスクリット語ではなく、 ヘブライ語の最初の文字にあたります。 訂正します。》 とあった。
ヘブライ「文字」の第一字母ということは知っていたが、 朝日が書いているんだからサンスクリットでもそうなのか、 と思っていた。 ギリシア文字のアルファの起源でもあるのだから、 同じく印欧語であるサンスクリットにもはいっているのかな、などと。
ところで、ちょっと前のコラムでディアスポラがヘブライ語と書いてあったような。 正しくはギリシア語のはずだ。
2000-04-04 (2) 01:58:27 +0900
外出の際に読む本は、すでに読んだ本にしている。 理由はいくつかある。 一つには、 バス停や喫茶店で新しい本を読んでも私は頭にはいらない。 それに、 生涯に一度の本との出会いが香水や汗の匂いやおしゃべりで台無しになるのはいや、 ということもある。 また、 あまりに本の内容にのめり込んでしまい、 思わず声を出して回りの人に「変な人」と思われたくない、 ということもある。
すでに読んだ本でまた読みたい本、となるとそれは愛読書といえる本である。 そんな本を傷めてしまうのはいやなので、 家で読む本とは別にもう一冊買ってそちらをもってゆく。 今は口語訳の「新約聖書詩篇つき」を、 かばんのわきのポケットの、とても取り出しやすいところにいれて持ち歩いている。 雨や雪でページがぬれたり、 表紙がすり切れたりしているが、 そのために買った本だから、一向に気にならない。
今度でた、「文語訳 小型新約聖書詩篇附」も買っておこうか。 小型の文語訳は品切れになったら次はいつでるかわからないから。
2000-04-04 (2) 01:36:19 +0900
日本聖書協会からきたお知らせで知ったのだが、 「文語訳 小型新約聖書詩篇附」が出たそうだ。 ここのところずっと、 文語訳は大型の「舊新約聖書」しかなかったので、 新約のみ、あるいは小型のは久しぶりだ。 A6判とあったので、 以前でていた JLR 353 の復刊かと思ったらそうではなく、 現在でている大型を縮小したもののようである。 1200 円+消費税。
2000-04-04 (2) 01:26:04 +0900
鉛筆そのものは消しゴム付き鉛筆に過ぎない(と思う)のだが、 シャープナー内蔵のキャップがクリップつきなので、 かなり迷ったが買ってみた。 前に上京したときにも、 シンボルカラーであるあの深緑のプラスティック製のは見かけたのだが、 いかにもまがいものといった感じの金色のクリップが安っぽくて、 そちらは買わなかったのだ。 伯爵コレクションとかいう銀製のは専用鉛筆にしか使えないのだが、 これは普通の鉛筆にも使える。 しかし、胸ポケットに止めようとしてみると、 シャープナーを内蔵している分だけキャップが巨大で、 半分ほどに短くなった鉛筆でないとポケットに納まらない。 それに、シャープナーは当然のことながら刃を内蔵しているわけで、 これを心臓のすぐそばに身につけるのは万が一の事故にあったときのことを考えるとちょっと恐い。 シャープナー内蔵をやめ、 もっと細くて短くて軽いキャップにクリップがついていたらいいなと思った。
2000-04-02 (0) 02:45:19 +0900
マタイ伝第2章にヘロデが子供たちを皆殺しにした記事があるが、 もしも子供を殺された母親がのちにイエスの教えを聞く機会があり、 「この人を恐れるがゆえにヘロデは自分たちの子を殺したのだ」 と知ったら、どんな気持ちがしただろうか?
その前に、 主の天使はヨセフの夢に現われてエジプトに逃げるよう告げるが、 他の子の親の夢には現われなかったのだろうか?
さらにその前に、 占星術の学者たちが 「ヘロデのところへ帰るな」 との夢のお告げに従ったことがこの皆殺しをひきおこすのだが、 あとでどんな気持ちがしただろうか? このお告げは、神のお告げだったのだろうか?
「一人残らず殺させた」とあるが、 みんな逃げてしまっていたらこの表現は使えるのだろうか?
2000-04-02 (0) 02:29:09 +0900
新共同訳聖書の凡例には
とあるが、 「ヘブライ人への手紙」6.4 の「一度」の「一」にはふりがながない。 これはあまり数詞という感じはしないのだが。漢字には、数詞として使われている場合以外、 振り仮名を付けることを原則とした。
2000-04-02 (0) 02:19:01 +0900
中島みゆきの「悪女」 に「夜明けを待って一番電車/凍えて帰ればわざと捨てゼリフ」という句があるが、 夜明けを待たねば一番電車が来ない季節というのは夜明けが早い季節だから、 凍えることなんかないのに、と考えるのは私が東京人だから?
電車の冷房がきつくて凍えるんだったりして。
2000-04-02 (0) 02:09:39 +0900
中島みゆきのアルバム LOVE OR NOTHING の曲「流星」 に「ここは山頂のサービスエリア」という句があるが、 車の通る道がわざわざ山頂を通っているところって、 どのくらいあるのだろうか? 向こうに行くだけなら峠を越えればいいはずだ。
2000-04-02 (0) 02:05:30 +0900
ずいぶん前のことだが、 NHK「ラジオ名人寄席」で、ある落語家のある口演のことを 「(その落語家の)ピークを示す(口演)」 と言ってほめているのを聞き、 「それじゃそのあとは下がったと言わんばかりじゃないの」 と、なんだか気の毒な言い方に感じたことがあった。 どうも、私は「ピーク」という語に 「そのあとは下り」というニュアンスを感じてしまうようだ。 普通じゃないかも。
2000-04-02 (0) 01:59:11 +0900
広辞苑を見て気がついた。:-)
2000-04-02 (0) 01:55:20 +0900
新共同訳聖書「ネヘミヤ記」3.16 および 7.7 に「ネヘムヤ」という人名が出てくる。 ほかの翻訳では「ネヘミヤ」となっていることが多く、 ヘブル語原典でも「ネヘミヤ記」の主人公の「ネヘミヤ」と同じだったと思う。 (私のヘブル語学習はまたもや途中で挫折してしまい、 元の木阿弥に戻ってしまったのでいまとなってはわからない。)
別の人物なんですよ、という訳者の親切なのだろうか?
