キース・アウト (キースの逸脱) 2011年8月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
大阪・泉南市の小学校のプールで先月31日、1年生の男の子が沈んでいるのが見つかり、その後、死亡した事故で、このプールでは、委託を受けた業者が4人で監視することになっていたのに、事故当時は監視員が1人だけだったことが分かり、市の教育委員会が詳しいいきさつを調べています。 先月31日午後2時ごろ、大阪・泉南市の市立砂川小学校のプールで、1年生の保苅築くん(7)が沈んでいるのが見つかりました。保苅くんは溺れたものとみられ、病院に運ばれましたが、1日朝、死亡しました。この事故で、泉南市教育委員会が1日夜、記者会見し、事故当時、プールは一般に開放されていて、プールの監視は、市内の業者に委託していたと説明しました。さらに、業者との契約では、4人の監視員で プールを監視することになっていましたが、当時は、2人が欠勤し、1人が別の業務で離れていたため、実際に監視に当たっていたのは1人だけだったということです。このため泉南市は、業者に対し、監視員が1人しかいなかった経緯について、2日までに詳しく報告するよう求めました。また、教育委員会としても監視員が少なかったことを把握していなかったということです。蔵野博司教育長は、会見で「重大な事故を起こし、ご家族におわび申し上げます」と陳謝するとともに「チェックする役割を担うべきなのに、不備があった」と述べて管理の甘さを認めました。 教育制度というのは都道府県市町村によって微妙に異なっている、そのことは知っていた。 しかし学校のプールを一般開放して業者に委託する、という発想には呆れた。ここまで来ると“学校”あるいは“教員”というものに対する考え方が根本的に違っていると思わざるを得ない。 わが貧乏県の場合、夏休み、教員はどうせ授業がないのだからなぜコイツらを使わないのか、という発想になる。税金を払って遊ばせておくことはないということだ。 しかし実際に納税者がそう言ってくるのではない。そう非難されてはかなわないとばかりに先手先手と手を打ってくるのである。 夏休み中のプールの監視はもちろん教員の仕事である。それどころか最初と最後の1週間を校内研修の期間として封じ、その間に県教委・市教委関連の会議をちりばめて教職員が1週間〜2週間と長期休業を取らないように工夫してある。特にお盆前後には重要会議を入れるため、実際に連続した休暇をとる可能性は12日〜17日の間にしかない。 私たち田舎者は、そうした状況が全国で同じようにあると思っていた。しかしとんでもないことだ。 教員というのはもともとけっこう勉強の好きな人たちである。こういう人たちを遊ばせておいても、昼間から酒を飲んだりパチンコ屋に行ったりしない。 学問というものが膨大な余裕の中からしか生まれないことを考えると、この人たちを自由にしておくことは最終的に教育の利益となるはずなのだが。 文部科学省は5日、教員の資質能力の維持や向上を目的として09年度から導入された教員免許更新制で、今年5月末までに最初の更新期限を迎えた教員98人の免許が失効したと発表した。この制度で免許を失った教員が出たのは初めて。 教員免許更新制は現職の教員が対象で、更新期限までの2年間に30時間以上の講習受講を義務付けた。全国の国公私立校の教員を10グループに分け、今回は今年3月末時点で35歳、45歳、55歳の「第1グループ」の9万4488人が対象となり、免許失効者の比率は全体の0.1%だった。文科省によると、失効者には、学校運営に徹して教壇に立たないため免許の不要な校長などのケースがあるという。 98人を多いと見るか少ないと見るか、内訳を見ないと論評しにくいところだろう。 これを機に55歳で早期退職をしてしまおうと思った教員が100名近くいても不思議はない。産休代替の講師などは現場を渡り歩いたり休んだりしているうちに、更新講習受講の機会を失ってしまったケースも考えられる。そうした人が100人いても不思議はない。教師のあり方としてはいかがかと思うが、 学校運営に徹して教壇に立たないため免許の不要な校長などのケース ももちろんあるだろう。