五十嵐貴久 15


誘拐


2012/05/16

 誘拐というのはミステリーにおける定番テーマの1つであり、僕自身も何作か誘拐物を読んできた。だが、心底やられたと思った作品は1つもなかったと思う。『誘拐』というそのものズバリなタイトルを冠した本作は、果たしてどうか。

 歴史的な日韓友好条約の締結のため、韓国大統領の来日が迫っていた。警察が国家の威信をかけて警備に当たる中、現職の総理大臣・佐山憲明の孫が誘拐された。捜査に割ける人員は限られる。進まぬ捜査に苛立つ佐山首相。

 スケールの大きさという点では比類なき作品だろう。相手は国家なのだ。明らかに、警察の戦力が手薄になった隙を狙っている。要求は条約締結の中止と身代金30億円。さぞかし手強い頭脳犯かと思いきや…実は、読者には最初から犯人がわかっている。

 うーむ、確かに伏線はあったけれど、捜査が先入観で動くのに違和感を感じた。そりゃ難航するはずである。最初からあさっての方向を向いていたのだから。確かに、犯人は極めて慎重かつ周到で、証拠を残さないことを徹底していたが、手口は素人っぽい。

 ようやく、あるノンキャリアの警部が異論を唱える。彼は事件の展開を予想し、その通りになったら捜査員を100人貸してほしいとキャリアの警視正に要求する。果たしてその通りになり、ようやく警察は真犯人にたどり着いたのだが…。結末は予想の範囲内ではあったかなあ。漠然とそんな感じはしていたし、早い段階で見破った読者も多いのでは。

 もう1つ気になるのは動機の部分である。正直、こうした議論は毎度おなじみで聞き飽きている。現実の政治を見るに、タイムリーと言えなくもないが、どっちが白でどっちが黒とは一概に断じられないテーマである。掘り下げ不足は否めない。

 苦言ばかり述べてきたが、だからすべてだめということはない。僕を含め、結末だけで評価しがちなのはミステリーファンの悪い癖。結末に至るプロセスにも目を向けるべきだ。序盤は犯人の意図が読めないため、なかなかの緊迫感である。傲岸不遜な佐山首相が、みるみる憔悴していく様子も読みどころ。二段構えの構成も凝っている。

 それでもやっぱり気になってしまう。解説にある、初版刊行時に指摘された問題点って何だったんだろう? こんな僕はつくづく天邪鬼な読者だな。



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