2000-04-02 (0) 01:51:21 +0900
コンピュータのキーボードの「エスケープキー」のことだ。 広辞苑に必要な言葉とは思えないのだが。
2000-04-02 (0) 01:41:11 +0900
先日の日比谷線の事故で新聞やラジオは「上り」「下り」という表現を使っていたが、 営団地下鉄は依然として「A線」「B線」という言い方をしているらしい。 郊外から都心部を通って郊外へ抜ける路線が多く、 「上り」「下り」とは呼びにくいためだと昔聞いた。 ちなみに、 ホームの番号は「A線」が「B線」より若くなるように振ってあるそうだ。
教訓: 新聞やラジオが説明のために使っている用語は正式のものとは限らない。
2000-04-02 (0) 01:35:48 +0900
「ファイアーウォール」を、 楽劇「ワルキューレ」の最後でヴォータンが愛娘ブリュンヒルデの回りに置くような 「炎の壁」かと思っていたのだが、 そうではなくて「防火壁」のことなんだそうだ。
2000-04-02 (0) 01:32:47 +0900
数学に「準同型」という重要な概念があるが、 授業を聞いていないと思われる学生の中に、 この語を「じゅん・どうけい」のような、 二語のアクセントで発音する者がいる。 確かにこの語は「準」と「同型」からなっているのだが、 数学用語としては完全に熟しており、 「準優勝」と同じアクセントで発音されるのが普通である。 一方、野球の「完全試合」に準ずるものとして 「準完全」という語を即席に作ってみると、 やはり発音は「準・完全」となるだろう。 もしも「準優勝」と同じアクセントで発音すると 「循環」に「ぜん」がついたような気がしてしまう。
2000-04-02 (0) 01:27:34 +0900
金沢の香林坊にある大和デパートのアンティーク売り場の商品には 「今世紀初頭」などと製作年代が記された札がついているのだが、 来年には全て書き換えるのだろうか?
2000-04-02 (0) 01:22:05 +0900
時計を合わせる際、 分針を6時位置に合わせて、かつ時針を12時位置に合わせることはできない。 分針が6時位置にあれば「〜時30分」なのだから、 時針は11時と12時の中間位置か12時と1時の中間位置かに合わせるしかない。
それなのに、なぜ、 秒針を12時位置に止めても分針は好き勝手なところに合わせられてしまうのか? そのため、分針をきちんと文字盤の目盛に合わせるのはむずかしく、 神経を使ってしまう。 カチカチカチと分単位でしか動かせないほうがいいと思うのだが。
2000-04-02 (0) 01:17:04 +0900
本来の使い道は、もちろん、 潜水開始時に分針と合わせ、それから何分経っているかを知ることだが、 「旅行の際などに集合時刻や列車の発車時刻に合わせておく」 「いま時計が何秒進んで/遅れているかに合わせておく」 などの使い道がある。
2000-04-02 (0) 01:11:12 +0900
ふとした理由である人からセイコーのダイバーズウオッチをゆずられたのだが、 最近のダイバーズウオッチの回転ベゼルは片方にしか回らないが軽く回るようだ。 80年代に買ったのと比べると。 昔のは2本の指で両側からはさんで回さないと回らなかったが、 今のは1本の指で押さえつけて回すと回ってしまう。
私は昔のほうが好きだな。
2000-04-02 (0) 01:05:47 +0900
ふとした理由である人からセイコーのダイバーズウオッチをゆずられたのだが、 その説明書は24時針・時差修正機能つきモデルの説明書も兼ねていた。 それによると、 まず24時針と分針を合わせてから時針を一時間単位でずらして合わせるらしい。
(「時差修正機能」 とは「分針、秒針を止めずに簡単な操作で時針だけを1時間単位で修正する」 機能。)
ということは、 「時針分針は日本標準時に合わせ、 24時針は明石と住んでいるところの経度差の分だけずらしておく」 とか 「24時針を時差が一時間の整数倍でない時間帯(インドなど)に合わせる」 とかはできないようだし、 「日本にいるときは24時針を UTC に合わせておくが海外に行ったら24時針を日本時間に合わせる」 という場合は時差修正機能は使えないことになりそうだ。
最近の時計はアナログ式であっても操作が複雑なので、 カタログだけではわからないことが多い。
2000-04-02 (0) 00:54:25 +0900
入学試験の合格発表の際、 氏名は張り出さないのが普通になった。 でも、受験番号は公開するので、 近くの席で受験した人が合格したかどうかはわかってしまう。 それをもプライバシー上の問題だというのなら、 受験番号のほかに合格発表用番号を前もって受験者に送り、 「これは他人に教えないように」と伝えておけばよい。 最終的に入学しなかったとしても、 受かってはいたが手続きをしなかったのかもしれないから、 合否は他人にはわからなくなる。 (入学した人が合格していたのは当たり前だから、それはわかって当然だ。)
うまく利用すれば、 その番号は合格者からの問い合わせにも使えるかもしれない。
2000-04-02 (0) 00:36:54 +0900
少し前までは「2000 年から21世紀」という誤解があったようだが、 2000 年が近づいたらそう思っている人はほとんどいなくなったようだ。 そんなわけで 2000 年がきてもお祝いするものが何もない。 それで急に「ミレニアム」という語がはやったのではあるまいか。
第三の千年紀は理屈の上では21世紀と同じく 2001 年から始まると思うが、 千年もあるのだから、まあ一年ぐらいはどうでもいいか。
それ以前に、「ミレニアム=千年紀」なのかどうかもよくわからない。
2000-04-02 (0) 00:27:44 +0900
ウィザードリィ#3にクローリングケルプ(crawling kelp) というモンスターが登場する。 直訳すれば「はう海藻」だろうか。 日本向けのゲームを作るなら、 「歩くアサガオ」もいいかも知れない。 うっかりしてると釣瓶をとられてしまったりして。
2000-04-02 (0) 00:16:59 +0900
……関係はないであろう。
2000-04-02 (0) 00:10:50 +0900
7日、math.?.??????????.??.jp を完全に止めた。 前もって、週末に DNS から消してもらっておいた。
さきほど、(株)ベクターに置かせてもらっているホームページからのリンク先を http://math.?.??????????.??.jp/~sunomono から http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/ に変更。
2000-03-10 (5) 00:14:14 +0900
ドメイン名の一部を伏せ字に変更した。
2002-09-15 (0) 00:12:00 +0900
添えないと、受け取った人が夫婦の一方だけの知人の場合 「配偶者の旧姓は?」と聞き返したくなるだろう。 しかし「鈴木**(旧姓鈴木)」というのもヘンな気がする。
2000-03-08 (3) 03:18:50 +0900
婚姻届には結婚後どちらの姓を名乗るか選ぶ欄があったと思うが、 同姓同士で結婚した場合、どのくらい真剣に考えてこの欄に記入するだろう? あまりないケースだから問題ないと思うが、 「夫の姓を名乗る夫婦が何%、妻の姓を名乗る夫婦が何%」 というとき、このケースを別扱いしなくてよいものだろうか?