なにしろ小中学校の校長だけでも全国に3万4000人ほどもいるのだから。 あるいはまた確信的に退職に追い込まれ、裁判で免許更新精度の不当性を訴えようとする人もいるかもしれない。 いずれにしろこれだけ大騒ぎする中で、うっかり更新をしなかったという人はそうは多くないはずだ。 その意味で、98人はまあまあ妥当な数字と言えるのかもしれない。 ただし、その陰で目に見えない大量の失効者がいることを、この記事から読み取るのは難しい。それは「教員ではない」免許所有者たちである。 免許は取ったものの結局他の職業に就いた人、家庭に納まった人、すでに退職した人。こういう人たちは更新講習の対象にならないので自動的に免許を失っている。けれどこの人たちは永久に教職に就かない人たちではない。 特に子育てなどの事情によって家庭にいる人たちは、事と次第によっては現場に戻る可能性のある人たちである。この人たちが全員消えてしまった。 学校がそうした「家庭にいる免許所有者」たちをどれほど当てにしていたかはほとんど知られていない。この人たちは正規の教員が休みに入った時に、代わりに担任になり、教科を教え学級を運営する候補生なのだ。産育休をとる職員がいたり療養休暇に入る職員が出たりすると、当てにできるのは「家庭にいる免許所有者」と「アルバイトで生計を立てている免許所有者」だけである(正規の職業を捨ててまでも講師という非正規の仕事についてくれる人はそうはいない)。 特に子育てを終えて再び現場に戻る条件の整った元教師などは、講師を必要とする学校からすると垂涎の的なのである。 そういう恰好の人たちが、一人また一人と消えていく。 もちろん救済策はある。しかし講師を必要とするのは常に緊急の時であって、再取得の手続きや講習を受けている時間的余裕はない。 おそらく、東京などの都会では講師の採用に苦労はないのだろう。何んといっても人口密集地だからアルバイトで食いつないでいる若者はいくらでもいる。苦労するのは田舎だけだ。田舎には「アルバイトで生計を立てている免許所有者」などまずいない。 どうしても代替講師がいないとなると、休業に入った教師の仕事は学年職員で割ったり、教頭が自分の仕事を夜に回して行ったりと、普通ではない状況が続く(ただし校長が代わりに入ることはない(*))。それは子どもにとっても決して利益ではないだろう。 免許更新制度はこうした困難を考慮しない。都会でできることは田舎でもできると、思い込んでいるのだ。 *学校運営に徹して教壇に立たないため免許の不要な校長という表現に驚いた人もいるかもしれない。しかし実際、校長に教員免許は必要ないのである。 例えば学校教育法には「校長及び教員」という表現が繰り返し使われている(「第七条 学校には、校長及び相当数の教員を置かなければならない」など)。これはつまり、校長は教員ではないということだ。したがって原則的に、校長は授業をしたり担任を持つことはできない。また「校長は教員でない」から教員免許を持たない民間人にも任せられるのである。民間人校長はそうした論拠に立っている。 大阪府の橋下徹知事が代表を務める大阪維新の会は、9月府議会、大阪・堺両市議会へ提案する「教育基本条例案」に、府立、両市立校の校長を全員公募し、予算要求権や人事権を与えることや、入学者数が定員を3年連続で下回るなどした府立高校は統廃合する内容を盛り込む方針を固めた。 教育基本条例案は、府職員らの人事評価や懲戒処分を明文化した「職員基本条例案」の教員版。 条例案では、校長を公募するのは、府立の高校・特別支援学校(164校)と、大阪・堺市の小・中・高・特別支援学校(600校)。正副校長は条例の制定から5年以内に任期付き採用に切り替える。 テレビのバラエティに出ている頃の橋下知事という人は、もっと普通の人だったように思うがどうだろう? 公教育にはそうとうな不信感をお持ちのようだが、学校というものをどこまでお分かりなのか、はなはだ疑問である。 確かに、民間人校長の公募に際して予算要求権や人事権を与えることとしているのは、一応この制度に関して学習したからなのだろう。 この制度が始まった2000年以降、今日までに全国で700人余りの公募校長が任用されたが、この人たちの最大の不満が予算や人事面で民間のように自由にならない点であった。