小学校英語
脱官僚政治と言いながら、外国との丁々発止のやり取りのできる若き吉田茂や幣原喜重郎、宮沢喜一のような官僚がいないと困ると考える政治家と、
英語さえできれば世界中どこへ行っても金儲けができると考える財界人、
自分で金や労力を出すのは嫌だが、早くから学校で英語学習をやってくれればウチのバカ息子も英語がペラペラしゃべれるようになるのではないかと勘違いした親、
この三者の呉越同舟で平成23年度から完全実施となる小学校5・6年生の英語。
各学年、年間35時間計70時間(授業時間)。週1回、45分間の授業で何をやるのかというと、
外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。
(新小学校学習指導要領 第4章外国語 第1目標)
ということである。
スイミング・スクールの隆盛に支えられた北島康介やJリーグの興隆に支えられるワールド・カップでの活躍など、一流を育成しようとすればすそ野を広げるしかない。その意味で一流の英語使いを育てるのに国民が小学校から学ばねばならないと考えた政財界の思惑は分かる。
しかし親まで一緒になって小学校英語に期待をかけるというのはとんでもない思い違いだ。
考えてみるといい。中学校入学時には「全く分からない」というゼロレベルで平等だった英語も、中高6年間の間にすっかり差をつけられて、友だちははるか高みにいた。その学力差のクレッシェンド(音楽における右広がり強弱記号)がさらに2年分延ばされるのだ。あなたの息子が高みに立つ人間だったらいいが底辺を這うような人間だったらほんとうに悲惨だ。
無能の苦しみが2年間も延長される。
ついでに言えば、小学校から英語を始めるということは、中学校英語の、あの新鮮で初々しい感覚が失われるということでもある。
「ボクは算数も国語も理科も社会も、それどころか図工や家庭科でも差をつけられちゃったけど、英語はゼロで同じだ、中学校に入ったらがんばるぞ」
というあの感覚である。
小学校英語推進主義者にとって、そんなことはたいして問題ではなかったのかかもしれない。
「どうせ算数や国語のできなかった子なんて、英語もすぐにできなくなるさ」
ということなのかもしれない。
けれどそうは言っても今より2年余計に勉強すれば、少しは英語力がつくかもしれないと思う人もいるかもしれない。
そんなことはない。
途中で分からなくなった子がレベルの高い英語を強制されても苦しむばかりで力などつくはずがない。
小学校段階で差をつけられないように
金のある親は補習塾で英語を習わせ、
金のない家庭では成績が低くても楽しく生きていける生活の知恵をつけてやることが、
これからは必要になるだろう。
【参考】
「中高合わせて6年間も勉強しながら英語が使えるようにならない、そんな日本の英語教育には重大な欠陥がある」という話を聞いたことがある。
しかしそれを言うなら、小中高合わせて12年間も勉強しながら微分・積分あるいはベクトルや対数が使えるようにならなかった数学や、結局、摩擦係数やベンゼン環が何のことかさっぱりわからない大人しか育てられなかった理科教育のあり方のほうがよほど問題だろう。
どうやっても結局英語が身につかなかったことには理由がある。それはベクトルや対数や摩擦係数やベンゼン環と同じで、たいていの人にとって英語は必要なかったからだ。
そして今後も、普通の大人が英語を必要とする世の中は来るはずはない。