2000-03-08 (3) 03:16:55 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面の「いしかわ百年百話」で知った。 天気予報で「輪島上空にマイナス**度の寒気団」 と言うのを輪島市の気温と勘違いする人がある、 というのは有名な話だが、 そういう理由だったら 「日本上空にマイナス**度の寒気団」 と報道すれば十分なのではないか?
2000-03-08 (3) 03:12:58 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版第4面の阪神航空の旅行の広告。 イスラエルに行くツアーに「ミレニアム発祥の地」というコピーがついている。 ミレニアム発祥の地はヨハネが黙示を受けたパトモス島だと思うのだが、 そこに行くわけではないようだ。
2000-03-08 (3) 03:05:40 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版 主張・解説面「論壇」に 《「百万人故郷回帰運動」に提言》 が出ているが、 《農山漁村は昔から、「労働力の海綿体」と呼ばれ、 労働力が必要なときはしぼりだし、 逆に不要になったら吸収する機能を強いられてきた》 とあるのを読んでびっくりした。 前日ぱらぱらと見ていた新明解国語辞典第五版で 「海綿体」とは 「陰茎・陰核にある海綿状の組織」 と知ったからだ。 海綿状の組織一般を指すのではないのだ。 広辞苑第四版の説明も同様。
ここでこの比喩が適当とはとても思えない。 「必要な時はしぼりだし」 「不要になったら吸収する」というのは逆のような気もするし。
2000-03-08 (3) 03:00:35 +0900
英語を習うとき文法を学ぶ必要があるか? という議論があるが、 「文法」というのが何を指しているのかわからないと議論が始まらない。
「〜は〜です」は I am, you are, he is, she is, it is, we are, you are, they are だが、 これらが主語だけの違いだということは教わればすぐわかる。 教わらずに「I am a boy.」「You are a girl.」 のような英文をたくさん聞いて自力で発見せよというのは全く非能率的だろう。 また、 このあとで I am singing のような現在進行形について教われば、 いままで習った動詞やこれから習う動詞が現在形だけでなく現在進行形でも使えるから倍の表現ができることになる。
こういったことを「文法」というのなら、 文法を学ばないのは非効率的としかいいようがない。
しかし、一方で重箱のすみをつつくような「文法」の問題も作れる。 英和辞典をぱらぱら見ていて気がついたので英語のよくできる知人に 「副詞としての the の使い方は?」 と聞いたら答えられなかったが、 答を話したらもちろんその使い方は知っていた。 もしこういう問題が試験に出るとしたら、あまりよい試験とはいえないだろう。
2000-03-07 (2) 02:41:07 +0900
《五つのパンをさいて五千人に分けたとき、 拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。 弟子たちは答えた、「十二かごです」。 「七つのパンを四千人に分けたときには、 パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。 「七かごです」と答えた。 そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。》 (マルコ 8.19-21、日本聖書協会口語訳)
前者のほうがパンは少なく人数は多いのに、 拾い集めたパンくずは多い。
残るパンくずの量は分けたパンの個数と人数の一次式で書けると仮定しよう。 パン、人数の係数をそれぞれ a, b として
5a + 5b = 12 7a + 4b = 7となるから a = -13/15, b = 49/15 である。 つまり x 個のパンを y 千人で分けると (-13/15)x + (49/15)y かごのパンくずが残る。
……などと計算してもむなしいだけだ。
2000-03-07 (2) 02:35:00 +0900
同じ語に二つ以上の表記法があって、 自分は両方とも使うがどちらかといえば片方を好む場合、 手書きやTコード入力では好むほうのみを使うがかな漢字変換では他方も使ってしまうようだ。 「もう一度」「もういちど」は私はどちらも使うが、 どちらかといえば前者を好むから手書きやTコードでは必ず前者を使うが、 かな漢字変換のはずみで後者でメールを出してしまったことがある。
2000-03-07 (2) 02:30:54 +0900
日本語ワープロを使うと文体などが変わるか? という問いが、 日本語ワープロの出始めのころ聞かれた。 文章を書くのは人間なんだから変わるはずはないだろうに、 と思ったのだが、 どうやらそうでもない。 慣れたエディタならさらに手を加えたいところでも、 手になじんでいないエディタだと「ま、いいか」となってしまうのだ。 どうしても不満で別のマシンに移して慣れたエディタでもう一度直したりすると、 いかに不十分だったかがわかる。 紙とペンで書いていたころはそれ以上に推敲が不十分だったはずだ。
ちなみに、 この文章はちょっと前にTコード+ Vz で書いたもの。
2000-03-07 (2) 02:27:29 +0900
本文ナシ。
2000-03-07 (2) 02:23:09 +0900
デノミを行なおうとする理由の一つは、 ちょっとした買い物でも金額の桁数が多くてめんどう、 ということらしいが、 100 円を 1 円と呼びなおすと 「200 円」という表記が新旧どちらの円なのかわかりにくい。 100 円を(たとえば)1 両と呼ぶことにすればこのまぎれはない。
思いきって 100 円 = 1 日本ドルとするのもいいかも。
2000-03-07 (2) 02:20:43 +0900
寝ようと思ってデンタルフロスを使ったら目が覚めてしまった。 ある程度緊張しないとできないからだろう。 一日一度やればいいと聞いたから、 朝出かける前にすればいいのかも。
2000-03-07 (2) 01:55:44 +0900
「平日半額」 とかいうマクドナルドのTVコマーシャルに、 バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の最終変奏曲 Quodlibet の最後の部分のソプラノのメロディー、 「ミファソミファミレドシドレシド」 が使われている。
自作のメロディーの後半にこれをもってきてはめちゃったという感じ。
これも没後 250 周年記念ということか。
2000-03-06 (1) 03:12:05 +0900
2000-03-06 (1) 02:15:14 +0900
……をトーフで表示したもの。 (トーフは「■」の俗称。 昔のパソコンは黒地に白の文字だったので。:-))
■ ■ ■ ■■ ■ ■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■■■ ■■■ ■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■ ■ ■■■ ■ ■■■ ■■■■■ ■ ■■■■■ ■■■■■ ■ ■■■■■ ■■■ ■ ■■■ |
花の部分と茎・葉の部分とは別々の文字になっていて、 上下に並べて表示する。