言うまでもなく政治や企業経営は予算配分と人事によって行われる。この二つを掌握しなければ、どんなに大声を張り上げても何も動かないのだ。民間人校長たちはそれを武器として組織を動かしてきた。 そこで橋下知事も、予算要求権や人事権を与えると言うのだが、そもそも学校における予算と人事というのは何なのか? 体育科の教師が言うことを聞かないからといって跳び箱とプールの消毒薬の予算を削り、従順な音楽科に移して大太鼓を買わせるといったことやっても、不利益を被るのは生徒だけだ。 「オレの言うことを聞かなければ、お前たちが欲しがっている学級通信用の用紙代は渡さん」と威張っても、学級通信を欲しがっているのはむしろ保護者の方である。 大企業の部課長のように、「上限1千万円までは自由裁量で使える」といった金を渡すのも一案だが、どこの自治体だってそんな余裕があるはずはない。 そう思ってもう一度記事を見直すと、私はとんでもない読み違いをしていることに気づく。橋下知事が「与える」と言っているのは「予算」ではなく「予算要求権」なのだ。 しかし予算を要求する権利なんて、今までだってあったのではないか?(教育委員会は要求に応えてくれないことが多いが) 人事となるとさらに理解ができない。 誰を研究主任にして誰を給食指導係にする、あるいは図書館教育の係は誰で、生徒指導は誰、といった校内人事の人事権は今でもあるだろう。 だからといって広く大阪府内を歩き回り、A中学校には○○という良い先生がいるからこれをもらってこようといった広域の人事でもあるまい(個人個人がそんなことをし始め、人徳のある校長の下に逸材が集まり、そうでない校長の学校には指導力不足教員しか集まらないとなったら、地域がかなわない)。 そうなると考えられるのは昇任人事だけである。副校長や校長をオレたちに決めさせろということだ。いかにも企業人たちの考えそうなことである。 だがそれも、教務主任や副校長(教頭)を望む教員の数がポストの数以上であることを前提にしなければならない。 「みんなが教務主任や副校長になりたがっている、しかし昇任できるのはごくわずかなのだよ」そういう状況があって初めて、人事権は効力を発揮してくる。 しかしどうだろう? 大阪のことは知らないので比較的知られている東京都を例にとれば、管理職へのステップである主幹教諭は小中学校で平成15年から19年年までの5年間ですべての学校に配置する計画が、未だに充当できていない。それどころか最近の報道によれば副校長のなり手も足りず、平成25年度には都内で250人も副校長の空席ができてしまうのだ。 校長の方はすでに平成17年度から不足していて、都内のおよそ一割が再任用校長(定年退職後も改めて任用して校長をやってもらう)に頼んでいるという始末なのである。 多くの教員にとって校長も副校長もさっぱりオイシイ仕事ではなくなってしまった。今は校長や教頭がめぼしい人材に声をかけてようやく昇任試験を受けてもらっているのが実情だ(千葉県ではそれを断ったばかりに校長からパワーハラスメントを受け、それを苦にして自殺した高校教員がいた)。したがって公募となればなおさらこれに応じないだろう。 校長を公募するのは、府立の高校・特別支援学校(164校)と、大阪・堺市の小・中・高・特別支援学校(600校)。 5年もあれば764人の校長全員が代わる。その枠を教員が埋めないとしたら、ほとんどを民間人が占めることになる。そのとき応募してくるのは社会の最前線で高給を得ながら働く、有能な人材ばかりではないはずだ。 (というより、そんな人材は定年退職後だって学校などには来ない) 企業では勤まらないから、 企業から必要ないと言われたから、 企業には居場所がないから ……そういった理由で応募してくる人も全部入れなければ、764と言う枠は埋まらない。 橋下徹はとんでもない実験に大阪府を巻き込もうとしている。 *ところで、民間人校長の制度も始まって10年。700人もの経験者を出している。 そろそろその功罪についてまとめてもよさそうなものだが、誰も手を着けない。 調査検討の結果「ほとんど意味がなかった」といったことになり、この制度をつくった文科省の先輩の面目を潰すのが怖いからなのかもしれない。 そんなふうに私は思っている。 |