すのものの「いろいろ」(その97)

金魚鉢の水をかえるとき水道水に入れた「ハイポ」ってなんだったんだ?

hypothesis とは関係ないよな、とふと思った。

2004-07-18 (0) 00:14:23 +0900

「憲法改正」よりも「九条破棄」「戦争放棄の放棄」のほうがはっきりする

大学入試の「二段階選抜」を新聞は「足切り」「門前払い」と書く。 そのほうが本質を示していると考えているのだろう。 大学関係者で「『門前払い』とは理由も示さず追い返すことを言う。 募集要項にきちんと書いているのに『門前払い』はおかしい」 と言っていた人を知っているが、それはさておいて。

「憲法改正」というと漠然としているが、 現に日本国憲法について議論されているのは「第九条」である。 何か別の言い方で、意味がはっきりするものを用いるべきではないか。

戦争放棄を放棄したからといって直ちに戦争にはいるわけではないから 「戦争再開」はおかしいが、何かうまい言い方がありそうな気がする。 「参戦国家へ」「参戦国家化」はどうかな。

2004-07-18 (0) 00:11:48 +0900

朝日新聞>キリスト教もイスラム教もユダヤ教が元であることを書かないと

けさの朝日新聞大阪本社版 be の e1 面、「ことばの旅人」は「開け、ゴマ」。

キリスト教と同じく、イスラム教でも、人類の始祖はアダムとイブである》 《旧約聖書とほぼ同じ内容だ》というのだけど、 そもそも旧約聖書はユダヤ教の古くもなんともない唯一の「聖書」である。 キリスト教もイスラム教もそれを元に発展してきた宗教であることを書けばすべてははっきりするし、 書かなければどうもすっきりしない。

付)コーランでは「アダム」「イブ」という名前じゃななかったと思うけど、 きょうはそれはいいや。

2004-07-17 (6) 23:08:32 +0900

漢字の日本語読みを教えると中国語学習のさまたげになる、という人は少ない

ローマ字、特に訓令式ローマ字を教えると英語学習のさまたげになる、 と言っている人は多いが。

2004-07-17 (6) 21:07:49 +0900

「それは和製漢語だ、本場の中国では通じない」という人が少ないのはなぜ?

本文ナシ

2004-07-17 (6) 21:05:39 +0900

「ハノイの塔」を「ハのイのト」だと思っている人はいないか

ハもイもトも音名。

2004-07-17 (6) 21:05:19 +0900

「自由」「民主」が「リベルテ」「デモクラ」と音訳されていたら

明治時代に西洋語の概念を日本語に取り入れる際、 新作漢語が大量に作られた。 その代わりに音訳が使われていたら、と考える際には、

という点に注意する必要がある。

さらに、 英語から取り入れてみると現にカタカナ語ではいっているので純粋な「もしも」 にならないことがあるし、 語尾まできちょうめんにカタカナ書きすると長くなりすぎる。

そんなことに注意しつつ以前から考えているのが、 フランス語の liberté, démocratie が 「リベルテ」「デモクラ」の形ではいっていたら、という想像である。 よくある漢語と同じく四モーラだが、同音異義語はない。 (ほかの語も音訳されていたら同音異義になっていた可能性がなくはないが。)

さらに、 -isme が独立して「イスム」として日本語にはいっていたとしたら、 「自由主義」は「リベルテ・イスム」となっていたかもしれない。 「フランス語ではそうは言わない、libéralisme だよ」 と言う人は言うかもしれないが、 日本語としては(そうなっていたなら)それで正しい。

「自由民主党」は「リベルテ・デモクラ〜」。 略称は「リベ・デモ」である。

付)「自由」「民主」をいまからこれで置き換えろ、と主張しているのではない。

付)démocratie の最後の部分の発音は [-si] だったのか……。

2004-07-17 (6) 20:48:17 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(二月 9, 10 日分)

Review Expressions に出てきた「骨粗しょう症」。 発音の難しい単語だが、西垣先生はみごとに発音された。

付) 聞いて本項を書きかけたのはだいぶ前だが、 アップロードできる状態にまとめあげていなかった。

2004-07-17 (6) 20:35:46 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(二月 6, 7 日分)

Listen Carefully の「解答に関連しています」が いつになく早口ではきはきしていた。

付) 聞いて本項を書きかけたのはだいぶ前だが、 アップロードできる状態にまとめあげていなかった。

2004-07-17 (6) 20:29:46 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(一月 30, 31 日分)

サンドラさんに答えを言うよううながされたときの西垣先生のお答え。 Plus Alpha と Silicon Valley が「Yes.」。ほかはなし。

What Am I? の説明。 「スーパーでよく見かける、ものの説明を聞いて」 と、西垣先生らしさ(=妙なところで切る)が久しぶりに炸裂!

例題は often eaten で切れてしばらくしてから with cheese on top と読まれた。 訳の「よく、チーズが乗っかっているものは」の「乗っかっている」もよかった。 普通は「乗っている」と言うだろうが、口語的で。

Lasting Wisdom で china shop を「瀬戸物屋」と訳しておられた。「坊っちゃん」みたい。

付)聞いて本項を書きかけたのはだいぶ前だが、 アップロードできる状態にまとめあげていなかった。

2004-07-17 (6) 20:26:15 +0900

NHK「英語リスニング入門」>日曜日は1週間分を一度に再放送、って

たとえば2月号のテキスト。 「日曜日は1週間分(3本分)を一度に再放送します」 とあるが、 三本分をミキシングして一度に流すわけではない。 「続けてまとめて再放送します」 ぐらいの意味だろう。

2004-07-17 (6) 20:16:33 +0900

朝日新聞>プロ野球>一文字姓の選手が二回以上守備位置を変えたら?

朝日新聞>プロ野球に「一二三」 選手がいても記録欄は混乱しない》 に関連するのだが、朝日新聞のプロ野球の記録の欄は

 田中幸
走左中
  中村豊
のように書く。二回以上守備位置を変えた選手は、 守備位置と別の行に姓を書くのである。

では、一文字姓の選手、 たとえば谷が右翼→中堅→右翼と守備位置を変えたら

中右谷
のように書くんだろうか? スペースは空いているから、可能ではある。 それともやはり
中右
   谷
とする?

きょうからこれも注意して読もっと。

2004-07-17 (6) 19:33:41 +0900

NHKフランス語講座>七月 15 日(木)分

今週のスキットを通して聞くところで気づいたのだが、きのうのテキストの d'aujourd'hui と fini の最後には [ç] の音が聞こえる。 スキットで Yumi の役を演じている人もそう発音している、ということだ。 ミカエルさんだけのくせじゃないんだ。 フランス語ではこのほうが普通、と考えるべきなのかも。

新聞の星占いは vous で読者に語りかけているが、 これは複数の vous ではなさそうだ。

車掌さんのアナウンスの中の d'arrêt だが、 何度聞いても聞きとれない。

駅名 Bordeaux-St-Jean の St が Saint の略であることは口頭で説明されたが、 そのつづり字はテキストに載ってなかったので辞書で確認。 この略語を単独で使うときは「St.」と point がつくようだ。

車内放送があるのは日本の鉄道だけ、と聞いたことがあるが、 フランスでもあるんだ。

復習。1 は小問が

1)  3)
2)  4)
と並んでいるが、2, 3 はそれぞれ
1)  2)  3)  4)
5)  6)  7)  8)
である。

sculpture の発音について 「まん中あたりにある p は発音されません」とおっしゃったが、 「まん中あたり」じゃなくて「ちょうどまん中」である。

数詞の聞き取り。 ミカエルさんが二度おっしゃったあと、 先生が答えをおっしゃる前には答えが言えるが、 これでは時間がかかりすぎ。もっと練習せねば。

Paris à travers la littérature に出てきた Lapin agile について、 「とても有名なキャバレーの名前です」と説明されたが、 フランス語の cabaret の意味は視聴者にきちんと伝わっただろうか。

「今週のもうひと言」に十二の星座の名前が載っていた。

きょうの意味なし: 「今週のもうひと言」は「今週・飲もう・一言」ではない。

付) 日本語講座では十二支を教えたりするんだろうか。

付) 録音したテープは金曜日の放送の前に聞き、 本項の原稿もほとんどできあがっていたが、 さきほど別項目に書いたように目が疲れていたため仕上げが遅れ、 金曜の分よりも順番が後になった。

2004-07-17 (6) 18:27:02 +0900

「疲」は皮膚の病気ではない

字面から意味を推測すると失敗する漢字の例。

2004-07-17 (6) 18:17:55 +0900

桃太郎は鬼を絶滅させてしまったのか?

