相殺法(そうさいほう)
自分の子どものやった犯罪を教師の指導の不備と相殺して、「なかったこと」にしようとする交渉術。
モンスター・ペアレントと呼ばれる人々によって開発され、一般に広がった。
基本形的には、
「確かに、ウチの子は悪い、それについては謝った。しかしそれとは別に、だからといって生徒を罵倒していいことにはならんでしょう」
というところから始まる。
「息子は先生に『ふざけるな』と罵倒されたと言っていますが、それについてはいかがでしょう」
長い長い指導の一箇所なので思い出せずに、曖昧にしていると、
「とぼけるつもりですか」と切り返す。
「言ったかもしれません」と答えると、
「分かりました。認めるんですね」と畳み掛ける。
「しかし、真面目に聞いていなかったのでそう言ったのだと思います」と言えば、
「証明できますか?」
「証明はできませんが……」と答えると、
「信頼していた先生にそんな言われ方をした、子どもの心の傷がどれほど深いか、先生にわかりますか?」
今日までそんなに信頼されていたとも思わないし、
その程度で「心の傷」とかを負っていたら、仲間内で満身創痍、今日までに失血死しているはずだ
などと、議論の本筋を外れてよそ見をしていると、
「校長先生のご見解は?」と来る。
「生徒の犯罪やいじめ」と「ふざけるな」を同じテーブルに乗せられてはかなわないので、
「確かに、そういう言い方をしたかもしれませんが、それは先生の熱意から出た言葉で・・・」などと答えると、
「熱意があれば何をしてもいいということですか?」と突き返す。
そんなやり取りが2時間も続くと互いに身動きが取れなくなり、その日は一応解散となるのだが、私たちが次の準備をしている間に、
翌日、都道府県教委から電話が入る。
「教師の生徒に対する心の体罰があったという訴えがあり、○月○日までに文書で回答するようにということだが、どういうことか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
事情をしっかり説明して了解してもらっても、都道府県教委は戦ってくれない。
何しろ教委にはこのテの問題が山ほどあるのだ。一つひとつに十分時間をかけている余裕はない。本質を外れてでも早めに切り上げないと、すぐに切羽詰ってしまう。
そこでまず都道府県教委が謝り、担任が校長とともに謝罪し・・・・・・ふと気づくと、
そもそもの発端となった犯罪やいじめ事件はどこかに消えてしまっている。
こうした結果に、
母親は父親に対して頼もしげな視線を送り、父親はご満悦。
肝心の息子は高笑い。
以後、この生徒に対する真剣な指導はできなくなる。
「コイツ、絶対に悪くなるな」と思いながら、担任は手をこまねいているしかないのだ。
そしてほぼ確実に、悪くなるかダメになる。
2009.01.18 |