「■」 のすきまがあまりあかないフォントで表示するとオリジナルに近くなる。 <TABLE> ... </TABLE> を利用して黒い背景を出しているので、 ブラウザによって背景の大きさが変化するようである。
2000-03-02 (4) 21:55:20 +0900
TABLE に </TD> タグと </TR> タグを補い、 border=0 を border="0" に直した。
2004-04-28 (3) 02:08:35 +0900
減量に苦労している人の中に、 細身の人を見ると 「あれだけ細ければおいしいものをたくさん食べて少しぐらい太っても平気だからうらやましい」 と思う人があるようだ。 「なんだか変な理由だなあ」と思っていたのだが、 私が机売り場で 「あんな机がほしい!」 と言って家族に 「あんな立派なのを持っているんだから片づけさえすればいいのに」 と言われるのは 「あれだけ広いスペースがあれば少しぐらい散らかしても平気だ」 と思っているからだと気がついた。
ダーター ファブラ。
2000-03-02 (4) 01:13:26 +0900
ちょっと前に 「Α(αの大文字)とA(aの大文字)は統合してコードを振らないのか?」 というのを書いたが、 もし統合するとTとZはどちらを先にすべきか (=どちらに若いコードを振るべきか) わからなくなる。 ラテン字母ならTが先だが、ギリシア文字ならZが先だからだ。
ほかにはラテン字母とキリル文字のHとMなど。
※ massangeana 氏から、 文字の統合にはスクリプトという概念が関係しているとのご教示を受けた。 私が見たのは古い雑誌記事中の漢字にそれほどくわしくはなさそうな人の発言だったので、 あのような素朴な意見になったのかもしれない。
2000-03-01 (3) 23:04:36 +0900
CDのケースは左利きの人が設計してしまったため取り出しにくい、 という話を読んだことがある。 私は箸や鉛筆は右だが《隠れ左利き》の部分があるようで、 右手で持って左手でケースを開け、 左手で取り出して全く問題がない。 きょう、 レコード屋の店員さんがデモCDを交換するのを見ていたら右手でやっていた。
2000-02-28 (1) 01:40:41 +0900
27 + 36 のような二ケタの足し算の暗算を習う際、 そろばんの暗算 --- たまを頭の中に思い浮かべて指で宙をはじいて計算する --- で済ませてしまったため、 完全に抽象的に暗算を行なうことが私にはできない。 じゃあそろばんの暗算が得意かというと全くそうではなく、 そろばんを使った計算では同じくらいのレベルの友だちと比べると、 暗算は飛びぬけてへただった。
2000-02-28 (1) 01:36:26 +0900
お寺にはきっとマニュアルがあるのだろう。 1月30日に亡くなった人の2月の命日はいつ? という問題もある。
2000-02-28 (1) 01:11:59 +0900
うるう年以外は天皇誕生日は無しだったりして。
2000-02-28 (1) 01:10:05 +0900
99年9月9日の朝日新聞大阪本社版ラジオ面の 「ラジオトゥデイ」という番組の紹介に 「明冶大助教授の斎藤孝氏に聞く」とある。 「明治大」ではない。「冶金」の「冶」である。
2000-02-28 (1) 01:03:56 +0900
最も基本的な、右左打ちで打てる。 どの読みで辞書に登録されているのかなあ、 などと考えなくていいのがTコードの特徴である。
2000-02-28 (1) 00:58:57 +0900
99年4月17日の朝日新聞大阪本社版社会面に 「龍馬の遺品、重文に/「土佐日記」写本は国宝」 という記事が出ている。 本文に 「……、藤原定家の子である歌人・為家による写本で、 貫之の字体や文章表記まで忠実に写しているという」 とあるのだが、 この「文章表記」なる語が何を意味しているのかわからない。 かなづかい、漢字のあて方などの、 表記法一般を指しているのではないかと思うが、 「表記法」とすると文字以外の表記を想像してしまうかも、 と思ったのかもしれない。 しかし、 広辞苑第四版で「表記法」を見ると、 まさにこの意味だけが載っている。
2000-02-28 (1) 00:54:46 +0900
99年8月11日の朝日新聞大阪本社版社会面に 《関大 真夏の怪電話「就職課のイトウです」》 という記事が出ている。 関西大学の学生宅に「就職課のイトウ」 という架空の人物を名乗る電話がかかっているというのだが、 電話だけでどうして「イトウ」とわかるのか? おそらく「イトー」と発音したのだろう。 「イトオ」でないと決められるだろうか? 「糸尾」「糸緒」のような名字は考えられないだろうか? 「糸鵜」とかいう名字で、 誰が聞いても間違いなく「イト・ウ」と発音したなら別だが。
2000-02-28 (1) 00:44:54 +0900
(少なくとも)3月末まで忙しく、 こんなことを書いている暇はないのだが、 「そのうち『いろいろ』に書こう」 と思ってとっておいた資料を捨ててしまうのはもったいないので書いている。
書いては捨てる。 部屋の整理中。
2000-02-28 (1) 00:34:58 +0900
「ボタニカルズ」という名前の、 ハーブティーのリーフを売る店がある。 私のお気に入りのひとつは 「嫌いな上司に叱られた時に」という名前のブレンドだ。 「ラベンダー、ローズにリラックス効果があります」と書いてある。 金沢の香林坊大和に行商のようにきていたとき買って、 出張で大阪に出かけたとき梅田の大丸で買って、 香林坊大和に常設の店を出してからも買ったような気がする。 この店は量り売りで、 ビニール袋にティーの名前を書いたシールを貼ってくれるのだが、 あるときの店員さんが書いた略称は「嫌いな上司」。 この袋を職場でみつけられて、 「嫌いな上司に飲ませる怪しげな薬」 と勘違いされるとちょっとまずいのではないか。
別の店員は「上司に叱られた」と書いている。
2000-02-28 (1) 00:28:26 +0900
……がポストにはいっていた。 携帯電話の宣伝だ。 当たれば携帯電話機がもらえるというが、 おそらく全部当たりなのだろう。 ただで電話機を配っても商売になると聞いたことがある。
全部削ってくれ、ではスクラッチカードの意味がないではないか。
2000-02-27 (0) 23:51:45 +0900
2月28日の夜に「月」 を進めて3月28日としておくと翌朝は当然3月29日になっている。 そこで「月」を11月進ませて2月29日とする。 あとはそのままで翌日は3月1日になる。
これは、 私の手元の20年ぐらい前に買ったカシオのデジタル腕時計の場合である。 確か説明書にはなんとも書いてなかったと思う。
(この腕時計、 液晶寿命が7年とあったのでそのあとは電池交換をしなかったのだが、 実はなんともなくて今も現役である。)
2000-02-27 (0) 23:46:39 +0900
ルカによる福音書第1章では天使がザカリアに 「あなたは口が利けなくな」る(第20節)と言われるが、 第62節では人々は彼に手振りで尋ねている。 耳も聞こえなくなっていたのだろうか? (引用は新共同訳による。)
2000-02-24 (4) 01:45:40 +0900
UNICODE を支持する理由に、 シナ語・朝鮮語・日本語で同じ漢字はひとつにまとめるべし、 同じ形の文字に二つのコードがあったらサーチするときに困るだろう、 というのがあるようだが、 Α(αの大文字)とA(aの大文字)はどうなのだろう?