「残らず鬼をやっつけて分捕り物をえんやらや」だったっけ、歌の文句は?

桃太郎の物語が好戦的だという指摘はときどき聞くが、 「鬼を絶滅させてしまったとは。取り返しがつかないことを」 という人はいないのだろうか。 ドードー鳥みたいに。

天然痘みたいなものだと考えれば滅ぼしてもいいのか。

2004-07-17 (6) 13:42:56 +0900

フランス語講座応用編>七月 16 日(金)分

冒頭に「数字の練習」とあったが「数詞の練習」だった。 日本語→フランス語は歌子先生が問題をおっしゃってアドリアナさんが答えをおっしゃり、 フランス語→日本語はその逆。 問題となる数は同じものが逆順 --- 前者は単調増加、後者は単調減少 --- になっていただけだった。お茶目な先生だ。 それに、この練習そのものがおばさん二人がじゃれ合っている、という感じ。 (アドリアナさんはまだお若いと思うが。)

会話が聞こえてきて、テキストでは空欄になっている数詞の部分を埋める問題。 かなりむずかしかったが、答え合わせのときに数詞だけ言ってもらうとわかる。 会話として聞いているときは、 「あ、数詞だ」と思っているうちに先に進んでしまうようだ。 情けない。

「この質問文はあしたもっと丁寧に練習しますので、 今日中に覚えておいてください」って、ラジオ講座としてはかなり厳しい。

付)上で「問題となる数」と書いたのは、 「二」と言われて「deux」と答える場合の「2」のことである。 最初「問題の数」と書いてみたが、それでは問題がいくつあるか、みたいだ。 それで言い直してみたのだが、これでもまだあまりわかりやすいとは思われない。

2004-07-17 (6) 13:20:01 +0900

イスラム圏とそれ以外で別々に暮らしたので年齢の上下が逆転、ということは

先日、 退職後まもなく亡くなった元同僚の香典返し --- 当日はカタログだけもらって、その中から選んではがきで申し込むもの --- をまだもらってないことに気がついたので、 思わず「お葬式の香典返しもすまないうちに〜」という昔の替え歌が口から出た。 そのあと、「何年経っても年下の人〜」になって、それでふと思いついたのだが。

日本人の少女がイスラム圏に滞在中、 年下の男の子と淡い恋に落ちるが帰国によって離れ離れとなる。 何十年か経って、彼女はまたそこを訪れ、自分と同い年ぐらいの男性と出会う。 彼が「**歳になったばかりだ」というので、 彼女は「自分は今度の誕生日で**歳なんだから、私より少し年上か」と思う。 しかし、話をしているうちに、実はその男性がその男の子だったとわかる。---

これが成り立つには、 「イスラム圏の人はイスラム暦で年齢を数える」 という仮定が必要である。 イスラム暦は純粋な太陰暦なので、一年は 29.5 * 12 = 354 日。 365.25 / (365.25 - 354) = 32.4666... なので、 32 年ちょっとで一年の差がつく。 もしも年齢もイスラム暦で数えるのなら、 数十年経って会ってみたら年下だったはずの人が年上になっていた、 ということもあるはずである。

あれ?  イスラム圏の人の年齢ってイスラム暦で数えているのかな?》参照。

付)サッシの掃除もしなくちゃいかん。

2004-07-17 (6) 12:06:36 +0900

「豊乳」が“乳が豊かに出る”の意味で使われた例はないのか?

昔、 母乳に代わるものが得がたかった時代には、 乳が豊かに出ることが極めて重要だったと思う。

2004-07-17 (6) 11:50:36 +0900

付) 一つ前のを明け方ちかくまでかかって書いたせいで目が疲れてしまい、 しばらく更新をお休みしていました。

2004-07-17 (6) 17:58:48 +0900

丸谷才一「日本語があぶない」を読んだ

「ゴシップ的日本語論」(文藝春秋、2004 年)、9 ページから 42 ページ。

10 ページ。 高島俊男「漢字と日本人」(文春新書)をほめている。 この本についてはまた別に書こう。

その理由を 《何しろ中国文学の偉い学者で、文章の達人ですから、 かういふ本を書くには打つてつけの人なんです》 としているのがひっかかる。 中国語や漢字の専門家、というならわかるが、 「中国文学の偉い学者」であることがどう関係するのか。 「文章の達人」も同様。文章のうまへたがどう関係するのか。

高島氏が、日本が中国からきた漢字を借用していることについて 《たとへばもし隣りがイギリスだつだら、 英語つまりアルファベットを借りてきて使つたらう、と》 と言っているかのように書いているが、 「英語つまりアルファベット」 というような粗雑な表現がされているのだろうか、 と高島氏の本に三度ほど目を通したが、 まだ見当たらない。 これについては 《書評に「……と言われれば〜だ」 とあればその本に書いてあると思わないか?》参照。

11 ページ。 その「漢字と日本人」の内容を紹介しつつ、 《だいぶ前になりますが、 中学生が小学生を殺すといふ不幸な事件が起こり》 とあるが、その本の本文冒頭は 《数年前、中学生がおさない子どもをつづけざまに殺害した事件があった》 である。 丸谷氏が別に調べて被害者が小学生だとわかったのか、 高島氏の著書の別のところに書いてあったのか。

「家庭」と「仮定」が同音であるという話になる。

でも、「仮定」といふ言葉は、戦後に吉田茂首相が 「仮定の問題にはお答へできません!」と言つた、 あれが有名になつてよく使はれるやうになつたんぢやないかな。 みんなが口にするやうになつたのは、 吉田ワンマン以後だつたやうな気がします。

重要なのは、二番目の「仮定」は、 英語の「サポジション」の訳語だといふことです

理科系の学問では、 「仮定」は assumption や hypothesis の訳語であることのほうが多いように思う。 戦前は中学で初等幾何学を教えたはずで、 そこでは新しい定理を習うたびに何が「仮定」であり何が 「結論」であるかをノートブックに書き抜いたと思う。 私は(新制)中学1年でそのような幾何を習ったが、 それをしっかりやらないと、 一つ前の定理の逆を証明しているときなどに、 仮定と結論とを取り違えたりするのだった。 戦前は、そのようなときに「仮定」なる語は使われなかったのだろうか?  戦前の幾何学の教科書、 あるいはその復刻版にあたればよいのだが、時間の都合でそれはできなかった。 しかし、高木貞治「解析概論」の終戦直後のカタカナ書きの版をぱらぱらめくったら、 「仮定」の語がいくつも使われていることは確認できた。

ところが、13 ページになると、 《第二に、さつき言つたやうに、「仮定の質問」の「仮定」 が一般的に使はれるやうになつたのは戦後になつてからです》 と話は断定的になる。 《だから正確に言へば、 「仮定」と「家庭」がごつちやになつて困るなんていふのは、 戦後的現象なんですよ》。 うーん、田丸卓郎「ローマ字国字論」(1930 年)には、 すでに同音の漢語の問題が取り上げられているのだが、 どちらが本当なのか、わからなくなってきた。

(どうでもいいようなことだけど、 日本国語大辞典や諸橋大漢和で「カテイ」 をひくと二十いくつか漢語が出ているなかで、 《現在、われわれが使ふのは「仮定」「河底」「家庭」「過程」「課程」 の五つしかありません》ということは、 小学校で習う台形の面積の公式は無視されている?)