アリストテレス「形而上学」の日本語訳の一部分だということを隠して 「Α〔第一巻〕」 だけを見せられたらこれがアルファの大文字とはわかるまい。
ほかにはキリル文字のН、Сとラテン字母のH、Cなど。
2000-02-24 (4) 01:23:50 +0900
たとえばロンドンでいま何時かと考えるとき、 9 時間遅れと覚えておいて引き算で求める方法、 ロンドンは文字盤の上で 270゜だけ遅れていると覚えておく方法などがあろうが、 私にはロンドンの時刻を 24 時針で表示すると短針と 3 時との二等分線上にくると覚えておくのが一番わかりやすいような気がする。
ヘンかな。
2000-02-23 (3) 23:05:40 +0900
24 時針は 0 時に文字盤の 12 時の位置をスタートし、 24 時間で文字盤を一回りする。 短針はもちろん 12 時間で一回りだ。 よって、24 時針は短針の半分の速さで動いていることになる。
24 時針も短針も日本標準時に合わせてあったとする。 すると 0 時に 24 時針と短針は重なるので、 24 時針は常に短針と文字盤の 12 時を二等分する位置にあることがわかる。
まずはこれを頭にいれ、 24 時針も短針も日本標準時に合わせてあると思って、 24 時針が今どこにあるか想像しよう。 ちょっと慣れれば赤い 24 時針が文字盤上に浮かぶはずである。 24 時針がどこにあったら朝で、どこにあったら夜か、なども覚えてしまおう。 なお、二等分する位置は二箇所あるので、 そのどちらに 24 時針があるかは今が午前か午後かで判断しなければならない。
次に、24 時針を短針よりも 1 時間進めているとしよう。 すると 0 時には短針は 12 時の位置にあり、 24 時針は文字盤の 12 時と 1 時の中間にある。 短針が 24 時針の倍の速度で動くことを思い出すと、 文字盤の 1 時の位置で短針は 24 時針に追いつくことがわかる。 それは 1 時のことである。 よって、 24 時針は常に短針と文字盤の 1 時を二等分する位置にあることがわかる。
同様にして、 24 時針を短針よりも 2 時間進めていれば 24 時針は常に短針と文字盤の 2 時を二等分する位置にあるし、 24 時針を短針よりも 1 時間遅らせていれば 24 時針は常に短針と文字盤の 11 時を二等分する位置にあることがわかる。
よって、たとえば UTC に 24 時針を合わせたと思うなら、 UTC は日本標準時より 9 時間遅れているから、 24 時針は常に短針と文字盤の 3 時を二等分する位置にある。
あとは練習あるのみ。
(もっとほかのことを練習しろ>自分)
2000-02-22 (2) 23:59:05 +0900
1998 年から翌年にかけての生協のカタログブックフェアのカタログに、 OED の CD-ROM が出ている。 「OED 第 2 版の百科事典的潜在能力を十二分に発揮させている」 とあるが、 OED は広辞苑とは違って固有名詞を載せていないので、 百科事典の代わりにはならない。 買うときには注意が必要。
2000-02-22 (2) 02:03:12 +0900
(追記)見出しの「乗って」を「載って」に修正した。
2000-02-24 (4) 02:20:40 +0900
会費の支払い方法か何かのところに「自動引き落とし」と書いてあるのを見て、 バーチャファイターのラウの自動斜上掌みたいに引き落としが出るのか? と思ってしまった。 広辞苑第五版によると引き落としは実在の相撲の手だが、 バーチャファイター3の鷹嵐にはこの技はないようだ。
2000-02-22 (2) 01:50:02 +0900
ある人からそう聞いた。 だから、航空便には Air Mail でなく par avion と書くのが正式であり、 国名もフランス語で書くのが正しい、ということらしい。
その説に従い、 「ドイツ連邦共和国」とフランス語で書いて近くの郵便局に出しに行ったら 「これはどこの国ですか」と聞かれてしまった。
2000-02-22 (2) 01:27:35 +0900
SONY からノイズキャンセリングヘッドホンが出ていることはカタログで知っていた。 私は会話すべきでないところでの会話が気になって仕事にならないことがあるので、 「ノイズキャンセリング回路搭載で、周囲からの騒音を約3分の1に低減する〈WARP〉 機能」 「音楽鑑賞時だけでなく、より静かな環境を得たいときにも便利」 とインターネット上のカタログにあるのを見て、 だいたい決めて生協にいったらお店用のカタログが置いてあり、 見たらより安いモデルが載っていたので MDR-NC5 を注文して買ってみた。
が、しかし。 ケースの裏側の「主な特長」 によると低減されるのは乗り物内の騒音や室内の空調音だそうだ。 試してみると、空調の音やハードディスクの回わる音などは確かに小さくなる。 が、しかし、 人の話し声にはそれほど効果がないようだ。 当然ながらヒスノイズもある。 耳栓と併用して試してみよう。
2000-02-22 (2) 01:17:38 +0900
……だけど、 わざわざ時刻を2時22分02秒にしたりするのはやめよう。
2000-02-22 (2) 01:05:50 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版政治面によると 小渕首相は自自公選挙協力について 「お互いできる限り与党としての力を結集して、 三倍でなく三乗の効果が生まれるように努力しなければいかん」 と記者たちに言ったそうだ。
これから、まず、 小渕首相のいう効果は次元(ディメンション) を持たないことがわかる。 もし持っていれば --- たとえば長さのディメンションを持っていたとすれば、 三乗すれば体積になってしまうからだ。 次に、 効果は三乗したらもとよりも大きくなるらしい、ということもわかる。 よって、効果は 1 より大きいか -1 と 0 の間なのであろう。
2000-02-22 (2) 01:03:14 +0900
まさかそんなことはないと思いたいが、 もしかして「どんな数も三乗すれば元より大きくなる」 と信じていたのだとしたら、日本の首相として情けない話だ。 効果の話をしているので正の数であることが暗黙のうちに仮定されているとしても、 やはりこの命題は正しくない。 そのことは小学校高学年になればわかるはずだ。 小学校では「三乗」という言葉は習わなかったかと思うが、 小数・分数の掛け算を習えば、 掛け算して元より小さくなる場合があることにはすぐ気づく。 三倍すればより大きくなることは、正の数に限っては正しい。
2004-05-02 (0) 11:36:25 +0900
歴史的かなづかいでも「出さう」で同じ。
2000-02-22 (2) 00:47:10 +0900
昔、98 で UNIX が体験できる! とだいぶ遊んだ MINIX を久しぶりに起動してみたら、 クロックを 1970 年と認識しているようだ。
2000-02-22 (2) 00:43:39 +0900
「無限連鎖講の防止に関する法律」 第二条によるといわゆるネズミ講は 「先に加入した者が先順位者、 以下これに連鎖して段階的に二以上の倍率をもつて増加する後続の加入者がそれぞれの段階に応じた後順位者となり」 と定義されている。
では、もしも 「新規加入者は二人組になって三人の“子”を探せ」 としたらこの法律にふれないのだろうか? と心配になってしまう。 「二以上の倍率」を「一を越える倍率」とするほうがよいのではないだろうか?
このやりかただと 10 世代以内の者から金を吸い上げるとしても 約 170 倍にしかならない。 まあ、同法第一条に 「いたずらに関係者の射幸心をあおり」 とあるぐらいだから、 このくらいのもうけに目がくらむやつはいない、ということか。
「n 代目は 2n+1 人組で 2n+1+1 人の“子”を探せ」 とか Fibonacci 数列を利用したものとかいろいろ考えられそうだ。
(もっと他のことを考えろ>自分)
2000-02-22 (2) 00:31:45 +0900
4 年間は 365 * 4 + 1 = 1461 日。 1461 は 3 * 487 と素因数分解されるから、 週を 3 日とか 487 日とかの極端な長さにしない限り、 4 年で曜日が元に戻ってしまうことはないわけだ。
そういうふうに地球ができていることをありがたく思うべきなのか、 だから週七日制に深い意味はないと考えるべきなのか……。
2000-02-20 (0) 02:58:45 +0900
特定の月日が特定の曜日に当たる年を調べる簡単なプログラムを書いた。 これを使ってたとえば 2 月 20 日が日曜日に当たる年を 1950 年から 2050 年までの範囲で調べると
1955 1966 1972 1977 1983 1994 2000 2005 2011 2022 2028 2033 2039 2050となり、 6年、5年、6年、11年おきであることがわかる。 11年も飛ぶところがあるとは気がついていなかった。
手で書いて計算するなら、こうなる。
日月火水木金土 0 1230 1230 12 30 1230 1230 1 230 123まず、西暦が4で割れるうるう年に 2 月 20 日が日曜だったとすると、 翌年(西暦を4で割ると1余る)の 2 月 20 日は火曜だ。 その翌年(2余る)は水曜、……、と書いていったもの。 5年目(1余る)はまた日曜になるので次の行に書いた。
この話はうるう年が4年ごとに規則的にくるときしか成り立たない。
2000-02-20 (0) 02:58:44 +0900
本文ナシ。
2000-02-07 (1) 02:34:10 +0900
ただし、「**」にも右左打ちで打てる文字をいれておくこと。
2000-02-07 (1) 02:33:34 +0900
レコード屋でバレンボイムの 「ワーグナー管弦楽曲集第2集」を見る。 たすきに「リエンツィ」「マイスタージンガー」「ジークフリート」 などとあったので、 ジークフリートから「森のささやき」 でも収録されているのかと思ったらそうではなくて 「ジークフリート牧歌」だった。 よく見返してみれば、これらは元のオペラの題名ですとはどこにも書いていない。 しかしこれでは「ジークフリート牧歌」は「ジークフリート」 からの抜粋曲かと誤解する人が出てくるかもしれない。
それから、英語によるこの CD のタイトルには Overtures and Preludes とあったが「ジークフリート牧歌」はどちらでもないわけだ。 この点は、他にも「聖金曜日の音楽」などがはいっているので 「牧歌」だけの問題ではないのだが。
2000-02-07 (1) 02:31:59 +0900
朝日新聞コラム「キュー」の誤植は最近めっきり減っていたが、 2月6日づけの「欲求にこたえる、という傲慢」には 「九年問」(おそらく正しくは「九年間」) 「分祈」(同「分析」) 「分折」(同「分析」)の三つの誤植が。 いずれも、いかにもOCRの読み取りミス、といった誤植である。
2000-02-07 (1) 02:16:25 +0900
毎年の暦を同じにしようという改暦案には年に1〜2日の無曜日をおくものが多い。 週単位で期間を計算するときは無曜日はどういう扱いになるのだろう? 民法第 143 条は 「1 月 30 日から 1 カ月間」 「2 月 29 日から 1 年間」 のような、対応する日がない場合の満期日は 「月の末日」と決めているが、 無曜日のように挿入があった場合のことは考えていない。
2000-02-03 (4) 23:01:15 +0900
民法第 143 条に 「週、月又ハ年ノ始ヨリ期間ヲ起算セサルトキハ」 とあるのだが、 週の初めというのは法律上は何曜日なのだろうか?