ここでの丸谷氏の結論は 《といふ具合に、 われわれは明治以後に英語の訳語として漢語を大幅に採用して、 さらに戦後、もつと大量に採用したから、 こんな混乱が起きやすくなつたとぼくは考へます》。 戦後にさらに大量に漢語が採用され、同音異義語が増えた、 という点が丸谷氏の昔の主張と比べて目新しいと思うが、 上に述べたように、その根拠ははっきりしない。

15 ページ。 漢字が日本にはいってきた際の音の変化などにふれ 《音節がのび、しかも四声はないわけですから、 結果として同音異義語が増え、 漢字の字面(じづら)を想定しなければ意味がわからなくなるわけです》。 この前半がわからない。 一音節の漢字が日本語にはいって二音節になることを 「音節がのび」といっているのだから、 そのことは同音異義語が増えることと関係ないだろう。 音節数が増えれば一般には同音異義語は減ると思われる。

16 ページ。 やまとことばについて。 《場合によると、意味はよくわからないのに、 語感はわかるやうなことだつてある。 『源氏物語』なんか読んでゐると、ときどきそんなことありますね》 ってホントか。 「さやか」を「さわやか」だと思ったりする凡人には及ばない境地だ。

17 ページ。 話は漢語に移って、 《しかし、ちよつと厄介な言葉になつてくると、 意味はわかるけれど、語感はわからない。 たとへば「巍然(ぎぜん)としてそびえる」と言はれれば、 高いんだなあ、と意味は一応わかりますが》って、 わかるのは「そびえる」があるからでは? 「巍然として横たわる」 と書いてあったらとてもそうは思わないと思うぞ。 (そういう言い方をするかどうかは知らないけど。)

18 ページ。漢字のプラス面をあげている中で。 《先年、炭疽菌の騒ぎがありましたね。 最初は炭疽菌の「疽」を平仮名で「炭そ菌」と表記してゐましたが、 「炭素」に間違へられるといふので》とまずはここまで。 現行の新聞などの表記では「炭素」は「炭素」と書き、 「炭そ」とは書かない。だから 《「炭素」に間違へられるといふので》はまったく的外れ。 (耳で聞いたときに間違われるというのなら、 「炭疽菌」と書いたって間違われる。)

その続き。 《正式のヤマヒダレの「炭疽菌」を使ふやうになつた。 すると、ヤマヒダレのせいで、「おや、これは病気と関係あるらしいぞ」 と見当がつく》。 見当だけなら、「菌」という漢字と、ニュースの内容から十分についたと思う。 (それに、見当だけつけさせてもしかたがないだろう。 ニュースの中できちんと説明しないと。 そして、説明すればわかるはずだし、 説明なしで見当をつけると大きな誤解の元になる。 「自閉症」がその例だろう。 単に自分に閉じこもっているだけでは自閉症と言わないのだが、 そういうことだと思っている人が、少なくとも、昔は、いた。)

さらに続き。

よく新聞で「がれきの街」と平仮名を使ひますが、 あれだつて、「瓦礫」と書けば、瓦はカワラだし、 「礫」だつてイシヘンのせいで「なんか石がゴロゴロしてゐる感じだらう」 と見当がつく。

これは丸谷氏が前からよく使っている例なのだが、 “瓦と石”からどうして「瓦礫の街」の意味が推測できるのか。 かわらぶきで、石造りの立派な家が並んでいる街は「瓦礫の街」 とは言わないだろう。 仮に、さらに「礫」は“小石”のことだとわかっている人が 「瓦礫の山」を見て“瓦と小石の山”だと推測しても、 建築の材料としてのかわらと小石が積まれているのだと誤解するかもしれない。 結局のところ、「瓦礫の街」の意味を知っていて、 文字はそれにあとからそれらしい意味をつけているにすぎないと思われる。

(なお、広辞苑第五版では「瓦と小石」「価値のないもののたとえ」とあるだけ。 しかも「―の山」「―と化す」は前者の例文としてあがっているのみ。 こういうときはよく編集された和英辞典などが便利なのであって、 小学館のプログレッシブ和英中辞典第二版をみると 「かわらと小石」「破壊物の破片」と分けて訳語をあげている。 大修館のスタンダード和仏辞典は “かわらと小石”にあたる訳語はあげていないようである。)

18 ページの終わりのあたりから。 《もし漢字でなくてABCを入れてゐたらどうなつたでせう》 といい、 炭疽菌が原語で日本語にはいったとして 《「アンスラクノース」とカタカナで書くと八音節になるし、 「アンスラクス」だつたら六音節になる。 これに比べて「タンソキン(炭疽菌)」は五音節で済んで、 ずつと簡単です》。 半分以下になるとかなら「ずっと簡単」かもしれないが、 「アンスラクス」と「タンソキン」、 しかも後者は「炭素+キン」と聞き間違われるなら、 一音節だけ長くても前者のほうがいいかもしれない。 ほかにも、病気の名前は「インフルエンザ」 をはじめとしてカタカナ書きで長いものがあるから、 それほど困らないのではあるまいか。 なお、リーダーズ英和辞典によれば anthracnose は植物の病気らしい。 家庭医学書で「炭疽」をみるとこちらは anthrax のみ。

続き。 《でも、ほんとうは英語のカタカナ書きを採用したとしても、 「アンスラクノース」とか「アンスラクス」とは言はないでせう。 たぶん「アンスラ」と省略して言ふことになるでせうね。 これが現代日本語に特徴的な現象なんです》とのことだが、 「アンスラクス」のほうを「アンスラ」とするなら --- 上で述べたように、 人間に感染する可能性があってニュースになったのはそちらだと思われる ---、 これは語尾の -x の省略にすぎない。 聖書の人名 Paulos を「パウロ」とするように、 積極的に語尾を落とすやり方もあるのであって、 ワードプロセッサがワープロになるのと同じではない。

しかし、ここで話はそちらに進む。 《たとへば、 「総合建設会社」は 「ゼネラル・コンストラクター」だけど、 面倒だから「ゼネコン」になる。 「マイクロ・コンピューター」が「マイコン」、 「エアー・コンディショナー」が「エアコン」、 「ラジオ・コントロール」が「ラジコン」になる》。 いま気がついたけど、 ここでは「面倒だから」だけど、 “「アンスラクス」より「炭疽菌」” と考えるところは「ずつと簡単です」なのね。 それはさておき、 ここにあげられた語は漢語で言おうとしても漢字二字の熟語では言えないようだ、 という点に注意しておこう。

そうすると、次に引用する段落の根拠があやしくなってくる。

つまり、近代日本語成立の極めて重要な一要素は、 西欧の概念の漢字による翻訳語であつた。 そのところはやはり感じのプラス面として認めなきやならない。 これがもし漢字、 漢語なしに西欧化をやらうとしたら大変なことになつてゐたでせう。 ゼネコン、ラジコン、マイコン的日本語でやるしかなかつたわけです。 今頃、頭のなかがみんなごちやごちやして破裂してゐるかもしれない。 それを一応きちんとやることができた。それは漢字を使つたせいであつて、 これは大変なプラスであつたと言ふしかない。

ゼネコン、ラジコン、マイコンはかなり複雑な概念であって、 漢語でも二字(音は四音節)では言えない。 それを例にあげてこんなふうになっていたかもと言われても。

後半の「漢字を使つたせいであつて」も、 漢字を使って乗り切ったことは確かだが、 それを「せいで」と言うのは「せいで」の誤用であろう。 (「交通事故のせいで遅れた」 というのは交通事故がなかったら遅れなかった場合にのみ通用する言い訳である。)

23 ページ。 《明治以前には仮名には清濁の区別がなかつた。 それを区別するやうになつた》。 私の愛読書の一つ「南総里見八犬伝」(岩波書店)の箱は、 出版当時の、江戸時代の本のコピーだと思うが、 濁点がついている。

24 ページ。 明治になってカナの順がイロハからアイウエオに変わったことにふれて 《アイウエオはインドのサンスクリット文法のやり方で、 母音を基準にして配列するから、論理的なわけです》とあるが、 こういう「論理的」の使い方は論理的でないような気がする。 「合理的」とは言えるかもしれないが。

黙読が一般的になった》というけど、 それじゃ江戸時代の人は秘密の手紙を読むときに困らなかっただろうか?  忠臣蔵の七段目とかで。 まあ、これはたいしたことじゃないんだけど。

26 ページ。 《ぼくが一番言ひたいのは(13)つまり「漢字による訳語によつて、 日本の近代化と欧化は可能になつた」といふことです》。 ここは「AによってBは可能になった」だから、 AがなければBはできなかった、と断言している。 しかし、その根拠ははっきりしない。 (示せと言われたらむずかしいだろうが。)

で、戦後の話になって、29 ページ。 《カタカナ言葉の急激な増加と、漢字使用訳語の大量増加》。 前者は誰でも感じるだろうが、後者は根拠を示してもらわないと。 また、戦後は三字の熟語が多くなったとし、 「伝導体」「価値観」「温度差」を例としてあげ、 《以前ならば漢字四字で作つたであらうといふものを三字でやる。 これは、少しでも短くしたい、 能率を増したいといふことからきてゐるのでせうね》 と言うが、 これは「〜体」「〜観」「〜差」 という接尾辞のようなものをつけたのではあるまいか。 また、これが増加したのかどうかも、調べてみないとわからない。

ローマ字の増加》というから何かと思ったら、 《「王と長嶋」を「ON」と言ふとか》 ってこれは確かにローマ字書きの頭文字だが、 《ローマ字がぐつと身近になつた》 というほど日本語のローマ字書きが広まったとも思えない。 そのあとを読むと種明かしがあるのであって、 《エレベーターの表示では地階がBで屋上がRですね》 ってそりゃ英語だ。 《「国鉄」が「JR」になつたのもそれです》って、 「それ」じゃないよ。 丸谷氏ほどの人が英語とローマ字書き日本語とを混同するはずはないんで、 (この段落未完)。

30 ページ。敬語の変化。 《同時に「れる」「られる」を濫用するようになつた。 つまり、「お見えになつた」「いらつしやつた」と言はないで、 「来られた」と言ふ人がかなりゐる。 一つにはこの「れる」「られる」多用のせいで、 「ら」抜き問題が生じたわけですね》。 ある程度の偏見をもって言わせてもらえば、 “ら抜き”でしゃべっている人は敬語は使わない、あるいは使えないと思う。 確かに同じ「れる」「られる」だが、 受け身と可能とを混同されたくなくて使っているのが“ら抜き”である。

32 ページ。 《しかし言語学的には、 日本語は膠着語であり、中国語は孤立語、英語は屈折語と、 まつたく別の系統のものです。 その異質の三要素をごちやごちやにまぜて使つて日本語といふものを成り立たせてゐる》。 外来語として取り込むときに、 孤立語・膠着語・屈折語の区別が関係するとは私には思われない。

33 ページ。 「語感」の話になって、 《「フィーリング」なんて言葉を、 みんなむやみに使ふけれども、この語感、何か怪しい。 まして、「ナショナル・コンセンサス」とか、「シビル・ミニマム」とか、 語感なんてないんぢやないだらうか》。 これに語感がないとしたら、 役人か何かが机の上でひねり出した語だからでは?

その続き。

ただ意味があるだけで、その意味もごく一部の人がわかるだけ。 その典型は、「スキゾフレニア」とか、「パラノイア」といつた言葉ですね。 略して「スキゾ」とか「パラノ」とか言つたりする (かういふのはネオアカ言葉つていふのかしら)。 この手の言葉を聞いても、ふざけてゐるとか、気取つてゐるとか、 おひやらかしてゐるとかいふ感じはわかるけれども、 中身はどうもよくわからない。そして語感なんか、ぼくにはピンと来ない。

いっとき流行した「スキゾ」「パラノ」だが、 私もあの人の著書を読んでいないので、実はよくはわからない。 ただ、 これらの語はあの著者が著書の中で定義しているのではなかったのか。 丸谷氏が読んだが定義されていないから「よくわからない」なのか、 読まないから「よくわからない」なのか。

(「おひやらかす」は現代かなづかいでは「おひゃらかす」。 広辞苑第五版に出ていた。「おいやらかす」ではない。 「お冷や」と関係していて「おひやらかす」かとも思ってしまった。)

38 ページ。 文部省は 《そのために表記法を単純にした (本当は単純にぢやなくて、粗雑にしたり、 不合理にしたりしただけなんですが)》とあるが、 前に丸谷氏の別の著書を読んだ限りでは「粗雑」「不合理」 にしたという根拠は十分とは思われなかった。

40 ページ。ここで携帯電話の話になるが、ほんの数行だけ。 そして、携帯電話が文字を画面に表示する道具でもある、 ということが全くふれられていない。 その直前に書いてあることは、 要するに、 テレビばかり見るようになって書き言葉に触れないので読む力が落ちた、 というものだが、 現在の、特に若者たちの日本語を論じる場合、携帯電話のメールは無視できない。 携帯電話でインターネットのサイトにアクセスするものもちろんである。 できることを知らないのではないか、と思われかねないふれ方である。

41 ページ。 「近頃、東京の、いくつかの都立高校の生徒の一パーセントか二パーセントは、 自分の名前を漢字で書けないといふ」。 そりゃそうだろう。 名前にひらがな・カタカナを含む生徒がそのくらいはいるはずだ。 外国籍でカタカナの名前の生徒がいるかもしれない。

(私の勤務先の大学で、 事務室わきに貼り出してある学生名簿で調べたところ、 女子の数パーセントがひらがな・カタカナを含む名前であった。)

2004-07-15 (4) 03:16:07 +0900

補: 《もし漢字でなくてABCを入れてゐたらどうなつたでせう》 のところ。もしそうなっていたら、 アルファベットを採用している多くの言語と同様、 anthrax のような語はそのままのつづり字で取り入れられたものと思われる。 ansurakusu と発音されるかもしれないが、それにしても 《「アンスラクノース」とカタカナで書くと八音節になるし》 《英語のカタカナ書きを採用したとしても》 のように「カタカナで *書く*」と決めてかかるのは粗雑な議論に思える。 『日本語にはいれば「アンスラクノース」と八音節になるし』など、 言い方はいくらでもある。