別に何曜日であろうと期間の計算に影響はないように決まってはいるのだが。
2000-02-03 (4) 22:54:16 +0900
「小選挙区制は過半数の信任を受けなければ当選できないからよい制度」 と言った人がいるとかいないとか聞くが、 先日話題になった住民投票にならって、 投票率が50%未満だったらその選挙は無効、としてみたらどうだろう? その場合は一人にすべての票が集中していたとしても有権者の過半数の票は得られていないのだから。
2000-02-03 (4) 01:18:58 +0900
1892 年の生まれである。 きんさんは8月1日、芥川は3月1日。
2000-02-03 (4) 01:16:26 +0900
芥川龍之介の「トロッコ」、 太宰治の「走れメロス」、 それにトルストイの「人にはどれほどの土地がいるか」 は私がくり返し読む小説だ。 これらに共通するのは 「日が暮れるまでに決められた地点まで走る」 ことだ。 私はなぜかこれが好きらしい。
2000-02-03 (4) 01:12:03 +0900
メールを書くときなどは自分で改行を入れるが、 その際は一行60字以内で、 わかち書きで切れるところ (i.e. スペースをいれるところ)で改行するようにしている。 たとえば
−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+−−−−+ 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つ の年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事 を――と言ったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが 面白さに見に行ったのである。 (芥川竜之介作「トロッコ」――岩波文庫より)というふうになる。 以前は、とにかく一行60字で切る、としていたこともあったが、 grep をかけるときにはこのほうが便利だろう。 禁則処理の対象となる文字は60字より右に出てもよい、としている。
このやりかたには、わかち書きの知識が必要だ。 いったん慣れてしまえばそれほどむずかしくないのだが。
2000-02-02 (3) 23:42:35 +0900
広辞苑第五版、 新明解国語辞典第三版、 岩波国語辞典第三版で、 本文も巻末の助動詞活用表も見たが、 わからない。
と思ったら、 広辞苑第五版に「ないで」として出ていた。 成立未詳だそうだ。 岩波国語辞典第三版は連語と扱い、 《「なくて」と同じ》と説明しているが、 「あきらめないでください」は「あきらめなくてください」 とは言い換えられないではないか。 なんか変だ。
2000-02-02 (3) 23:07:39 +0900
営団地下鉄丸ノ内線は第三軌条から電気をとっているが、 右左どちらに第三軌条があるかは、場所によって違う。 駅では、万が一、客が線路に転落した場合のことを考え、 ホームと反対側に設置してあるのが普通だ。 電車には舌のようなものがついており、 第三軌条が切り換わるとそれが第三軌条に触れてカシャという音がする。 が、「いま、切り換わる音がしただろ?」 と友人に聞いてもみんな「なにも聞こえなかった」というのだった。
2000-02-02 (3) 22:47:44 +0900
2本の線路の間にそう書いてある。 前にも気づいてメモしてきたのだが、 この字でいいのか、今回もう一度確認してきた。
2000-02-02 (3) 22:39:40 +0900
東京へ行って、 実家のそばで Wrangler のジーンズを2本買った。 1本は Regular fit, もう1本は Boot cut だ。 前者には regular seat and thigh, 後者には fit easy over boot と添え書きがしてある。
ここ十数年、 ウエストは 73 センチ(29 インチ)だったのだが、 Boot cut はこのサイズではボタンをかけることができず、 76 センチ(30 インチ)のにした。
ところで、1本 5,900 円と割安だな、 と思ったらアメリカ製でなく中国製だった。 革ラベルが合成皮革と表示されていることは買う前にも気がついていたのだが。 まあ、はいてみよう。
2000-02-02 (3) 22:29:32 +0900
2000-01-10 (1) 19:31:00 +0900 づけで 「JA のコマーシャルの、 楽器の弦が切れたときの“助け合い”」 の中で 「(確か)JA 共済」と書いたが、正しくは「JA バンク」でした。
2000-01-27 (4) 01:35:54 +0900
上のリンクはいまはった。 元は a href タグがなかった。
2004-04-28 (3) 01:56:38 +0900
私は「国民の祝日」全廃論者である。 その一つの理由は休みが不規則になって授業の進みが均一でなくなるからだが、 それだけならば法律を改正し、 振替休日を廃止したうえですべての祝日を 「*月の第*日曜日」と決めてしまえばいいのだ。
元日だけはだめか。
2000-01-27 (4) 01:30:54 +0900
考えるところあって年賀状を普通はがきで出していることは書いたが、 受け取った年賀状の中に、 やはり普通はがきで「年賀」の部分に絵が描いてあるのがあった。 毎年、自分でハンコを作って押したらおもしろいかもしれない。 それには、どのような柄が許されるのか調べなくては。
2000-01-27 (4) 01:17:16 +0900
(本文ナシ)。 「甘い息」ではない。
2000-01-27 (4) 01:13:21 +0900
近くのジャスコで、 郵政省のお年玉くじ年賀はがきに便乗するくじをやっていた。 下何桁がいくつのはがきを持ってくると何割引、というのだ。
ちょっと、ノミ行為を思い出してしまった。違うか。
2000-01-27 (4) 01:11:19 +0900
DOS/V マシン、と今は言わないのかもしれないが、 それに Win95 を入れて、 あとから linux を入れたらどこかを間違えたらしく Win95 が起動しなくなった。 フロッピーからは起動するのだが、それでは Win95 が立ち上がらない。 たぶん大事なものは何もはいっていないのだが、 デスクトップだけはチェックしてからハードディスク全体をフォーマットして再インストールしよう、 と考えた。 しかし、どのキーでカナが入力できるようになるかがわからないのだ。 Win95 が立ち上がればマウスで切り換えられるのに。 しかたなく、dir の出力結果を加工してバッチファイルにしようと思ったが、 エディタを探すので一苦労。 結局なにもなかった。
しかし、こうやって再インストールしたマシン math も、 3月いっぱいの命なのであった……。
2000-01-27 (4) 01:06:24 +0900
……なのに気づいた。 夜中までやるには 24 時制が便利なのかも。
2000-01-27 (4) 00:55:38 +0900
(本文ナシ)
2000-01-27 (4) 00:53:51 +0900
ネットワークを通じて自殺を手伝ったが自殺は未遂に終わった、 というニュースをラジオが伝えていたが、 その場合、手伝った側は「自殺幇助未遂」になるらしい。 幇助は終わっていて、自殺が未遂だっただけなのだから、 「自殺未遂幇助」になるような気がしてならないが。
2000-01-27 (4) 00:51:52 +0900
駅や市の名前の「熊谷」は「くまがや」だが、 昔は「くまがい」だったと聞いたことがある。 もし今でもそう読ませていたら、 「谷」に「ガイ」という音(オン)があると誤解されていたかもしれない。 「ガイ」はそれを音(オン)に持つ漢字がある音(オト)だし。
帰省の際、「はくたか」が遅れたせいで予約しておいた 「MAX あさひ」に間に合わず、 走って乗った「たにがわ」の窓から熊谷駅を見て。
2000-01-27 (4) 00:43:41 +0900
子供が 「ペットを飼いたい」と言うと親に 「どうせ最後までめんどうみられないだろう、 それは命を粗末にすることだ」 と言われて許してもらえないことがあるが、 子を産むことはどうなのだろう?