補: 「ゼネコン」「マイコン」「エアコン」「ラジコン」のところ。 これらの語は漢字二字で表わせないと書いたが、 「エアコン」だけは「空調」という漢語で表現できるのに気がついた。 しかし、そのうち「エアコン」だけはあとの 《ゼネコン、ラジコン、マイコン的日本語でやるしかなかつたわけです》 に出てこないので私は(いまのところ)ウソをついていなかったことになる。 もっとも、「空調」は「空気調節〜」の略語であって、 元を知らない人が 「空調」という文字列を見て意味するものを想像できるとは思いにくいから、 NATO のような acronym に近いとも言える。

2004-07-18 (0) 00:02:45 +0900

丸谷才一 「日本語があぶない」を読んだ(その2)》 に補いを書いた。

2004-08-15 (0) 14:56:00 +0900

引用部分に小さなミスが見つかったので直した。

2004-08-16 (1) 01:53:41 +0900

憲法改正に「賛成」とひとくくりにされるのは改憲の方向が単一だからか

ちょっと前なら、憲法改正に「賛成」という人の中にも、 戦争放棄の放棄だけでなく、 天皇制を廃止して共和制をとるとか、 私有財産を廃止・あるいは制限して社会主義の実現をめざす、 という人たちがいた。

参院選後の朝日新聞が、 新議員が憲法改正に賛成か反対かを載せていたが、 賛成の場合、どんなふうに改正するつもりなのか全くふれていない。 いや、ふれなくても明らかだから書かないのだろうけど。

2004-07-14 (3) 23:19:08 +0900

平安京が三次元の町だったら「上ル」「下ル」ってのはどうなっただろうか?

京都には、正式の住居表示のほかに、 交差点名+そこからどっちへ、という言い方がある。 北が「上ル」、南が「下ル」、東西は「東入ル」「西入ル」らしい。 では、平安京が三次元の町だったら、これらはどうなっていただろうか?

上下に移動することを意味する言い方が「上ル」「下ル」以外にできていたら、 四次元方向への移動を表わす語としてそれらを数学などで使えたかも知れない。

「上ル」「下ル」は「北入ル」「南入ル」になり、 「上ル」「下ル」が上下の移動に使われていただけか?

2004-07-14 (3) 22:49:45 +0900

NHKフランス語講座>七月 14 日(水)分

きょうのさし絵で、 列車の座席の背もたれがどうなっているかがやっとわかった。 かなり分厚く、布もかかっていて豪華だが、 反転はしないので後ろの人の席と背中合わせで、 しかもぴったりくっついているのだ。 (シートそのものは白く描かれている。きのうのさし絵では、 その部分は向こうが透けて見えているように思えたのだ。)

今週のスキットを通してきくところで、 Taureau が日本語の「トロ」と似ていることに気づく。 単なるダジャレなんだけど、 つづり字にとらわれずに音に集中するのも大事かと思って。

名詞 bonheur について 「先ほど出てきた heureux の名詞形です」とおっしゃったが、 かなり形が違う。 辞書をひいてみたのだが、 古語 heur が名詞形で、bonheur は bon heur なのではあるまいか。 (そうだとしても、 現代語としては heureux の名詞が bonheur と理解するのが正しいのだろうが。)

きょうのポイントの中で先生が「先ほどゆった」とおっしゃった。 「言った」の意味で。 (前後も引用すれば、 「これに、先ほどゆった語尾をくっつけていきますね」。)

vouloir の単純未来形 je voudrai を習った。 前に習った je voudrais と音は同じだけど、違うんだな。 (あれは条件法現在。)

月の名前の復習があった。 きのう Taureau が、きょう Balance が登場したので十二の星座の名前を習うかと思ったが、それはなかった。 先生とミカエルさんがそれぞれ何座かという話があるかとも思ったが、 それもなかった。

きょうのエンディングは 30 秒。

付) きのうから単純未来形を習い始めたが、 きょう不規則な語幹をもつ未来形を習って、 これで未来形は終わりのようだ。 全部で 100 回の講座だからしかたがないが、少々駆け足だ。 この講座で初めてフランス語を習う人は、かなり復習が必要だろう。 練習に出てきた文章の主語を変えて言ってみるとか。

2004-07-14 (3) 22:27:21 +0900

最近のコンピュータはお使いもできるのか……。Windows Update 中にふと…

…そう思った人もいるのではあるまいか。画面に 《この更新プログラムをインストールすると、 お使いのコンピュータを保護できます》と書いてあるものだから。

2004-07-14 (3) 21:00:39 +0900

意味なし標語「Windows 逆から読んだら Swodniw」

本文ナシ

2004-07-14 (3) 20:53:29 +0900

ゴキブリをかたどったマウスってないんだろうか

本文ナシ

2004-07-14 (3) 20:33:46 +0900

日傘でも雨傘でもない「月傘」ってないのかな

夜、おもてを歩くとき、月の光に撃たれないためにさすもの。 発狂するのを防ぐため。

2004-07-14 (3) 20:29:09 +0900

誰それはふりがなの多い本を読んでいました。子ども向けの本かと思ったら…

…聖書でした。

というオチを考えてみました。つまらない?

2004-07-14 (3) 20:28:22 +0900

どうしてこの MS-IME97 は「髪洗い」が出ないのか?

子どものころ、 お風呂屋さんへ行くと「髪洗い」という札があったものだ。 婦人が髪を洗う場合に限り、 お湯を多く使うというのでお金を余分に払って札をもらう --- 厳密に言えば借りる --- のだ。 その札を持たずに髪を洗うといけないんだったと思うが、 自分が洗ったあとで他人にその札をゆずったりしたらどうなるんだろ?  出るときに髪が濡れていて札を持ってないからわかってしまうのかな?

付)タイトルと本文が全然あってないっ!

2004-07-14 (3) 20:25:00 +0900

NHKフランス語講座>七月 13 日(火)分

現在形以外の時制が初めて出てきた。 単純未来形からはいるのか……。

2004-07-13 (2) 22:16:13 +0900

回文>「困惑 食わん子」(こんわくくわんこ)

本文ナシ

2004-07-13 (2) 19:08:33 +0900

回文>「昼の星 志保 乗る日」(ひるのほししほのるひ)

志保は人名。 全体では意味をなしていない。

2004-07-13 (2) 19:04:48 +0900

回文>「『死と乙女』と『お年』」(しとおとめとおとし)

本文ナシ

2004-07-13 (2) 19:03:32 +0900

きのうはむちゃくちゃ疲れたのでアップロードせずに寝てしまった。 どうやら、前の日、ほとんど汗をかかなかったからと上新井、 じゃなかった髪洗いを省略したせいで、 背中を十分に洗わなかったのがいけなかったらしい。 (髪を長くしているので、背中をよく洗おうとすると髪が濡れるのだ。)

2004-07-14 (3) 20:19:57 +0900

神々のたそがれ>義経千本桜の狐忠信みたいにアルベリヒが登場したら

きょう、 信号待ちのバスの窓から交差点付近にあるマンションの入り口を見ていたら、 階段にこもが敷いてあった。何のためだろう?

それを見ていて、ふと、思いついたのが、 「神々のたそがれ」第二幕第一場でアルベリヒが 「義経千本桜」の狐忠信みたいに登場する、というもの。 でも、元ネタを知らないとちっともおもしろくないからダメだな。

(知っていてもおもしろくないか。)

2004-07-13 (2) 02:42:54 +0900

NHKフランス語講座>七月 12 日(月)分

綴り字の読み方は sc の発音。 これで単語が終わる場合にはふれられなかったが、 辞書を見ていて fisc という例を見つけた。 ほかに、schéma のように sch となることもある。

きょう、il fait beau が出てきて「非人称」という言葉を習ったが、 il y a のときは習わなかったのかな?

Il fait très gris という言い方があるのか。 gris に très がつくのが意外だった。 日本語では「とても曇っています」とは言わないだろう。

ミカエルさんの発音では Strasbourg の中ほどの s は [z] だが、 手元の辞書では [s] だ。先生も [s] だった。

きょうのエンディングは 40 秒弱。

2004-07-13 (2) 02:38:25 +0900

押しボタン式信号で、向こう側の人とほとんど同時にボタンを押しそうに…

…なり、投げ抜けしてしまったらどうしようと、少し待ってしまったのだった。

2004-07-13 (2) 02:06:58 +0900

「投げ抜け」は、 格闘ゲーム「バーチャファイター」に2から導入されたルールである。 投げ技のコマンドを相手が入力した際、 定められた時間内に定められたコマンドを入力すると、 その投げ技を回避できる。 最も簡単な投げ技はGボタンとPボタンの同時押しだが、 これは同じコマンドで回避できる。 それが念頭にあったもの。

2004-07-14 (3) 21:08:41 +0900

朝日新聞「声」>その道路って自動車通行可なの? なぜそれを書かないの?

12日づけ大阪本社版オピニオン面「声」に掲載された 「道の真ん中で嫌な出来事が」。兵庫県高砂市の 27 歳の主婦の投書である。

車を運転中の私は、 下校中の小学生に注意を払いながら低速で走っていました。 すると、 数人の子どもたちがどんなつもりなのか、 道の真ん中でこちらを向き、 笑って立ち止まりました。

スリルを味わいたいのか、 よけようともしないので、 その手前で私は車を止めました。 遊んでいるつもりかもしれませんが、 もし、こちらが急いでいたり、 イライラしていたら、 注意散漫になって事故につながりかねないと思うと、 ゾッとしました。

中には大人をからかっているのか、 「バーカ」などと私に向かって言う子どももいて、 不快な気分になりました。 してはいけないということを素直に理解できる子どもが少なくなってきているように感じさせられた出来事でした。

これで全文なのだが、 この人が車 --- たぶん自動車のこと --- を走らせていたのが自動車が通行できる道路、 自動車が通行できる時間帯だったのかどうかが、 全く書かれていない。 全文を引用したのはそのことをはっきりさせるためである。

小学生といっても一年生と六年生ではかなり違う。 普通、せめて低学年とか高学年とか書くものだが、 それも書いていないからわからない。

もしもこの人が「登下校時自動車通行不可」 とされている道路を走っていたのであれば、 六年生が自動車の前にたちふさがって下級生を守り、 運転手に向かって「字も読めないくせに自動車を運転するバーカ」 と言うことはありえるのではないか。 (あまり品がいいとは思わないが。)

そうじゃないような気がするが、だったら そのこと、つまり、自分は自動車が通行できる道を通行できる時間帯に走っていた、 ということを全く書かないのはなぜなのだろう?

付) 登校時に自動車通行不可となる道路の存在は、 私の勤務先の大学に“学生によく知らせてください” との連絡が警察だったか町内会だったかからはいって掲示が出ていたので知っている。 ただ、 それが法的な力があるのかどうかはわからなかった。 また、私が通る道ではないので、 どのような標識が出ているのかも不明である。

付) 新聞の投書って、こうやって全文引用してみるとすごく短いのね。

付) 朝日新聞の編集部では、 この人にもう少し状況を聞いて、 場合によっては書き直してもらおう、 という気はなかったのだろうか。 この人が子どもたちに何のつもりか聞いたかどうかもわからないし、 結局どうなったのかもわからない。 バックして別の道を行ったのかもしれないし。 その小学生たちのかよっていると思われる小学校に問い合わせることも考えられる。

2004-07-13 (2) 01:47:11 +0900

朝日新聞>前日の気温で平年比を「―」とすると平年比なしに思われないか

「0.5高」や「0.6低」のように書くのだが、 平年と全く同じときは「―」とするようである。 これでは、 記録が欠けているなどの理由で平年比が求められなかったようにとられないか。

ほんとうに「平年比」だったら「0.5高」じゃなくて 「1.016」のようになりそうなものだが、それはいいか。

2004-07-13 (2) 01:23:45 +0900

南半球では最高気温のほうが最低気温よりも低い……わきゃないよな

12日づけ朝日新聞大阪本社版は参院選の結果を伝えるために紙面が特別だった。 いつもはほとんど見ない「世界の気温と天気」 が割と目につくところにあったので目を通したが、 思わず 「南半球では最高気温のほうが最低気温よりも低い……」 と言いかけてからそうでないことに気づき、 「そんなわきゃないよな」とつけたしてしまった。

2004-07-13 (2) 01:17:39 +0900

オールスター>「投手の代走」って試合に出ている投手が代走、じゃないのか

12日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面。 「主な記録」として 《投手の代走 河内(広)=5人目、6度目》とあるが、 ゲームに出ている投手が代走に出たんじゃないんだ。

野球> 試合に出ている投手が指名打者の代走に出ることは許されるのか?》 に書いたように、試合に出ている投手は指名打者の代打に立てるので、 指名打者の代走に出られるのかもしれないのだ。 (「かもしれない」というのは、規則を読んでもわからない、という意味である。)

実際には、記録を見ると河内は三塁手小久保の代走として出ているので、 そうではなく、 単に投手として登録されているがまだ試合に出ていなかった選手が代走に出た、 というだけの意味である。

(河内は代走だけで終わり、 そのあと、その打順には投手としてベバリンがはいっている。 それに伴い、指名打者だった岩村が三塁に。 代走に出てそのまま投手になることも可能なはずだが、 それはさらに珍しいようである。

もしそうしていたら指名打者の役割は消滅するのだと思うが、 ルールブックには明記されていない。 そのことを独立した項目に書こうとしたら、すでに 《野球> 代走が投手になったら指名打者はどうなる?》 に書いていたことに気づいた。 つけたタイトルが「野球>」を除いて全く同じだったのにも驚き。)

2004-07-13 (2) 01:04:36 +0900

朝日新聞>ヒット曲でもある「赤いスイートピー」が染め抜かれた、って

12日づけ大阪本社版スポーツ面「ハーフタイム」。 《松田さんはヒット曲でもある「赤いスイートピー」 が染め抜かれた白地の振り袖姿で登場》 とある。 インターネットで写真を見たが、 染め抜かれていたのは曲ではなく赤いスイートピーの柄である。

私なら 『ヒット曲にちなむ「赤いスイートピー」が染め抜かれた』 とするか。

2004-07-13 (2) 00:45:12 +0900

オールスター>古田(ヤ)が松田聖子ではしゃいだのは何かあるのでは

12日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面「ハーフタイム」。 《すると、 ヤクルトの古田が「松田聖子を生で見られるなんて」と声を上げるなど、 選手の方がはしゃいでいた》 とあるが、あの古田がそう簡単にはしゃぐとは思えない。 選手会長として、 今後予想される困難な交渉を有利に進めてゆくうえでの何かがあるのではないか。

2004-07-13 (2) 00:41:36 +0900

オールスター>パの最年長は 32 歳の新庄だったのか……

12日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面で知った。 セでは 41 歳の工藤も出たというのに。 パで人気が出ると FA でセに移っちゃうことが多い、ってことかな。