「大人になるまで育てたらおしまい」では、 ライオンの子をペットにしていたが大きくなって飼えなくなったので野に放した、 というのと変わらない大迷惑なのではないだろうか?
2000-01-14 (5) 02:55:58 +0900
割注というのは便利なものだと思うのだがあまりほかには見ない。
2000-01-14 (5) 02:51:12 +0900
確か mule のバージョンは源氏物語の巻名だが、 まねをしてコーランの章名でやるのはまずかろう。
2000-01-14 (5) 02:47:54 +0900
シラーの「歓喜に寄す」がベートーベンの第九交響曲の歌詞だが、 同じ「寄す」ということで岩波文庫巻末に必ずついている 「読書子に寄す」に作曲するやつはいないか? いないだろうな。
2000-01-14 (5) 02:45:01 +0900
源氏物語は「絵合」まで読み終えたが、 この巻名を見ると(確か)スーパーマリオ3の「えあわせ」を思い出してしまう。 スロットみたいなので絵が合うとマリオが増えるやつ。
作中の「絵合」はドラクエモンスターズのようなものらしい。:-)
2000-01-14 (5) 02:39:21 +0900
Vz 1.53 のファイラーは、 1999 年までの年は下二ケタで、 2000 年は「100」と三ケタで表示する。 どうせ三ケタ使うなら「+00」なども悪くなかったかも。 Vz 1.60 は「00」と二ケタ表示である。
2000-01-14 (5) 02:34:48 +0900
書くときは、PC-9801VX + Vz + 自作 FEP を用い、 DOS 専用の mail と題された 3.5 インチフロッピー内で原稿を完成させます。 それを PC-9801Xa7 に入れ、 Win95 上で動くメーラに読み込ませて発信します。
読むときは、そのメーラで受信し、 Win95 専用にしている 3.5 インチフロッピーにテキストファイルとしてセーブします。 それを VX に入れ、 5 インチフロッピーにコピーし、 ファイル比較ユティリティ fc でコンペアします。 OK だったら、 3.5 インチフロッピーは Win95 マシンに戻してファイルを削除します。 5 インチフロッピー上で nkf を使って日本語コードをシフト JIS に変換。 さらにもとのコード --- メールによっていわゆる新 JIS だったり旧 JIS だったりまちまちです --- に戻し、元と一致すればコード変換は成功とみなし、 シフト JIS に変換したものを残して消します。 それをざっと目で見てメーラに表示されているものと同じであることを確認し、 メーラからはメールを消します。 シフト JIS に変換されたメールは mail と題されたフロッピーに移動します。 その際は、 メールを失わないよう Vz のウィンドウ比較機能をつかって確かめます。
自分が送るメールは必ずカーボンコピーをとるので、 送ったあと読み、上と同じように処理します。 そして最後に原稿と同じかどうか Vz のウィンドウ比較機能をつかって確かめます。
2000-01-12 (3) 02:37:30 +0900
(いわゆる)ホームページが誰の責任で発信されているかは、 いまインターネットにつながっていてそのページがブラウザに表示されていれば、 ある程度までわかる。 必要ならそこに書かれているメールアドレスにメールを送り、 著者に連絡をとることも可能だろう。
しかし、 ダウンロードされた HTML ファイルやブラウザ画面のプリントアウトだけが手元に残った場合、 誰が書いたページなのかわかるだろうか? 一般にはわかりようがないが、 わかるように自分のページを作るにはどうしたらよいだろうか? そう悩んだ結果が 1999-08-14 (6) 19:34:07 +0900 に書いた、 全ページに自分の名前とメールアドレスを入れる方法である。 最初は、そのページの URL もいれようかと思ったほどだ。 メールアドレスはプリントアウトだけからもわかるように、 <A HREF="mailto:sunomono@math...">sunomono@math...</A> と書いていた。 しかし、この方法は別サーバに移った場合に修正に手間がかかる。
その後、 「ホームページはインターネットにつながった状態でのみ意味をもつ」 と考えることに決めた。 だから、私の連絡先の載っている最初のページへのリンクは必ず張る。 そこにはメールアドレスを書く。 しかし、それ以上は考えない。 ダウンロードして利用しようと思う方は最初のページもお忘れなく。
2000-01-12 (3) 02:13:48 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 02:10:27 +0900
七日付朝日新聞石川面に 《志賀原発 2000 年問題「人為ミス」北電陳謝》 という記事がでている。 「時計のずれにより遅れて入力された一九九九年のデータを二〇九九年と処理したため、 後から入力された二〇〇〇年のデータを古いものと勘違いして」 とのことだ。 よくわからないが、2000 年になっているマシンに 「99 年」のデータを入れたら 2099 年とみなされてしまった、ということか? 0 時近くに「日付」と「時刻」 を合わせる際、 場合によってクロックがほぼ1日ずれてしまう現象を俗に 「シンデレラ現象」といっていたように思うが、 「世紀」と「年」で似たことが起こったのだろうか?
記事の最後には 「問題の時計は九八年十二月に合わせた記録が残っているが、 昨年末には合わせていなかったという」 とある。
2000-01-12 (3) 01:56:32 +0900
……という人あり。
2000-01-12 (3) 01:45:13 +0900