2004-07-13 (2) 00:38:17 +0900

フランス語講座応用編>七月 10 日(土)分

きょうはオープニングで二人同時に話してしまっている。

先生の話し方だが、日本語のときはおばさんという感じなのに対し、 フランス語だと少女のように聞こえるのが超・不思議。

2004-07-12 (1) 00:49:17 +0900

フランス語講座応用編>七月 9 日(金)分

きょうから菊地歌子先生とアドリアナ・リコ=横山先生だ。

新学期の初めに、どんな先生がはいってくるかな、と教室で楽しみに待っていたら、 普通のおばさんがはいってきて「あれあれ?」と思っている間に普通に授業を始めた、 というような感じ。

冒頭でアドリアナさんが deux parties とおっしゃったが、 parties の最後に [ç] の音が聞こえた。 (「[ç] の音」という書き方が iso-8859-1 と JIS の範囲でできることにいままで気づいていなかった。)

「NOM はみよじですから」とおっしゃったようだ。 「名字」を /mjo:zi/ でなく /mijozi/ というのはフランス語関係者の間の習慣か? と思ったが、あとのほうで 「気をつけてください」を「きょうつけてください」 とおっしゃったので単に普通に話しておられるだけか。

linguistique の発音を間違えて覚えていたのに気づく。 -gui- は「ギ」じゃなくて「ギュイ」だったんだ。

普通のおばさん風だけど、楽しい講座だった。 雑談や冗談もおもしろいし。 (単に私もおばさん化して波長があっているだけか?!)

オープニング、エンディングの曲の説明も、 おばさんが若ぶって選んだ、という感じ(にわざとしているのか)。

最後のあいさつを二人同時に言うところ、全然あってない!

付) 普通、日本人の先生とネイティブが会話をすると、 どちらがどちらか、自然とわかるものだが、 ぼんやり聞いているとわからない。

2004-07-12 (1) 00:11:39 +0900

人名用漢字「侑」を「鮪」のイメージでとらえていた

意味がわからないから、字面の似た「鮪」(マグロ)のイメージでとらえていた。 ただ、なぜか、マグロのぶつ切りにとろろいもをかけたのが頭に浮かんでいた。

2004-07-11 (0) 23:59:35 +0900

漢字「水」をスイと教えると「水ミング」と書く子が出ると読んだことがある

小学校で漢字「水」とその音(オン)「スイ」を習う際、 どの「スイ」を「水」と書くのかをすべての単語について習うわけではない。 これは水(みず)に関連している、と習うかもしれないが、 「すいどう」は「水どう」だろうと想像するのは正しいけれど、 「スイミング」を「水ミング」と思うとバツになる。

じゃあどうするか?

一つは、「すいどう」のような漢語のかな書き、 「水どう」のようなまぜ書きを教科書からなくし、 最初から「水道」という、社会で使われている表記になじませる、 という案であろう。 そうすればスイミングは最初から「スイミング」と覚えるのであって、 「水ミング」かな、と勝手な想像をすることはなくなる。 ただし、 この語がカタカナで書かれることを学ぶまではこの語は書けないことになるし、 漢字で書かれた語は筆記する時にもその通りに漢字で書かせるのか、 という問題も生じる。 梅雨どきなどに使う「うっとうしい」 は小学校1年生でも知っている語ではないかと思われるが、 作文の際には「鬱陶しい」と書かせるのか。 それとも、読むときは「鬱陶しい」、 書くときは「うっとうしい」と使い分けさせるのか。 この語は「うっとおしい」と書きたくなることがあるので、 かなに直して書くのは必ずしも自明ではない。

二つめは、 「水」の「スイ」という音を教える際、 児童が知っていそうな単語でこれを含むもの全てについて 「水」の字を使った新しい書き方を教える、というものだ。 「水」に「スイ」の音があることを教えるのは、 英語のつづり字を英語を母語とする子どもたちに教える場合で言えば、 アクアという音で知っている語の多くが aqua- とつづられるんだ、 と教えるのにあたる、 と考えるならば、 原則だけを教えて個々の単語について教えないわけにはゆかないと思う。 (aqua- とならない単語もあると思うが、例がみつからない。 acquire はちょっと音が違うだろう。backward はもっと違う?)

三つめは、このままほうっておく。 そのうち、わかってくるはずだから。

2004-07-11 (0) 23:47:23 +0900

「えこひいき」の「えこ」を「エコロジー」の「エコ」とカン違いする人…

…もいないとは限らない。

2004-07-11 (0) 23:35:34 +0900

新語「〜トピア」「エコ〜」が語源を誤解しているという人が減ったような

ユートピアの「トピア」に理想境の意味があると誤解して 新語「**トピア」がさんざん作られたが、最近はすたれたのだろうか。 一時期ほど、この造語法は誤りだという人が減ったような気がする。

最近よく見聞きするのは「エコ〜」だ。 エコロジーのエコのつもりだろうが、 この部分には「家」という意味しかない。 しかし、これをとがめる人はほとんどいないようだ。

2004-07-11 (0) 23:32:11 +0900

「結っても」を「切っても」と同じアクセントで言うテレビCM

確か「サザエさん」の中で流れる、髪の毛の何かのコマーシャル。 Asian Beauty という句も聞かれたような。 私は「言っても」と同じアクセントだと思っていたが、 新明解国語辞典第五版によるとこの語にはいろいろなアクセントがあるようだ。

2004-07-11 (0) 23:26:04 +0900

花王の asience だった。 CMはここで見られる。

付)『「サザエさん」の中で流れる』と書いたが、 番組の中の意味ではない。

2004-07-31 (6) 02:03:20 +0900

回文>「暇? 病」(ひまやまひ)

歴史的かなづかいによる。

2004-07-11 (0) 23:09:14 +0900

回文>「いま? 病」(いまやまい)

本文ナシ

2004-07-11 (0) 23:07:35 +0900

ちびまる子ちゃん>たまちゃん>怒り大爆発・お父さんの会社初登場

きょうの「呪われたブー太郎」。 相変わらずどこかずれた父親に向けて、たまちゃんの怒りの大爆発がすごかった。 その父親の会社が初登場。普通のサラリーマンだった。 よくあれで勤まるな。

2004-07-11 (0) 23:05:15 +0900

「夜のお付き合い」というのは酒席のことを指すようだ

テレビのCMで、「夜のお付き合いの多いかたへ」のように言っていた。

2004-07-11 (0) 23:00:40 +0900

「醒酔笑」と聞いて「聖水商」 --- 聖水商人 --- だと思う人はいないか

本文ナシ

2004-07-11 (0) 22:58:52 +0900

球宴「君が代斉唱」>聖子って松田聖子じゃなくてユニット名だったの?

けさの朝日新聞大阪本社版テレビ面、MRO テレビ 18 時からの 「プロ野球サンヨーオールスター」のところに 「聖子が人生初の君が代斉唱」と書いてある。

私は「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」を見て、 「ラジオ名人寄席」で志ん生の「佃祭」を聞いて、 それからチャンネルを合わせたものだから、 ハイライトで松田聖子が君が代を独唱しているところの一部をちらと見聞きしただけ。 そのあと新聞を見たので、「聖子」とは松田聖子のことだと思っていたが、 一人で斉唱はできないよね?

2004-07-11 (0) 22:54:18 +0900

「ジェンキンスさんを米国に渡すな」と「自衛隊をイラクから撤退させよ」

米軍からの脱走兵とされるジェンキンスさんがもしも日本へやってくると、 日米の間の取り決めにより、日本はジェンキンスさんを米国に引き渡さねばならない。 それではまた家族と引き離されてしまうので、 ジェンキンスさんを米国に引き渡さないで、という声があがっているが、 そのことと、先日のイラクでの日本人人質事件で人質たちの関係者から出た 「自衛隊をイラクから撤退させてほしい」との要求との比較。

人質事件のときは、 朝日新聞は “自衛隊派兵には反対だが、ここで撤退すれば国際社会の信頼を失う” と主張していたと記憶している。 ほかに、派兵は法律できちんと決めたことだから、 と主張している人たちもあった。 だとすると、犯罪者の引き渡しは日米間で決めてあることだから、 ここで超法規的な措置をとるのは他国の信頼を失う元だ、 という考え方も出てくるのではないか。

付) 私がそう考えているとか、 あのときああ考えた人はみんなそう考えるべきだとか、 そういうことを言っているのではありません。

付) 軍隊からの脱走がどのくらい重い罪にあたるのか、 日本には軍隊がないこともあって、私は知りません。 ジェンキンスさんの場合、 単なる脱走でなく、 敵国に“寝返った”と見なされるのかもしれません。 そうだとするとあまり罪は軽くないような気もします。

2004-07-11 (0) 22:42:57 +0900

「サンインセンのニュース」を「山陰線」とカン違いした / 実は「参院選」

山陰線で何かあったかな、と思ってしまった。

2004-07-11 (0) 20:39:16 +0900

公共広告機構>「無理」は日本の禁句、と言って人工衛星打ち上げて大丈夫?

「無理だ」は、 日本の禁句にせえへんか》ってあぶなくないか》に書いた、 公共広告機構の広告。 例えば2月22日づけ朝日新聞大阪本社版、「Weekly 教育」の面に載っていた。

人工衛星、打ち上げようや。町工場のおっちゃんたちが、立ち上がった》 というのだが、ものは人工衛星である。落ちてきたら、大変なことになる。

「予定通り、打ち上げだ」「無理です」 「それは禁句だ、とにかく打ち上げろ」 「現段階では、このロケットは大気圏の外にまで出られません。 それに回路の最終点検も済んでいません。絶対に無理です」 「構わん、やれ!」 などと押し問答しているうちに “無理だは禁句”の人が打ち上げスイッチを押してしまい、 その場でロケットは大爆発、なら自業自得で済むけれど、 ふらふらと上がったロケットが人口密集地に墜落、 なんてことになったらどうするのか。

他国からの“ミサイル”だろうが、 町工場のおっちゃんの人工衛星打ち上げ用ロケットだろうが、 落ちてきて当たれば大迷惑であることに変わりはない。

無理かどうかきちんとチェックしてから打ち上げてくれ。

2004-07-11 (0) 13:58:14 +0900

公共広告機構>「男たちの挑戦は続く」って、丸川智子さんも男なの?

「無理だ」は、 日本の禁句にせえへんか》ってあぶなくないか》に書いた、 公共広告機構の広告。 例えば2月22日づけ朝日新聞大阪本社版、「Weekly 教育」の面に載っていた。

「男たちの挑戦は続く」とあるが、 東大阪宇宙開発協同組合の丸川智子さんは女性のような名前だし、 写真を見ても女性のように見える。 人を見かけで判断しちゃいけないし、「男たちの挑戦は〜」 とあったからといって女はいないと言っているわけではないが、気になる。

2004-07-11 (0) 13:45:07 +0900

憲法改正案>イラク戦争のような事態での参戦は可能なのか、を知りたい

憲法改正の主たる点は第九条であろう。 侵略戦争はしないと明記するとかいろいろな案を聞くが、 最も聞いてみたいのは 「もしも今回のイラク戦争のような事態になったとき、 米国といっしょにイラクを攻撃することが可能なんですか?」だろうな。

「この憲法改正案ではできるようになりますが、するつもりはありません」 と言われたら?

2004-07-11 (0) 02:19:21 +0900

いつものデパートにお中元を送りにいったが記録が消えていてあて先わからず

コンピュータにはいっているので、 お中元・お歳暮の案内状がこなくても、 うちの電話番号を言えばいつも送っている先の住所・電話番号が出てくる。

だから手ぶらで行ったのだが、 データが消えたのか、出てこなかった。これでは送れない。 そのことに、新規にうちの住所・ 電話番号などを登録してもらってからようやく気がついた。

2004-07-11 (0) 02:06:07 +0900

皇室のぎくしゃくを「共通の姓をもたないせい」と言っている人はいないか

週刊誌などをにぎわせているようだが、 その原因を 「皇族は共通の姓をもたないので家族としてのつながりが薄いから」 としている人はいないのだろうか。 夫婦別姓に反対している人の中にいても不思議はないような気がする。

2004-07-11 (0) 02:03:19 +0900

テキストの一部を区別するのには、行頭に縦棒を置くのも見やすい

この「いろいろ」のタイムスタンプを出力するプログラムだが、 おまけとして、次のようなものも出力する。

|2004-07-10 (6) 16:50:34 ... UTC
|2004-07-11 (0) 01:50:34 ... 地方時
|週番号は 28, ことしの 193 日目, 春分から数えて 113 日目です.
|きょうの月齢は 23.3 です.
|正子から 6634 秒だけ経過しました.
|十進 / 十六進表記による時刻は .07678 と 13A8 (13a8) です.
行頭に縦棒が置かれているのは、 この部分はコピーしないことがはっきりするためである。 ほかの記号も試したが、縦棒ははっきりしつつすっきりする、 という点で優れていると思う。

私がいま DOS 窓で使っているフォントでは縦棒が縦に並ぶと切れ目なくつながる。 そうなるとより見やすいようである。

2004-07-11 (0) 01:50:34 +0900

参議院の影が薄いのは参議院だけのせいではあるまい

参議院は“第二院”であり、衆議院に比べて影が薄いと言われたりする。 しかし、それは参議院だけのせいではあるまい。

法律や予算を先に審議するのは衆議院である。 そこで可決されたものが参議院に送られるわけだが、 そこでの議論そのものに衆議院議員が耳を傾け、 「なるほど、私はこの法案に賛成したが、 こういう議論もあったのか。それではこれが衆議院に戻されてきたら、 その点もふまえて議論をし直してみよう」などと考えるならば、 二院制はきちんと機能する。 そうではなく、単なる多数決で決めるところなら、(この段落、未完)

議論そのものに耳を傾けるべきなのは、衆議院議員だけではない。 有権者ひとりひとりもそうである。

(参政権を認められていない天皇・皇族・在日外国人はどうか、 という問題もあるが、これは別の機会に譲ろう。)

2004-07-11 (0) 01:49:11 +0900

憲法改正が争点にならなかった選挙で当選した議員が改正発議に加わること

今回の参議院選挙では、 憲法改正は一部では争点になっているものの、全体としてはなっていない。 これで当選した議員が、国会の憲法改正発議に賛成票を投じることは、 議会制民主主義の原則から見て、どうなのであろうか。

改正に賛成の議員であっても、 「有権者はその点までこめて私に投票したとは思われない。 よって今回の発議には棄権、あるいは白票を投じる」というのが、 私にとって納得のゆく態度である。

そうだとすると、 はっきりした憲法改正案が出てから六年間は改正しないことになる。 日本国憲法は具体的な細かいことがらはすべて法律にまかせている。 よって、そのくらいゆっくり改正について議論してもよいと思うのだが。

2004-07-11 (0) 01:41:23 +0900

冗談>この「いろいろ」が「その100」に突入する日を当ててください

この「いろいろ」も、いよいよ「その97」となりました。 この夏のうちには「その100」に突入すると思われます。 その日にちを「*月*日」と予想してください。 すなわち、「その100」に最初に記入される日付を当ててください。 ずばり的中したかたの中から抽選で*名様に豪華賞品を…… と言ってみたいところですが、 あくまでも冗談ですのでメールで送ってきたりしないでください。

2004-07-11 (0) 01:36:35 +0900


すのもの Sunomono